『血は立ったまま眠っている』の戯曲が掲載された「文學界」(文芸春秋新社)昭和三十五年七月号。
 「演劇の新しい波」と題された特集には、大江健三郎、石原慎太郎、安部公房や初演の演出を担当した浅利慶太などが名を連ねる。演劇界に新たな才能が台頭してきた時代背景がうかがえる。

 戯曲冒頭部分には、衣装や音楽、喋り方やイントネーションに至るまで、上演するにあたっての留意事項が記載されている。処女戯曲において既にこと細かな「演出」を視野に入れて劇作に取り組んでいた様子。


初演時のチラシ。劇団四季創立メンバーで現在も活躍する日下武史などが出演している。
裏面には寺山修司と浅利慶太のコメント、梗概が書かれている。
「このドラマにとって梗概はほとんど重要ではない」とか、「伝統的な劇の作法を無視し、因果律を壊しかれはその映像、つまりかれの詩の才法によって舞台に華美で陰惨で、生々しい小宇宙をつくり出す」と書かれており、当時、かなり先鋭的だった作品への注釈が添えられている。




こちらは初演時のパンフレット表紙。

 寺山修司、演出の浅利慶太のコメントや、劇団四季「創作劇連続公演第3弾」で戯曲を書き下ろした谷川俊太郎などの寄稿もある。
 浅利慶太のコメントから「一口に云ってこんなに演出しにくい作品は初めて」と演出ではかなり苦労した様子がうかがえ、寺山修司は「自分はナチス親衛隊のアイヒマンの息子だった」と、虚実入り混じった世界感を提示し続けた彼らしいアプローチで文章を寄せている。

 まだ前衛歌人としての活動が主だった寺山修司の『新しい血』という詩も記載されている。

 初演劇評の数々。「若い感覚の詩劇」、「青春の孤独をさぐる」とそれぞれ題しているが、辛口の評価が目立つ。

 こちらは「鬼才 演劇界に登場す」と題された寺山修司の生い立ちや来歴を紹介する記事。作品に対しては賛否両論あったようだが、演劇界に新たな才能が現れたことは強烈に印象付けたようだ。



 初演時の写真より。

 


※敬称を略させていただいてます。掲載資料は三沢市寺山修司記念館とポスターハリス・カンパニーの笹目浩之さんよりご提供いただきました。