現代演劇レトロスペクティブ
sunday『友達』では、毎ステージ終演後にトークが催されました。なかでも7月13日(日)16時終演後のAI・HALL主催のシアタートークでは、安部公房作品の演出経験もあり、氏と親交も深かった演出家、大橋也寸さんをゲストにお迎えしました。司会の岩崎正裕(AI・HALLディレクター)と演出のウォーリー木下さんと共に、安部公房とのエピソードや、現代演劇レトロスペクティヴで新たに生まれた『友達』の印象や感想をお話しいただきました。
■安部さんに観せてあげたかった

ウォーリー木下(以下、ウォーリー):安部公房の『友達』をやらせていただくことになった時から、シアタートークは是非とも大橋さんにゲストに来ていただきたいと思っていました。

岩崎正裕(以下、岩崎):現代演劇レトロスペクティヴのシアタートークは作者御本人をお招きしているのですが、故人の場合、作者とゆかりのあった方に御出演をお願いしています。大橋さんは1967年に青年座で初演された『友達』を観ていらっしゃるということと、その後、千田是也さんが演出された桐朋学園大学卒業公演の『友達』では演出助手としてご参加されていて、実際は演出的なアイデアを大橋さんがいっぱい出されていたというエピソードをお聞きして、これは是非ともと、今回御了承をいただいて、お越しいただきました。 そして、本日sundayの『友達』を観ていただきました。大橋さんは辛辣な批評で知られてらっしゃいますけれども(笑)、歯に衣着せぬところから仰っていただいたらいいのかなと思っております。では、お願いします!

大橋也寸(以下、大橋):私は桐朋学園で安部公房さんに出会って、ある意味、育てられたところがあります。演出家としての覚悟も、文章を書くことも教えてもらいました。「美しい文章というものはない」と。「言葉は物だ」とも。作品はものすごく好きです。あまりにもピタッと表現されているので、思わず笑うてしまう。ユーモアのセンスがありますよね。「安部公房スタジオ」には参加しませんでしたけど、安部さんの『人命救助法』というシナリオをそのままに、それに短編を二つ付けて舞台化し、紀伊國屋演劇賞をもらいました。

今日の『友達』ですが、美術のセンス、美的センスがすごくある。ことに幕切れの大小いくつかの檻が主人公の周りにどんどん狭まっていき、それに鳥かごの影絵が大きくかぶり、次女が触っているところとかすごいなーって。安部さんに見せてあげたいなぁと思いました。

■多角的な喜劇としての『友達』

大橋:桐朋学園で上演した時、舞台美術は奥様である安部真知さんが担当されました。安部さんも美術のセンスがありますから、真知さんとは違うアイデアがあって、相当いろんなことをお二人と議論しました。印象に残っているのは、安部さんがどうしても嫌だと言ったことです。当時の世界情勢として、ソ連がチェコスロバキアに侵攻したんですね。真知さんは「男」の入れられる檻に“プラハの春”を連想させるアイデアを出したら、安部さんが作品に一つの意味をつけられるのは嫌やと仰った。それだけの意味に取られるのは嫌。たった一つの意味ではないんだ、と。「お友達や」言うて、他人の家に入り込んで骨の髄までしゃぶり取ってしまうというのは、戦後、アメリカが日本に対してやったことですよね。アメリカは上手にやったから私ら日本人も大した反抗せんと七十年も過ごした。自分らは中級階級やと思っていた時期もあったくらいですからね。それをイラクに対してもそっくり同じことをしたら絶対に成功すると思っていたけど、アメリカは失敗しましたね。それで、今のこの騒ぎでしょ。

それと、先般、尼崎の監禁事件が起きた時に、『友達』と似ている気がしました。もしかしたら安部さんは、あの手の事件に垣間見られるような、日本の家族が持っている、ある種の気持ち悪さも『友達』のなかで言いたかったのかもしれません。福岡の中古品屋の事件もそう。いくつもの人間が生きてる構造とか、世界の構造を喜劇にしたかったと思うんです。今日も観ていてしみじみ思いましたけれども、安部さんは、先見の明があった、今の時代の世界の構造を読めていたんだなと思います。

