【AI・HALL共催公演】

青年団第62回公演『革命日記』


AI・HALL共催公演として、青年団[http://www.seinendan.org/]が 6月18日(土)〜19日(日)に『革命日記』の上演を行います。 作・演出の平田オリザさんに、作品についてお話いただきました。


■『革命日記』に関して
これは、1997年に彩の国さいたま芸術劇場から 【P4】(※注1)に依頼がありまして、安田雅弘さんが演出をすることになり、 彼に頼まれて書いたのが、『革命日記』のもとになった『Fairy Tale』という台本です。 以前、『忠臣蔵』という作品も宮城聰さんから頼まれて書いたのですが、宮城さんや安田さんは、 ”巨大な作品を作ること”を前提にしていまして、そのたたき台になるコアのテキスト部分を提供するという仕事だったんです。 ですから最初は、これ単体で上演することを前提としていない状態で書いたもの、ということになります。
うちは大体2、3年に一度新人募集をして、1年間の研修期間のあとに、私が演出をして若手公演をやります。 2008年に若手公演として、改訂してこの『革命日記』を再演してみようと考えました。 この上演が大変評判が良くて、入りきらなかったお客様には随分帰っていただいたんです。 そこでキャストを若干入れ替えて、昨年、本拠地のこまばアゴラ劇場で上演しました。 ここでもまた多くのお客様に好評をいただきましたので、じゃあ今年はこれを旅公演に持って行こう、ということになりました。 今回は、福岡と四国とアイホールと、 来年の1月に韓国のソウルと三重県文化会館 という5ヶ所での公演になります。
初演時のキャストは本当に若手のみで八割方新人だったんですけれども、今回も十年ぐらいいるのが2人ほど出ているだけで、 3年以内とか5年以内というような若手の俳優が中心になっています。 ですから普段の見慣れた名前がキャストにないだろうとは思うんですが、青年団の層の厚さといいますか、 若手の充実ぶりを見ていただける公演になるのではないかと思います。

(※注1)【P4】とは、1994年に現代演劇の諸相について問題意識を共有する演出家のユニットとして結成した、 加納幸和(花組芝居)、平田オリザ(青年団)、宮城聰(ク・ナウカ)、安田雅弘(山の手事情社)の4人のグループ。 現在、グループとしての活動は休止中。

■内容について
元々は連合赤軍とか、ご承知のように学園紛争から新左翼が様々に分派して、結局、力を失っていくんですけれども、 そのイメージを現代に移し変えて、本当にダメダメな革命組織が本当にダメになっていく過程を描いています。
執筆当時は、やはり95年にあったオウム真理教の事件のイメージが非常に強くて、 僕はずっと「個人と組織」という問題を書き続けていたので、 やはりそういうことについて考えながら書いた作品です。95分で非常にコンパクトにまとまっているし、 そんなに難しい話でもないので、誰にでも楽しんでいただける作品だと思っております。

お話としては、崩れ行く集団の中に一般市民が闖入してきます。隣近所の町内会の人が来たり、 「そんな過激な集団ではない」と思ってカンパなどをしながら支えている人たちとか、 彼らよりもその人たちの方が明らかにおかしい。集団に所属して議論しているのは、 ごくごく真面目な人たちなんだけれど、それが何らかの「寂しさ」とか「恋愛感情」とか、 ちっぽけな「プライド」が重なり合ってどんどん歪んでいくわけです。 そこへもっと変な人が外部からやって来る。そういう構造です。ですから、どっちがおかしいのかよく分からない。
また、演劇的な仕掛けとしては、革命集団が偽装するために、アジトに夫婦が住んでいるんです。 そこはシンパの人間も入って来られる開かれた場所になっているので、そこで社会性の問題が転倒してくるというか、 よくわからなくなってくるわけです。もちろん、題材として”集団”を描いてはいますが、 不条理劇として見ていただいた方が楽しめるんじゃないかと思います。

