AI・HALL提携公演
リスペクト・フォー・マスターズ




アイホールでは、今秋10月に「リスペクト・フォー・マスターズ」として、「空の驛舎+北村想」「A級MissingLink+竹内銃一郎」の公演をそれぞれ開催します。 この組合せは、北村想さんと空ノ驛舎さん、竹内銃一郎さんと土橋淳志さんの、それぞれ10数年にわたる交流を踏まえたうえで実現したものです。 日本の現代演劇をけん引してきた北村想さんと竹内銃一郎さんが、関西の中堅劇団のために新作戯曲を書きおろすという、他に類をみない企画です。 それぞれの演出的手法も理解されたうえで書きおろされた作品と、劇作家へのリスペクトを持ちつつも新たな視点で戯曲を舞台に上げていく演出とのコラボレーションが、この企画のオモシロさになっています。 今回、それぞれの劇作家と演出家に作品についてお話しいただきました。




■ 『DOWMA(ドーマ)』について

空ノ驛舎(以下、空ノ): 北村想さんと私の関係は、想さんが塾長を務める「伊丹想流私塾」の門を叩いた15年前からスタートしました。そのきっかけは、私が演劇を始めた18歳のときに、想さん主宰のプロジェクト・ナビの『ロール・プレイング・ザ・バグ』を観劇しファンになったことです。それ以降、関西でのナビの公演をコンスタントに観ましたし、北村戯曲もたくさん読みました。それで戯曲を学ぶなら「想流私塾」と思い入塾しました。戯曲を一年間学んだのち、師範としても六年間、近くで、想さんの演劇に対する姿勢・考え方を学びました。そうした繋がりがあります。
今回の『DOWMA』には、「女優二人による『ドグラ・マグラ』」という副題がついています。この女優二人というのは、船戸香里と空の驛舎に所属する津久間泉を指しています。この二人には、それぞれ想さんの一人芝居を上演したという共通点があります。船戸さんが『MONO語り 怪人二十面相・伝』(2005年)を、津久間が『MONO語り マスク・THE・忍法帳 怪人二十面相・伝・外伝』(2008年)を上演し、ともに私が演出をいたしました。私が初めて北村戯曲を演出したのは、船戸さんの一人芝居です。ちなみに、外伝については、「空の驛舎」の公演打ち上げがちょうど津久間の誕生日でして、想さんがプレゼントに「ホンを書く」とおっしゃられまして、四日後に送られてきたというエピソードもございます(笑)。今回の二人芝居は、2011年にメイシアターで上演された北村想さんの『オダサク、わが友』の本番前に、ロビーで想さんが急に「船戸と津久間で二人芝居を書く」と言い出されたのがきっかけです。

