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高嶺格さんからのチラシについての提案を受け、まず、
アイホールではスタッフミーティングを行いました。


高嶺さんとのチラシについての話し合い

7月14日(金)
13:30 15:30

参加者:高嶺格、志賀玲子(アイホールプロデュサー)、大西可久(館長)、山口英樹(事業主任)、太田裕也(事業担当)、内薗香織(事業担当)、 宮本理絵(事業担当)、小倉由佳子

小倉 先日から配布はじめた「矛盾を抱えたチラシ第一弾」は、もちろん、みんな読んでいますが、あらためて、高嶺さんの方から「チラシ」について思っていることを話してください。

高嶺 今日は集まっていただいてありがとうございます。思っていることは、チラシの文面の通りなのですが、これはしばらく前から思っていたことです。劇場に行くたびに、分厚いチラシの束をもらう。みんなはどうなのか分からないけど、僕はざっと目を通して、ちょっと気になったものは取っておくけど、他はほとんど捨てている。紙の量としては雑誌と変わらない分量ではあるけど、それは自分で選んで買ったわけでなく、もらってしまったもの。そして、それを家で捨てるということに対して、なんか腑に落ちないという気持ちがたまっていた。見たことのあるチラシが、束の中にたくさん入っているときに、その気持ちが顕在化した。こんなにいっぱいもらう必要があるのかな? そういうに風に感じたことを志賀さんと話していて、今の状況や折込みってどういうふうに始まったかなども聞きました。今の折込みについて、志賀さんも一番いい方法とは思っていないということも。そして、今回、自分の公演なので、自分が今、感じていることをチラシの中にも入れこんでいきたいなと思った。自分の感じている疑問点をこのまま見過ごせない。

志賀 今回の高嶺さんの提案を、高嶺さんの公演にだけ関わることとして終わらせるわけにはいかないと思っています。アイホールにとっては、主催以外の提携や協力公演にもかかわる問題だし、「劇場間バーター」システムによる他劇場のチラシ配布のこともあるので、アイホールだけが単独でやり方を変えても解決にはならない。アイホールが何らかやり方を変えるということは、関西の劇場状況全体に問題を投げかけることになるということをふまえて話しあっていきたいと思います。おそらく、今日だけでは結論は出せないので、まずは、一人一人がこの状況に関わっている者として、この提案をどう考えるかというところから、話していったらどうでしょうか。

山口 高嶺さんの意見に基本的には賛成です。我々は劇場によく行くので、どっさりチラシ束をもらう。配布する側だから、そうそう捨てる訳にはいかないし倫理的にも捨てられない。けど、一般のお客さんはいらないチラシは捨てるんだろうなと思っている。チラシを巡る諸問題を考えた時に、あるシステムに組み込まれ変えられない状況のまま今に至っているのが現状で、他の劇場もおそらく同じような感じだと思う。
昔は来阪劇団、東京から来る劇団のために行っていたんですよね。ほかは、原則、チラシを持ち込んだ劇団が寄り合い折込みをやっていた。いつのまにか在阪劇団も劇場主催や提携になれば作業免除になるということになっていき、そのあたりからチラシ折込みががんじがらめのシステムになってしまった。
実際、折込みをやめましょうということになったら、他の広報ツールを考えなくてはいけない。とはいえ、そのためのツールを考えられる時間も余裕もなく、従来の広報ツールに頼るほかない。そういう縛られた状況にある。インターネットやメールでの広報とかもあるけど、どの程度その手法が有効なのか現在の時点では分からない。個人情報保護法ができて、昔みたいにDMリストの貸し借りが禁止されているので、お客様の許可を得た新たなリストが必要で、DMも送りにくい状況にもなっているし。

