【AI・HALL共催公演】

青年団第66回公演『月の岬』


AI・HALL共催公演として、青年団[http://www.seinendan.org/]が 6月22日(金)〜25日(月)に『月の岬』の上演を行います。 演出の平田オリザさんに、作品についてお話いただきました。


■『月の岬』製作のきっかけ
今回、『月の岬』を再々演することになりました。(東京公演まで)まだあと三週間くらいあるんですけど、昨日、初めての通し稽古をやりました。改めて、本当に良い戯曲だなあ、素晴らしい戯曲だなあと思いました。
少しさかのぼって初演当時の話をしますと、95年から97年まで青年団が、地方で本格的に作品をつくるという実験的な試みを始めていました。それは95年にセゾン文化財団から大型助成をいただいたからなんですが、助成額は今よりも大きく、青年団で一千万円くらいもらえた時代で、それで何か目玉企画を作らなくちゃいけないということになりました。当時まだ、アーティスト・イン・レジデンスというのはすごく少なかったので、そのレジデンスの先駆けとなるような作品製作をしようということになり、95年は青年団自体が沖縄県の与那国島に一ヶ月滞在して『南へ』という作品をつくりました。96年は私と劇団員二人が弘前に滞在して、弘前劇場と一緒に私の作・演出で『この生は受け入れがたし』という作品をつくりました。97年は、私だけが関西に滞在して作品をつくるという試みをしました。それが「月の岬プロジェクト」です。
96年の夏、京都のアトリエ劇研(当時はまだアートスペース無門館と呼ばれていた時代ですが)で一週間ワークショップをしてオーディションをしました。当時、関西では一週間かけてオーディションをやるというのは珍しかったと聞いております。百数十名の応募があり、京都に限らず大阪からもたくさんの応募があり、それを一週間で徐々に絞っていって、その中から十三名を選びました。内田淳子さんは、まだその時点では「時空劇場」という松田正隆さんの劇団の主演女優でした。今回の再々演にも出ている太田宏は“金子魁伺”という芸名で京都で活動していて、そのあとうちに入団して、今はフランスでも大変活躍しています。井上三奈子は当時、大阪芸術大学の三年生で、しばらく関西で活動したあと東京に出てきて今は青年団の劇団員となっております。金替康博くんは今回の再々演は出ないのですが、ご承知のように、MONOの中核俳優として東京でも活躍する俳優になりました。当時はほとんどの俳優が無名で、出演者の半分以上は五ステージ以上の芝居には出たことがないというくらいの、本当に若々しい集団でした。
そうして出演者を選んでから、松田さんがこの『月の岬』を俳優に当てて書き下ろしました。元々、あらすじまでは松田さんから聞いていて、オーディションをして大体の役を選んだんです。そして、最終的にその俳優に当てて書くという進め方をしました。
97年の1月から六週間くらいでしょうか、京都に滞在して作品をつくり、2月には無門館でプレビュー公演をしました。無門館を横使いにして百人も入らない状態で上演したんですけど、大変評判が良く、最後のほうはお客さまをお断りしたかと思います。で、同年の6月に、北大路にある京都市北文化会館で初演します。当時まだ、「芸術祭典・京」というフェスティバルがありましたので、その一環として行ったものです。アートスペース無門館のディレクターだった遠藤寿美子さんがまだご存命で、遠藤さんの製作でこの作品はつくられました。そのあと世田谷のシアタートラムのオープニングプログラムのひとつとして上演します。
松田さんはこの前年、96年に岸田國士戯曲賞を受賞したのですが、東京ではまだそんなに有名ではありませんでした。ただ、この年の5月から7月にかけて、文学座と青年座、それと『月の岬』と、松田作品の上演が相次いで、第一次松田正隆ブームみたいな感じになります。それでも、シアタートラムに来たお客さんはせいぜい千二百人くらいだったと思います。千二百人の動員でも読売演劇大賞が獲れた“古き良き時代”なんです。今は大きな公演のほうがどうしても有利な感じになっていますけど、比較的、小劇場でもとれた頃でした。そういう、地道なところから始めて一気に頂点まで昇り詰めた思い出深い作品です。もうひとつ、私自身が劇作家でスタートしたものですから、他人の台本を演出したことが全くなくて、これが他の人の作品を演出した初めての作品になります。そういうビギナーズラックみたいなものと、俳優たちの作品に対する純粋な思いが完結して、こういった賞をいただけるような作品になったんじゃないかな、と思っています。この三年後に東京の紀伊国屋ホールと大阪の近鉄小劇場で再演させていただいて、今回が三回目の上演ということになります。
青年団自体は毎年アイホールでやらせてもらってるんですが、『月の岬』はアイホールでは初めての上演になります。ご承知のとおり松田さんは今年から立教大学の教員になられて、現在は東京在住です。東京では、まだ松田さんの昔の作品も、新劇の団体で結構上演されてたりしているんですが、関西では昔の松田作品の本格的な上演はあまりないのではと思うので、関西の演劇ファン、特に今の松田さんしか知らない(笑)新しい若い演劇ファンにぜひ見ていただきたいと、私としては切望しております。