北村想(以下、北村): 確かそのとき、いいモチーフをみつけたら、二人芝居をやってみようという話をしましたね。
空ノ: そのモチーフが夢野久作の『ドグラ・マグラ』でした。戯曲の第一稿は二、三年前にはいただいていましたが、そのあと何度か改稿いただき、上演稿が出来あがりました。
北村: チラシにも書いているのですが、最初の読み合わせのときに「読んでいたら眠とうなるわ」と船戸香里に言われましたので(笑)。私、その場にいたんですよ(笑)。それで直さなあかんと思いまして。ちなみに、チラシの津久間発言も本当です。『オダサク、わが友』のサイン本を渡したときに、オダサクが使った「僕と共鳴せえへんか」というのをサインの横にちょこっと書いたら、「アホッ」って言われたんですよ(笑)。
空ノ: 女優二人も、リスペクトしているんですよ(笑)。
北村: はあ、そうですか(笑)。
空ノ: 『DOWMA』は、小説『ドグラ・マグラ』を下敷きにしたオリジナルのミステリー戯曲です。小説と同じように、記憶を失った青年が登場し、その青年が記憶を取り戻していく過程に北村想の演劇論・表現論が挿入され、物語とスリリングに重ね合わさっていくという戯曲です。演出としては、戯曲が上質なミステリーですので、まずはきちんとしたミステリー作品をつくろうと思っています。つまり、次はどうなるのかな、その次はどう展開するのかなというワクワク感を大切にしたいということです。また、『ドグラ・マグラ』の持っている、昭和的であり、ちょっと不気味であり、ちょっと文学的である特有の空気も大事にしながら、劇世界をつくりあげていきたいと思っています。特に、小説『ドグラ・マグラ』は、一度読めば精神に異常をきたすといわれていますが、私はこの作品の底に流れている「狂う」というテーマを、否定的ではなく、清々しく肯定的に捉えたいと思っています。なぜなら、今の世知辛い世の中において、頑なに何かにこだわったり、頑なに何かを追い求めたり熱くなったりする「狂おしく生きていく力」が必要なのではないかと思うからです。
北村: 「狂う」というと大げさだけど、言ってみれば、昔から普遍的に言われている「おかしいのはどっちや」ということを描きたいと思ったんです。例えば、エボラ出血熱やデング熱の流行、ロシアとウクライナ問題やシリア問題といった世界情勢、八月の異常気象など、だんだんと世の中はおかしくなっています。けれど日本政府の新組閣はそれについて具体的対応は何もナイ。世界の人類を何百回と殺せるほどの核ミサイルの武器を持っている国の大統領がノーベル平和賞をもらっています。だから、「おかしいのはどっちや」ということを、ちょっとやんわりと批判的に言いたかったんです。
もともと、“二人の女優”で、何か面白い企画・モチーフがあればと思っていました。夢野久作さんの『ドグラ・マグラ』は大長編で、『黒死館殺人事件』『虚無への供物』といった日本ミステリーの三大奇書のなかでも、途中で投げ出す人がいちばん多い作品です。「脳髄論」や「胎児の夢」といった学術論文などがごちゃごちゃと挿入されていて、そのあたりでみんな投げ出したくなるんですよね。でも、そこを読み進めることができると、あとは本当によくできた正統なミステリーで、すごく面白くて一気に最後まで読むことができます。今回、こうしたごちゃごちゃとたくさんの要素が詰まったものを、たった二人の女優で演じさせるというミスマッチが面白いのではないかと思いました。思いついたのはよかったのですが、実際に戯曲にするとなるとなかなか難しい。そこで、原作で皆さんが投げ出すような部分は取り去って、面白いエキスだけを引っ張りだしてきて、実力ある女優に演じてもらおうという魂胆で書きました。小説を読んだことがある人は、あれをたった二人で一体どうやるのだろうと不思議に思うでしょうけど、そこはウマいこと、ちゃんとミステリーになっております。また、小説で夢野久作さんが学術論文などを扱われたところに、私が昨年に出版した私の演劇論集『恋愛的演劇論』を取り入れました。夢野久作さんが書かれた『ドグラ・マグラ』の構造もしっかり残したうえで、新鮮度をあげて書いたつもりです。ですから、小説を読まれた方も読まれたことがない方も『ドグラ・マグラ』という作品がわかるようになっていますし、ミステリーファンにはたまらん作品になっていると思います。演じる女優も、私が好きな方々ですから、楽しみです。
空ノ: 二人芝居ですから、役者でみせていくしかないですしね。
北村: 充分、役者でみせられるよね。実力あるから。
空ノ: 二人の女優は、タイプは違うのですが、それぞれに生命エネルギーのある方々ですから、そのエネルギーが舞台上でうねり始めることができればいいと思っています。演出も、人の力で作り上げた非常にアナログな手法を使う予定です。

