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柳沼昭徳(烏丸ストロークロック)インタビュー

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平成28年2月6日、7日に自主企画として、Re:クリエイション・プロデュース 烏丸ストロークロック『国道、業火、背高泡立草』を上演します。2013年3月に初演された本作を大幅改訂し、新たなキャストとスタッフで再創作するという本企画。作・演出の柳沼昭徳さんにディレクターの岩崎正裕がお話を伺いました。


 

■復讐譚のもう一歩先へ

岩崎:今回、「Re:クリエイション」という名で再創作に取り組まれていますが、初演作とどのように違ってくるのかお聞かせいただけますか。

柳沼:初演の三重公演のアフタートークで、岩崎さんから「前半はすごくいいが、後半になるにつれスタイルが変わっているね」という指摘をいただきました。初演は上演時間が約90分で、前半部60分、後半部30分という構成だったのですが、実は各方面からも岩崎さんと同じ指摘があったんです。僕自身も同じように感じていましたので、今回、後半部分を改訂することが大きなトピックになっています。

岩崎:「大栄町(だいえいちょう)」を舞台に、その町を逃げるように去っていった大川祐吉という男が、生まれ故郷に帰ってくる。そして、昔の人間関係を踏まえながら、彼と町に起こった出来事を語るというのが中盤ぐらいまでですよね。

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柳沼昭徳

柳沼:後半は、「ビンボーのユーキチ」と呼ばれていたその男が、マルチ商法で一儲けして「お金持ちのユーキチ」として帰ってきて、「大栄町」で町おこしという名の復讐をするという内容です。今回、改訂するにあたり、「復讐する」だけを最終目的にしないことにしました。復讐譚にすると、観客の感想は「祐吉さん大変でしたね」で終わる可能性が高い。そうではなく、どこか引っかかるポイントをつくって、観客自身が自分の生活や日常を振り返ったり、何かを考えたりするきっかけにしてほしいと思いました。だから、復讐譚のもう一歩先を描くことが、今回の大きなテーマです。新しい登場人物も出ます。Iターンで「大栄町」にやってきた中年タクシードライバーで、その人が祐吉に強い影響を与えていきます。初演作は、貧乏だった祐吉が町に恨みを晴らす方法を、生まれ変わり=お金持ちという構図にし、でもどんなにお金があっても空しいよねという終わり方にしていました。今回も、演劇で経済を描くことは変わらないですが、消費社会や資本主義社会だけではないというところも描きたいと思っています。

岩崎:作者の視点が、祐吉側ではなく、もう少し俯瞰的なものになるということですね。

柳沼:日本の資本主義社会を大いに忌み嫌う作品になればと思っています(笑)。

岩崎:後半を丁寧に描くということは上演時間も変わる?

柳沼:休憩込みで約2時間30分。二幕構成にして、祐吉が「大栄町」に戻ってきてからの時間を丁寧に描きます。

 

■「大栄町」のモデル

岩崎:「大栄町」は架空の町ですよね。でも、日本は都会より田舎である町が多いわけで、この作品を観たときにすごく普遍性があると感じました。なぜ、こういう設定にしようと思われたのですか?

柳沼:最初のきっかけは、2010年に上演した短編集『仇野(あだしの)の露』の一編『怪火』という作品です。マルチ商法でお金を儲けた男が、警察に捕まる直前を描いたもので、ここには「祐吉」も「大栄町」も登場しません。このあとの短編『火粉、背高泡立草』(2012年)で、初めて両方の名前が登場します。実はモデルにした町がありまして…。

岩崎:それ、是非聞きたいですね。

karasuma_5柳沼:新作を立ち上げるにあたりフィールドワークを行った場所で、元・自民党の野中広務さんの出身地が北部にあって、昭和の時代に揺れ動いた地域です。野中さんの伝記を読むと、自身の生い立ちや国政に出るまでのプロセスが書かれていてとても興味深い。被差別部落出身で、勉強を頑張って高校を出て国鉄に入社したけど、地元の力になりたいと思い町会議員に出馬、町長にもなられて京都の府政にも携わり国政に進むという、わかりやすいぐらい政治の世界でのサクセスストーリーを歩まれた人なんです。

岩崎:自民党の真のリベラルを背負ってらっしゃいましたからね。

柳沼:当時の京都府政は共産党が強くて、同和対策事業を積極的に推し進めていたのですが、野中氏はその政策に対しては批判をしている。でも自身は政治家として、同郷の人たちが営む建設業とかに便宜を図りまくっていて、その矛盾が「昭和だな」と。でも、すごく人間的な魅力を感じました。作中には野中さんをモデルにした人物は具体的には登場しませんが、そういった人を輩出した町を舞台にした作品を書いてみようと興味が湧きました。

岩崎:「大きく栄える町」というのはアイロニーだよね。昭和の高度成長期を通りすぎたあとは、もう寂れてしまっているけれど、名残りとして「大栄町」という名前が残っているという。

柳沼:いまは悲しき…みたいな。

岩崎:日本のどの地域にでも、ひとつやふたつはそういう町はあるよね。だから、どこにでも当てはまる物語だと思う。

柳沼:モデルとしたのが京都の北部の田舎町だったので雰囲気がわかるか心配だったんですが、初演の広島での反応がすごく良くて、上演して初めて普遍性をもった作品であることがわかりました。

岩崎:柳沼さん、ご出身はどちらなんですか?

