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年末年始につきまして

アイホールは明日29日(火)から1月3日(日)まで年末年始のため休館いたします。
なお、月初めの施設使用受付(カルチャールーム:2016年4月分、イベントホール:2017年1月分)は1月4日(月)9時~となります。
今年も一年ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

深井順子(FUKAIPRODUCE羽衣)インタビュー

 

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アイホール共催公演として、FUKAIPRODUCE羽衣『イトイーランド』を4月28日・29日に上演します。伊丹には、2014年の『耳のトンネル』以来約2年ぶりの登場です。新作の伊丹公演に先駆け、主宰で俳優の深井順子さんにお話を伺いました。


深井順子■様々な愛のかたちを描く
 劇団としては約1年ぶりの新作です。7人のイトイー夫人が夫の不在に愛人たちを自慢する「イトイーランド」を中心に、人間だけでなく、ヤモリとトカゲ、月と地球、深海魚同士など、人間以外のカップルも登場し、様々なシーンが展開します。FUKAIPRODUCE羽衣(以下、「羽衣」)では、人間以外を描くことが珍しくなくて、カエルや鳩だけが登場する作品もあるんですが、作・演出の糸井幸之介くんにとっては、自分のやりたいことを表現するには人間以外を交えて描くほうが合っているみたい。そのなかでも今回は、終末観が色濃いし、地球上が人間だけのものじゃないという設定は今まで以上に顕著です。人間や動物や草木が入り混じり、様々な愛のかたちが展開する作品として、みなさんに「面白かった」と言っていただけるものにしたいと思います。 
 糸井くんの作品は、いつも「死」と隣り合わせで、「生きる」と「死ぬ」の間を揺れている感じがします。例えば、『耳のトンネル』では、主人公は人生の途中で崖からすべり落ちてしまうし、『観光裸』の幕切れにもささやかな行為の向こうに色濃く死を感じさせる描写がある。今回も「セックススペシャリスト」というシーンで、「死生観」がすごく切実に描かれています。「うわっ」となる観客もいるかもしれないけど、私はすごく惹かれているシーンで、糸井作品の特徴や世界観が良く出ているところだとも思います。

 

■「レビュー」を見るように楽しんで
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 羽衣の「妙ージカル」のスタイルって、宝塚歌劇団の「レビュー」に似ていると思うんです。つまり、ひとつの決まったテーマやコンセプトをもとに、色んな曲調の楽曲を歌って踊るスタイル。今回も作品中で7~8曲歌います。同じ曲調が続かないよう、飽きさせないように、バラードやラップ調やサンバなど様々なジャンルで構成されています。1曲のなかに1つのドラマが入っているという羽衣特有の曲もあれば、“耳心地”のいい、聴いて楽しめる曲もあります。特に今回は、『耳のトンネル』よりはストーリー性は薄く感じられるかもしれませんが、バラエティに富んだシーンの連続でより「レビュー」を観ている感覚で楽しんでいただけると思います。
 特に注目してほしいのは、男性だけのバラード。いつもは男女混声ばかりだったので、初めての試みです。すごくきれいだし、心地いい。テーマ曲ともいえる表題曲「イトイーランド」も、過去作品のテーマ曲とちょっと異なるアプローチをしているので、注目して聴いてほしいです。

 

■“耳コピー”で再現される音楽
 糸井くんがつくる楽曲は楽譜で届くわけじゃないんです。彼が稽古場にギターを持ってきて、「こんな感じ」と歌ってくれるので、録音して、それを聞いて練習します。初参加の扉座の岡森諦さんが「こんなふうに覚えられるなんて、君たちは天才だ!」って(笑)。今回は珍しく、最初の何曲かは、「見本」として、糸井くんが歌ったデモ曲を持ってきてくれたので、それを必死で覚えて、歌ってみせて、直されてのやりとりを繰り返しています。歌いながら曲を整えている感じです。
 実は、羽衣には譜面を読める人がほとんどいない。だから私たち、完全に“耳コピー”。それに、糸井くんがつくる音って本当に微妙で、彼しか持っていないような音なんです。ギターで曲づくりをしているからかもしれないけど、ピアノで音をとるより、結局、“耳コピー”したほうが正確だし早いねってなりました。

 

fukai-4■セリフと歌のこだわり
 セリフは、一言一句そのままで発するというのが羽衣での厳しいお約束です。間違ったら「て、に、を、は」まで指摘されます。戯曲の言葉をそのまま喋れば成り立つからでしょうね。だから、変な言葉を入れる必要もないし、変な抑揚を入れて演じると反対に気持ち悪くなっちゃう。あと、糸井くんは演出するとき、「響き」をすごく気にしている。声の高さやスピードも細かく気にします。
 歌い方も、糸井くんは抑揚をつけた歌い方を好まない。役者がうまく歌おうとすると、「“上手(うま)げ”に歌うのではなく、大きい声でまっすぐに歌ってください」と言っています。そういうところが、羽衣らしい美しさをつくっていると思います。

 

■俳優の魅力

 客演は私の好みのタイプで選びました(笑)。伊藤昌子さん、幸田尚子さん、高山のえみさんは、今まで羽衣に出演経験があって、羽衣でしか出せない魅力や輝きを持っているお三方だと思っています。美しさを持っていて、その美しさの奥に恐ろしさを兼ね備えている、そんな魅力のある方々です。女優陣が7人のイトイー夫人役として束になっているシーンは、いい意味でくだらなくて面白いので注目してください。
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 男優陣の岡森諦さんと大鶴佐助さんは二人とも初参加。岡森さんは、扉座を見て「かっこいい」と思ったのがきっかけで、強面なのにすごくキュートで、声も素敵な方です。年齢を重ねている人に出ていただきたいと考えていたので、とても嬉しいです。佐助くんも、どんどん羽衣色に染まってきてくれていて、いい意味でヘンテコリンに、小さくまとまらずに演じてくれています。
 みなさん、ひたむきで、舞台上での思い切りがよくて、歌ったり、踊ったりしても顔が死なない人たちです(笑)。役者の顔が死んじゃうと、舞台そのものも途端に輝かなくなっちゃう。でも、歌ったり踊ったりしながら、顔を輝かせるのってすごく難しい。ある出演者が、「羽衣の舞台は、その人自身の魅力が問われるからこわい」と言っていたけど、確かにまるごとの自分が舞台に出ちゃう。(俳優の)見た目が美しいとかお芝居が上手いだけでは羽衣の世界を成立させられなくて、その人自身が素敵じゃないといけないんですよね。
 糸井くんも、負荷がかかった役者の身体をみせようとすることが多いです。そういうところも含めて、生の舞台で羽衣を観てほしいです。

 

■自分たちの作品をつくる歓び
 2015年は、私がNODA・MAPへの出演や一人芝居のツアー、糸井くんが木ノ下歌舞伎『心中天の網島』の演出や、アンデルセン童話を原作にした子ども向けの作品製作(@あうるすぽっと)と、外部での活動が盛んでした。今回、久々にFUKAIPRODUCE羽衣としての本公演。何より劇団員のみんなが楽しそうです。この1年間、外部でいろいろ経験をさせてもらえたことで、自分たちで自分たちの作品を創ること、劇団でやることに対し、今まで以上に大きい歓びを感じています。
今回のタイトルを『イトイーランド』としたのも、糸井くんの「自分の名前を冠して、(作品に)責任をとるんだ」という覚悟の現れでもあります。是非、見ていただきたいと思います。

(平成28年3月下旬 大阪市内)


【共催公演】

FUKAIPRODUCE羽衣

『イトイーランド』

プロデュース/深井順子

作・演出・音楽/糸井幸之介

 