志賀 今の話では、問題を複合的に語りすぎていると思います。状況はまさしくその通りだけど、こんがらがった固まりとして語っている間は解決の糸口が見つけにくい。もっと状況を分解して糸口を探していくほうがいいのではないでしょうか。
まず最初に、「<チラシ>という宣伝メディアそのものは、現在もまだ有効か」ということから考えなければいけない。「インターネットのサイトとメールを充実させれば、チラシはもういらないんじゃないか。」もしそうなら、事は簡単ですよね、チラシが形骸化しているのならやめればいい。でもそうじゃない、まだ有効なんですね。少なくとも私にはそう思える。実際のところ、多くの観客が公演情報を何からとっているかというと、やっぱり劇場のチラシからとっている。そのことはアンケートからもわかります。
そして次に、チラシはまだ有効だとしたら今のような2〜3万枚、つまり同じ人に何回も渡すこと、捨てられることを前提として何回も何回も渡すといった宣伝方法が、現在においてもまだ有効かということを検討してはどうでしょうか。
新感線や南河内万歳一座が活動を始めた80年代初頭は、今のような枚数のチラシをつくったりできなかった。パソコンもまだなかったし、チラシはB5で単色が普通だったし、カラーのチラシはとっても贅沢なものでした。印刷枚数ももちろん今のような数ではなく、限られた枚数のチラシをどう有効にまくか、劇団の制作者、劇場スタッフはものすごく真剣に考えた。観客層の重なる公演でまきつづけるほどの枚数がないから、違う観客層の公演で撒いた方が新たな観客に情報が届くだろうと考えていた。85年に近鉄劇場・近鉄小劇場、扇町ミュージアムスクエアができて、東京の劇団の公演がいっきに増えた。とりわけ、夢の遊眠社と第三舞台の存在は大きかったと思う。彼らはすでに東京で圧倒的な観客動員力をもち、宣伝にも予算をかけていた。時代の先端をいくデザイナーによるかっこいいチラシを大量にまき、何回も何回もそのチラシを手にとる、という刷り込み効果によって関西でも観客動員をのばしていった。はじめてそのことに触れた時、こんなにかっこいいチラシを際限なくまけることにすごく驚いたし、それはある種の成功や豊かさの象徴として受けとめた記憶がある。そのうち、パソコンも普及し、カラーのチラシも珍しくなくなり、何回も同じ人にまく手法があたりまえになった。
私は、もう今となっては、この重複による刷り込み効果はまったく薄れてしまっていると感じています。
一方、芸術団体にとって、この折込みっていうシステムはメリットとデメリット、どちらが多いんでしょうか、今は劇場の立場だけで話しているけど。劇団にとっては、折込み作業は私たちが体験しているよりもっと負担が大きいはずで、この問題も違う側面から見ると、また違う答えがでてくるのではないでしょうか。
最後は、今の状況を変えたいと思うかどうかだと思う。私は変えたいと思う。正直に言って、非常に苦痛ですね、ちらしを捨てるというのが。チラシは日本の劇場文化の大切なことだと思っているので、そのことをきちんと認めた上で、それを大切につかっていくような角度で話したい。

高嶺 今の折込みのやり方について疑問を感じているというのは、劇場関係のかたにとって一般的な感覚なんでしょうか?

志賀 個人差があると思う。言われれば気にならないわけじゃないけど、気になることは他にいろいろあるし、もうシステムとして回っているし、というところでしょうか。HEP HALLは現実に折込をやめたんですよね?
高嶺 それはどうして?

山口 チラシを劇場間だけで流通させるっていうのはどうなんだと。もっと劇場とは違うところに、もっと街の中にチラシを浸透させたいという趣旨からです。とはいえ、HEP HALLを使う劇団はそういうわけにもいかないから、自分たちで折込みしたりしてますけど。そういう宣言とともに、劇場主催での折込み作業はしないし、HEP HALLからチラシを配ってくださいということもなくなった。

志賀 「劇場間バーター」からも降りたということ?「紀伊国屋劇場方式」で、置きチラシはしているんですよね?