■内容について
長崎の離島を舞台にして、そこに生きるどろどろっとした人たちの話です。私が演出するにあたっては、“上半身”はすごく近代的な生活をしているんだけれども、“下半身”はすごく土着的なものに絡めとられていて、そこに引き裂かれる人間像みたいなものとか、ひとりひとりの人格というよりも集団とか共同体に絡めとられていく、そういう個人の姿を強調して演出しているつもりです。 再々演にあたっては、そんなに変えているところはないんですけど、俳優が、内田さんと太田さんの役以外は、初演・再演から一新されているので、その部分で少し手直しをしています。例えば、内田さん(の役)と昔関係があったんじゃないかという男を、MONOの金替くんが演ったんですけど、これを今回はもう少し年齢の高いうちの大塚洋がやるので、その部分で整合性を取るために少し台詞を変えたりしています。基本的には、演出の大きな枠組み自体はほとんど変わっていないです。
あと、これも迷ったんですけど、現代性を出したいと思って設定を「現在」の2012年にしました。この作品は97年に書かれたんですが、97年でさえも古いんじゃないのというくらいの舞台背景で、黒電話とかが出てきてて…。だけど、まあ、島だからいいかな、みたいな感じだったんですが、今はやっぱり携帯電話とかが当然あるので、それも変えています。でも、意外なほど変えないでも大丈夫でしたね、やっぱりすごく普遍性の高い戯曲なので。
ちなみに、松田さんとの仕事は四本やっているんですけど、基本的に台本はどう直してもいいという許可を松田さんからいただいて、現場で台詞を直しながらつくっているので、今回もそういう形になっております。


■Q&A
Q. 稽古してみて、改めて素晴らしい戯曲だと思った、というふうに仰っていましたが、それは普遍性の高さゆえですか?
■例えばですけど、ちょうどつい先日までアゴラ劇場で、去年、岸田戯曲賞をいただいた松井周(サンプル)の受賞作品『自慢の息子』というのを上演していました。で、松井とも話をしたんですけども、『自慢の息子』というのも要するに近親相姦というか、家族のどろどろっとした話なんです。私は、劇作家の仕事というのは、ああいう、いわゆるコンプレックス、意識下にあるものを、どうやって物語の中に落とし込んでいくかという技量が、いちばん大事な仕事だと思っています。『月の岬』は、人間の様々な欲望、本人も意識していない欲望が、本当にうまくすべて埋め込まれている戯曲だと思いました。こういうことが劇作家の仕事だということを、まさに見せつけるような戯曲だと思います。

Q. 集団や共同体に絡めとられていく、というのは時代によって印象が変わって見えると思うのですが、そのあたりは。
■これは松田さんから聞いた話なんですけど、松田さんはお父様が教員だったんですが、長崎の教員というのは必ず離島に何度か赴任しないといけないそうなんですね。松田さんも、ちゃんとした記憶がないくらいの子どもの頃に離島に住んでたそうなんですけど、そこではまだ夜這いみたいな習慣があったりするような島で、そういうものを彼は何となく目撃しているんですね。本当に子どもだったから、それが何かもよくわからないし、本当だったのかもよくわからないんだけれども、そういう『神々の深き欲望』(今村昌平監督)みたいな(笑)、ああいうぐちゃっとした世界を彼は本当に体験しているんです。で、この『月の岬』は、そういうものが、すでにもうないんだけれども、記憶の中にはある人たちの話なんです。しかも、三人きょうだいの妹はもう完全にそこからは切り離されているんだけども、姉と弟はちょっと経験している。まさに松田さんの世代なんです。それは長崎だけじゃなくて、例えば西日本の習俗で「若衆宿」っていうのが戦後も残っていて、三島由紀夫さんの『潮騒』にもそういうのが出てきますよね。地域によっていろいろなんですけども、祭りの前は男女が二、三ヶ月ずっと一緒に暮らしたり、そこでは性というのも一夫一妻ではないようなある種の仕来たりがあったり、そういうものが背景にあって、でも実際には、みんなちゃんと普通に近代的な生活をしてて、ノートパソコンも使えばちゃんと結婚もすれば、ということなわけですよね。そこの不思議さみたいなものを描いている作品なので、それは現代においても見せることが十分可能なんじゃないかな、ということです。