■Q&A
Q. 『革命日記』の内容に関して、サンプル、モデルにしたものはありますか?
■はい。もちろん元連合赤軍の方の手記だとか、そういったものはたくさん読みました。
それと、僕は駒場という街に生まれ育ったのですが、6、7歳の頃はちょうど学園紛争の時代で、 ちょうど駅前の商店街に家がありまして、代々木に向かうデモの通り道だったんです。 また、駒場小学校というのは、東大の敷地の中にあったので、大学でデモがあると休校になる。 通学路でデモをしていますから、本当に危なくて登下校ができなかったんです。デモがあると休みになって嬉しかったですね。
ですから、その人たちがどういう議論をしていたかだとか、なぜ(革命や組織が)ダメになるのかというのは、 その雰囲気が辛うじて分かる世代かなと思います。例えば今でも「○○○解体!」とかって叫ぶ集団が残ってますよね。 これはどういうことなんだろう、敵は他にいるだろう、と。どういう思考回路なのか、と。 そうするとそこには何らかの集団のヒステリーがあるはずなんです。一人ではありえないのに、集団ゆえに歪んでいく。 そのあたりを書きたかったですね。

Q. 初演から、ご自身の中で”集団と個人”というものに関して、考え方に変化はありましたか?
【P4】の初演は僕の演出ではなかったので、当時はあまり考えていませんでした。ただこの『革命日記』や『忠臣蔵』というのは、かっちりとした短編小説みたいなものを書くようなつもりで「素材」として提供したので、青年団の本公演なんかと比べると、そんなに強い思い入れは無かったです。
ただ再演時は、新人公演でしたし、劇団の主宰者ですから、自分たちがオウム真理教のような集団とどこが違うのかというようなことを、自問自答しながら創りました。経済的には食べさせているわけではないですし、俳優たちはアルバイトしながらやっているわけです。そういった環境の中で、かつての演劇集団が持っていた“理想を掲げて若い人を騙す”みたいな、“文化大革命”みたいなのはやめようということを、ずっと提唱してきたつもりなんです。しかし、そうは言っても集団である以上、やはりお互い了解の上で、騙したり騙されたりという部分はあります。共同で何らかの幻想を持たなければ、こういう集団はやっていられないわけですから。じゃあ、どこに区別があるのか。それはある意味、社会性・反社会性ということかもしれないですけれど、特に再演時は新人公演でしたから、そのことについてすごく考えながら作品創作にあたりました。

Q. 『革命日記』という作品を作って、劇団とそういう集団との違いは見つけられましたか?
■違いはないと思います。「ない」という覚悟でやらないといけないと思います。
鴻上尚史さんの『トランス』というお芝居に引用されている有名な精神病の定義があります。「3分間に1回手を洗わないといけない」という神経症の方がいらっしゃったとして、今、薬でこれを「1時間に1回」に抑えることができる。そうすると、1時間に1回だとトイレに行くのと変わりませんから、ほかの人は分からないですよね。要するに精神医学の世界では、病気であっても社会生活が営めればそれは治ったとされるんです。つまり社会性の問題であって、私たちが曲がりなりにも演劇を続けていけているというのは、一応、社会性があるということになっているんだと思うんです。じゃあ「どこが」というのは、たぶん時代状況に応じてすごく変わっていくんだと思うんです。この業界も、今の基準から言えば、パワハラだったりセクハラだったりというものが当たり前だったのが、随分変わってきましたよね。女性の人数も多くなってきたし、やはり彼女たちが安心して継続して作業していける集団でないと生き残っていけない。そういうことは時代によって変わってくるのであって、固定した何かの線はないと考えたほうが健全だと僕は考えています。

(2011年5月10日 大阪市内にて)
【AI・HALL共催公演】
青年団『革命日記』
6/18(土)14:00/18:00、6/19(日)13:00/17:00
一般3,000円 学生・シニア(60歳以上)2,000円 高校生以下1,500円