平成28年

4月28日(木)18:30

4月29日(金・祝)14:00

詳細はこちら

 

土曜日のワークショップ『お芝居をかじってみよう』

令和7年11月15日(土)~12月13日(土)

令和7年
11月15日(土)
11月22日(土)
11月29日(土)
12月13日(土)
各回10:00~12:00 ≪全4回≫ 

※全日程受付終了となりました。


プロの演劇人とお芝居を体験する講座。関西屈指のコメディ劇団「スクエア」の演出を手掛ける上田一軒さんを講師にお迎えし、お芝居に挑戦します。今まで演劇をしたことがある人、興味のある人、初めて出会う仲間と一緒に楽しくお芝居を“かじって”みませんか。


会場/
アイホール カルチャールームA(2階)

対象/
中学生以上

定員/
18名程度(先着順) 

受講料/
全回受講:4,000円
※初回時納入。一旦納入した受講料は返金できません。
 ご了承ください。
1回ずつの単発受講:1,200円 


企画/伊丹市立演劇ホール
主催/公益財団法人いたみ文化・スポーツ財団、伊丹市

 

【速報】<アイホール主催事業>
「アイホール・ショーケース~イタミつながるブタイのミライ~」
令和8年3月 開催決定!

【速報】

令和8年3月末に閉館を迎える、アイホール。閉館後も、アイホールが培ってきたノウハウや舞台芸術関係者とのつながりを元に事業継続を検討しています。
そこで、伊丹の舞台芸術の過去とこれからの未来をつなぐような短編舞台作品を上演するショーケースを開催します。

上演は2週に分けます。
1週目は、アイホールのこれまでの主催事業に関わり、今も演劇を継続している市民や元講座生たちの団体が出演。
2週目は、伊丹の未来の舞台芸術事業に関わってもらう団体・アーティストとの出会いを公募で求めます。

公募枠の募集開始は、7月以降を予定しています。
みなさま、どうぞ続報をおまちくださいませ‼


<アイホール主催事業>
企画タイトル:
アイホール・ショーケース
~イタミつながるブタイのミライ~

日程(予定):
2026年
<1週目 リハーサル期間>3月4日(水)~6日(金) 
<1週目 本番日>3月7日(土)・8日(日) 
<2週目 リハーサル期間>3月11日(水)~13日(金) 
<2週目 本番日>3月14日(土)・15日(日) 本番

天野天街(少年王者舘)インタビュー

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 アイホールでは2月26日(金)~28日(日)に提携公演として、少年王者舘第38回本公演『思い出し未来』を上演いたします。6年ぶりの新作について、作・演出の天野天街さんにお話を伺いました。


 

■終わりがはじまりを食い尽くす芝居

 少年王者舘としては6年ぶりの新作となります。今作は、「ウロボロス」(自分の口で自分の尻尾を飲み込んでしまったことによって環となった蛇の図)のような、はじまりが終わりを、あるいは終わりがはじまりを食い尽くしていく芝居にしたいと思っています。ウロボロスは、パラドックスを語るときによく使われますが、それを演劇にしてみるとどうなるのかという興味が今回の創作の大きな動機です。

 少年王者舘の作品は、いわゆる「物語」が存在せず、ひとつのイメージや状態を、ある時間の流れの中で積み重ねたりくっつけたり離れさせたりすることで、「何か」が見えてきたり、消えていったりすることが特徴です。企画書に「往還し、循環し、停滞し、跳躍し、逆転し、逆流する時間」と書いたのですが、これを実際の行為にすると少年王者舘の手法になります。つまり、「往還」は行ったり来たり、どちらに進んでいるかわからなくなる方向性の欠如状態。「循環」は繰り返し。閉じた円環という構造の中でループしながら状態を変えていくこと。今回はここにウロボロスを使ってみたいと思っています。「停滞」は止まった状態。実際に時間を止めることはできませんが、演劇という虚構を通して時間を止めることで、見えない時間のカタチを可視化させたいと思っています。「跳躍」は一瞬だけ隙間ができること。レコードの針飛びのように、ある流れのなかで少しだけ欠落する部分ができることです。「逆転」は言葉通りの意味で、エントロピーの流れが逆転すると「逆流する」に繋がります。こうした手法は今回も取り入れますし、基本的には少年王者舘が今までやってきたことの延長線上にある作品だと思っています。

 

■演劇と量子力学

1 もうひとつの試みとして、量子力学で扱われている現象と演劇とを重ねあわせてみたいと考えています。本作は、かいつまんで言うと、「なぜこの世界はあってしまうのか」「私はどこから来てどこへ行くのだろうか」という話です。「宇宙のはじまりはどうなっているんだろう」「終わりはどうだろう」「はじまりの前は、終わりのあとは、どうだろう」という子どもの頃に思う疑問と、先端の物理学者が考えていることは、言語にすると同じことですよね。このはじまりや終わりが明確でないことを、演劇という「はじまって終わる」という“枠”がある表現に、量子力学を使って、意識的に構造として取り入れてみようと考えています。でも、量子力学に関する具体的な説明は劇中に一切出てきません。この学問で扱われる現象そのものや、それらがまだ解明されきっていないことが面白いと思っているので、あくまで「よくわからないもの」を演劇に取り入れるためのひとつのキーとして使います。

 

■シンプルな構造に還元できる複雑なことを

 今回は作品の構造に特化したつくり方にしたいと考えています。いつもは、台本をずるずると書いていく途中に作品全体の構造がみえてきて、そのときに初めて構造をうねらせたり捻じ曲げたりするのですが、今回はまず構造ありきで進めたい。そしていつもより「シンプル」にしたいんです。といっても、(ダンス、映像、音響、照明といった)いろんな表現手法を取り払うのではありません。作品構造をしっかりさせると、結果、シンプルになると思っています。わかりやすさとも違います。だから、構造は複雑怪奇に成長させていきたい。アインシュタインの相対性理論の方程式で「E=mc2」(注1)がありますが、これはすごくシンプルな数式なのに、実はものすごいものを孕んでいますよね。こういうシンプルな式に還元できる複雑なことをしたい。短い時間にいろんなシーンが詰め込まれているのに、紐解くとウロボロスの図のような、すごくシンプルな構造が見えてくるものにしたいと思っています。こうした構造が『思い出し未来』というタイトルにも繋がってきます。例えば、「デジャ・ヴュ」は、体験したことがないのに知っているような感覚のことですよね。そうした感覚を想起させる構造を意識的に構築していきたいんです。演劇の表現方法として「どこからが始まりで、どこまでが終わりなんだ」と思わせる見せ方は多々あると思うのですが、その新しい形を目指したいと思っています。

 

(注1)エネルギー=質量 ×光速の2乗のこと。質量とエネルギーの等価性とその定量的関係を表した式。ある物体がこの世から消失すると、ものすごい量のエネルギーに変化するという原子爆弾の理論的根拠にもなった。

 

■「未来を思い出す」ということ

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『思い出し未来』名古屋公演より  写真:羽鳥直志

 『思い出し未来』というタイトルは、「思い出し笑い」の洒落なんです。これは誰もやったことのない洒落だと自負していたのですが、他の人に言っても全く伝わらなくて(笑)。また、「未来を思い出す」という感覚はどういうことかという疑問をぶつけたものでもあります。僕は何かを表現する時に「言葉で言ったらおしまいだ」という考えを持っているんですが、このタイトルは、わざとわかった気になる言葉を使いました。

