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青年団『ソウル市民』・『ソウル市民1919』
平田オリザインタビュー

AI・HALL共催公演として2018年11月22日(木)~26日(月)に、青年団『ソウル市民』・『ソウル市民1919』を上演します。アイホールでは『ソウル市民』が3度目、『ソウル市民1919』が2度目の上演となります。 青年団主宰であり、作・演出の平田オリザさんに、作品のことや豊岡市への劇団移転、話題となっている演劇を学べる専門職大学の開学についてなどいろいろとお話いただきました。

 

■『ソウル市民』初演について

  『ソウル市民』の初演は、1989年なので、約30年前、僕が26歳の時に書いた作品です。大学を出た1987年くらいから「現代口語演劇」の実験を続けてきて、理論的には新しいものを発見したとは思っていましたが、その価値については自分でもよく分かっていませんでした。しかし、『ソウル市民』を書き上げて、この方法論は「こういう作品を書くためにあったんだ」と思うくらい初めて理論と実践がマッチしたと感じました。戯曲を書き上げた瞬間に「自分はこれで日本演劇史に名を残したな」と思ったほどです。しかし、初演の時は、思ったより観客が入らず、アゴラ劇場では、600人くらいの動員だったと記憶しています。大半のお客さんは、舞台上で何が起こっているのか分からなかったかもしれませんが、一部の方はとても評価をしてくださいました。例えば、シナリオライターのじんのひろあきさんは、この作品にインスパイアされて映画『櫻の園』のシナリオを書き、日本アカデミー賞の脚本賞を受賞しています。でも、今のようにインターネットのある時代ではないので、「何か変わった作品があるらしいよ」と一部の演劇ファンの間で話題になる程度で、結局、劇団もしばらく鳴かず飛ばずでした。ただ、「現代口語演劇」の記念碑的な作品となったことには違いないと思っています。

 

■作品について

『ソウル市民』(2006)©︎T.Aoki

 『ソウル市民』は、日本が朝鮮を完全植民地支配する前年の1909年に、朝鮮に暮らす日本人の文房具屋さん一家の日常風景を描いている作品です。

日本で植民地がテーマになっている作品は、ヨーロッパに比べると少ないです。ヨーロッパでは例えば、A・カミュの『異邦人』や、M・デュラスの『愛人』など、伝統的に植民地を背景にした文学があります。幸いにと言っていいでしょうが、日本の植民地支配は、台湾が50年、韓国が35年で終わっていて、ヨーロッパほどに長くありません。そのため、植民地がテーマの作品は多くないのだと思います。ただ、日本が植民地時代のことを文学・戯曲などで総括できていないことに対しての問題意識はずっとあり、いつか自分でテーマにして書きたいと思っていました。今でもそうですが、戦争モノにしろ植民地モノにしろ、悪い軍人や商人、政治家が出てきて、庶民が虐げられて、というような弱者の視点で描かれたものが非常に多いです。しかし『ソウル市民』では支配層の日常を描きました。「ポスト・コロニアリズム」という語が流通していない時代に、植民地支配の構造を描くのはめずらしく画期的だったのではと思います。

劇作家の太田省吾さんがこの作品を「ちょっと別のレベルのリアリズム」と言ってくれました。おそらく、当時の普通の人々の意識の流れを忠実に再現しようとした時に、それまでとは違う次元のリアリズム演劇の手法が必要だったのだと思います。例えれば、虫眼鏡ではなく、顕微鏡で見るような克明なリアルさです。それが、植民地支配が持っている悪い軍人や政治家が出てくるような分かりやすい構図ではなく、全ての人々が植民地支配に加担していく構図をあぶり出したのだと思います。

一方で、この作品はオリジナリティだけではありません。題名は、アイルランドの作家J・ジョイスの『ダブリン市民(原題:ダブリナーズ)』から取りました。もう一つの背景には僕が大好きなトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』や、それに影響を受けて書かれた北杜夫さんの『楡家の人びと』という長編小説があります。2編とも、ある一家の衰退していく様子を描いた作品ですが、いつか自分もそのような作品を創りたいと思っていました。結果、『ソウル市民』は、『ダブリン市民』のタイトルと手法を借りて、長大な植民地支配下の一つの家族の姿を描く作品となりました。

『ソウル市民』の10年後である1919年に、三・一独立運動という植民地支配下最大の抵抗運動が起こりました。『ソウル市民1919』は、その騒乱の午前中のやはり同じ日本人一家を描いた作品です。彼らは家の外で起こりつつあることに、全く気付かずにのんきに暮らしてます。1作目よりもコミカルな部分も増えて滑稽で音楽も多くて、表面上ものすごく楽しい劇です。ただ、3月1日というのは、韓国では今でも非常に大事な祝日になるような重たい日で、その重さと日本人の滑稽さを対比して描いています。当時からこんなに茶化していいのかなと思っていたのですが、韓国で上演された時は比較的好評で、ある韓国の演出家からは「これは韓国の作家が書くべきだった」と言われたほどです。

