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燐光群『くじらと見た夢』 坂手洋二インタビュー

アイホールでは、共催公演として、燐光群『くじらと見た夢』を12月15日(金)~17日(日)に上演します。創立35周年記念公演VOL.1として、約1年ぶりの新作となる今作。その見どころや創作の背景について、劇作家・演出家の坂手洋二さんにお話しいただきました。


■クジラと沖縄について描く
 約1年ぶりの新作です。1993年に『くじらの墓標』を発表して以降、四半世紀近く、僕はクジラを扱った劇を創ってきました。2000年に国際交流基金のアジア企画として、インドネシア・フィリピン・アメリカの俳優を招いて製作した『南洋くじら部隊』、渡辺美佐子さん主演で捕鯨村を舞台にした『戦争と市民』(2008年)、岡山県・犬島で石切り場を舞台にした野外劇『内海のクジラ』(2011年)などです。また、近年は、沖縄についての芝居も数多くやってきました。ハヤカワ文庫にも入っている『海の沸点』『沖縄ミルクプラントの最后』『ピカドン・キジムナー』、ほかにも『普天間』『星の息子』などです。今回の『くじらと見た夢』は、長く向き合ってきたクジラと沖縄のことが混ざった作品になりました。
 モデルにしたのは沖縄県名護市です。縦に長い沖縄県のちょうど真ん中あたりに位置していて、西の海と東の海、二つの海を持っています。西側が名護湾、東側が辺野古です。辺野古には、米軍基地キャンプ・シュワブがあって、普天間基地の返還にあたって代替基地の建設予定地にもなっています。ベトナム戦争の頃は米軍相手のお店もたくさんあって栄えたんですが、今はほとんど残っていなくて寂れています。そこの海人(ウミンチュ=漁師)たちは、今、防衛局の仕事をするようになっています。監視船とか調査船とかで1日5万円貰えるらしいです。漁師たちがなぜそんなことをしているかというと、辺野古は漁をするにはとても不利だからです。名護市には離れた二つの海があって二つの漁港がありますが、行政的に漁業協同組合は一つしかなく、「競り」も一カ所だけで、名護湾側にしかない。辺野古の漁師たちは車で30分以上かけて名護まで魚を運んで競りにかけている現実がある。船の燃料費や運搬費を考えると実質1日1万円ぐらいの売上にしかならないから、1日5万円の監視船の仕事も受けざるを得ない。そんないろんな矛盾が集積した複雑な地域を舞台にしました。
 
■名護の漁師たちが抱える矛盾をモデルに
 特に描いたのは、沖縄のヒートゥー(名護ではピトゥ。イルカのこと)漁についてです。イルカ漁やヒートゥー料理のことは知っていましたが、きちんと調べきれてなかった。僕の興味がイルカでなくてクジラだったから(笑)。名護の博物館にも初めて行ったのですが、2階がクジラ特集として大量の資料が常設展示されていて……、個人的には大喜びしました(笑)。そこには名護で捕鯨をしていたという事実が明瞭に示されていて。昭和26年に、ザトウクジラの親子が沿岸に来たので捕まえようとなったこと。小さい船(サバニ)ばかりで大きな漁船が1隻しかなく囲い込み漁が難しかったので、与論島に行こうとしている客船に今日だけ貸してくれと交渉して、船の人と荷物を全部降ろして借りて、親子のザトウクジラを獲ったこと。そういう資料が残っていました。ただひとつ、これは無残だと思ったのは、親クジラを解体するのに3日かかってしまい、後回しにした子クジラを腐らせてしまったということです。現在の機械的な方法では、沖で獲って、3~4時間で解体し、クーラーボックスに入れて港に戻ってきます。だけど、当時の名護の漁師たちはクジラの解体に慣れていないうえ、暑い地域だから、後回しにした子クジラが浜辺で腐ってしまった。もちろん漁師たちは子クジラを祀ります、でもその腐らせてしまったこと自体が無念の残る事件だし、それに対する漁師たちの痛みを「共同体の物語」として取り入れました。
東京公演の様子 撮影/姫田蘭