 僕、本番3日前なのに台本が書けずに追いつめられた状態のとき、「3日後の昼の僕へ。今の僕に向けて、そこにある台本を送ってください」という貼り紙をすることがあるんです。それで未来の自分との約束を絶対に守るんだと思って執筆する。本当に書けたときは、過去の自分に向けて念を送る。オカルトじゃないですよ(笑)。そういう気持ちで書いているんです。でもそのことで、この時間の円環が閉じる。つまり、“未来の思い出”が来るんです(笑)。今作も「私」が、“今”と“過去”“未来”を往還するイメージが強くあります。

 

■「私」という「意識」と対峙する

 ただ、概念としての「私」を描くことを無防備にやってしまうと、すごく縮こまった考えになってしまうと危惧しています。「私」という言葉で説明できてしまう「意識」は、簡単に消せるものではないけれど、それを消す作業をしたい。この意識を上手く利用できないだろうかと思っているんですが、舞台上で、不測の事態をわざと演出してしまうことのあざとさと難しさに似ている。僕は、その延長線上に虚構である演劇が存在しているのではないかと考えています。演劇という表現は、人間というあやふやな生き物がやっているから、毎回同じことを繰り返しているつもりでも、少しずつ違ってくるんです。テキストどおりにやっていても、大きい小さいに関わらずアクシデントが起こるわけです。そのアクシデントすらも、テキストに織り込むというやり方に魅力を感じています。でも、台本として字にすると「意識」になってしまう。だから今は、「意識」を打ち消すために、もう一つの「意識」や「言語」でコーティングしていく作業を進めています。

 

■少年王者舘だからできること

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『思い出し未来』名古屋公演より  写真:羽鳥直志

 舞台美術は、廃工場とステーション(駅)が折り重なったようなイメージにすることは決まっているのですが、実は、(初日2週間前で)台本がまだ2ページしか書けていない。こういう掟破りみたいな状態は、少年王者舘でしかできないと思っています。

 僕は、自分の中にある新しいモノを表出するとき、「つくり手の無意識」を使ったほうが面白いと思っています。(書きはじめた時点で)考えていなかったアイデアが、締切ギリギリ、もしくは締切を越してしまった極限状態に、ニョロッと出てきたりするんです(笑)。それが面白いんですが、その面白さを待ってくれて、それを芝居に導入することができるのが少年王者舘であり、この集団でしかできないことだと思います。

 台本ができていないと役者たちはダンスを創るんですね。1ヶ月まるまるダンスの稽古をしたりするときもあるので、ダンスだけがどんどん先鋭化されていく。少年王者舘をいつもご覧いただいているお客様は、「劇中にダンスがたくさんある」と言ってくださるんですけれども、その理由はこういうことです。

 そして、今回、久しぶりの四都市公演です。そこで劇団の創立時期に活動していたメンバーにゲスト出演してもらうことになりました。少年王者舘はもともと、名古屋、東京、大阪の各都市に分かれた人たちを集めて結成した劇団だったので、今回も各都市の公演ごとに、そこに在住しているメンバーが出演することになりました。長年のファンの方々が聞くと、びっくりするような人も出演しますので、ぜひご期待ください。

 

(2016年1月、大阪市内にて)


 

平成28年度「次世代応援企画 break a leg」参加団体が決定しました。

平成28年度 次世代応援企画 break a leg」選考結果について


参加団体を募集しておりました「平成28年度 次世代応援企画break a leg」につきまして、
たくさんのご応募をいただきありがとうございました。
選考の結果、次の団体がアイホールに登場いただくことになりました。

■団体名【活動拠点】
○夕暮れ社 弱男ユニット【京都】
○ミナモザ【東京】

公演の詳細が決まりましたら、随時ご案内いたします。
今後も、「break a leg」にご注目ください。

柳沼昭徳(烏丸ストロークロック)インタビュー

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平成28年2月6日、7日に自主企画として、Re:クリエイション・プロデュース 烏丸ストロークロック『国道、業火、背高泡立草』を上演します。2013年3月に初演された本作を大幅改訂し、新たなキャストとスタッフで再創作するという本企画。作・演出の柳沼昭徳さんにディレクターの岩崎正裕がお話を伺いました。


 

■復讐譚のもう一歩先へ

岩崎:今回、「Re:クリエイション」という名で再創作に取り組まれていますが、初演作とどのように違ってくるのかお聞かせいただけますか。

柳沼:初演の三重公演のアフタートークで、岩崎さんから「前半はすごくいいが、後半になるにつれスタイルが変わっているね」という指摘をいただきました。初演は上演時間が約90分で、前半部60分、後半部30分という構成だったのですが、実は各方面からも岩崎さんと同じ指摘があったんです。僕自身も同じように感じていましたので、今回、後半部分を改訂することが大きなトピックになっています。

岩崎:「大栄町(だいえいちょう)」を舞台に、その町を逃げるように去っていった大川祐吉という男が、生まれ故郷に帰ってくる。そして、昔の人間関係を踏まえながら、彼と町に起こった出来事を語るというのが中盤ぐらいまでですよね。

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柳沼昭徳

柳沼:後半は、「ビンボーのユーキチ」と呼ばれていたその男が、マルチ商法で一儲けして「お金持ちのユーキチ」として帰ってきて、「大栄町」で町おこしという名の復讐をするという内容です。今回、改訂するにあたり、「復讐する」だけを最終目的にしないことにしました。復讐譚にすると、観客の感想は「祐吉さん大変でしたね」で終わる可能性が高い。そうではなく、どこか引っかかるポイントをつくって、観客自身が自分の生活や日常を振り返ったり、何かを考えたりするきっかけにしてほしいと思いました。だから、復讐譚のもう一歩先を描くことが、今回の大きなテーマです。新しい登場人物も出ます。Iターンで「大栄町」にやってきた中年タクシードライバーで、その人が祐吉に強い影響を与えていきます。初演作は、貧乏だった祐吉が町に恨みを晴らす方法を、生まれ変わり=お金持ちという構図にし、でもどんなにお金があっても空しいよねという終わり方にしていました。今回も、演劇で経済を描くことは変わらないですが、消費社会や資本主義社会だけではないというところも描きたいと思っています。

岩崎:作者の視点が、祐吉側ではなく、もう少し俯瞰的なものになるということですね。

柳沼:日本の資本主義社会を大いに忌み嫌う作品になればと思っています(笑)。

岩崎:後半を丁寧に描くということは上演時間も変わる?

柳沼:休憩込みで約2時間30分。二幕構成にして、祐吉が「大栄町」に戻ってきてからの時間を丁寧に描きます。

 

■「大栄町」のモデル

岩崎:「大栄町」は架空の町ですよね。でも、日本は都会より田舎である町が多いわけで、この作品を観たときにすごく普遍性があると感じました。なぜ、こういう設定にしようと思われたのですか?