柳沼:京都市内です。

岩崎:ああ、だから書けるんですよ。書くべき作品と自分との距離がきちんと取れていると感じるもの。作者が地方都市出身だと、切り口が違ってくると思う。僕は鈴鹿市出身だから、この作品は田舎の痛いところを突いてくるなっていう印象があって。でも、この町の佇まいはとてもよくわかるし、共感できました。

 

■「大川祐吉」が生まれた経緯

柳沼:短編集を上演したころ、京都にある山あいの集落で劇団の合宿をしたんです。そのときに、谷を隔てた向こう側にお城の天守閣を発見しました。WEBで検索しても誰の城なのか全く情報が無い。地元の人に尋ねたら、歴史的な建造物でなく、どうやら右翼の人が造ったもので、今は空き家になっていると。「家なの? 住んでいたの?」と興味が湧いて近くまで行くと、実際は二階建ての家で、そのうえ、林道を隔てた反対側には、街宣車が錆だらけで放置されていて…。

岩崎:うわー。一つの思想の滅びの姿やね…。

柳沼:「昭和やな」って感じました。庭には、犬のゲージがいっぱいあったので、ブリーダーもやっていたようで。お城なのに、なぜか家紋は菊の御紋。廟所と書かれた場所には、お墓を建てようとしていた形跡も残っていて、墓石には「源氏家臣なんとかの末裔」っていうのと、持ち主の本当の家紋が彫られていて…。もう無茶苦茶ですよね(笑)。

岩崎:そこの人、どうなったんだろう。気になるね。

karasuma_1柳沼:地元の人にもっと聞きたかったのですが、ちょっと触れてはいけないニオイがしたので、ネットで隅々まで必死になって調べました。詳細は出てきませんでしたけど、その建物が差し押さえ物件として競売にかかっていることはわかりました。結局、すべてが「そうだったかもしれない」でしか語れないのですが、そこにはものすごい非日常があったわけです。イマジネーションが湧いてきちゃって。それで、田舎の右翼の今を書こうと思ってつくったのが『火粉、背高泡立草』でした。

岩崎:そこが入り口やったんですね。

柳沼:舞台は国会議員を輩出した町。そこにブリーダーで街宣車に乗っていて荒々しくて、自分の本能にしたがって生きている男がいて、きっといろんなところに女をつくって、でも綺麗なクラブのママとかじゃなくて貧相な女を囲っていて・・・と想像して。そして、そういう男を親に持った子どもは一体どういう人物だろう、その想像から生まれたのが「祐吉」でした。

 

■対話する「場」を創る

岩崎:柳沼さんは、劇団活動とは別で、地域で出会った方々と作品創作をされていると伺ったのですが、それはどういった作業なのですか?

柳沼:知立や津や四日市などで市民劇をつくったときに出会った人のなかで、地元に活動できるフィールドがない人や、僕と一緒にやりたいと言ってくれる人と、月に1~2回集まっています。演劇をつくるうえで、物理的な距離はネックになるんですが、そこを乗り越えて作品をつくれないかを模索しているところです。ただ、この集まりの大きな目的は、作品の発表だけでなく、それぞれが各地域で表現者として自立することと、何かを考えたり世の中を疑ってみたり、日々をちょっとだけ慎重に生活を送ってもらうことだと僕は思っています。そういう営みこそが文化的であると思いますし、そういう人を一人でも増やしたいと思い、「場」をつくりました。だからメンバーが集まると、ワークショップもしますが、この前こういう本を読んだとか映画を観たとか、安保法案や政治的な話や、世の中こんなことになっていますけど僕はこう思うという「対話」が多い。メンバーで対話をする癖をつけて、共有事項を増やして、それを作品創りに活かしていけないかと思っています。

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岩崎正裕

岩崎:今、求められているのは、まさにそういう場所じゃないかと僕も思っています。安保法案について活発な議論をしましょうと言っても、会社や職場では絶対できない。会社でも家でもなく、利害のないところで語り合う「場」が、この国では不足していると思うんだよね。

柳沼:3.11の震災以降、コミュニティが必要だと声高に言われるようになりましたけど、僕たちに必要なのは、少数派の人たちが集まれる場所だと思うんですよね。そこにいることで安心できるような場所。やってみて、自分の考えていることを喋るだけでも「場」として成立するという実感があります。そして、そういうところから演劇作品を創ってみたい。メンバーで劇団をつくって活動しようとは全く考えておらず、ただ集まりたいから集まっている。愛知、三重、京都から集まって、20代前半から50代前半までと年齢もバラバラで、既婚者、独身といろんな人がいる。気が合う合わないでなく、こういうところで繋がっていくのは、ひとつの実験だと思っています。

