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東京デスロック+第12言語演劇スタジオ『가모메 カルメギ』
多田淳之介インタビュー

AI・HALL自主企画として2018年7月20日(金)~22日(日)に、東京デスロック+第12言語演劇スタジオ『가모메 カルメギ』の上演を行います。演出を担当する東京デスロック主宰の多田淳之介さんに、作品についてお話いただきました。


■関西公演について
東京デスロックの公演は、関西では京都でよく上演していましたが、伊丹は初めてです。兵庫県では2009年に神戸アートビレッジセンターで公演をして以来、久々の劇団公演になります。

 

■東京デスロックと第12言語演劇スタジオの交流
劇団同士の交流以前に僕自身は2008年から韓国での活動を始めました。きっかけは、僕が演出部として所属している青年団の平田オリザさんに「アジアの演出家が韓国に集まって作品を作るという演劇フェスティバルがあるから、演出家を紹介してほしい」という要望があったからです。そして、劇団内で企画書のコンペをして、僕が行くことに決まりました。
僕にとっては初めての海外製作だったので、一人で行かせるのは不安だということもあり、そこで今回組んでいるソン・ギウンさんがアテンドについてくれたんです。彼は青年団とは元々付き合いのある方で日本語がペラペラで、青年団の公演時やDVDの韓国語字幕も作ってくれたりしていました。私より2歳年上で世代が近く、お互いが国内の演劇状況に不満を感じ、いろいろ工夫をして演劇活動をしていこうと考えている共通点があり、話していてウマが合いました。また、今までの日韓合作公演は期間が短く継続性をもたずお互いが出会ってすぐお終いというような、打上花火的な進め方についても疑問がありました。だから、僕らは毎年共作をやろうという話をしまして、2009年から東京デスロックと第12言語演劇スタジオの劇団同士の活動が始まりました。最初は、まず僕が日本で作ったものを韓国語に翻訳して上演することから始めました。ソン・ギウンさんはプロデューサー的なことや、ドラマトゥルグ的なこと、俳優を集めてキャスティングを一緒にしたりしてくれていました。

 

■『가모메 カルメギ』誕生のきっかけと再演

⒞石川夕子

『가모메 カルメギ』は2013年に韓国で初演、2014年に日本で再演したので、今回は2度目の再演となります。
初演を作ることになったのは、ソウルにあるドゥサン・アートセンターという民間の劇場から僕とソン・ギウンさんとで共作をしませんかという提案があったことがきっかけです。ソンさんは、いろいろと面白い戯曲を書いていて、朝鮮が日本の植民地時代だった頃の台本を書くこともかなり評価をされています。留学経験もあったので、自分のアイデンティティと日本の関係に興味があり、韓国における反日的な感情についても、とても冷静に考えられる人でした。
原作がチェーホフの『かもめ』になったアイディアはソン・ギウンさんからです。日韓を舞台にしたいということで、つまり翻案です。韓国では、翻案上演は結構スタンダードで、原作と翻案とを半々くらいの割合で上演するので、海外のものは「翻案しようよ」となりやすいんです。この作品も、筋としてはかなり原作に忠実で、最初台本が出来上がった時にはあまりにもそのまんまじゃないかというのが問題になったくらいです(笑)。
日本での再演時には、〈朝鮮半島から見た東京〉だとか、〈朝鮮の田舎に東京から日本人が来る〉だとかの設定になると、やっぱりその物語が自分たちの話のように見えてきて、これまでのどの上演よりも身近に感じることが出来たという感想があり、僕も「なるほど!」と思いました。
この作品は初演時に、韓国の東亜新聞という保守系の新聞社が主催している「東亜演劇賞」で作品賞・演出賞・視聴覚デザイン賞をとりました。韓国の演劇賞としては一番大きな賞で50 年の賞歴で外国人の受賞は初めてらしいです。
今回の再演は、三重県文化会館から、「再演してほしい」と言われたことがきっかけです。もう一回やりたいと思っていた作品でしたが、ただうちの劇団でやりたいと思っても、助成金などを取らないとなかなかこの規模の作品はできないんです。前回の国内上演は劇団主催でやったので、本当に信じられない金額になってしまい、下手したら首を括らないといけない可能性もあったんですが、幸い助成金が取れました。日本の助成の場合はかなりギリギリにならないと結果が出ないし、やることが決まってから結果が出るみたいなところがあるので、劇団一同かなりヒヤヒヤして、「この助成金が取れなかったら、もうみんな演劇続けられないよ」という感じになります。今回は、地域創造の助成もいただいてのツアーとなりました。
僕自身は、再演は繰り返すべきだと思っています。再演の度に作品の見え方と、その時のお客さんとの関係性が変わっていくのが面白いんです。だから、上演を重ねると演出的にも作品の強度が増すというのが再演の理由としてありますし、その度に各時代を考えることが作品の一つの基準になっていくと思います。また、演劇は一気に何万人も見られないので、少しでも多くの人に見てもらいたいというのも理由の一つです。