■ 『Moon guitar』について

土橋淳志(以下、土橋): 僕が近畿大学在籍中に、竹内さんが就任されまして、その授業を聞きにいったのが最初の出会いです。ただ、僕は演劇専攻ではなく商経学部でしたので、勝手にもぐって授業を受けていました。卒業後は少し疎遠になっていたのですが、二年前にアイホールの現代演劇レトロスペクティヴがきっかけで久々にたくさんお話をすることができました。そのときに僕は竹内さんの『悲惨な戦争』を上演したのですが、シアタートークで竹内さんに出演いただき、その打上げの席で、竹内さんが「A級MissingLinkに新作を書きおろすよ」といってくださり…。
竹内銃一郎(以下、竹内): いやいや、劇団員の誰かが書いてと言ったんじゃないかな? それで、いいよと答えたんだよ。
土橋: あっ、そうなんですか。でも、竹内さんに書いていただく機会なんて無いと思いまして、是非にとお願いしまして、二年がかりで準備を進めて今回の上演に至りました。
『Moon guitar』は、今春にプロットや登場人物などの詳細をいただきました。そのときに竹内さんにいくつか質問をしたのですが、「僕の作品は君の書く作品のように文学的じゃないよ」とおっしゃられまして…。この言葉に僕は「はっ」となったんですね。というのは、そのころベケットの『ゴドーを待ちながら』を引用した作品をつくっていまして、竹内さんに、演劇と文学は違う、演劇は悪しき文学性に堕してはいけないと釘をさされたような気がしたからです。それからしばらくして、竹内さんの書きあがった戯曲を読んでみて、改めてなるほどと思いました。
竹内: 文学的ではなかった(笑)。
土橋: まあ(笑)。では、何かと言いますと、敢えて言葉にするなら「活劇」だと思います。「活劇」というと、一般的にはアクション映画のように、何かが爆発したり、高いところから人が飛び降りたりするスタントがあったり、殺陣のような立ち回りがあったり、そうした派手なアクションの多い作品と思われるかもしれません。でも僕は、例えば、手に持っている物を投げて相手が受け取るようなさり気ない仕草もアクションだと思うんです。竹内さんの戯曲はそうした広義的に捉えたアクション=行動によって物語が推進していく、転がっていく芝居なのではないかと感じました。実は、稽古はじめに、戯曲を役者に読んでもらったとき、台詞の会話のやりとりや運びに、さまざまな飛躍があり、ひっかかりを感じました。例えば、人の生死に関わる決断を、急にこのタイミングでするのはなぜなのかとか。でも、立稽古を始めると、ト書きや行間がヒントになって、すぐにその疑問は解決されたんです。つまり、物を渡す手順や、ここで相手の腕をひっぱる、舞台のこの場所に立つなど、ト書きや行間を丁寧に演出していくと、自ずとそういった流れになることが見えてきたんです。竹内さんもその辺りは親切に設計してくださっています。例えば、劇中に小津安二郎の映画の引用をしているところです。小津といえば、並んで立つとか、並んで座るとか、並んで歩くとか、同じ方向を見るとか、同じタイミングでもの食べるとか、そういった“アクション”で登場人物の気持ちや状況を演出する達人と僕は思っているので、そうしたところで、作品を立ち上げていくヒントを竹内さんはくださっているのではないかと解釈しています。