柳沼:最初のきっかけは、2010年に上演した短編集『仇野(あだしの)の露』の一編『怪火』という作品です。マルチ商法でお金を儲けた男が、警察に捕まる直前を描いたもので、ここには「祐吉」も「大栄町」も登場しません。このあとの短編『火粉、背高泡立草』(2012年)で、初めて両方の名前が登場します。実はモデルにした町がありまして…。

岩崎:それ、是非聞きたいですね。

karasuma_5柳沼:新作を立ち上げるにあたりフィールドワークを行った場所で、元・自民党の野中広務さんの出身地が北部にあって、昭和の時代に揺れ動いた地域です。野中さんの伝記を読むと、自身の生い立ちや国政に出るまでのプロセスが書かれていてとても興味深い。被差別部落出身で、勉強を頑張って高校を出て国鉄に入社したけど、地元の力になりたいと思い町会議員に出馬、町長にもなられて京都の府政にも携わり国政に進むという、わかりやすいぐらい政治の世界でのサクセスストーリーを歩まれた人なんです。

岩崎:自民党の真のリベラルを背負ってらっしゃいましたからね。

柳沼:当時の京都府政は共産党が強くて、同和対策事業を積極的に推し進めていたのですが、野中氏はその政策に対しては批判をしている。でも自身は政治家として、同郷の人たちが営む建設業とかに便宜を図りまくっていて、その矛盾が「昭和だな」と。でも、すごく人間的な魅力を感じました。作中には野中さんをモデルにした人物は具体的には登場しませんが、そういった人を輩出した町を舞台にした作品を書いてみようと興味が湧きました。

岩崎:「大きく栄える町」というのはアイロニーだよね。昭和の高度成長期を通りすぎたあとは、もう寂れてしまっているけれど、名残りとして「大栄町」という名前が残っているという。

柳沼:いまは悲しき…みたいな。

岩崎:日本のどの地域にでも、ひとつやふたつはそういう町はあるよね。だから、どこにでも当てはまる物語だと思う。

柳沼:モデルとしたのが京都の北部の田舎町だったので雰囲気がわかるか心配だったんですが、初演の広島での反応がすごく良くて、上演して初めて普遍性をもった作品であることがわかりました。

岩崎:柳沼さん、ご出身はどちらなんですか?

柳沼:京都市内です。

岩崎:ああ、だから書けるんですよ。書くべき作品と自分との距離がきちんと取れていると感じるもの。作者が地方都市出身だと、切り口が違ってくると思う。僕は鈴鹿市出身だから、この作品は田舎の痛いところを突いてくるなっていう印象があって。でも、この町の佇まいはとてもよくわかるし、共感できました。

 

■「大川祐吉」が生まれた経緯

柳沼:短編集を上演したころ、京都にある山あいの集落で劇団の合宿をしたんです。そのときに、谷を隔てた向こう側にお城の天守閣を発見しました。WEBで検索しても誰の城なのか全く情報が無い。地元の人に尋ねたら、歴史的な建造物でなく、どうやら右翼の人が造ったもので、今は空き家になっていると。「家なの? 住んでいたの?」と興味が湧いて近くまで行くと、実際は二階建ての家で、そのうえ、林道を隔てた反対側には、街宣車が錆だらけで放置されていて…。

岩崎:うわー。一つの思想の滅びの姿やね…。

柳沼:「昭和やな」って感じました。庭には、犬のゲージがいっぱいあったので、ブリーダーもやっていたようで。お城なのに、なぜか家紋は菊の御紋。廟所と書かれた場所には、お墓を建てようとしていた形跡も残っていて、墓石には「源氏家臣なんとかの末裔」っていうのと、持ち主の本当の家紋が彫られていて…。もう無茶苦茶ですよね(笑)。

岩崎:そこの人、どうなったんだろう。気になるね。

karasuma_1柳沼:地元の人にもっと聞きたかったのですが、ちょっと触れてはいけないニオイがしたので、ネットで隅々まで必死になって調べました。詳細は出てきませんでしたけど、その建物が差し押さえ物件として競売にかかっていることはわかりました。結局、すべてが「そうだったかもしれない」でしか語れないのですが、そこにはものすごい非日常があったわけです。イマジネーションが湧いてきちゃって。それで、田舎の右翼の今を書こうと思ってつくったのが『火粉、背高泡立草』でした。

岩崎:そこが入り口やったんですね。

柳沼:舞台は国会議員を輩出した町。そこにブリーダーで街宣車に乗っていて荒々しくて、自分の本能にしたがって生きている男がいて、きっといろんなところに女をつくって、でも綺麗なクラブのママとかじゃなくて貧相な女を囲っていて・・・と想像して。そして、そういう男を親に持った子どもは一体どういう人物だろう、その想像から生まれたのが「祐吉」でした。

 

■対話する「場」を創る

岩崎:柳沼さんは、劇団活動とは別で、地域で出会った方々と作品創作をされていると伺ったのですが、それはどういった作業なのですか?

柳沼:知立や津や四日市などで市民劇をつくったときに出会った人のなかで、地元に活動できるフィールドがない人や、僕と一緒にやりたいと言ってくれる人と、月に1~2回集まっています。演劇をつくるうえで、物理的な距離はネックになるんですが、そこを乗り越えて作品をつくれないかを模索しているところです。ただ、この集まりの大きな目的は、作品の発表だけでなく、それぞれが各地域で表現者として自立することと、何かを考えたり世の中を疑ってみたり、日々をちょっとだけ慎重に生活を送ってもらうことだと僕は思っています。そういう営みこそが文化的であると思いますし、そういう人を一人でも増やしたいと思い、「場」をつくりました。だからメンバーが集まると、ワークショップもしますが、この前こういう本を読んだとか映画を観たとか、安保法案や政治的な話や、世の中こんなことになっていますけど僕はこう思うという「対話」が多い。メンバーで対話をする癖をつけて、共有事項を増やして、それを作品創りに活かしていけないかと思っています。

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岩崎正裕

岩崎:今、求められているのは、まさにそういう場所じゃないかと僕も思っています。安保法案について活発な議論をしましょうと言っても、会社や職場では絶対できない。会社でも家でもなく、利害のないところで語り合う「場」が、この国では不足していると思うんだよね。

柳沼:3.11の震災以降、コミュニティが必要だと声高に言われるようになりましたけど、僕たちに必要なのは、少数派の人たちが集まれる場所だと思うんですよね。そこにいることで安心できるような場所。やってみて、自分の考えていることを喋るだけでも「場」として成立するという実感があります。そして、そういうところから演劇作品を創ってみたい。メンバーで劇団をつくって活動しようとは全く考えておらず、ただ集まりたいから集まっている。愛知、三重、京都から集まって、20代前半から50代前半までと年齢もバラバラで、既婚者、独身といろんな人がいる。気が合う合わないでなく、こういうところで繋がっていくのは、ひとつの実験だと思っています。

岩崎:壮大な実験ですよ。でもそれは、地域だからできることだし、柳沼さんが作品をつくるうえでその作業が必要だと思っているからできることだと思う。

柳沼:でも、僕の2000年代後半の作品には、経済的な目的や利害関係じゃないところで人が集まって、形の無いものを信じるって気持ち悪いことだよね、みたいな考え方が実は滲み出ているんです。オウム真理教の事件やその後の彼らの動向を知ると、そういう人の集まりに対して、疑念や危機感を持っていた頃があって。

岩崎:21世紀初頭は、社会的にもそういう見方が強かったよね。

柳沼:今は、逆にこういった集まりを肯定したいと思うようになりました。

岩崎:オウムの人たちの当初の目的すべてを否定しないと社会は気が済まなかったのかと、僕もすごく疑問に思う。そこは分けて考えましょうよ、と思うね。柳沼さんが、経済的な繁栄が終わった町に対し経済によって復讐するというドラマを、疑いをもって「リ・クリエイション」しなきゃいけない理由も、今おっしゃったあたりにあるのではないかと思います。柳沼さんご自身が、経済活動に頼らない、なんらかの人の集まり、そこから始まるものに期待感を持っているんでしょうね。

柳沼:そうですね。

岩崎:じゃあ、今後は創作スタイルが変化していくかもしれない?

柳沼:スローガンを言うならば、集団でのモノづくりを突きつめていきたい。今までのように、お金をかけて演劇をつくる作業をしばらくしないでおこうかとも考えています。スタッフも外部に頼まず自分たちでやるみたいな。もう一度、駆け出しのころに戻るようなスタイルです。

岩崎:本当に、集まった人たちで何ができるかを真剣に考えているんだね。自分たちで照明も音響もするとなると、アングラのムーブメントに近づいていくのでは。

柳沼:やり方を間違えると疲弊していくばっかりになるので、持続可能な活動を目指したいと思っています。お金をかけないと言っても、やっぱりかかりますからね、演劇は。

 

■変わるところ、変わらないところ

柳沼:改稿作業が進むにつれ、祐吉は“業火”に包まれて、文字通り、火だるまになって燃え尽きてしまえばいいのにと思っているんですよ。

岩崎:えっ、どういうこと?