2016年には、ソウルとパリで両作品を上演し大変好評を博しました。今回は、その時のキャストとほぼ同じ座組で国内巡演を行います。

『ソウル市民』は他にも1929年を描いた『ソウル市民 昭和望郷編』と1939年を舞台にした『ソウル市民1939・恋愛二重奏』という続編があります。またブラジルの日系移民を描いた『サンパウロ市民』という作品も書いたので、全体では五部作になっています。

 

■植民地支配について

『ソウル市民1919』(2000)©︎T.Aoki

 『ソウル市民』の初演時に、たくさんの資料にあたりましたが、1909年の時点で、いちばん植民地支配に抵抗していたのは伊藤博文でした。彼はとても臆病な人で、下手すればすぐにでもイギリスやフランスに植民地支配されそうな貧弱な国だった日本が、そんな大国になるわけがないということを良く知っていたのです。一方で、日本の中でも最も植民地支配に賛成していたのは庶民です。理由は非常に単純で、日露戦争に勝って日本も一等国になったのだから、植民地のひとつや二つ持って当たり前だという世論の雰囲気があったからです。日比谷の焼き討ち事件などもあり政府は庶民の増大する力を恐れていたので、それが社会主義にいくよりかは、植民地支配に捌け口を求めたのだと思います。つまり、植民地支配には庶民が加担しているというのが僕の歴史観です。

 『ソウル市民』という言葉は厳密にいうとおかしいのではないかと韓国の学者からクレームがついたことがあります。確かに幾つも問題があって、当時の首都は「ソウル」ではなく厳密には「漢城(ハンソン)」という名前でした。そのあと1910年からは、日本の植民地支配下で「京城(ケイジョウ)」という名前になりました。「ソウル」という名前になったのは第二次世界大戦後です。この言葉は「都」という意味で漢字表記はありません。ただ、ここに住んでいる日本人は健全な自己決定能力のある人々であり、何かに抑圧・強制されて植民地支配に嫌々ながら加担したのではなく、自立した市民のひとりひとりとして植民地支配を主体的に選びました。市民というのは決して正しいことばかりをするのではなくて、責任のある自己という意味から、僕は『ソウル市民』という言葉を選択しました。そして、そのような市民の在り方は、1909年も今も変わっていないのではないかと思います。

 海外から日本の植民地支配で一つだけ理解されないのは、同程度の文化的な背景を持っていて、特に文化に関して言えば韓国や中国の方が日本より歴史的には上だったのに、なぜ日本が植民地支配できたのかということでした。ある一瞬、日本の近代化が先に進んで強い軍事力を持ってしまったがために、逆に植民地支配をしたというこの構図は特殊でなかなか理解されません。海外公演時は現地の大学などで植民地支配についてのレクチャーをするのですが、日本の植民地事情の特殊さを説明することは本当に難しいです。しかし、ひとつひとつ言葉を選んで話さないとならないので、そういう緊張感の中で上演が出来るというのは、アーティストとしては有難いことです。

 

■韓国との関係、そして日本と韓国の関係について

先日、日本経済新聞さんから「平成の30年」という特集の中で「平成の日韓関係」というテーマでインタビューをお受けしたのですが、「ジェットコースターに乗っているように良くなったり、悪くなったりが激しい30年だった」と答えました。確かに今の政権が抑圧的であることは間違いないですが、30年前がそんなに良かったかというとそうではないと思います。リクルート事件などの真最中で、総理大臣が毎年のように変わって、政治はグダグダでしたから。

僕は、1984年~85年に韓国に留学していましたが、当時は全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領による軍事独裁政権で大変でした。僕が住んでいた外国人用の寮はKCIA(韓国中央情報部)から盗聴されていたり、手紙が全部開封されて、べたべたの糊付けで戻ってきたりしました。ファシズムというのは、私たちの首を真綿で絞めるようにゆっくりと絞めていきますから、その体験はやはり後の作品づくりに大きく影響しました。

 また3年前は、韓国は朴槿恵(パク・クネ)政権で、文化人ブラックリストが発見され、その中で、外国人の中で唯一、僕の名前が書かれていました。たまたまですが、その時に『新・冒険王』という作品で韓国の助成金に申請を出したのですが取れませんでした。後からブラックリストに名前が載っていたからだと判明しましたが、なぜ名前が載ったのか、はっきりした理由はいまだに分かりません。そういう時代から考えると、今の政権は非常に現代演劇に理解があるし、友人たちが政権の中枢にいるので、ここから先、日韓の仕事はやりやすくなると思います。