 

■作品の特徴
台本は原作にかなり忠実に作られているんですけども、演出・美術・音響等は、いろいろ工夫しています。舞台美術に関しては、瓦礫っぽい感じのごみの山みたいに見えますが1930年代当時の朝鮮のものから現代の韓国と日本のものが転がっているというイメージです。時代の蓄積という風に見えるようにもしています。

(c)DoosanArtCenter

演出の特徴としては、俳優が一方向にしか登退場しないというルールを決めています。上手から退場して下手からただいまと言って帰ってくるみたいな感じですね。そうすることによって時間の流れを舞台上に作れたらいいなと思っています。客席は舞台を両脇から挟む対面型の座席になっていて、これは日韓のお互いが片側からしか見えないというようなイメージです。あとテレビモニターが舞台上の四隅にあるのは、日韓共にお互いの文化をテレビで観ることが多いので、「メディアを通して見ている」というアイディアです。
音楽に関しては、僕が歌謡曲やJ‐POPを使うのが好きで、また頻繁に韓国に通っているうちにK‐POPも好きになったので、それらを使います。登場人物たちは1930年代の話をやっているんですけども、突然K-POPや「Perfume」がかかったりするという演出もあります。
出演する俳優たちは、2014年の時と同じメンバーで上演します。クオリティが担保され、より良くなると信じてます(笑)。
1930年代の朝鮮は植民地政策の一環で日本語を強制された時代だったので、今回、韓国の俳優は日本語の台詞をたくさん喋っています。主人公のお母さん役のソン・ヨジンさんは、特にたくさん日本語を喋らなきゃいけなくて、猛練習しました。外国語で演技するのってものすごく難しいんですよね。自分がどう喋っているのか、相手にどう伝わるのかが分からないんです。日本語の指導には、現在は韓国で暮らしている在日の方などに協力してもらいました。
この公演のタイトルが『가모메 カルメギ』となっていて、このハングルで書かれている部分が「カ・モ・メ」と読むんですけど、「カルメギ」というのは韓国語で「かもめ」という意味なんです。なので、韓国人がこのハングルを読むと「カ・モ・メって書いてあるけど、カ・モ・メってなんだ? カタカナの方は読めないし」という風になりますし、一方、日本人が読むと、「カルメギってなんだ? ハングルは読めないし」という風になる。両方の言語を知っている人には伝わるという仕組みです。意地悪ではないんですけど、頓智の利いたタイトルになっています。また「片側からだけだとよく分からない」という、我々の思いもこもっています。

 

■日韓の歴史と共作について
僕も初めて韓国に行くときは歴史の話はするなと言われていて、その後、韓国の文化を多少なりとも理解し、友達と歴史の話もしていたので、そろそろ植民地時代に触れた作品を作れるというタイミングになりました。ただ、実際踏み込んでみると大変なことは多く、初演の時、うちの劇団の俳優はもちろん初めてなので、「なんか余計なことを言っちゃいけないんじゃないか」とか気を使いすぎるところがありました。だから稽古中に双方の歴史に関するいろいろな映像を見てディスカッションも結構やりました。日帝朝鮮時代の朝鮮人が作った日本語映画も見ました。今見ると驚くほど日本語が上手いし、全然朝鮮人だと分からないし、しかも俳優なので日本語で〈演技〉もしているんです。とても上手くてびっくりしました。また、青年団の『ソウル市民』という作品をみんなで見て感想をシェアしたりしました。
そのようなやり取りを通じて俳優の間ではコンセンサスは取れたのですが、ただ韓国社会は政治的なことに敏感で、特に日韓の関係に関しては、私たちの「つもり」とは違うことに受け取られて、炎上してしまう危険性が非常に高いです。特に「親日」だというレッテルを貼られると一発で終わりというところがあるので、そうならないための工夫をすごくしました。例えば、作品の中で日の丸国旗を舞台セットの片隅に置いていたんですね。すると韓国人のメンバーから「これはまずい。ただ置いてあると、日本人が朝鮮半島に日の丸を掲げに来た、みたいなことを言いたがる人がいる」と言われました。では、どうしようかと相談して、軍国主義の象徴として使う演出に変えました。
この作品では、日本人が極端に悪者に描かれるということはありませんが、悪意のない差別というのがすごくポイントだと思っています。日本人が朝鮮人を蹴飛ばすような分かりやすい差別の描写はなく、でも何気ない一言や、やり取りにうっすら差別的なものが見えてくるように演出しています。
考えてみると、日帝朝鮮時代から現在はまだ100年も経っておらず、それにしては、お互いの歴史のことを知らないんだなということを作りながら感じました。ソン・ギウンさんは今はもう40代ですけども彼が物心ついた時にはまだ軍事政権で民主化してなかった時代で、22時以降に外出すると捕まったらしいです。そのように自分たちが知らなかったことも含めて、上演では日韓の歴史を字幕で辿ります。
前の上演から4年ぶりなんですけども、その間にも韓国では様々な出来事がありまして、船が沈んだり、大統領が辞めさせられたり、そして最近もいろいろなことが起き続けています。日本でも朝鮮半島で今何が起きているかということについてアンテナが向いてきている時期なので、すごくいいタイミングの上演になったと思っています。
日韓の演劇や文化の交流は増しているし、もうおそらく政治では止められないレベルまで来ています。僕たちがこの作品を作れたというのも、交流があってこそだと思います。なので、韓国の作品も日本でもっと上演されてほしいし、一緒に作って両方で上演するということも増えてほしいなと思っています。6月から再演の稽古で韓国に行ってくるので、向こうの実際の雰囲気を感じつつ、今回の上演に向けてブラッシュアップ出来たらなと考えています。