写真:西岡真一
写真:西岡真一

柳沼:祐吉は資本主義経済に翻弄された人の象徴。追われた町に対して、お金で復讐をするけれど、結局それだけでは何も解決しない。祐吉が燃えてしまうことで、消費社会に対してのアンチテーゼにならないかと思っていて。

岩崎:柳沼さんの作家としての立ち位置が面白いよね。だって、自分と対極にある人物を書かなきゃいけないんでしょ。やり方として、作家の主張を担う人をもう一方につくって、祐吉を燃やしちゃうこともできるんだけど、柳沼さんはその人を出さないんだよね。つまり、柳沼さんの主張は巧妙に隠されている。それが観ていてドキドキする部分だとも思う。

柳沼:観客にそう思ってもらえたら嬉しいですね。

岩崎:観客はきっと祐吉とともに揺れると思うよ。彼の視線で物語を追いかけちゃう人もいると思う。彼は善なるものじゃないけど、人間としての本質的な魅力があるんだよね。それは演じてらっしゃる桑折さんの魅力かもしれない。キャストも変わるんですよね。

柳沼:初演に引き続き出演するのが、桑折さん、今井さん、阪本。新しく加わるのが、小熊さん、イトウさん、新田さん、浅井さん。初演は6名でしたが、新しい登場人物が増えて7名になりました。

岩崎:阪本さんの役は初演と変わらず?

柳沼:はい。祐吉の元恋人の伊織です。

岩崎:祐吉と伊織のシーンが妙に艶めかしいんだよね。あのシーンをもっと観たいという個人的な欲望もあります。それに伊織からは、地方にずっといなきゃいけない女性の心根みたいなものが漂ってきて、自分の高校時代の彼女とかを思い出しちゃう。そういうところも本当によく書けているんだよね。セットや美術も変わるんですか?

柳沼:四角形の舞台でその周りをぐるぐる歩いたり、客席から舞台を見下ろすという基本構造は同じです。今回は舞台美術を杉山至さんにお願いしましたので、そこに美術家の個性が入ってきます。

岩崎:お客さんはかなり高いところから舞台を観るんだけど、あの視点は面白いよね。

柳沼:祐吉側に寄り過ぎず、神の目線のように客観視してほしいんです。

岩崎:それと同時に、観客を油断させている印象もあった。見下ろしの目線で観ることで、自分の方が優位にいるぞってことを担保させている。それなのに舞台から揺さぶってくるものが大きくて飲み込まれそうになるんだよね、この作品は。

柳沼:ありがとうございます。

岩崎:どんな作品に深化しているのか、楽しみにしています。

(平成28年1月 アイホールにて)

 


劇団ユニットWOW!!
10周年記念公演『消えゆく花のように』

令和7年10月17日(金)~20日(月)

令和7年
10月17日(金)19:30
10月18日(土)13:30/17:30
10月19日(日)13:30/17:30
10月20日(月)14:00
※受付開始は開演の1時間前。開場は開演の30分前。
※入場順は事前決済のお客様からになります。
※当日精算のお客様は当日受付順のご入場になります。

同時開催
「WOW!!10年の軌跡展示会」


『プロにならへん人は踊ったらアカンの?』
ようやく子育てを終え、趣味の新舞踊を愉しむ美幸は、今年も発表公演の準備に追われている。
ところが、定年退職した夫の貴之が家にいるようになり、家事をはじめ日々の些末なことにも口を出すようになり、対応に追われて思うように準備に集中できない。
なんとか発表会のリハーサルを迎えた当日。
相部屋の楽屋では、他の会の人たちがこれ見よがしに舞踊論を説いたり、終始無言で謎の儀式のような稽古をはじめたりと不穏な様子。
支え合うはずの踊りの師匠や仲間たちも、家庭のいざこざで皆、疲れから思わぬ失敗を繰り返す。
そんな様子を見た貴之は、美幸に今年限りで新舞踊を辞めるよう告げるのだった。
プロを目指さない舞踊家たちは、悲喜こもごも乗り越えて、無事に幕を上げられるのか?


■料金/
一般 4,000円
U25 2,500円(要証明)
当日 4,500円


【伊丹市民割引あります】
伊丹市民割引(事前予約・要証明)
一般 3,200円
U25 1,700円


 

令和7年度からの舞台管理人件費価格改定について

 

平素は伊丹市立演劇ホールをご利用いただきまして誠にありがとうございます。

さてイベントホールご利用時の舞台管理人件費に関して、これまで価格の維持に努めてまいりましたが、昨今の労務コストの高騰、また舞台技術者の人手不足もあいまって、価格改定に踏み切らざるを得なくなりました。

大変心苦しい限りではございますが、令和7年4月1日ご利用分より下記の通り改定させていただきます。

ご利用の皆様には諸事情をご賢察のうえ、なにとぞご理解を賜りますようお願い申し上げます。

 

 

舞台管理人件費
1名につき(税込)

 

現行料金
令和7年3月31日ご利用分まで

 

改定料金
令和7年4月1日ご利用分から

 1区分(午前 or 午後 or 夜間) 18,150円 18,700円
 2区分(午前午後 or 午後夜間) 20,350円 22,000円
 3区分(午前午後夜間通し) 23,100円 25,300円
延長1時間につき   3,300円   3,410円

 

伊丹市立演劇ホール

TEL 072-782-2000  FAX:072-782-8880
E-MAIL: info@aihall.com

 

舞台管理者:株式会社エスエフシー

平田オリザ(青年団)インタビュー

 

平田オリザ(青年団)

 

 アイホールでは2月19日(金)~22日(月)に提携公演として、青年団第74回公演『冒険王』『新・冒険王』を上演いたします。作・演出の平田オリザさんに作品についてお話を伺いました。


 

■『冒険王』について

 本作は唯一自分の経験をもとにして書いた戯曲です。1980年、バックパッカーたちが溜まるイスタンブールの安宿を舞台に、西にも東にも行けない中途半端な日本人たちの青春群像を描いています。

 トルコの首都イスタンブールは、インドからヨーロッパへ、あるいはヨーロッパからインドへ行く人たちが必ず立ち寄る、結節点みたいなところなんです。ところが、1982年にソビエト軍のアフガニスタン侵攻とテヘランのアメリカ大使館占拠事件が起こり、白人がイランから東に入れなくなってしまった。この影響で、イスタンブールからイランの首都・テヘラン行きの直行バスが出なくなってしまいました。日本人がイスタンブールからテヘランに向かうには地元のバスを乗り継ぐしか方法がない。しかも、イランは日本人が入れたり入れなかったりする状態が続いており、非常に宙ぶらりんな状態で多くの日本人が足止めを食らっていたんです。そのため、イスタンブールはインド方面へ行こうとして足止めを食らう人たちとイランからやってきてヨーロッパに向う人たちとが溜まってしまう状況になりました。僕は自転車で世界【青年団】『冒険王』一周をしていた時に、たまたまそこに居合わせ、10日間ほど滞在しました。エピソードの半分くらいは、その時の実体験に基づいています。

 本作は僕のお芝居では珍しく、いろんな時事ネタが入っています。山口百恵が婚約したニュースなど、今上演するとかなり古い時代の内容ですが(笑)、実際に上演してみるとそれほど違和感はありません。