Q. 平田さんから見て、松田さんのこういうところは自分には書けない、というようなところはありますか?
■松田さんが登場してきた当時、私はよく文学史でいうところの、深沢七郎の登場に例えて話していました。『楢山節考』で登場した深沢七郎をもっとも絶賛したのは三島由紀夫だったんですけれども、深沢には、三島由紀夫には書けない土着性というか野蛮な感じがある。まあ、そう言っておけば、世間は私を三島由紀夫だと見なしてくれるという巧妙な戦術があったわけなんですが(笑)。少なくとも90年代の松田作品のほうが実は今よりも野蛮な感じで、今のほうが理性で書いてる感じが私にはします。それは作家の在り方なので、それはそれでいいと思いますが、90年代の松田作品の魅力はそこにあると思います。
でも『月の岬』も『夏の砂の上』もすごくいい戯曲なんだけど、先ほども言ったように現場で直しながらつくっていく部分があって、特に『夏の砂の上』は読売文学賞をとるんですが、その直したものが読売文学賞をとったので、賞金二百万円のうち五十万円くらいはくれよ、って思ってるんですけど(笑)。まあ別に台詞を直しているわけじゃなくて、劇的な構成がすごく乱暴といってもいいですけど、そういうところを直して上演しているので、どうしても見た目は青年団とそんなに変わらない感じになるんじゃないかと思うんです。でも、当時よく言っていたのは、“松田正隆”というものすごく太い幹の木があるので、いくら私がぶつかっても倒れないという安心感があるのでいくらでも変えられる。どんなに台本を変えても松田さんの世界は壊れない。そういう感じで、作品をつくっているということです。

Q. 内田さんを今回も呼んだのは、やはりあの役は内田さんしか考えられなかったということですか?
■そうですね、あの役だけはちょっと他の人では考えられなかったかなと思います。実際に松田さんも、初演のときも唯一、内田さんだけは多分この役で、と決めて書いていたと思います。内田さんも一応ちゃんとオーディションを受けてもらってはいるんですが、松田さんとしても最初からそこは決めてたと思います。

Q. 再演するということだといろんな作品があったと思うのですが、12年経って今この松田作品というのは?
■ちょっと遅かったくらいで、もうちょっと早くに上演したかったんですけど、いろいろ他の順番もあったので…。だいたい順番に再演しているので、「今、この2012年に!」ということではないです。三年ぐらい前から、2012年あたりに再演をしますということは松田さんにもお話はしていました。このあとまた、二、三年後くらいには『夏の砂の上』も再演したいと思っています。そういう意味では、特に『月の岬』や『夏の砂の上』のように賞をとった評価の高い作品をある程度定期的に再演するのは、私たちとしては、劇場の責務であるとさえ思っているので、レパートリーを持っている以上は再演しない理由はないという感じです。

Q. 今回は関連企画がありますが、この詳細を教えてください。
■これは内田淳子さんが、太宰治の『皮膚と心』という短編小説をリーディングします。そのままでは三十分には収まらないのでカットはしますが、普通に読みます。こういうのをちょっといくつかレパートリーにしていこうかなと。
内田さんは他でもいろいろリーディングをやって、所属事務所と一緒にネットで公開したりすることを考えているらしいです。


(2012年5月16日 大阪市内にて)
【AI・HALL共催公演】
青年団『月の岬』
6/22(金)19:00、6/23(土)14:00/19:00、6/24(日)14:00、6/25(月)11:00
一般3,000円 学生・シニア(65歳以上)2,000円 高校生以下1,500円