岩崎:壮大な実験ですよ。でもそれは、地域だからできることだし、柳沼さんが作品をつくるうえでその作業が必要だと思っているからできることだと思う。

柳沼:でも、僕の2000年代後半の作品には、経済的な目的や利害関係じゃないところで人が集まって、形の無いものを信じるって気持ち悪いことだよね、みたいな考え方が実は滲み出ているんです。オウム真理教の事件やその後の彼らの動向を知ると、そういう人の集まりに対して、疑念や危機感を持っていた頃があって。

岩崎:21世紀初頭は、社会的にもそういう見方が強かったよね。

柳沼:今は、逆にこういった集まりを肯定したいと思うようになりました。

岩崎:オウムの人たちの当初の目的すべてを否定しないと社会は気が済まなかったのかと、僕もすごく疑問に思う。そこは分けて考えましょうよ、と思うね。柳沼さんが、経済的な繁栄が終わった町に対し経済によって復讐するというドラマを、疑いをもって「リ・クリエイション」しなきゃいけない理由も、今おっしゃったあたりにあるのではないかと思います。柳沼さんご自身が、経済活動に頼らない、なんらかの人の集まり、そこから始まるものに期待感を持っているんでしょうね。

柳沼:そうですね。

岩崎:じゃあ、今後は創作スタイルが変化していくかもしれない?

柳沼:スローガンを言うならば、集団でのモノづくりを突きつめていきたい。今までのように、お金をかけて演劇をつくる作業をしばらくしないでおこうかとも考えています。スタッフも外部に頼まず自分たちでやるみたいな。もう一度、駆け出しのころに戻るようなスタイルです。

岩崎:本当に、集まった人たちで何ができるかを真剣に考えているんだね。自分たちで照明も音響もするとなると、アングラのムーブメントに近づいていくのでは。

柳沼:やり方を間違えると疲弊していくばっかりになるので、持続可能な活動を目指したいと思っています。お金をかけないと言っても、やっぱりかかりますからね、演劇は。

 

■変わるところ、変わらないところ

柳沼:改稿作業が進むにつれ、祐吉は“業火”に包まれて、文字通り、火だるまになって燃え尽きてしまえばいいのにと思っているんですよ。

岩崎:えっ、どういうこと?

写真:西岡真一
写真:西岡真一

柳沼:祐吉は資本主義経済に翻弄された人の象徴。追われた町に対して、お金で復讐をするけれど、結局それだけでは何も解決しない。祐吉が燃えてしまうことで、消費社会に対してのアンチテーゼにならないかと思っていて。

岩崎:柳沼さんの作家としての立ち位置が面白いよね。だって、自分と対極にある人物を書かなきゃいけないんでしょ。やり方として、作家の主張を担う人をもう一方につくって、祐吉を燃やしちゃうこともできるんだけど、柳沼さんはその人を出さないんだよね。つまり、柳沼さんの主張は巧妙に隠されている。それが観ていてドキドキする部分だとも思う。

柳沼:観客にそう思ってもらえたら嬉しいですね。

岩崎:観客はきっと祐吉とともに揺れると思うよ。彼の視線で物語を追いかけちゃう人もいると思う。彼は善なるものじゃないけど、人間としての本質的な魅力があるんだよね。それは演じてらっしゃる桑折さんの魅力かもしれない。キャストも変わるんですよね。

柳沼:初演に引き続き出演するのが、桑折さん、今井さん、阪本。新しく加わるのが、小熊さん、イトウさん、新田さん、浅井さん。初演は6名でしたが、新しい登場人物が増えて7名になりました。

岩崎:阪本さんの役は初演と変わらず?

柳沼:はい。祐吉の元恋人の伊織です。

岩崎:祐吉と伊織のシーンが妙に艶めかしいんだよね。あのシーンをもっと観たいという個人的な欲望もあります。それに伊織からは、地方にずっといなきゃいけない女性の心根みたいなものが漂ってきて、自分の高校時代の彼女とかを思い出しちゃう。そういうところも本当によく書けているんだよね。セットや美術も変わるんですか?

柳沼:四角形の舞台でその周りをぐるぐる歩いたり、客席から舞台を見下ろすという基本構造は同じです。今回は舞台美術を杉山至さんにお願いしましたので、そこに美術家の個性が入ってきます。

岩崎:お客さんはかなり高いところから舞台を観るんだけど、あの視点は面白いよね。

柳沼:祐吉側に寄り過ぎず、神の目線のように客観視してほしいんです。

岩崎:それと同時に、観客を油断させている印象もあった。見下ろしの目線で観ることで、自分の方が優位にいるぞってことを担保させている。それなのに舞台から揺さぶってくるものが大きくて飲み込まれそうになるんだよね、この作品は。

柳沼:ありがとうございます。

岩崎:どんな作品に深化しているのか、楽しみにしています。

(平成28年1月 アイホールにて)