また、過去の公演写真を見ていただいてもわかりますとおり、舞台が二段ベッドでグルっと囲まれていて、僕の演出上の最大の特徴である同時多発の会話が立体的に、いちばんダイナミックに繰り広げられる作品でもあります。

 

■『新・冒険王』について

 韓国には、PARKという劇団があり、パク・カンジョンさんという方が主宰をされていました。彼はテレビドラマで主役を務めるほど人気のある俳優で、大学で教えたり、舞台の演出もしていました。劇団PARKは『東京ノート』を翻案した『ソウルノート』という作品を上演し、それが大ヒットして5年くらいソウルでロングランを続けていました。その後、『ソウルノート』の日韓合同バージョンを創ったりしたんですけれども、10年程前に彼から「一緒に新作をつくりたい」という話がありました。その時に僕が『冒険王』の話をして、この作品を題材にしたらいいんじゃないかと提案しました。

oriza28_2 海外に行くと、バックパッカーの安宿では、日本人と韓国人が同じ部屋にされることが多いんです。『冒険王』と全く同じセットの一室で、今度は2002年に時代を移し、アメリカ軍のアフガニスタン侵攻で足止めを食らった日韓のバックパッカーたちの話にしようというところまで話は決まっていました。パク・カンジョンさんは僕と同い年だったのですが、残念ながら彼は癌で急逝されてしまい、新作をつくる話は立ち消えになってしまいました。

 共同脚本・共同演出のソン・ギウンさんは日本に留学された経験があり、僕の作品をたくさん翻訳してくださっている方です。そもそも遡ると、パク・カンジョンさんが教えている大学の卒業公演で『東京ノート』を上演することになり、その翻訳を彼に頼んだことがきっかけだったんです。今では、彼の翻訳で僕の韓国版戯曲集も出版されています。2013年には東京デスロックの多田淳之介くんと『가모메 カルメギ』という作品を創っていて、多田君はこの作品で日本人初となる東亜演劇賞という演出家賞を受賞しました。今年、二人が再び共作した『颱風奇譚(たいふうきたん)』をご覧になった方も多いと思います。3年ほど前にソン・ギウンさんとお話しした際に、頓挫してしまった『新・冒険王』をやろうという話になり、亡くなったパク・カンジョンさんの弔い合戦のような形で上演が決まりました。

 

■日韓ワールドカップを通して見えた“日本人”

 ソン・ギウンさんと『新・冒険王』をどういう話にしようかと考えた時に、時代を2002年に設定するなら、その年に行われた日韓共催のワールドカップに触れないわけにはいかないだろう、ということになりました。

 よく調べていくと、2002年6月18日、トルコ時間でいうところの午前中に日本がトルコに負けており、午後には韓国がイタリアに勝っています。韓国‐イタリア戦は延長戦になったのですが、当時のワールドカップは今と違ってゴールデンゴール方式(サドンデス方式)だったので死闘となりました。試合でイタリアが最初に先制したところから、最後に韓国が決勝のゴールを入れて勝つところまでちょうど2【青年団】『新・冒険王』時間あり、本作はこの2時間をリアルタイムで描くお芝居になっています。宿にはロビーにしかテレビがない設定で、韓国人たちはそこで試合を見て盛り上がっており、ハーフタイムや延長戦の間にベッドのある部屋に戻ってくる、日本人は午前中のトルコ戦に負け、同じ部屋でずっとしょんぼりしているという構造になっています。その中で、やはり東にも西にも行けない日本人と韓国人の姿が描かれています。本作のキャッチフレーズには「日本はまだアジア唯一の先進国の座から滑り落ちたことに慣れていない。韓国はまだ先進国になったことに慣れていない」と書いています。

 韓国がイタリアに勝った時点では、日本のマスコミはもちろん一般の人たちも「韓国礼賛」の風潮だったのですが、試合終了あたりから「インチキをしているんじゃないか」「あれは試合を買収したんじゃないか」という意見が出始め、次のスペインとの試合で勝ったあたりから「韓国陰謀説」みたいなものがワッとネット上に情報として流れました。客観的に見ると、非常に典型的であり、ものすごく情けない日本人というものが見えてくるわけです。現在に至る嫌韓イメージの源流は、この2002年のワールドカップにあったとも言われており、この作品には、そういった出来事の原点が描かれています。

 

■『新・冒険王』の創作過程と韓国公演での反応

oriza28_4 今回の稽古場はとてもおもしろくて、僕が韓国人の俳優に演出する時は韓国語でしゃべり、通訳の方が日本人の俳優に伝えていました。ソン・ギウンさんも日本語ができるので、日本人の俳優には日本語で演出をつけ、通訳の人が並行して韓国の俳優に伝える形で進めました。演出は基本的には僕が全部行い、韓国の俳優が出演したり、韓国語が出る部分はソン・ギウンさんが後から仕上げていきました。台本はもっと複雑で、一旦、僕が書いたものをソン・ギウンさんが全部書き直して、それからお互いの国の台詞の部分についてもう一回それぞれが書き直しを行い、進めていきました。

 『新・冒険王』の韓国公演は、予想していたとおり、日本以上に笑いが多かったですね。韓国には徴兵制があって、大学の学年暦に関係なく徴兵の指令が来るため、区切りの良い学期から戻るのに2~3ヵ月期間が空いてしまうことがあるそうです。そのため、徴兵の前後に3ヵ月から半年くらい長期旅行へ行く人が結構多いんです。 

 本作の登場人物には、そういう人たちが何人か出てきます。作中で出てくる徴兵制の話題も日本人から見ると到底笑えない話なんですが、韓国では何がおもしろいのかと思うほど爆笑でした。笑うしかないような“徴兵ネタ”が昔から本当にたくさんあるようで、日本ではあまりウケないけれども韓国ではウケる、といった部分は意図して書いていますね。

 

Q&A

Q.『冒険王』の1996年の初演から今回の再演に至る20年の間に、日本人を描く姿で変わったところはありますか。

 初演から5年後の2001年に再演をしたんですが、その時点で既に意味合いが変わってきていました。自分でも意識してつくっているんですが、この作品はゴーリキの『どん底』にちょっと似ていると言われることがあります。僕は自転車で世界一周するという“冒険ごっこ”みたいなことをしていたんですけれども、そういう旅行ってずっと続けているとどんどん日常になっていっちゃって、本当にダラダラしてくるんですね。1996年の初演時は、そういうダメな人たちの話としてつくったつもりだったんです。ところが、2001年になってくるとそういう旅行者たちも「日本でちゃんと働いてお金貯めて旅行している。今の若者としては積極的じゃないか」という話になってしまって、相対的に作品の軸がズレてしまったところはあります。

 80年代は就職するのが当たり前の時代でしたから、海外に出ること自体、結構大変だったし人生の半分を捨てるようなものでしたので、いうなればひとつの“冒険”だったんです。ところが、今の時代は就職しない選択もあるし、就職できない人も多いですよね。「就職」に対するイメージの変化が影響しているところもあると思います。

 

Q.日本人のアイデンティティについて描かれた『冒険王』が、韓国の若者に受け入れられたのは、理由があるんでしょうか。

 韓国は日本以上に早いスパンで成長してきた国なんですね。2015年に『国際市場で会いましょう』という映画がヒットしたんですけれども、その作品の前半では「貧乏だから植民地化されたんだ」「国が弱いから分断されたんだ」といったことが描かれています。常に「貧乏だから」「弱いから」ということが成長のモチベーションになっていて、後に「漢江ハンガンの奇跡」といわれる高度経済成長を成し遂げたわけです。しかし、1990年代末には大きな通貨危機を経験することになります。この出来事は、韓国にとって日本には想像できないほどの大きな挫折だったんですね。その後、徹底的な経済優先政策を取るようになり、財閥を優先して極端に資本を集中させることで経済は急回復しました。しかし、その政策の影響で国内では今、ものすごい格差が起こってしまっています。

