鶴屋南北戯曲賞を受賞された北村想さんと、OMS戯曲賞大賞を受賞された中村賢司さん、同賞特別賞を受賞された林慎一郎さんの受賞を記念した鼎談、第2部。たっぷりとお話いただきました。



■戯曲へのこだわり〜劇作家の矜持〜

小堀: 二人は、戯曲を書くときにこだわっていることはある? 必ずこういうことから始めるとか?
中村: 私は、「嘘はつかない、つきたくない」ということ。自分が感じたリアリティや、生活していて感じることや思ったことを手放したくないですね。そういった感触は、作品に滲み出ると思っています。つまり、自分が人を邪険にする人間だったら、きっとそういう本しか書けないと思うんです。日常生活のなかでのリアリティを絶対手放さないで、嘘をつかないで書いていきたいと、いつも願っています。
林: 僕は2つあります。まず、塾生時代と、7年間の師範として講義を聞かせてもらうなかで、「カテゴリーエラー」と「関数・ファンクションの話」に、特に刺激と影響を受けました。だから、芝居をつくるときは、なんでもかんでも“演劇”に突っ込んでみたら、何かが出るんじゃないかと考えるようにしています。“演劇”になるかならないかでラインを引かずに、面白いと思ったことを、まず“演劇”に突っ込んでみる。これが僕にとって、書き始めるにあたり一番大切なことです。まあ、そう思いながら、具体的に書き進められるようになったのは『サブウェイ』からですけど(笑)。もうひとつは、手書きで書いたものをパソコンで打ち込み直すという作業。先にチラシの裏紙にフェルトペンで、ばーってセリフを書くんです。これをするのは、自分の書く言葉をあまり大切に思わないようにするためです。
小堀: ええっ! 面白いね。
林: 以前は最初からパソコンで打っていたのですが、それをすると、僕の場合、すごく言葉を大事に打っていると気づき、それはダメなんちゃうかなと思いまして(笑)。僕ごときが書く言葉なんて、そんなに大したものじゃないと思うために、裏紙に殴り書きをするようになりました。そうすることで、書くための手がかりが出てくる気がしています。だから、僕は書き始めるにあたり、とにかく演劇の可能性を信じてそこに突っ込むということと、それを立ち上げるために、僕がいかに取るに足りないかを思いこむ作業をしています。
小堀: 想さん、どう? 二人の話を聞いて。
北村: 二人の言葉を私の言葉で言い直すとこうなります。林くんが言ったことは、私も戒めとして持っています。私の場合は、宮沢賢治さんの詩(『告別』)のなかにある、「おまへの素質と力をもっているものは町と村との一万人のなかにならおそらく五人はあるだらう」というところ。私は、才能だけで書ける人間じゃないという戒めとして常に持っています。あと、賢司くんのいうリアリティや嘘をつかないということは、観客のシンパシィに頼らない、ということだと思う。私自身は、早くから筆一本で生活しているから、食うために書かなきゃいけない。だから、自分の思想とか言いたいことは二の次にして、依頼者を納得させるものを書かなきゃいけない。けれども、そこは頭を使って、依頼人を“書き●●くるめる”なかで、自分らしいものを書いていく方法をとっていました。例えば『グッドバイ』の場合、シスカンパニーの北村明子プロデューサーに「太宰治の『グッド・バイ』は、シスカンパニー向きじゃないからできない」って言われたんです。まあ、それは百も承知だったんですけどね。北村プロデューサーは、できない理由を書いたA4のレポートをご丁寧に私に渡してくださったんです。でも、そのときには、シスカンパニー向きに書いた『グッドバイ』の上演台本を既に持参していて、「じゃあこれならどうです」って、渡したんです。そうしたら、その場ですぐに読み始めてくれて、これならできるってことになったんですよ。だから、まあ、うまく相手を“書き●●くるめる”といいますか…
小堀: 想さん、昔、テキヤだったからねえ(笑)
北村: そうだねえ(笑)。だから、相手が欲しがっているものはこうだとわかったうえで、書きますよ。