 また、昭和26年の漁に17才で参加された、名護に暮らす現在83才の男性に取材することもできました。彼は名護湾の沖合で「パチンコ」という方法でイルカ撃ち漁をしています。70㎝ぐらいのゴムを2m以上伸ばして撃って、40mぐらい先のイルカに命中させる。2~3人で一組、家族単位で漁をされています。それで、僕と同じ歳ぐらいの息子さんに命中率を聞くと、「打たせてもらえないのさ~、おやじが撃つから」と…。83才、まだまだ現役で撃っています(笑)。名護では今、20人ぐらいがイルカ漁をしていますが、1頭あたりの値段が高いわけでもなく、年間120頭と数も決められているので、普段は別の仕事をしながら月に数回しか船に乗らないという人も少なくないです。
 それでも、名護湾の漁師たちはまだ金銭面では恵まれています。辺野古湾側の漁師たちは仕事がなく、先月とうとう米軍基地建設を手伝うための会社をたちあげ、漁協組合の半分ぐらいの人がそこに入ってしまった。辺野古では、キャンプ・シュワブが建設されるにあたり、自分たちはもう魚を獲らないと漁業権を放棄した経緯があって、そのことが基地をつくる正当な理由になってしまった。翁長知事がどんなに反対しても防衛局や日本政府がそれを理由に通してしまった。だから、漁協組合が漁業権を放棄しなければ基地はつくられなかったかもしれないというジレンマを持ってます。そのうえ、米軍基地は辺野古側だけど、反対側の名護湾の漁師たちも同じ組合だから額面は少ないとはいえ保証金を貰っているんです。そのことを漁師たちに聞くと、「振り込まれてくるものだからしょうがないさ~」と気さくに話してくれる。でもそこに痛みは伴いますよね。こういう矛盾やジレンマについては、かつてルポルタージュでも書かれてないし、フィクションでも描かれたことがない。そうした名護の漁民たちをモデルに初めて、漁師たちの物語を群像劇としてつくりました。
 劇団民藝の佐々木梅治さん演じる84才の男が地元に帰ってくるところから物語は始まります。その男は、かつて名護のザトウクジラ漁に参加していて、町でクジラ漁が行われなくなって以降、「イルカでなくでっかいクジラを獲りたい」と町を出ます。そしてみんながその男の存在を忘れたころ、町に帰ってくるという設定です。『父帰る』ならぬ「クジラ捕り帰る」みたいな話です。
 
■町をあげての追い込み漁について
 名護湾では1972年に干拓し、堤防がつくられ、浅瀬が無くなりました。浅瀬は干潟にもなって、海の生命力が満ちているところで、沖縄の言葉で「イノー」と呼ばれすごく大事にされていたんです。でも、船を寄せるためとか、いろんな理由で堤防をつくっちゃった。今回の舞台美術はこの堤防を登場させました。
 イルカやクジラは、人間の力だけではなかなか獲れるものではないんです。ましてや沖のほうで捕まえて、港まで引っ張ってくるとなると、ちゃんとした動力船がないと難しい。じゃあ動力船のない頃はどうしていたかというと、寄ってきたんです。「ユイムン」=「寄ってくるもの」と呼ばれていて、海の神様がくださるものだと考えられていた。ちょっと前まで名護では、寄ってきたイルカを入り江に追い込んで町のみんなで獲っていたそうです。イルカは音を鳴らすだけで怖がって逃げるわけで、その習性を利用して名護の入り江に追い込む。一番多いときで約300頭を追い込んだそうです。追い込みのことをほら貝で町の人に知らせると学校も休みになって、お百姓さんたちも鎌や鋤をもって浜辺に集まる。年に何回か、そうやって町全体でお祭り騒ぎのように獲りまくっていたわけ。もちろん、海は真っ赤です。子どもの頃に名護に住んでいた知人が、夕日の色か血の色か区別がつかないぐらい真っ赤な海だったと語ってくれたほどです。そのさまは、見方によってはすごく残酷に映るかもしれません。でも、当時のイルカ漁を撮影した写真やフィルムをみると、とにかくみんなが笑顔、誰もが幸せそうなんです。一番貧困な時代に食べるものがある、タンパク源がある、そして町がひとつになっているということですよね。今回の作品には、そういったイルカ漁について書いた当時の小学生の作文を入手して、その言葉も引用しました。
 
