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岩崎正裕(劇団太陽族)×ごまのはえ(ニットキャップシアター) 対談

アイホールでは提携公演として、8月31日(土)~9月2日(月)にニットキャップシアター第39回公演『チェーホフも鳥の名前』を、9月13日(金)~15日(日)に劇団太陽族『辻の詩、風を待つ』を上演します。今回は作・演出をつとめるごまのはえさん(ニットキャップシアター)と岩崎正裕さん(劇団太陽族)に対談いただきました。


■サハリン島について

岩崎正裕(以下、岩崎):ごまさんが今回扱うのは、「サハリン島」ですね。サハリン島は樺太島とも呼ばれてて、よく両併記されますよね。

ごまのはえ(以下、ごま):そうですね。明治維新によって日本が近代化されて以降、日本とロシアの間で何度も領有権が変わっています。今もあの島は日本領であると主張する人もいます。それもあって呼称に気をつかっているのでしょう。大雑把に言うと日露戦争後に日本の領土となり、そこから第二次大戦で日本が負けるまでは日本領「樺太」でした。ただ島には、昔から北方先住民族と言われる方々が住んでました。樺太アイヌが有名ですが、他にも今はニヴフと呼ばれるギリヤーク、ウィルタなどがいました。この人たちは狩猟民族ですが、昔から交易もしていて、日本の松前藩と中国の清朝の間を、樺太アイヌやニヴフたちがつないでいました。樺太は日本列島の北の玄関口のような位置づけでもありました。

岩崎:出島のような貿易をするための施設があったんですね。

ごま:建物があったかはわかりませんが、交易のための市場はあったでしょうね。サハリンとユーラシア大陸の間にある間宮海峡は冬になると歩いて渡れるそうです。だから、大陸との行き来も盛んでした。

岩崎:チェーホフがサハリン島に渡ったのはいつですか。

ごま:1890年7月から3か月くらい滞在しました。30歳です。『かもめ』や『三人姉妹』など代表的な戯曲を書く前ですね。

岩崎:彼がまとめたルポルタージュ『サハリン島』は、彼が医学者として流刑地であるこの島を調べに行くという内容でしたよね。

ごま:『サハリン島』は国勢調査のような内容です。サハリンの囚人たちがどういう暮らしをしていたか、男性・女性がそれぞれ何人か、その中で夫婦関係・内縁関係の者は何組かなどを記しています。

岩崎:流刑地として女性も男性も流され、そこで婚姻を結ぶということですか。

ごま:そのパターンもありますが、囚人には懲役囚と移住囚と二種類あるんです。懲役囚は刑務所に入れられて炭鉱とかで働かされる。移住囚というのは、サハリンに土地を与えられ耕して住めと言われるんです。

岩崎:いわゆる「島流し」ですね。

ごま:すでに家族を持っていた移住囚の中には一緒に移り住むということも多かったようです。

岩崎:なるほど、そういうことを調査していたんだ。そういえば島から帰って来た時のチェーホフの「世界は素晴らしいけど、素晴らしくないものが一つだけある。それは僕たちです」という言葉はよく引用されてますよね。

ごま:サハリンで彼は一万枚の調査票を作って熱心に記録してます。私はチェーホフが、少なくとも島に来た当初は本気で社会改良をしようと思っていたように感じます。

岩崎:しかもその時、彼は既に肺結核を患っているんですよね。でも、チェーホフの戯曲を読んでも、どこかに弱点を持っている人たちばかりで、世の中を良くしたいという叫びは聞こえてこないように思います。けれど、そのエピソードを聞くと意外と熱い人だったのかもしれないですね。

 

■『チェーホフも鳥の名前』について

岩崎:ではなぜ『サハリン島』で舞台を作ろうと思ったのですか。

ごま:アイホールで上演した『イタミ・ノート』や『さよなら家族』をきっかけに、「街の記憶」を切り口にした仕事が増えています。舞鶴、岩手県西和賀町、京都府、岸和田市など色々な街で作品をつくってきました。樺太は今はもう日本ではありませんが、人々の記憶が堆積したところで、「街の記憶」という観点からはとても魅力的なところです。今回も『さよなら家族』と同じように、樺太の写真をたくさん使う予定です。