■戯曲と小説

小堀: 想さんから、若いころから筆一本で食べてきたという話が出ましたが、賢司くんと林くんにとっては、ある意味、羨ましいと思うのですが、
中村: めちゃめちゃ羨ましいですね。
北村: 劇団から給料や脚本料を貰っていたわけではなかったから、食うためには他で書かないといけなかったからね。
小堀: 来た球は打たないといけない。
北村: だから、書く本数は増えるわけで、年間10本ぐらい書いたこともある。それに、戯曲だけじゃなくて、エッセイでもなんでも、来るものは拒まず、食うためにはどんなものでも書かなきゃいけなかった。新潮社から小説の依頼があったときも、書くものがなかったから『怪人二十面相・伝』を書いた。競馬雑誌から依頼がきたときはさすがに困ったけど(笑)。だけど、馬だけが進化論的に順々に化石がみつかっている動物だから、進化論でいくかと思っていたら、参考に送られてきた号にそのネタが書いてあって…。そういうときは、逆に「前号で馬の進化について書かれてあったが…」から始めるわけですけど。とにかく自分の得意な分野でも得意でない分野でも書くことが大切です。あと、これもテキヤの考え方だけど、これはこの人の得意分野だと思わせるものをつくる。例えば、私なら宮沢賢治。宮沢賢治についてだったら北村想が一番よく知っている、いわゆる私のテリトリーだって、みんなに思い込ませるわけです。そもそもは、劇団をやっていくにはパブリシティが強いものを題材に上演したほうがいいから、宮沢賢治は亡くなって50年たって著作権がなくなったから書ける、それなら劇団はなんとかなると思ったからだけどね。実は、宮沢賢治さんの作品はそんなに好きじゃなくて、ほとんど読んでいなかったんですよ。でも、謎が多いから取り上げやすかった。だから、ギャラクシー賞をいただいた宮沢賢治モノのラジオドラマ『ケンジ・地球ステーションの旅』のとき、ディレクターに記者会見で、「想さんは宮沢賢治の作品を全部読んでらして、なんでもわかっていらっしゃる方だから」って言われて、慌てて『宮沢賢治全集』買って、一から全部読んだよ(笑)
小堀: 想さんは、小説もたくさん書いているでしょ。意識としてはどうなんですか、小説家のときと劇作家のときとは。
北村: 『怪人二十面相・伝』は、書くのに3年かかりました。小説の文体がわからなかったんです。戯曲だと、テーブルがあってコップがのっていると書けば、具体的なことは戯曲を読んだ美術家が考えればいい。だけど小説は、どういうテーブルでどういうコップかを文字で書かないといけなくて、それをどこまで書いたらいいのかがわからないんですよ。
小堀: それを持っている人物はどういう人かまで書かないといけないよね。
北村: だから、書き始めると、コップについてをずっと書き連ねないといけなくなって…。これは無理なんじゃないかなと思いました。とりあえず10枚ずつ書いて送って、いい加減、諦めてくれるだろうと思っていたら、必ず担当編集者が「続きが読みたい」って言ってくれる。それで結局、完成までに3年かかった。劇作家で影響を受けた人は、唐十郎さんだけですけど、小説家として影響を受けた人はいっぱいいまして、特に日影丈吉さんと山田風太郎さんは目標でもあって、それぐらいのものを書かなければと思っています。だから、小説は自分ではライフワークにしようと思っているんですが、劇作家の清水邦夫さんが、歳をとると戯曲が書けなくなるから、早いうちに小説を書き始めたほうがいいとおっしゃったから、そうかなと思って書いたんだけど…自分の場合は違うな。やっぱり小説は書けない。戯曲は書けるんだけどね。
小堀: それぞれにタイプがあると思うよ。唐十郎さんは芥川賞も取った作家だけど、「戯曲は登場人物が決まればセリフが聴こえてくる。でも小説は人物に喋らせないといけない。だから、小説の書き方は難しい」って。
北村: そう思う。やっぱり全然違うよ、小説と戯曲は。
小堀: だけど、菊池寛とか近代の作家は両方を書いていた。だから、今の劇作家も、戯曲だけでなく、コラムもエッセイも、いろいろ書いてほしいと思う。まあ、関西にはそういう環境がまだまだないんだけど。想さんは、著述業で生活できるようになったのはいつぐらいですか。
北村: 28歳からかな。
小堀: 早かったね。『寿歌』が26歳ぐらいでしょ。
北村: うん。時代的にも恵まれていた。そのころは今より景気が良かったから、戯曲を書けば単行本になった。
小堀: 稽古はじめのときに、劇団員が本屋に寄ったら、今から稽古する戯曲がもう本になって発売されていたっていう(笑)。まあそれぐらい書くのが早いし、本にもなったんだけどね。今は戯曲を出すことが、すごく大変な時代になっている。
林: そういう著述の注文は、どうやったらくるんですか?
小堀: 『サブウェイ』と『タイムズ』の作家に注文はなかなか難しいかもしれないなあ(笑)
中村: 私にもこないですよ(笑)
北村: だから、みんな、東京に行くんだよ。なんだかんだと仕事が多いからね。それは自分が仕事を始めて40年、変わっていませんから。東京でないと、劇作家も役者も食っていけない。でも、東京で活動している人や一旗揚げている人の多くは、東京人じゃなくて東京に集まった地方人。ただ、現代は文明の利器があるから、不便なところに住んでいてもパソコン一台あればデータを送ることはできる。昔と比べれば便利になったし、仕事はしやすくなったはずなんだけどね。
小堀: 書くことが職業として成立すればいいんだけどね。ただ、劇作家の場合は、書いたものを上演しないといけない。自分たちのカンパニーがあったら、そこで稽古して上演しないといけない。みなさんの今後の予定はどうなってるの?
林: 僕は極東退屈道場で12月に公演を予定しています。そこまでは、ワークインプログレスとして、途中経過を公開しながら2回ぐらい上演する予定です。あと、5月にKUTO-10に書かせていただきます。
中村: 私は、この3月にアイホールで新作『ライトハウス』を上演して、10月に夢野久作の『ドグラマグラ』をもとにした想さんの描き下ろし『DOWMA』という女優二人芝居を、そのあとに受賞作の『追伸』の再演を考えています。
小堀: 想さんは先日、名古屋でavecビーズが終わったばっかりだけど。
北村: 今年上演される作品がたくさんあるけど、それはもう去年までに書いちゃったものだからなあ。
小堀: シスカンパニーの日本近代文学シアターは?
北村: 次の次まで書いちゃった。
小堀: えっ、次の次まで…。
北村: うん。avecビーズの公演が来年1月にあるけど、それももう書いているから…。だから、今年書くとすれば、再来年のavecビーズ公演の戯曲かな(笑)

(2014年2月13日 アイホールにて)


↑top



【自主企画】
伊丹想流私塾第18期生公演
『三つ目の倚子』

監修:北村想
総合演出:林慎一郎(極東退屈道場)
2014年3月8日(土)19:00
3月9日(日)14:00

想流私塾第19期生の募集については、こちらをご覧下さい。 → こちら