山口 そうですね。置きチラシは広く受け入れてますね。

小倉 ロビーも解放して、劇場に入るお客様以外、催しをしていないときもロビーに来た人がチラシを見れるように工夫されていますよね。

志賀 高嶺さんは、「それでいいんちゃうの?」という感じですか?チラシそのものを否定しているというよりも。

高嶺 それはもう少し先の話で。今はばらばらに作られて、ばらばらに配られているチラシが、将来的にまとまったものになればいいと考えています。海外からのお客さまによく聞かれるんだけど、日本では、どこで何をやっているかっていう情報がまとまっていなくて、すごく分かりにくいと言われる。

志賀 東京にはシアターガイドという雑誌があって、首都圏の劇場情報がまとまっている。関西でそれが成立しないのは、それほど公演数がないから。高嶺さんが言っているのはそういうものですか?それがあればちらしはいらないのではないか、ということですか? 私は、チラシは情報誌には取って代われない重要なメディアだと思っているし、日本の劇場が育てて来た大切な文化だと思うから、簡単には否定できない。ヨーロッパの劇場では年間プログラムを発行していて、チラシを配るという文化がない。日本では、チラシがものすごくゴージャスに発展してきている。これを無駄だとか、デメリットの面からみることもできるけど、ひとつの文化だと見ることもできるのでは?カンパニーがそれぞれの特徴を表すために工夫しているし、優れたグラフィック・デザインが生まれたりもしている。メディアがもうひとつあると考えた方が現状に即しているんじゃないかな。情報を集積したものが例えば3ヶ月に1回発行されるとしても、みんながチラシをやめるかというかというとやめないと思う。情報誌がないということはひとつの問題提起ではあると思うけど、チラシの問題イコールではないと思う。

小倉 高嶺さんは、情報誌があればチラシはいらないと思ってるんですか?

高嶺 デザインする快感や、もらったときのモノとしての快感がある以上は情報が載っている紙以上のものと思っている。なくすべきと主張しても、なくならないかもしれない。

志賀 コントロールできないですよね、配布方法に関して協議することはできるけど。現状では、「劇場間バーター」というシステムが大きな鍵を握っているわけだから、劇場が新しい方法を提案していかないといけないのでは? 配布の方法にはまだ可能性があるのではないかと思う。折込チラシの束を受け付けで渡したり、座席に置くのをやめて、ロビーに他劇場のチラシも置いておいて、必要な、好きなチラシをお客さんに自由に取ってもらうとか。まぁ、チラシを折り込まないで置いておけるほど広いロビーがない劇場はどうするかとか、それぞれの劇場の事情はあると思いますが。

山口 チラシの有効性は否定できないし、チラシはなくならないでしょう。とはいえ、2万枚、あるいは3万枚刷って、2万人を動員できるのか。何回も告知し、受け手に刷り込ませるのは今のメディアのやりかた。ラジオやテレビのCMの方法論ですよね。それで初めて視聴者をひきつけるっていう。

志賀 でも、放送媒体による情報は手元において情報を確認することはできない。チラシは1回もらえば、何回も自分で確認できるから。遊眠社や第三舞台はあの時代、放送媒体の手法を意識的に取り入れていたと思うけど、今でもその手法が有効かなぁ?