アイホールがつくる「伊丹の物語プロジェクト」『さよなら家族』(2017)/撮影:堀川高志

岩崎:チェーホフ本人は劇中に出てくるんですか。

ごま:出てきます。千田訓子さんに演じていただきます。男性だとどうしても物真似になりそうなので、性別を反転させてしまった方がいいなと思ったんです。

岩崎:物語の中で、チェーホフはどんな役割を果たすのですか。

ごま:『三人姉妹』にヴェルシーニンの「未来はもっと素晴らしいものになるでしょう」というセリフがあります。チェーホフ本人も登場しますが、このセリフが劇中に何度か登場します。時代時代のサハリンの現実とこのセリフがもつ理想を求める思いが、各時代でぶつかるような構成です。

岩崎:『三人姉妹』では「100年経っても人間は元のまんまだ」ということもトゥーゼンバフが言いますよね。彼の戯曲の登場人物は悲観的な人物と、堂々と理想を語る人物が出てくる両義的な作品が多いですね。

ごま:この島は、ドタバタとした喜劇的な出来事や悲劇的なこともたくさん起きるので、それらとチェーホフの台詞とが何か響き合えばと思っています。

岩崎:そして、宮沢賢治もサハリン島を訪れるんですよね。

ごま:はい。賢治は1923年8月にやってきます。日露戦争が終わり、サハリンが日本の領土になって17,8年後くらいです。賢治にとっては妹のトシ子さんが亡くなられた翌年です。訪れた理由は、彼が勤めていた農学校の卒業生の就職を斡旋しに行くためですが、費用は自腹でした。岩手、青森、北海道、樺太と何度も汽車を乗り換えてやってきます。

岩崎:『銀河鉄道の夜』も舞台は岩手だとよく思われますが、実は北海道への汽車旅行をしているときに着想を得たのだと言われてますよね。賢治は誰が演じますか。

ごま:それも千田さんです。一幕でチェーホフ、二幕で賢治が訪れます。

岩崎:私も30代の頃、チェーホフと賢治がサハリン島で出会うという二人芝居を書きたいと考えたことがありましたが、実際には彼らが訪れた時期が20年ほど違うので断念しました。だから、サハリンを舞台にすると2人を出したくなるというのは分かります。二部構成だということですが、上演時間はどれくらいですか。

ごま:休憩を入れて、3時間くらいですね。書いていたらいつのまにか長くなっていました。途中までは、「サハリン」「チェーホフ」「宮沢賢治」というモチーフだったのですが、日本とロシアに翻弄される先住民の人たちや、第二次世界大戦後にサハリンに残された朝鮮人についても書きたくなったんです。戦後、多くの日本人は樺太から本土へ帰ることができましたが、彼らは様々な政治的な事情によってなかなか帰国できなかった。やはりここまで描かないといけないなと思いました。

岩崎:大河歴史ドラマですね。

ごま:今回大変なのがニヴフ語です。北海道にいるニヴフ語の先生に訳してもらいました。劇団員の高原さんがニヴフの娘役を演じるんですが、見事に発音してくれています。朝鮮語も出てくるので、スクリーンに字幕も出そうと思っています。

岩崎:言語が入り乱れるんですね。チェーホフは日本語ですか。

ごま:はい。本当はロシア語にしたいんですけど。さすがにそこまで行くと観客もわけがわからなくなりますから。でも口調は翻訳語っぽくしています。

岩崎:チェーホフの台詞って、翻訳者の神西清さんの訳で頭に入っていますよね。でも本当は少し解釈が違うのではと思っています。例えば神西さんの訳では『かもめ』のポリーナが「どんどん時が過ぎ去ってしまう」って言うんですけど、堀江新二さんの訳を見ると「どんどん年だけとっていく」となっていて、そっちの方が意味としては合っているのではと思います。最近のチェーホフ作品は、英語訳からの重訳が流行っていますが、その方が雰囲気がカラッとするみたいです。だからよく知られている日本語訳の独特のウェット感は神西さんならではのものかもしれません。私は格調高くて好きですけど。

ごま:僕も大好きですね。

岩崎:ニットさんの公演は、舞踊や音楽もよく取り入れられてますが、今回はありますか?