 こういった時代を経てきた韓国の若者たちは日本以上の屈折があるわけです。「軍事独裁政権を倒して民主化し、左翼政権まで実現したけれども、結局こういった状況になってしまった。自分たちは何を求めていたんだろう」と。ある意味で言えば、アイデンティティの喪失は日本の若者よりも大きい。そういった点において『冒険王』は非常に受け入れられたんじゃないかと思います。

 

Q.韓国の人たちにとっても、現代口語演劇の言葉の使い方や同時多発的な演出というのは理解されているのでしょうか。

 僕たちは1993年に『ソウル市民』で初めて韓国公演を行いました。何か反発があるんじゃないかと思ったんですが、反応すらなかったですね。青年団自身もまだ日本でそんなに有名ではなかった時代でした。何しろ当時は関西公演もまだしたことがなくて「大阪はソウルよりも遠い」と僕たちは言っていたので(笑)。その後、2002年に日韓合同公演として創った『その河を越えて、五月』は日本と韓国両方で大きな演劇賞をいただくことができ、その時期からやっと現代口語演劇というものが認められるようになりました。数年後には劇団PARKで『東京ノート』を翻案した『ソウルノート』が上演され、大ヒットしました。韓国で有名なパク・カンジョンさんが手がけた作品ということもあり、ロングラン公演の中で韓流スターが入れ替わり立ち替わり出演し、話題を呼んだことで作品が知られるようになりました。

 今では僕が書いた初期の評論が翻訳出版され、『演劇入門』など大学の教科書として使われるようになりました。ソン・ギウンさんをはじめ、僕と同じような演出方法を行っている人もいますし、僕が韓国の大学で、ワークショップや授業で教える機会もあります。韓国公演のアフタートークで話していても「なんでいろんな人が同時にしゃべるんですか」といった質問は出てきません。そういったところから見ても、僕の演劇様式は、韓国でも理解されていると思います。

(2015年12月、大阪市内にて)


 

Pôya Day Dance Performance
『~木洩れ月よ…~』

令和7年10月24日(金)~25日(土)

令和7年
10月24日(金)15:00/19:30
10月25日(土)16:00

※開場及び受付は、開演の30分前。


■料金/
前売  2,000円
当日  2,500円
学生券 1,000円

全席自由


【伊丹市民招待あります】

伊丹市にお住まいの方、各公演3名様(抽選)を招待いたします。

■応募方法
下記アドレスへ、住所・氏名・連絡先(メールアドレス)を明記し、9月30日までにお申込みください。

E-mail:pddp.kikaku@gmail.com


 


演劇集団MALACHITE 第5回公演
『揺蕩う明日にiはなく』

令和7年10月31日(金)~11月2日(日)

令和7年
10月31
日(金)15:00(公開ゲネ藍)/19:30(愛)
11月1日(土)13:00(藍)/17:30(愛)
11月2日(日)13:00(藍)

※開場は開演30分前
※上演時間120分予定


あらすじ

「幸せは天使が運んでくれる。そう思ってた。」
 
ウエディングプランナーの白浜藍には婚約者がいる。
未来を語らい幸せを感じていた2人にとある事件が起こる。
そしてそんな彼女の前に死神を名乗る者が現れる。
揺蕩う藍はどんな明日を迎えるのか。
演劇集団MALACHITEが送る青春ファンタジー。

■チケット

前売り S 席 4500 円
前売り A 席 4000 円
学生 A 席 2000 円
公開ゲネ S 席 2500 円
公開ゲネ A 席 2000 円
 

※当日券各種+500円
※本公演は『五色の栞』S席特典による割引の対象外です。


【伊丹市民特典あります!】
 伊丹市在住の方を各回先着1名招待いたします。
 受付時にスタッフにお声掛けください。


平塚直隆(オイスターズ)インタビュー

 

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2013年「次世代応援企画break a leg」の参加団体として、『日本語私辞典』でアイホールに初登場した名古屋の劇団「オイスターズ」。1月22日~24日に新作『この声』で、再登場します。座付作家・演出家の平塚直隆さんにディレクターの岩崎正裕がお話を伺いました。


 

■タイトルを「五感」で“しばる”こと

岩崎:「五感シリーズ」と銘打っていますが、そこから今回の作品についてお話しいただけますか。
平塚:五感とは人間が感じる五つの感覚のことです。僕は、書きたいことが溢れでてくるタイプではないので、書くことを探す作業から始めるんです。近年は題名に“しばり”をつけることにしています。「漢字一文字」とか「ひらがな7文字」とか。僕の場合、まずタイトルを決めてから、これは一体どういう話なのかを考えていく方法をとっています。この「まずはタイトルをつける」というのは、僕が強く影響を受けている北村想さんの著書に書かれていて、それを実践しています。この流れで、今年の“しばり”は「五感」にしました。そうしたら、五作品はつくれると思いまして(笑)。
岩崎:今回で何本目ですか。
平塚:四本目です。シリーズの作品内容が繋がっているわけではなく、一本一本が独立した作品になっています。最初が嗅覚を使った『あの匂い』という作品。次が『その味』という味覚の話で、視覚を扱った『みるみるうちに』は外部団体に書き下ろしました。そして今回の『この声』が聴覚で、このあと外部に書き下ろす作品で触覚を扱います。
岩崎:書いた順番は何か意図があるの?
平塚:書きやすい順です(笑)。匂いは記憶との結びつきが一番強いと聞いたので、ノスタルジックな話が作れそうだと思ったのが最初です。オイスターズの本公演では『あの匂い』『その味』と指示語を使っているので、今回のタイトルも『この声』としました。
岩崎:つまりは、「聞こえるもの」としての「声」というわけですね。
平塚:そうです。

 

■『この声』で企てる仕掛け

平塚直隆
平塚直隆

平塚:タイトルが決まると、次は「この声」ってどんな声かな、どういう話かなって、漠然と考えはじめるんです。最初は、誰かがどこかに閉じ込められていて「助けてくれ~」と声を発しているのに、誰も助けてくれないという状況を考えたんです。だけど、それよりも周りに人がいるのに、主人公がどんなに話しかけても無反応だったり、全然伝わらなかったり、返事が返ってこないような状況のほうが面白そうだと思い、こっちの方向性で進めることにしました。
そこで、ゾンビの世界になっている設定にすればそういう状態をつくれると思い、フェンスに囲まれた高校のグラウンドを舞台に、ゾンビたちがそのフェンスをガシャガシャしていて、それに向かって主人公が「皆さん落ち着いてください!」と声をかけまくる芝居にしようと思いました。でも、これでは主人公だけが喋りっぱなしになってしまって、ちょっと書きづらいことに気づきまして(笑)。最終的には、高校の美術準備室を舞台に、美術教師が絵を描いていたら、一人の女子生徒がやってきて、「私の友達がゾンビになりそうなんです。どうしたらいいと思いますか」と相談にくるところから始まる物語にしようと落ち着きました。
岩崎:グラウンドの周りにフェンスがあって、ゾンビに囲まれているところって、『ウォーキング・デッド』(*1)の雰囲気がしますね。

 

 

*1=2010年より放送されているアメリカのテレビドラマ。ゾンビによって終末を迎えた後の世界を舞台に、少人数の生存者たちが安住の地を求めて逃れの旅を続ける物語。現在はシーズン6まで続いており、日本でも人気を博している。

 