大西 館長の立場で話すと、劇場がひとりのアーティストの提案に動じてはダメだという思いがある。高嶺さんのような考えもあれば、浪費大賛成、チラシは100万枚でも撒けという人がいても、いろんな意見を受け入れるのが、ホールの立場だと思う。こういう意見として考えていく必要はあるけど、これで動じて果たしていいのかという考えもある。これが館長の立場。
一個人としては、2年前にアイホールに来て、折込みの状況などをみて、ぱっと思ったのが広報手段の貧困さに驚いた。チラシしかないのか。チラシ、新聞社、雑誌への記者発表、あとインターネットだけ。なんて貧困なんだろう。どうして、新たな方策を誰も練らないのだろう。アイホールの現状から考えると、担当者の気休めにしかなっていない。チラシをたくさん撒けば、来るかもしれない。一応、広報やっているんですという安心感。たぶん、どこもそうなんです。チラシを撒いてこなかったら、ああ、来なかったと、あきらめられる。例えば、なにか企画があって参加者を集めるのに際して、何をやるんやろうと思って見ていると、まず、チラシを劇場間バーターで送って、次の広報手段として、バーターにしていないところは、折込みにいく。結局、折込みの数を増やすだけしかPRの方法がない。結局、根本的に妥協の産物みたいな切り口がある。かといって、これを否定する訳ではなく、新しい劇団が自分たちの活動を広げる時には、関係者に周知するというのは大変重要なことで廃止するのはいかがなものか。ただ、劇場が行う場合、折込みによって既成の客のみを集める手法自体に問題がある。小さいパイのお客様を取り合っている、今のダンス・演劇シーン自体に問題がある。広報手段の多様性にもっとチャレンジしていかないかとなかなか根本的な解決はない。根の深い問題だと思う。HEP HALLでは、今までの顧客以外からも来てもらえそうな芝居を企画している。HEPに買い物にくるような人がぱっと見にこれるような環境を目指す。だから、HEP HALLで観たことがある客は既に情報を知っているだろうから、最小限の情報提供にする。広報手段と主催事業の方向性とが連動し、中長期的な戦略をもってやっているように思う。他の劇場で、そのことができているかといえば怪しい。新規観客開拓のための手段として何をやっているか、明確に解答できる劇場はほとんどないと思う。で、結局、残るのがチラシ。たくさん撒く。浪費。こんな状況になっている。ただ、他の手段より見てもらえる。DVDをつくってはどうかなど、そういうような広報手段もあるけど、お客さんってそんなにたくさんのアクションを起こしてくれない。ぱっとみてぱっとわかる。お客さんにいかに手間をかけさせないというところがある。ちらしってそもそも何故存在するのか?客を集めるツールなのか?なになのか、かなり焦点が曖昧になっている。結局、劇場間バーターが主要な集客手段となってしまい、その結果、このチラシは演劇のチラシです、このチラシはダンスのチラシですっていうことが事前に分からない限り、何のチラシか分からないものを提示しているってことになってしまっているのではないでしょうか。結局、それを配るには折込みが担当者としては楽なんです。

志賀 でも、「バーター」というシステムができたのには、ものすごい努力と歴史があるということも分かってほしい。

大西 それは分かります。

志賀 今でも地方に行くとすごくわかるんです。例えば、ダンス公演としたら、そのダンス公演のチラシを撒くべき劇場がない。カラオケ大会や演歌のコンサートをやっている公共ホールはあっても、現代演劇や現代舞踊をやっている劇場や現代美術館がない地域では、広報宣伝媒体としてのチラシすら機能しない。関西にもそういう時代があって、そんな時代〜現在に至るまでの時間のなかで、劇場や劇団の努力によってこれだけの公演数が生まれ育ち、ある種この過剰なチラシの束となっているということを押さえないと、ただただ楽をして出来上がったわけではないところもある。
宣伝費をかけられない経済状況の中で、安くて一番特性が表せる媒体であったこともある。これをやっとけば安心、他にいい方法が見いだせないから、何もしないわけにもいけないしという感じでやってるところもある。でも、ここには文化が蓄積されていることをおさえた上で話さないと、なかなか難しくなるんじゃないかなと思う。
それから、一アーティストの提案に動じる動じない、ということですけど、これははっきりと訂正させてもらいます。私は今回、高嶺さんというアーティストの提案を、ありがたく利用させてもらおうと思っています。なぜ、この問題への提案が劇場側、制作者側から出てこなかったのか、ということのほうが問題です。私はアーティストと劇場は協同するべきだと考えているので、そういう意味で非常にいい協同のきっかけを作ってもらったと考えている。このことは1回限りのミーティングで答えは出ないし、答えがでないまま何年か経つようなことかもしれないけど、このアクションそのものをアートに関わるひとつのムーヴメントとして、きちんと発信していくことが重要だと思う。今の状況はもう単純に広報戦略会議みたいなレベルじゃ変わらない感じがある。高嶺さんが劇場を巡る事情をよくご存知のないところで、アーティスト一個人の感覚・立場から提案されたなかに、次代を切り開く重要なキーが含まれているのではないかと思っています。

大西 誤解しないでください。こうして、僕もこうして話し合いに参加していますしね。どうして最初にそういうことを言ったかというと、面子の問題かもしれないんですけど、順番として、高嶺さんに言われてうちが動きだすのではなく、もともと現状に疑問を持っていて、高嶺さんの提案が注入されたことによって動きだすのだったらかまわないんです。アイホールが外に対して持つ影響力を考えたときに、外への出し方の手法というのは慎重にならざるをえないんです。