ごま:舞踊はありませんが、音楽はパーカッションと歌を入れます。

 

■渡鹿野島と売春について

ごま:岩崎さんも今回、島を舞台にしていると聞きましたが。

岩崎:三重県の的矢湾内にある渡鹿野島(わたかのじま)です。ここは、 江戸時代から売春の歴史があった島です。

ごま:的矢カキが有名ですよね。

岩崎:そうそう。小さい島で、対岸にある渡船場から船に乗ってたった3分で着いてしまいます。あそこは「風待ちの港」と呼ばれていて、帆船の時代、嵐が起きたら船を休め、風が吹かなければ良い風を待つというように、漁をする人や運搬をする人たちの停泊場所になっていました。停泊が続くと食べ物や栄養が不足するので、島の女性が野菜を売りに行くんです。女性が船に上がると、漁師の破れた服を見て「繕いましょうか」と言う。したがって服を脱ぐとそのような雰囲気になり、漁師から「一晩どう?」と誘う。と、こういう流れで売春が行われていました。だから、売春婦のことを「菜売り」と言っていたんです。菜売りの夫たちは大抵が漁師で、彼らが漁に出ている間、女性たちには収入がないので売春を始めたというのが発端です。明治になっても延々とそれが続くんですが、なぜ全国的に有名になったかというと、太平洋戦争末期、人間魚雷「回天」とか潜水艦とかを作って、それらを渡鹿野島に隠そうということになったんです。そこで入江の工事のために三重県の海軍予科練生が動員された。でも島に宿舎はないので、彼らはみんな島民の家に民泊をしました。そこで売春婦と出会った。その後、戦争が終わって予科練生は全国方々に散りますよね。すると彼らが島の実情を各地で話し広まったというのが通説となっています。

ごま:予科練生って何歳くらいですか。

岩崎:18,9歳くらいですね。だから戦後も懐かしんで島を再び訪れる人も多かったようです。それで常連ができると、お金になるということで、四国から出て来た人たちが定住して売春業を始め、そこに反社会勢力も絡んでバブル期まで大きい仕事にしていきました。でも1991年に暴力団対策法ができたので、今はもうぱったりと売春はなくなりました。今年、5月にも島に行ってきましたが、全然見る影もありません。あと驚くのが、小さな島なのに宿舎・アパートはめちゃくちゃ多いことです。

劇団太陽族『Sumako』(2018)より

ごま:女の人が住んでいたんですか。

岩崎:売春をおおっぴらにできないから「恋愛」だということにして男の人をアパートに引き入れてそういうことをしていたんです。そういう面白い島なので、今回の舞台の時代設定をどこにしようかと考えた時にエピソードがいっぱいありすぎて迷いました。例えば、泳いで対岸まで逃げた少女がいるとか、某県警が慰安旅行で来たりとか(笑)。時々警察が摘発にも来るんですが、担当していた警部が女将にたらしこまれて結婚をし置屋の経営者になるというエピソードもあります。なんだか可愛い話でしょ。

ごま:そうですね(笑)。

岩崎:高木瑞穂さんという人が『売春島』というルポルタージュに書いていますが、女性たちが島から逃げだせない構造になっているんです。例えば、「人前に出るにはこの着物が必要だから買っておく」とか「賄いも付ける」と言われ、お金を出してくれる。でも実は立て替えているだけだから、それがウン十万の借金となり、返すまで島から出られない状態になるんです。また、夜は船が出ないんですよ。最終が17時~18時くらいで、翌朝8時くらいまで船の運航はパタッと止まります。これは売春島だったころの名残だなと思いました。

ごま:むっちゃ怖いですね。

岩崎:私も最終便に乗って一目散に帰りました。でも、今はすごく整備されて、海水浴場があったり大きいホテルもいっぱい建っていて、志摩スペイン村で遊んだ家族が泊まりに来るくらい、ものすごく浄化されています。