 日本の高校生なんかに聞くと、韓国大好きという女の子たちがものすごくいっぱいいます。そういう意味では、日韓関係は僕が留学していた頃から比べたら夢のように良くなったと思います。今の統計上は一年間で韓国人の7人~8人に一人、約700万人が日本に来ていて、韓国に行く日本人は200万人くらい。日本人の方が比率としては圧倒的に少ないですが、それでも、それだけ交流があるということです。昔は日本の歌謡曲は向こうでは全部禁止されていたほどですが、今は歌や映画・ドラマなど文化的な交流も盛んになっています。

ただ、日韓ではあまりにも歴史教育の差があります。「1919年の3月1日に韓国で何がありましたか」と聞かれて、僕が「おそらく答えられる大学生は1%もいないんじゃないか」と答えると、韓国の新聞記者は、みんなショックを受けます。また例えば、日本と韓国の子がすごく仲良くなって、たまたま3月1日に日本の子が韓国に行って、休日で全部銀行とか閉まっていて、「え、なんで今日休みなの?」と言ったら、やはり韓国の子はショックを受けるでしょう。いくら友達になっていても、「いや、これはお前らのせいだろ」と韓国人は感じると思います。ヨーロッパでは、大学生以上の人には最低限の常識として被支配者側がどのような発言を不快に思うかを教えます。それが外交であり、国際関係です。このようなことを芸術で教えられる部分はすごく限られているので、教育でもやっていくしかないと思います。

 

■豊岡市で開学する大学と国際演劇祭について

報道等にもあったと思いますが、兵庫県の豊岡市に2021年4月開学を目指して、観光とパフォーミングアーツを主軸にした兵庫県立の専門職大学を開学する予定で、現在、兵庫県庁の方で準備を進めています。認可が下りれば、国内初の演劇とダンスを本格的に学べる国公立大学ということになります。私たち演劇界の悲願でもありましたが、半歩前進ということになると思います。学期を完全クォーター制にしたり、短期留学や600時間の実地研修を課したりと様々な新しい試みを行う予定です。私が学長就任予定となっています。

また、大学開学に先駆けて、来年の9月に豊岡国際演劇祭を開催します。フランスのアヴィニヨン国際演劇祭を参考にし、豊岡市に新たに出来る劇場や野外で、海外からの招待公演や、フリンジ公演を行います。専門職大学が始まれば、学生ボランティアにも参加してもらい、単位や多少のアルバイト料をもらいながら、アートマネジメントを勉強できる仕組みを作ります。

 

■質疑応答

Q:この作品で、東京での演劇製作は最後になるのでしょうか。

A:いいえ。僕自身は来年移住予定ですが、劇団の移転は再来年を予定しています。豊岡市の中核の市街地に豊岡駅があり、その南側には江原駅という特急の停まる駅があります。江原駅の近くには、元の日高町の役場だった築100年くらいの非常に雰囲気のある建物がありまして、そこを2019年の9月着工、2020年3月完成予定で劇場に改装する予定です。そちらが青年団の本拠地となります。その翌年度には、酒蔵を劇場に作り替える予定で、他にももう一つ予定地があります。つまり、江原駅から3分~5分圏内のところに合計3つの劇場をつくる予定です。ということで、本格的な劇団の移住は劇場が完成する2020年の4月以降になります。ただ、来年の大きな演目2つは、どちらも城崎国際アートセンターで製作するので、そういう意味では東京での製作は、徐々に減っていくという言い方もできるかもしれません。

 

Q:発信拠点自体を地方に移されるということですが、劇団が地方を拠点にできるような環境は各地で出来つつあるのでしょうか?

A:それは、分からないです。ただ、これからのアートは、地方において一種のイメージ戦略として使われるようになると思います。例えば、豊岡市にとっては、平田オリザや青年団が移住した街というイメージは大事であるようです。また、城崎のインバウンド客が5年間で40倍になった時期と、城崎国際アートセンターが成功した時期は重なっています。彼らは決してアートセンターが目的で来たわけではないと思いますが、結果的に国際的なイメージがつき、国際化のシンボルとしてうまくいきました。このように地方がアートの人材や劇団を招聘する予算のほとんどは、人口減少対策やIターン・Jターン政策の切り札として町をイメージアップするための地方創生予算から出ています。教育政策も同様で、教育と文化がしっかりしていないところにIターン・Jターン者は来ません。そこに気が付き始めた自治体と、いまだに工業団地を作れば若者は戻ってくるだろうという考えだけの自治体とでは、今後20年~30年後に大きな差がつくだろうと思っていますし、現実にそういった流れになっています。その流れの中で青年団以外の劇団が地方を拠点にする環境も出来ていくのかもしれません。     


 

青年団 第80回公演『ソウル市民』・『ソウル市民1919』
作・演出/平田オリザ
平成30年
11月22日(木) 19:30『ソウル市民』
11月23日(金祝)14:00『ソウル市民』
          17:30『ソウル市民1919』
11月24日(土) 14:00『ソウル市民』
          17:30『ソウル市民1919』
11月25日(日) 14:00『ソウル市民』
          17:30『ソウル市民1919』
11月26日(月) 14:00『ソウル市民1919』

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