志賀 慎重になった結果、この前のチラシの文章のときに、かなり話し合いをしてもらったと思います。もっと言えば、非常に戦略的にアーティストという存在を利用させてもらっているつもりです。こんな勝手なことを感覚的に言って成立するのはアーティストだけ。私たちは言えないでしょう、状況のなかで仕事をしているし。
高嶺さんというアーティストが、アイホールで自分の作品を発表するときにこのような声をあげてくださったことが、まさにアーティストの役割であり、それを機能させるのが劇場だと思う。
先日のミーティングでも言ったように、これは高嶺さんの表現の一環として受けとめてほしい。今はもう、アーティストの活動は閉じた意味での「作品」を作るというだけに留まっていません。現代美術の世界ではもっといろんなもの、例えば「行為」なんかも作品として提示するようになってきていると思う。今回のことを私たちはそういうような位置づけで受けとめた方が、非常に前向きな、アーティストと劇場、主催者のいい協同の先例を示す事ができるだろうと。あえてあのようなアピール文という形で書いてもらって、チラシに載せていく。そして、アイホールはこれに対してどのように対応しようと思っているかということを発信していく。このことが、アーティストと劇場の非常にいい協同スタイル、今まで劇場の世界にはあまりなかったことだから、敢えてやろうと思った。ちょっとしたクレームと受けとめるともったいないので、こういう機会も設けている。ごめんなさいね、高嶺さん、勝手に言ってるんですけど。

高嶺 いえいえ。

志賀 例えば、すぐにできることもあるような気もする。強制的に渡している束を、強制的に渡さないようにするとか。そこを変えるのもかなり難しい? バーターと関係がある?束として配るという前提になってる?

山口 そこに関しては、ひとつひとつの劇場に聞いていかないといけないでしょうね。前にこの話が出始めたときに、(事務所内の)みんなと話していたのは、折込みの束はつくりましょう、作って、来たお客さんがとるかどうかはお客さん次第というやり方がいちばん馴染むのではということでした。

志賀 でもそれって、その束の中にまだ自分が知らない新しいチラシが入ってるかもしれない、と思うからもらうんですよね。これが昨日もらった、別の劇場でもらったのと同じ束だと分かっていたら、「昨日もらったからいいです」って言えるけど。ちらしの束を配ってもいいけど、置いて帰ってもいい箱をつくったらどうです? まずは。

小倉 回収ボックス

志賀 そう。もうそれは、やってるとこありますよ。

大西 あと、チラシ束を椅子の上に置いているところありますよね。僕は見終わったら椅子の上において帰るんですけど。例えば、椅子の上に置いておいて、前説のときにご不要な方はそのまま置いて帰ってくださいと案内するだけで、だいぶん変わると思うんですよ。もって帰らないといけないものという認識をなくす。だったら、はじまるまで見ておいて、いらんかったら置いて帰っていいんやと安心して置いて帰るだろうし。これで、だいぶん流れがかわるんじゃないかなと。

小倉 その場合問題は、回収したチラシをどうするかですよね? バラすってものすごい手間ですし、かといって、捨てられませんし。
志賀 これまでは観客にいらないものを持ち帰らせて捨てさせている、というのが高嶺さんの主張なんです。置いてかえってもらったチラシを自分たちがバラす手間を取るか、制作者の職業倫理に反して目をつぶって捨てるか。お客様に一度渡したものは、チラシの広告としての機能は果たしたとして目をつぶって捨てるっていうのもひとつの考えです。

小倉 いままでのアイホールの考えではやっぱり、バラしますよね?

志賀 今までのアイホールのメンタリティなら、そうでしょうね。それが、すごく負担になる。私は、束にしなくて、置きチラシでいいと思う。一番、エネルギーの無駄がない。

山口 東京の紀伊国屋ホールでは、ロビーにチラシが置くスペースがあって、ものすごい数のチラシをどーんと置いている。

高嶺 どのくらいの量ですか?