 

■『辻の詩、風を待つ』について

岩崎:でも、売春のことだけではホンが書けないと思っていました。それで、島以外のことも調べているうちに、ある新聞記事に巡り合ったんです。それが、広島出身で挿絵や絵本をたくさん手掛けている四國五郎という画家についてでした。この人は戦後、シベリアに抑留されていて、帰国後は故郷が原爆で無茶苦茶になっていて、そのため、俄然反戦に燃えたようです。そんな彼と出会ったのが同じく広島出身の詩人、峠三吉という人でした。あの有名な「にんげんをかえせ ちちをかえせ ははをかえせ」という詩を書いた人ですね。その後、朝鮮戦争が起こり、当時のアメリカ大統領は、朝鮮戦争でも原爆を使うとほのめかしたんです。それを聞いた四國と峠は共に立ち上がり、「辻詩」という活動を始めました。二人の絵と詩を組み合わせ、主に原爆に反対する内容のポスターを、街角の塀に貼って、その前で辻説法をするという活動です。ただ、当時はまだGHQの管理下に置かれていたので、警察官が止めにやってきたら、ポスターをべりっと剥がし、警察を撒いて逃げるというのを繰り返していたそうです。当時のポスターが8枚だけ現存しており、大阪大学総合学術博物館で展示会をしていたので見に行きました。これがたいそう気合の入った面白いもので、渡鹿野島とつながるなと思ったんです。構想としては、1952年に警察の手を逃れて、辻詩に関わった人たちが島に上陸する。そこで売春婦に出会った彼らは、「君たちはこのようなことをやっていていいのか。これからの日本のことを考えろ」と説教するのですが、売春婦たちには全くその意識がない。このような話から現在の日本を“うつせる”のではと思っています。

ごま:「現在の日本をうつす」とはどういうことですか。

岩崎:SNS上の議論のように映るのではと考えています。今の日本ではSNS上で、ある一人が語ったことについて「それは違う」と大勢が叩いたり、現政権を賛美しない人を韓国人認定したりということが起こってますよね。この芝居でも、共産党員である四國たちと売春婦たちが思想的に対立し、押し問答になる。その状況を通して、島の物語と現代の日本の状況を二重写しに出来ないかなと思っています。そして、彼らを通して日本の未来はどうなるかということを、語り合わせたいと思っています。

ごま:当時、島で売春している女の人たちは、どういう人なんでしょうか。

岩崎:1952年には、女衒に騙されてという人もいたと思いますが、貧しい地域から売られてきた女性や、戦争未亡人だけど恩給を受け取れていないというように、売春をするしか道がなかった人が多かったのではと思います。1952年というピンポイントな時代設定にしたのには理由があります。峠は1951年に共産党の大会のため東京に行き、大喀血をして静岡の病院まで運び込まれたんです。それまで彼は日記をずっとつけているんですが、なぜか静岡から広島に帰るまでの日記が破り捨てられているんです。その期間に渡鹿野島に行っていたのではないかと想定してみました。

ごま:確かに行ってるかもしれないですよね。峠さんと四國さんが島についてからはどんな出来事を考えてますか?

岩崎:それは今考え中です(笑)。少なくとも左派の辻詩が上陸したことと、島全体で売春をやっているということで、GHQ占領下の警察もその島には注目しているはずですから、誰が誰を密告するかみたいな話も書きたいです。今回は、劇団の女性たちがみんな40歳を超えているので、若い売春婦たちの悲惨さを描くために伊丹の高校演劇出身者の山本礼華さんと井上多真美さんに出てもらうことにしました。二人ともまだ20歳です。他にも京都の劇団「笑の内閣」所属の髭だるマンくんにも出てもらいます。

 

■島を描くことについて

岩崎:島という設定は舞台に向いてるなと思います。演劇の舞台って動かしてはならない空間性があるから。だから、広島で「ヒロシマ」のドラマは書けませんが、渡鹿野島の中でならヒロシマやシベリア抑留のことを語っても大丈夫なのではと思っています。ごまさんも、サハリン島から見えてくるのは、当時の先住民や世界情勢についてですよね。島の中だからこそ、島以外のことが語れると思うんです。