 

■質疑応答

 

Q:ここは変えようという新たな演出プランなどありましたらお聞かせください。

A音楽の選曲が一番難しいなと思っています。音楽はやはりタイムスタンプの要素が強いので。
前回から4年経って、楽曲が新しい時代のものになっていくタイミングなどは、変えざるを得ないかなとは思っています。また、ラストの演出は多少変わるのではないのかなとは思います。

 

Q:字幕は、韓国公演の時には、日本語の部分が韓国語字幕に、日本公演の時には逆になったのでしょうか。

Aはい、そうなりました。字幕上演って演劇の課題ではあるのですが、この作品では舞台の上の方に梁があって、そこに字幕が出るんですけども、舞台の真ん中のタンスに上がって俳優が高い位置になり、梁が低い位置にあるので、俳優と字幕がなるべく近くになるように工夫をしてあります。また韓国語なのに韓国人が聞いても分からないほどものすごい方言を使っているシーンがあり、この作品の地域設定が朝鮮半島の北の方の田舎なので、津軽弁の字幕にして出しました。津軽弁を文字で見ると言葉の意味は分からないですが、なかなか新鮮です(笑)。

 

Q:「日本人の作家」という登場人物を出すのは、日本と韓国の差別・被差別の感覚を際立たせるためですか?

A日本人が来て彼女を取られるみたいなストーリーは韓国人としては見慣れているようで、あんまり逆撫でするような感じではないようです。だから、主人公の悩みというのも彼を取り巻く世界や戦争、それらにプラスして母親との関係であったり、自分に才能があるかないかだったりとか、差別のことだけが全てではないという感じになっていると思います。むしろ私たちの方が「差別的な日本人」という設定を見慣れておらず、刺激が強いかもしれないですね。
僕らは歴史を取り扱いますけど、日韓のためだけにやっているわけではありません。歴史問題を解決するのが仕事ではなく、歴史から普遍的・世界的な財産になるようなものを作ろうと思っています。韓国内でも「私と歴史」を次にどう伝えていくかという時に、植民地とはなんぞやということを伝えていかなければならないんですが、直接被害にあっている方がまだご存命なのでこういう話もちょっと危険なんですよね。日本では原爆がそうですよね。世界的には、どちらかというと原爆はやっぱり落としてよかったという意見がありますが、それを被爆者の人には絶対言えないですよね。そういう感情的な部分は難しいですが、今40代の我々が次の世代にどう伝えるのかという責任は感じています。

 

Q:東京デスロックの都内での公演は2013年以降はやってないとお聞きしていますが、2020年まではやらないということでしょうか。

Aはい、そうです。絶対やらないです。東京オリンピックがなくなるんなら、やります。誰かが言わないと。へそ曲がりというだけなんですけど。

(2018年5月 大阪市内にて)


東京デスロック+第12言語演劇スタジオ
『가모메  カルメギ』

 

原作/アントン・チェーホフ『かもめ』
脚本・演出協力/ソン・ギウン
演出/多田淳之介

 

平成30年7月20日(金)  19:00
    7月21日(土) 14:00
    7月22日(日) 14:00
 公演詳細