志賀 3000枚とかですよ。それだけはけるんでしょうね。

山口 びっくりしたのは、お客さんが、言ってみれば、折込みをしてるんですよ。ずらっと並んで、自分の気に入ったチラシを取っていくんですよ。だから、残ったものは残り続けるし。なくなっているものは、ガサーっとなくなっています。

小倉 人気度合いが分かりますね。

高嶺 何種類くらいあるんですか?

山口 ゆうに100種類くらいあるんじゃないですか。

高嶺 100!

志賀 アイホールも今ぐらいの枚数だったら、ロビーに置きチラシスペースを作ることはできますよね。

小倉 でも結局そうすると劇場間バーターは成立しないということですよね?

高嶺 それってね、そんなに不公平感のあることなんですか?

志賀 組んで配るか、置きチラシにするかってこと? そこを1回、それこそ、京阪神劇場連絡会とかで話し合う事ができればいいけど。バーターやっているところで集まって、うちがこう思っているのだから、ほかも同じように感じているんじゃないのかな。そういう部分がないとはいえないでしょ。余っても捨てられないからバラしてみたいな。

宮本 バーターはやっぱり数を合わせているということがあるんですよ。同じ規模ぐらいの劇場同士がバーターを結んでいて、それ以外のところから申し出があっても断ったり。

志賀 だから、やっぱり200くらいの小劇場のあいだではじまったことなんですよね。

宮本 同じくらいのキャパ同士で組んで、そういうところで折り合いをつけながらやっている。数を合わせる努力をして、同じくらいの枚数はけるようにしようという努力はしてました。

志賀 劇場のプロデューサーの世代交代は進んでいるでしょ? ミュージアムスクエアも近鉄なくなりました。小劇場も次の世代になってきているじゃないですか。その人たちってバーターのこととかどう考えてるの?

山口 そこはよく分からないですね。

志賀 では、どこですか? アイホールは、バーターってやってるの。

太田 京都から、アトリエ劇研、造形大、京都芸術センター、アートコンプレックス1928、大阪は、ウィングフィール、創造館、ジャングルインディペンデントシアター、ブラックチェンバー、精華小劇場、ダンスボックス、あと、神戸アートビレッジセンターですね。

志賀 もう一度、このシステムについて話し合うことができるような気がしますけどね。ダンスに関していえば、話合いできないくらい制作的な意識がずれているようには思わない。ダンスの場合、2−300人の観客動員のために、2万枚のチラシを撒いていて、どうなんだろうって思っているところあるんだろうし。

小倉 高嶺さんのチラシが完成して、京都芸術センターの折込みに持っていったときに、やっぱり注目が集まりました。京都を中心に制作者の人たちが集まっていたんですけど、みんな読んで、やめられるならやめたいよねって、話してましたけどね。

高嶺 そうですか!

志賀 結局、やはりバーターという「村の掟」みたいなものがなんとなくあるように思っていて、個人が発言する場もないから、そうはいってもうちだけが勝手に動けないって思ってるんじゃないかな。

小倉 でも、HEP HALLが折込みをやめるってなった時に、もっと追随するような動きがあるかと思いき
や、全くなかったですよね?

高嶺 HEP HALLの方とは、なにか話しました?

小倉 まあ、最初に山口さんが話されたような感じですけど。手間の問題もあったとは思いますけど。

志賀 新規事業として、「チラシブック」を作るというのはどうでしょう。今月のちらしの束はこの1冊! となっていれば、2度もらう必要はなくなる。大きさはA4に限定、期日を決めて、集積して製本する。もちろん劇場だけでなく、芸術団体も参加できる。それを各劇場に、例えば1000部とか置いておく。ちらしなら今2万枚とか刷ってるけど、これにし
たら1万冊もいらないんじゃない?

大西 今、ちなみにクラシックとかオペラとかはチラシを本にしてます。

志賀 それはどこがしているんですか? コンサートサービスとかチラシを束ねる業者がやっているのかな?