■捕鯨現場の今
 今回、いつも以上に取材をしすぎました。たくさんの人に会い、話を聞きすぎました。まず今年の正月に、『くじらの墓標』のモデルになった宮城県・鮎川に25年ぶりに行きました。大震災の震源地に一番近い漁村だったので、未だに建物は正式には再建されてないんですが、捕鯨は震災前と全く同じ規模でやっています。以前訪れたときはクジラ捕りの平均年齢が45才を超えちゃったと愚痴られたけど、今回は平均年齢40才ぐらいに若返ったと聞いて……、それが嬉しかったです。
 5月には『南洋くじら部隊』の舞台になったインドネシア・レンバダ島のラマレラという捕鯨村に、約10年ぶりに行きました。そこでは500年ぐらい前から続く伝統捕鯨を維持していて、銛を打ってマッコウクジラを獲っています。10年前は、電気も電話も通ってなくて貨幣もない。山の民がトウモロコシをつくって、海の民がクジラを獲って干物にして、それを物々交換するという暮らしをしていたのに、今は、夜6時から朝6時まで電気は通っているし、なぜか中学校からWiFiが飛んでいてみんなスマートフォンを持っている……。正直、驚きました。そうした貨幣経済が介入したことで効率が求められるようになり、今、エンジンを搭載した捕鯨船が増えてきた。伝統捕鯨という理由でIWC(国際捕鯨委員会)もラマレラのクジラ漁に目をつぶっていたのに、エンジンを使うなら伝統ではないということでまた批判を受けるようになってきています。ちなみにこの劇のチラシの写真はラマレラで今年5月に捕られたシャチです。
 そして今年9月、初めて和歌山県の太地に行きました。太地は昔から「追い込み漁」という沖から入江にイルカを追い込む伝統的な漁をしていることになっています。が、実は一度途絶えたんです。その後1960年代に、太地に水族館をつくる計画が出て、展示用のイルカを捕まえるために追い込み漁を復活させたという経緯があります。ただ、水族館に売るために生け捕りしたイルカ以外は、その場で殺さざるをえなくて、血を抜かないと売り物にならないから血抜きをする。すると海は真っ赤になる。その様子が撮影され、『ザ・コーブ』という映画で配信され、血で海が真っ赤になる残酷な漁だと世界中から非難されることになります。
 『ザ・コーブ』はアカデミー賞を受賞し、太地では今、ブルーシートでその様子を隠すようになっています。やっぱり世情でいうと、血みどろで獲ることに対して厳しい目が向きますから。その映画のアンチともいえる、『ビハインド・ザ・コーブ』というドキュメンタリーを撮影した八木景子監督と知り合いになって、今年の漁の解禁にあわせて一緒に太地を訪れ、現地の漁師たちに取材しました。やっぱり漁師たちの現実はとても厳しい。油代は高いし、船具のメンテナンスもあるし、不漁のときもある。みんな生活が苦しくて必死に生き延びようとしています。最新情報としては、中国が今、全国各地にテーマパークを建設中で、その全ての水族館にイルカを入れたいということで、太地と5年契約を結ぶことになり、それでやっと漁師たちも一安心しているというのが現状です。
 僕が取材したこうした土地の話は劇中、円城寺あやさんが博士の役で登場して触れるようにしています。太地の事情はかなり描きましたが、鮎川やラマレラのことは、本当に数行だけでほとんど入れていません。
 
■子供が憧れるクジラ
 僕がなぜこんなにクジラが好きなのかというと、子供の頃、小学校の給食で出てきて馴染みがあるのと、南氷洋捕鯨の男たちにカッコいいと憧れたからです。南氷洋捕鯨には3000人近い日本人が船団をつくって参加しました。その1割5分が太地の人で2~3割が加工会社の人。「捕鯨オリンピック」と呼ばれる時期があって、どの国が捕ろうと年間の捕鯨数枠だけが決められていたので、各国が早い者勝ちのように競って捕っていた時期もあった。太地で出会った90才の男性が、うちの母船は捌くのが早くて、15分でシロナガスクジラ一体を捌いたと話してくれたのですが、もうガンガン獲りまくっていたんですよね。そうした南氷洋捕鯨の黄金期に、日本の食生活をタンパク源として支え、しかも戦争に負けて意気消沈しているなか、南氷洋に3000人で出かけていって、勇ましく働いている人たちがいることに、日本全体が励まされたわけです。僕が小学生の頃に、学習雑誌の付録に紙で組み立てる捕鯨船がついていて嬉しかったように、クジラという存在は子供が憧れるものでもあり、戦後日本を励ましたものであるからこそ、興味を持ちました。
 