今回の檻が重なっていくところは大都会のイメージもあるし、影絵の中で巨大な力が蠢いて、人間一人を消化したら、ポイと吐き出して、また次のところに行くっていうのを上手に出してるなぁと思いました。


■安部公房とポストドラマのマッチング

岩崎:ウォーリーさんが『友達』を取り上げると聞いた時にかなり驚きました。この戯曲は勿論、不条理の構造も持っていますけれども、台詞自体は日本の近代からずーっと培ってきたもの、つまり、中心的な物事があって、言葉が丁々発止で飛び交っていく構造ですからね。

大橋:私がもったいないと思うのは、演出家にこれだけの美的センスがあるのに、言葉のセンスが弱い。これ、喜劇ですよね、本来なら始めから終いまで笑うんです。今日のお客さんが誰も笑わへんかったというのはもったいないな。

ウォーリー:はい…そういう言葉の力の弱さっていうのはね、ご指摘されたように…あのー、認識してるんです(笑)

岩崎:はっきり言ったら? 会話劇嫌いだって(笑)

ウォーリー:嫌いではないんですけど(笑)、僕はまず安部公房さんの小説が好きで、当時の上演の実験的な作品の舞台写真も見せていただいたりしました。寺山修司さんも大好きなんですけど、このお二方の、いろんなものに好奇心を広げていく感覚にシンパシーを感じてます。こんなこと言うのもおこがましいですが、僕もいろいろなことをついやってしまうタイプで、台詞が全くない演劇をやってみたり、ダンスをやってみたり、音楽パフォーマンスをやってみたり、最近はメディアアート系の人と仕事をしたり、新しい何かが見つかるとすぐホイホイと手を出しちゃうんです。そういう意味でこういうビジュアル的なところをほめていただいたのは、僕としては、一安心というか(笑)

あと、今回は特に「男」にどうやって感情移入させないようにしてやろうかと試みていたんです。どうしても「男」に感情移入して物語が進んでしまうという構造を打破したくて。それは何故かと言うと、最初に思ったのが、彼は被害者ではないということなんですね、僕の中では。彼こそが加害者であるという認識に立って物事を創りたくて。ただ、それは加害者であるというアプローチも強いメッセージになってしまうので、一旦、彼に空白の容れ物として舞台上に存在してもらって、そこへ観客に勝手にいろんなものを入れてもらえるような発話ってないだろうかという試みをして、家族とは会話をかみ合わせないように作っていました。

岩崎:マイクを使っていたのは大きく感情移入させないための方法だったんですね。

ウォーリー:そうですね。

岩崎:今、演劇を覆っているポストドラマの創り方と、安部公房さんのマッチングみたいなことをいい意味で試されたんだなと、観てて思いました。

■稽古場に通う安部公房

岩崎:当時の安部公房さんは、結構、稽古場に通われる作家さんだったんですか?

大橋:ご自分が演出家のつもりですからね。『人命救助法』の時、舞台稽古の日に来て私が演出してるのに、頭越しに俳優の山崎努さんに「君ね、もうちょっと前に!」って、ダメ出しをされる。「誰に向かって言うてんの、私を通さんかい」(笑)と思ったけど、安部さん自身は全然悪気がないんです。彼の中に具体的なイメージがある。台詞を書くときに、いろんな音で無意識に試すらしくて「終わったら喉が枯れてるんだよね」とおっしゃってました。実際に声を発してみてるんですよね。一つの台詞を十通り以上は試してるから、自分ではこうもできる、ああもできると思っている。けど、それを裏切られるのがうれしいそうです。すごく音感が良いんですよね。「安部公房スタジオ」という自分の劇団を作ってたし、「安部メソッド」というのも作って、稽古の仕方とかいろいろ試しておられました。