大西 かなり分厚いやつのなかに、本が何冊入るって形になっているんでいろんな業者がやっていると思いますよ。

志賀 ひとつのイベンターが自分のところでいろいろやるのをまとめているってことですか。

大西 そういうのもあると思うんですが、違うのもあったように思います。で、劇場の入り口でビニール袋に入れて持っている人が立っていて、お客さんに差し出して、受け取る人と受け取らない人がいるみたいな。クラッシックとかオペラとかはそんな感じですね。これ何やろうと思ってあけると、チラシの集まりみたいな。

志賀 例えば演劇とダンスが一緒になるだけでも、実はダンスのお客さんにもまきたいけど、実は演劇のお客さんにも撒きたいけど、そこまでの枚数は刷れないって断念している劇団や劇場のメリットになる。広範囲に、ひとり1冊しか渡さない事によって、よりたくさんの人に手渡せる可能性が広がっていると思う。絶対メリットはあると思う。誰がどのような資金でやるかっていう運営上の問題があるとおもうけど。たぶんみんな現状が辛いことは一致しているけど、今の状況が変えられないのは、代替案がないから声も挙げられない。声を挙げるなら、代替案を示さないといけないと思う。

志賀 高嶺さんのチラシをどうするかっていうのは? チラシは作らない?

高嶺 チラシを作らないってことは広報をどうするかってことですよね?

志賀 そうですね。

高嶺 このチラシをもう少し撒きたいかなと。

志賀 続きを?

高嶺 続きじゃなく、まずこのチラシを。矛盾があるって言われながら。

大西 そんなことないと思いますよ。疑問をもってもらうためには、今のラインに載せて提案するしか方法がないですからね。ですから、これは矛盾じゃないと思います。もっとも効率的な方法だと僕は思います。

志賀 じゃあ、高嶺さんのチラシはそういうことで。劇場側が今すぐできることとして、これまで話して来たように、劇場から持ち出す前に置いて帰ってもらっていいですよ、ということはできる。で、それをやった後のチラシの束をどうするかって問題ですよね。とりあえずやってみて、どれくらい大変だったかを教えてください。この一連の行動が、他劇場の方たちとも話し合っていく契機になればいいなと思う。

大西 まあ、現状やっていることと変わらないんで。今でも余ったチラシはばらしていますし。

志賀 どのくらい置いて帰られるんだろう? そんなに残らないのかもしれない。でも、高嶺さんってそんなに劇場行かないでしょ? 行かないけど、そう思ったわけですよね。一般のお客様は月に1回くらいしか行かないから、そんなに捨てて帰らないかもしれない。とりあえずは持って帰るかもしれない。そのへんの比率は、わたしたちが恐れているほど残らないかもしれない。

山口 それはどうでしょうね。自分の気に入った劇団しか観ないっていう人が最近は増えていますよね。

志賀 それよく言ってますよね。これを観るならこれも観るだろうって、観客の動きを予測しているから、あれとこれに入れようと考えているけど、それが機能しなくなってきていると。お客さんはそんなに実は見ていない。その劇団しか見ていない。

山口 実際には違うかもしれませんが、例えば、ヨーロッパ企画の客席をみていたら、明らかにヨーロッパ企画しか観ないんだろうなというお客さんが多いという印象を持ちますね。

志賀 演劇だからってなんでも見るっていうわけじゃないんですよね。でも、ということは、配っても捨てられるって分かっていながら配っているってことになりますよね。

小倉 ダンスはまだ傾向の違うダンスでも、観客はかぶっているのかなっと思って配っているんですけど、実際のところは分からないですよね。

志賀 まあ、ダンスは演劇ほどカンパニーについているって感じじゃないからね。じゃあ、やっぱりヨーロッパ企画のチラシの束は捨てられるってわかってて配っているから、

山口 たとえば転球劇場の場合だと、半分のお客さんはまだ芝居を見てくれてて、あとは実は吉本興業を見にいったりしてるのかなという気がします。

志賀 形式的に配ってるけど、実は貴重なチラシを捨てているのと一緒じゃない?
小倉 逆に考えると、芝居のお客さんは他の手段で情報は知っているかもしれないけど、普段は吉本興業しか見ないけど転球劇場はみるっていうお客さんに一目でもこんな劇団もあるって知ってもらうために入れるっていうのはありませんか? ちょっと違う分野の人に。