ごま:僕は今まで島についてのお話は書いたことがありません。船を見送る気持ちとか、海の向こうに対する気持ちとかが一切ないんです。

岩崎:それは、やっぱり枚方生まれだからですか。海がないですよね。

ごま:海や船に対しての郷愁みたいな、そういうものに重ね合わせる情緒がないんです。でも、渡鹿野島の話を聞いていたら、閉じ込められるような怖さは感じました。

岩崎:あと、確かに島という設定はドラマとしてちょっとずるいよね。だから港の場面は書かないぞと思います。海に出てしまったらちょっと哀愁漂いすぎるから。

 

■戦後を描くことについて

岩崎:サハリンは、戦場になったんですか。

ごま:第二次世界大戦末期の1945年8月8日~9日にかけてソ連が参戦し、まず満州を攻め、その2日後くらいにサハリンに侵入します。

岩崎:島に日本の守備隊はいたんですか。

ごま:日ソ中立条約があったので、前線という意識は薄かったようです。さらに樺太の場合は終戦後の8月15日以降も戦争が続きます。とくに樺太南西部の真岡町(現ホルムスク)ではソ連軍によってたくさんの人が殺されました。

岩崎:明らかに政治的にこの島を領土にしてしまおうという意識が働いていたんですね。

ごま:ソ連はサハリンだけでなくできれば北海道も、と思っていたのではないでしょうか。

岩崎:サハリンで戦闘があったことは、少なくとも沖縄戦ほどは語られてないですよね。

ごま:1945年に真岡の郵便局に勤めていた電話交換手たちの悲劇は今も有名です。『樺太1945年夏 氷雪の門』(1974年)という映画にもなりましたし、稚内にはサハリン島の戦闘で犠牲になった人たちに向けた「氷雪の門」という慰霊碑もあります。

岩崎:高校演劇で観た覚えがあります。樺太版『ひめゆりの塔』ですよね。でも、演劇でサハリンとか先住民とか真っ向から扱った作品はないですよね。

ごま:そうですね。現在のように右翼も左翼もあまり色がなくなってきたからこそやりたいと思ったのかもしれません。

岩崎:いいんじゃないですか。チェーホフ先生が国勢調査的に調べたことからの発案ですから。むしろ私のように峠三吉を扱うことの方がセンセーショナルと思われるかもしれません。

ごま:今はあまり峠さんの詩は聞かないですよね。

岩崎:原爆のことも含めて蓋をしていっているような、原発の問題ともつながってるからかもしれません。「放射能はこんなものだよ」ということを国民に知らせたくない誰かがいるんでしょう。

ごま:太陽族さんのタイトルは何ですか。

岩崎:『辻の詩、風を待つ』です。

ごま:いいですね。

岩崎:ニットキャップシアターさんのタイトルは?

ごま:『チェーホフも鳥の名前』です。

岩崎:「チェーホフ」って本当に鳥の名前なんですか。

ごま:違います。サハリンに「チェーホフ」という名前の街があるんです。日本領土時代は野田町と呼ばれていたんですが、戦後になって「チェーホフ」という名前になったんです。それでだんだんと自分の中で「街」が「鳥」に変わって行って…。島に鳥が渡ってくるようにチェーホフも島に渡って来たみたいなイメージかもしれません。

岩崎:いいじゃないですか。お互い、海を越えていきましょう。

 

(2019年7月 アイホールにて)


【提携公演】
ニットキャップシアター第39回公演『チェーホフも鳥の名前』
作・演出/ごまのはえ
令和元年
8月31日(土)13:00/18:00
9月1日(日)13:00/18:00
9月2日(月)14:00
詳細はコチラ

【提携公演】
劇団太陽族『辻の詩、風を待つ』
作・演出/岩崎正裕
令和元年
9月13日(金) 19:30
9月14日(土) 15:30
9月15日(日) 11:30/15:30
詳細はコチラ