竹内: 私は、自分が演出をしないときは、演出家にどういうことにしたいのかを聞いて、それをヒントに戯曲を書くのですが、土橋くんからはなかなか出てこなくて(笑)。だから、ヴィム・ヴェンダースの『アメリカの友人』という六〇年代の映画を提案しました。ドイツを舞台にしたこの映画は、ドイツ人の額縁職人とアメリカ人のマフィア関係者の友情物語で、よくできたハードボイルドです。最初はお互いをよく思っていなかった二人が、子どものおもちゃを媒介に親しくなって、最終的には体を張って相手を危機から救い出そうとするというストーリーで、ささいなモノ・コトをきっかけに、背中を向き合っていた二人が急速に親しくなるという、意外性とスピード感がいいなと思い、いつかやりたいと私のなかで構想を温めていました。 今回は、日本の楽器職人が中国人のマフィア関係者と月琴とけん玉を媒介に仲良くなっていくという設定にしました。こういう言い方は誤解を招くかもしれませんが、新聞記者や批評家の方々は、アクチュアリティがあるかどうか、要するに、現代的な問題が作品のなかで問いかけられているかどうかを主に、演劇に接していらっしゃるのではないかと思います。けれど、演劇のアクチュアリティは、舞台にいる俳優の身体によって提示されている、あるいは提示されなければ演劇じゃないと私は思っています。そこが文学との決定的な違いです。ですので、今回の戯曲でもいわゆるアクチュアリティへの志向は二の次になっています。 代わりに、小津安二郎や吉本新喜劇や『男はつらいよ』から引用したり、私の好きなものをそこかしこに散りばめて一つの話にしております。基本的にはコメディ風味のハードボイルドです。あと、この作品のポイントは、カタコトの日本語を喋る中国人が二人出てくることです。私は、俳優が台詞をベラベラ喋るのが非常に不愉快でしてね(笑)。言葉はわたしたちが生まれた時にすでにある、不条理を強いる制度で、だから、つっかえたり言いよどんだりするのが普通で、立板に水みたいに喋るのはおかしいと思ってるわけです。なので、足枷として、カタコトでしか喋ることができないという設定をつくり、それが体現されていく様子(=リアルな言語行為)をみたいと思っています。
土橋: 『アメリカの友人』の話がでてきましたが、アメリカとドイツ、日本と中国という二つの国の関係性は、まともに捉えると戦勝国と敗戦国という関係性に置き換えらえると思うんです。でも、戦後におけるアメリカとドイツの関係性が、戦後の日本と中国の関係性と同じかというと、だいぶ違うのではないかと思っています。ただ、それを考え出すと、竹内さんがおっしゃるアクチュアリティの部分が随分と絡んでくる気がしており、今、悩んでいます。深みにはまらないように、でも、そこはしっかりと自分のなかで何かを掴んだうえで上演に挑みたいと思っています。