 

oysters_2705平塚:美術教師はそもそもゾンビを知らないので、女子生徒はまず説明をするんです。健全な人がゾンビに噛まれるとウイルスに感染してゾンビ化すること、それも噛まれた途端になるのではなく、時間をかけてゆっくりとゾンビになっていくこと。最後は意識が無くなり、一度死んだあとにゾンビとして生き返ることなどです。
その生徒の相談は、「私の友達がだんだんとゾンビになりかけている段階で、ゾンビになる前に殺してほしいと頼まれた。私は彼女と友達だから今の状態ではとても殺せない。ゾンビになってから殺したい。先生、どうしたらいいですか」という内容なんですね。教師は、本当は絵を描きたいという自分の気持ちを優先したいんですけど、教師という責任感でもって、「ゾンビになってしまう前に縛り付けておいて、ゾンビになったところを殺したらいいんじゃないか」とアドバイスをするんです。すると、「わかりました」といって、生徒が去って行きます。
教師が絵の続きを描いていると、別の女子生徒がやってきて「友達が、私の友人をいじめているんですけど、どうしたらいいですか」と相談されます。よくよく話を聞くと、さっき教師がアドバイスした生徒のことだったので、「友達がゾンビになる前に縛ったらいいって、アドバイスした」と言うと、その生徒は「そういうことなんですね」と納得して去って行くんです。
その後、また別の女子生徒が「私は死んだらどうなるのか教えてほしいんです」と相談にやってくる。それで教師は「死んだら天国というのがあってね・・・」と答えていく。
オイスターズそのうち、どうやら三人の女子生徒は別の場所で一緒にいて、ゾンビになる話をしているようだということがわかってきます。一人ずつ教師のところへ相談にやってきて、懇切丁寧にアドバイスを受けて、生徒は納得して去って行くんです。どうやら向こうでは三人で別の話し合いもされているようで、生徒が教師のもとに相談に戻ってくるたびに、なぜか内容が少しずつ変わっている。「先生は確かにそうアドバイスしたけど、そっちの話し合いでは一体どうなっているんだ。ここで三人が一緒に話をしてくれればいいのに」と思うんですけど、一人ずつしか来ないから話が余計にこんがらがっていく…。
そして、それが繰り返されることで、どんどん教師自身が窮地に陥っていくという設定です。ゾンビになるかならないかという問題を根底に置きつつ、教師と生徒との会話のなかで、主体と客体が逆転するような仕掛けをつくりたいと考えています。
岩崎:平塚さんの「語り」って、とっても真摯なスタイルだよね。今の話をもっともらしくいうなら、「コミュ二ケーションの断絶の話です」とまとめることもできるんだけど、平塚さんはそう言わない。言葉でまとめたって戯曲にはならないから、順序立ててそのシチュエーションを説明することしか劇作家ってできないんですよね。だから、本当に骨の髄まで劇作家だって感じがします。

 

■「この声は届いているのか」を主軸に

岩崎:美術準備室という、すごく密室性がある空間を選んだのも面白くなりそうですね。
oysters_2707平塚:僕の高校の担任が美術の先生でした。授業が終わったあともずっと絵を描いている先生で、どんな絵を描くのだろうと思って見たら、ヌードだったんですよ。その印象がものすごく強く残っています。
岩崎:僕も『空の絵の具』(1996年)という作品で美術準備室を舞台にしたことがあります。美術部員だった人たちが準備室に集うという同窓会ものです。そのとき思ったんだけど、美術準備室ってエロチックなんだよね、空間が。美術室という開かれた教室では交わされない会話が、準備室では交わされそうだと思わせる。

平塚:あー、そうかもしれないです。教師と女子生徒の会話も、やっぱりちょっとエロチックなものになっちゃってます。

岩崎:でしょう(笑)。男の先生が絵に没頭していて、そこに女子生徒がやってくるというシチュエーションだけで、もうエロチックですよ。僕が今回のシチュエーションを敢えて批評的にいうと、まずエロチック=生命があります。そこに「ゾンビ」という死に傾斜していくキーワードが出てくる。つまり、生と死のせめぎ合いのドラマなのではないかと思うんです。あと、外から持ちこまれる情報が全部違うっていうのは、芥川龍之介の『藪の中』の構造ですよね。
平塚:もう、まさにそうです。観客には、先生の立場で観てほしくて、それで混乱に陥れられていく構図にしたいと思っています。美術教師の「声」は女子生徒に届いているのか、僕は日本語を喋っているけど生徒には伝わっていないのではないか、どれだけ話しかけても相手には届いていないのではないか、そういう方向に持っていきたいと思っています。
岩崎:伝わらない、かみ合わない会話って実際にありますよね。あと、実際の先生が見たら、ある種の「寓話」として、教師と生徒とのディスコミュニケーションにみえる可能性もあるかもしれませんね。ここからの展開が興味深いです。
平塚:どうやって会話だけで相手に思い込ませたり、見ているお客さんを信じ込ませるかということは、特にこだわってつくっていきたいと思っています。

 

■より多くのお客様との出会いを

岩崎:オイスターズが関西にいらっしゃるのは、今回で何回目ですか。
平塚:本公演としては、2013年に『ドレミの歌』(アトリエ劇研)、『日本語私辞典』(アイホール)、14年に『どこをみている』(大阪市立芸術創造館)に続いて今回で4回目です。その間に、ABCホールの「春の文化祭」に何度か参加しています。
岩崎:今回も四都市ツアー。それもアイホールで幕を開ける。ホームグラウンドじゃない都市の初演って大変ですよね。
平塚:もう、ドキドキしていますね。
岩崎:劇団の方針としては、もっと拡張していこうとお考えですか?
平塚:ツアーは続けたいと思っています。四国にも行きたいし、九州にもまた行きたいです。
岩崎:「過剰なまでに会話劇」「ライトでドライな不条理劇」を謳っていますけど、こういう味わいの作品は名古屋らしいのではないかと思うので、ツアー各地で是非定着してほしいです。
あと、気になっていたんですが、「はじめて割」というのは?
平塚:「オイスターズを初めて観る人は前売料金を半額にします」というものです。
岩崎:えっ、すごい。どうやって見分けるの?
平塚:皆さんの良心を信じて、自己申告です(笑)。あと、初めてじゃないお客様も、初めての人と一緒に予約されると、「はじめて割ペア」として二人とも半額になります。
岩崎:ちょっとそれすごいですね。これは、どんどん活用していただきたいですね。
平塚:できるだけ多くの方に観ていただきたいので、こういう取り組みをすることにしました。この機会に是非、オイスターズを観ていただければと思っています。

岩崎正裕(アイホール・ディレクター)
岩崎正裕

岩崎:『この声』というタイトルを聞いたとき、僕はまず「声」という単語に意識が向きました。例えば、日々世間から目を向けられずにコツコツ頑張っている僕たちの「この声」とか、高校演劇なら生徒たちの声にならない「この声」みたいな。逆に50代60代はこのタイトルから思想的なものを嗅ぎ取るでしょうし、チラシのビジュアルも少し昔の時代の写真がたくさん使われているから、かつての高度成長期~バブル期を生きた人の大人になってからの嘆きとしての「この声」とか。本当に色々想像しました。だけど、今日、お話を聞いて、聴覚であることがよくわかりました。そうした受け手の予想を悠然と裏切っていくのが、オイスターズらしいと思いますし、とても興味深いです。まさかゾンビの話だとは思わなかったですよ。面白い作品になることを期待しています。
平塚:ありがとうございます。僕たちも、アイホールにはもう一度来たかったので、楽しみです。笑っていただける、楽しんでいただける作品にしますので是非見に来て下さい。

 

(2015年12月、大阪市内にて)