■クジラの夢と今の日本
 クジラは魚と違って哺乳類だから、どんな潜水能力を持っていても何十分かに一回、浮上して息を吸わないと溺れてしまうんです。じゃあ、いつ寝ているのかというと、クジラは半分寝て半分起きている状態で泳ぐそうなんです。その状態で見るクジラの夢って何だろうと妄想したのが、『くじらと見た夢』というタイトルに繋がりました。僕は、演劇は「夢」のバリエーションだと思っています。世阿弥がまとめた能は亡霊の物語で、ある場所に思いを持った何者かが現れてその場所で立ち会う者たちに見せるイリュージョンだと考えています。つまり「誰かの夢」ではなく所有格を外した「場所の夢」という考え方です。僕が想像上の「くじらの見る夢」に惹かれるのは、その「所有格なき夢」と似ているから。半分眠っていて半分起きている状態が、夢と現実の境目が無くなるさまと似ているところに惹かれました。
 和歌山・太地で、入り江に追い込まれたイルカたちが逃げようとしない様子も見ました。クジラやイルカは知能が高いと言われていますし、網はすごくゆるくて隙間だらけで、簡単に飛び越えられるし、突き抜けることもできるのに……。集団心理が働いているのか、知能が高いからこそ「諦める」ことを知っているのかもしれませんが。ただ、このイルカたちの様子が、今の日本人の状況と重ね合わせることができ、怖いと感じました。つまり、戦争が起こってどこかの国の人を殺してしまうかもしれない状況になりかけている今、阻止することもできるのに、雰囲気として「もういいよ。しょうがないよ」ってなりかけている今の状況と。これから何十年か先の後世の人に、あのときの日本人は何していたの、半分寝てたんじゃないのと思われるぐらい、なんだかすごくボンヤリしていて、幻想と現実が混在しているのではないかと危惧します。幻想が良いときもあるし、イリュージョンの楽しさもあるけど、反面、現実を見ていない怖さでもある。それは名護湾で漁業をしている人たちが、辺野古湾側の米軍基地のことは自分たちの生活と直接関係ないし、漁業補償のお金は振り込んでくれるから貰っているだけだと、結果として心ならずも受け入れる立場に回ってしまうことともよく似ている。クジラの夢が日本の現状を鏡のように映しだすのではないか、そして二つの海をもった名護の姿が、僕らの矛盾を目が覚めるように「これが現実だ」と見せてくれるんじゃないか、そう思っています。
 
■フィクションだけでなくリアルを知るために
 今回、沖縄のイルカ漁や漁師たちを取材して、沖縄自体が持っている複雑さや奇妙な秩序のあり方、それらの特質と面白さが、やっと、にゅっと立体的に見えてきた気がしています。物語は事実と現実への向き合い方について、圧倒的な情報量でパズルをするかのごとくどんどん進みます。僕らは、演劇なら演劇、映画なら映画のなかだけのもの、つまりフィクションはフィクションで楽しみたいと思いますよね。現実の問題が関わると疲れるからで、あまり考えたくないって思いがちですよね。だけど、やっぱり関わらないといけないんです。そういうことを今回、すごく思いました。だから、自分でもここまでしていいのかと思うぐらい、フィクションとしての演劇じゃなく、よりリアルなものに向かった作品に仕上がりました。その一方で、夢見る者たちの、海やクジラへの憧れがいっぱい詰まった作品にもなっています。アングラ演劇的な大仕掛けも最後にあるので、楽しみにしていてください。
 
燐光群 創立35周年記念公演VOL.1
『くじらと見た夢』
作・演出/坂手洋二
 
2017年12月
15日(金)19:00
16日(土)14:00/19:00
17日(日)14:00
 
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