■ Q&A

Q. 演出家のお二人は、それぞれの作家に対し、どういうところをリスペクトしていますか?

土橋: 竹内さんの作品が小市民的じゃないところです。僕自身が小市民的で、例えば人に嫌われたくないとか上品なことを書こうとしがちなのですが、竹内さんの作品から、そうでなくてもいいと教えられることが多く、そこがすごいなと思うところです。
空ノ: 北村想作品はミステリーものからドタバタ劇まで、スタイルが多様です。でも、その底流には、人間が生きていくうえで感じる「かなしみ」があり、生きていく糧や生死を考えるきっかけを描いていると感じています。また、私は想さんを師匠だと思っていますので、大阪に滞在中は付きまとっているのですが、想さんの興味の矛先や見ている先に触れることで、今までの自分の常識を覆されるような瞬間や、自分の演劇観や演出観を考え直させられる瞬間が、会うたびにあるんです。それぐらい、いつも新鮮だということが魅力です。

Q. 作者お二人は、それぞれの演出家のどこを見込まれましたか?

竹内: 学生の頃の土橋くんには、よくできる子だという印象を持っていました。A級MissingLinkさんの芝居もいくつか拝見しているのですが、私は今まで退屈だと思ったことがないんです。一昨年の『悲惨な戦争』のときも、自分では戯曲がつまらないと思っていたので、正直期待していなかったんです。そうしたら、面白かった。東北の震災のことも絡めて、それこそアクチュアリティに富んだ芝居になっていたんです。それを観て、この子は相当すごいんだなと思いました。今までも依頼を受けて戯曲を書いたことは何度もあるのですが、他の演出家にやってもらって、(程度の差はありますが)面白いと思ったことがほとんどなくて、例外的に面白いと思ったのが土橋演出の『悲惨な戦争』だった。彼の何がすごいかというと、いま彼も話していましたが、演劇とは行為の連なりで成立するんだということをよく分かってる。俳優が並んでいる距離感とか動き出すタイミングとか速度とか、普通の人が気づかないようなこと、例えば舞台上のふたりの俳優が10センチ離れているのと近づくのとでは、伝わることが違ってくるということをよく分かっていて、それをすごく厳密にやっている。そういうところが、他の多くの演出家とちょっと違うな、と。演出家として必要な知性はもちろん、鋭敏な知覚とか運動神経とか、そういうものを持ち合わせているんだと思います。
北村: 空ノ驛舎さんは、ブログで他の人の作品を褒めるのが上手なんですよね。反論されないように、持ち上げて意見を述べるというのは、なかなかできることではないです。映画も古いのから最近のまで観てらっしゃいますし、関西の小劇場の芝居もたくさん観ていて、それらをうまく褒めている。けなすのは簡単なんですが、どこか良いところをみつけて褒めるというのは、なかなか難しいんです。ブログでは、それを一行や二行で簡潔に書いている。達者なもんやと思います。

Q. 演出お二人に伺います。戯曲の初見の印象と、それをどのように舞台に立ち上げようと考えていますか?

空ノ: ミステリーの場面は非常に面白く、立ち上がっていくイメージは容易についたのですが、演劇論のシーンをどうしようか困りました。一人の台詞量も多いですし、感情やリアクションが入らない論文的な言い回し、例えば「AはBである、BはCである。だからAはCである」といった台詞をどう面白くするかは、苦労しました。でも、稽古を通じて、そのシーンの立ち上げる取っ掛かりを見つけつつあります。そのために、まず論理的な台詞の意味内容を図式化し、チャートにしたものを舞台空間にマッピングしていくという作業をしています。具体的に言うと、“文字”を登場させて、舞台上に“文字”が落ちていくのを、映像ではなくアナログ的な方法で見せたいと思っています。そうして設えた舞台空間に役者二人が佇み、役者の身体が変化していくさまを丁寧に見つめています。そうすることで、演劇論のシーンも非常に躍動的で、スリリングなシーンになりつつあります。この作業は、難しい哲学書を読むときの感触と似ています。どうして哲学書はわざわざ難しく書いているかというと、読者が頭を使うことで、著者と同じように発見したり腑に落ちたりということを体験できるようにしている、つまり「一緒に旅をする」という感覚があると思うんです。今回、『DOWMA』という戯曲を通じて、北村想の演劇論を体験していくという方策で、芝居を立ち上げていこうと思っています。でも、決して堅苦しいものではなく、楽しい芝居にしたいと思っています。舞台美術のテーマは「夢と現(うつつ)」、シンプルで抽象的にする予定です。演劇表現の魅力のひとつである見立ての方法を使って、『DOWMA』という世界を影絵や絵本のような抽象的でファンタジックなセットにするつもりです。
土橋: 戯曲を初見で読んだ印象は、エンターテインメントとして面白いということでした。ですから、まずは、正攻法で立ち上げていこうと思っています。ただ、僕らが今までやってきた手法では乗り越えられそうにない部分もあり、テキストにある細かなト書きとか行間とかを読み込み、登場人物の振る舞いや動きとかで手がかりを掴んだうえで、全体の構成をどうつくるかを考えている段階です。座組みには、自分の考えや意見を話す役者が揃っているので、彼らと共同作業をしながら立ち上げていきたいと思っています。

平成26年9月3日 大阪市内にて

リスペクト・フォー・マスターズ

空の驛舎+北村想『DOWMA~二人の女優による「ドグラ・マグラ」~』
作/北村想 演出/空ノ驛舎 原作/夢野久作『ドグラ・マグラ』
2014年10月10日(金)~13日(月・祝)

A級MissingLink+竹内銃一郎『Moon guitar』
作/竹内銃一郎 演出/土橋淳志
2014年10月23日(木)~26日(日)