岩崎:美術的なことについて舞台セットがどうあるべきかということもいろいろ仰っていたということですから、作家だけれども、作品の全体像に対して進言するタイプの劇作家だった。

大橋:そうですね。『友達』の初演も再演もそうですけど、安部公房スタジオになってからも美術は安部真知さんですから、二人で実験している感じはすごくありましたね。だから本当に今日の公演は安部さんに観せたかったですし、観たら安部さんは大喜びやったろうと思います。

■私の「残念」

大橋:ただ、私の文句を言わせてもらうなら、アイデアが多すぎる、もっとカットした方がいい。例えばあの階段。あれ、初めに使っただけで、最後の檻が重なる時に全く使ってない。

ウォーリー:そうなんです…(場内爆笑)。いや、ホントにそうなんです。

大橋:だったらアイデアとしては捨てるべきですよね。そうでなかったら、最後の動きのある辺りでどうやっても組み入れないと。あと、もったいないと思うのは、鳥かごを影絵でやった時、あれやったらあの男をあの大きい檻に引っ掛かったまんま死ねばそれで良いのに…。何故、次から次へいろんなアイデアを試すのかがわからない。へそがない。

ウォーリー:あ、あれは…。男が最後に死ぬっていうのは、実は戯曲には死ぬって書いてなくて、

大橋:死んだんですよ。それ。

ウォーリー:僕の中では消滅したと思ってて、

大橋:いや、あれは「男」の骨だけをあの家族がほいっと捨てて、次の犠牲者探しに行くっていうシーンでしょ。

ウォーリー:そうですね、でも、僕はあの「男」が被害者で終わる話にしたくなかったので…。

大橋:被害者と言っても、この世の中の仕組みがどんどん被害者が出て行く状態でしょう。でも被害者がええ人やとは限らへんわけですよね。あいつもすごい嫌な奴やし。

■大橋さん、観てないんですか?!

岩崎:安部公房さんがお逝きになってから社会はいろんなことを経験してますよね。新宗教による事件もいっぱいあって。あれも疑似家族ですよね。

ウォーリー:逆に言うと新聞を広げれば、“安部公房的世界”が広がっているという感覚が僕にはあります。

岩崎:そういえば、観ている最中に『友達』が、どう現在に表出されているんだろうと思っていたんだけど、家を失った人は原発事故以降たくさん居るから、そういう疑似家族がどこかに侵入してくる問題って、3.11以降、より鮮明になっている印象を受けました。今回は稽古場でそういう作品に関しての議論はやらずに上演されたのですか?

ウォーリー:稽古の初期のころに当時のパンフとか、三島由紀夫さんの文章を読んで、『友達』はこういう風に作られてるんだよという話を役者同士でしていました。でもそのせいで動きがどんどん硬くなっちゃって…。もっと稽古場で役者と役者が言葉を交わすことで生まれることを信じようと思って、途中からはあまり考えないでと言って終わりました。

岩崎:大橋さん、初演は安部さんが青年座に依頼されて書いたと記録にありましたが。

大橋:青年座に入れ込んではった時期がありますよね。

岩崎:当時の上演はどうでした?

大橋:昔の新劇のセリフのテンポがあまりにゆっくりで。今日のなんてすごい早いですよね。安部さんはこの早さで読んでほしかったと思うんです。私も先に戯曲を読んで観に行ったら、あんまり丁寧にわかりやすく説明的に演るから、気持ち悪い。悪いけど一幕で出てきました。出たから、後は知りません。

岩崎:えー! そうなんですか?!

一同:(爆笑)

大橋:安部さんに白状したら、全然、むっとも、しませんでした(笑)。

岩崎:じゃあ今日は、お仕事とはいえ、ちゃんと見ていただいたと言うのは…見るべきものがあったというところで…。

ウォーリー:言葉のセンス、頑張ります。

岩崎:えー、大橋さんが帰り支度を始められましたので(笑)、そろそろ終わりたいと思います。当時を知らない私たちには非常に貴重なお話を聞かせていただきました。
大橋さん、本日はありがとうございました。