志賀 だとすると、すごく心は痛むけど、一回見たという、誰かが手に取った瞬間、そのチラシの機能は果たしたと割り切って、残ったチラシは捨てるか。できないよね?東京でのある公演で思ったよりお客さんが来なくて100部くらい折込が余ったときに、劇場の主催じゃなかったら、捨てるしかないですよ。関西まで持って帰ってくるわけにもいかないし。しょうがないもん。ものすごく心痛むけど。

山口 昔、AI・HALLプロデュースで東京公演の手伝いにいったときもそうでした。終演後、残ったチラシ束を、ばっさ、ばっさと、捨てていました。

志賀 しょうがないですよ。退出時間もあるし。

山口 そのときに初めて、そうか劇団ってこうなんだなと。

志賀 そりゃ、劇場の主催公演とはそのあたり違いますよね。

志賀 そうなると、もう高嶺さんの根本的なことが。

小倉 アイホールは貸館の劇団にも余ったチラシは必ずばらすように指導していますよね。そうしている以上、やはりバラすしかないですよね。

志賀 だから、それはそれも含めて、アイホールはチラシに対しての全てを考え直さなければしょうがないんですよ。大量の広告物というものは、捨てられることを前提としたものでしょ、そもそも。数で勝負するものだから、足りないってわけにいかない。そういうある種、暴力的な手法に対して、誠実な倫理観を持ち出してきても、なんだかむずかしいですよね。

山口 昔、志賀さんから、故・中島陸郎プロデューサーのチラシに対する考えを聞いたことがありました。チラシというのはねって、(笑)

志賀 だから、その時代には2万枚のチラシなんてなかったんですよ。裏の白いチラシは事務所でもう一回使ってたし、写植の文字だって仮ちらしで再利用してましたから。前の世代の方々がその時代の要請でつくったシステムが、20年間で疲弊しているんですよ。やっぱり考え時ですよ。

大西 カラーのこういうチラシって、業者も受け取ってくれないんですよ。リサイクル資源としては。

高嶺 なんでですか?

大西 電話帳すら受け取ってもらえないですから。

志賀 あー、新聞紙、段ボールの並びにならないんだ。

大西 そうです。ですから、ただでもなかなか引き取ってくれない。
だから、ホールから出すときは産業廃棄物として処理をしないといけない。ホールから出すと産廃なんです。一般家庭は資源ごみ。

志賀 だから、やっぱりみんな観客に分散させて?

大西 撒ききって安心してしまうのと一緒ですね。

小倉 じゃあ、来週の公演から、

志賀 チラシの回収から、はじめてみましょうか。ずっとってわけじゃなく、お試しで。

大西 回収箱をおきます? それともアナウンスで?

志賀 アナウンスしないと、回収箱を置いてても気づかないんじゃ意味ないでしょ。出口の横にわかるようにしないと。1枚も抜いていない束はこちらに、1枚でも抜いた束はこちらに、って分けてもらう。

大西 それいいかもしれませんね。人がついていたら。前説のとき、ひとこといったほうが周知徹底できるから。

志賀 これはあくまで劇場としていろいろな意味でのアピールなので、感じの悪くない方法で言ってもらったほうが、何かが動いているって感じでいいと思う。高嶺さん、着ぐるみか何か作ってもらえません? 「紙を大切にしないのは耐えられない」人形でもつくってみては? 冗談ですけど、やりかたの問題もあると思うんですよね、こういうのって。観客とか、関係者とか、芸術家とか、立場はいろいろあると思うんですけど、アイホールのこの動きを、それぞれの立場で少し考えていただかないと、アイホールだけでがんばっても空回りしてしまいそうですね。

大西 携帯電話の注意でも、コントっぽくやっているのとかも印象に残りますしね。今後の展開として、どれか一番いいか、色々試してみて、さらに新しい広報ツールを探っていくというのがいいのではないでしょうか。まずは、回収箱を設置してどのくらい返ってくるか、数を出してみて。


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