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「みんなの劇場」こどもプログラム 
音楽劇『どくりつ こどもの国』関係者インタビュー

アイホールでは今夏、主催事業「みんなの劇場」こどもプログラムで、14年ぶりの再演となる音楽劇『どくりつ こどもの国』を上演します。本作は、(一財)地域創造の創造プログラムの対象事業となっており、2年連続での製作を行っています。1年目となる昨年はストレートプレイにリブート。今年は、本来の音楽劇として、東リ いたみホールで上演します。公演に先駆け、作・演出の岩崎正裕さん(劇団太陽族)、出演者を代表して初演にも出演していた旗手絵美子さんにお話を伺いました。


■初演製作のきっかけ

2009年 音楽劇『どくりつ こどもの国』より。撮影:石川隆三

岩崎正裕(以下、岩崎)初演は、2008年に私とアイホールの共同製作でスタートしました。当時の小劇場演劇では、子どもやシニアに対して手を伸ばそうという企画は今ほど多くなく、私もこの作品以前は“こどものための演劇”を作ったことはありませんでした。ちょうど今から20年前に長男が誕生しまして、出産にも立ち会ったんです。その際に助産師さんが、私に「はい」って長男を抱かせてくれて、父親としての実感が湧くより先に「ちっちゃい命だな」と思ったんですよね。「こういう小さな命が何者かの手によって奪われるということはあってはならない」というぼんやりした感覚から、この作品が立ち上がっていきました。
 もう一つ刺激になったのは、亡くなられた中島らもさんが、最晩年に書かれたエッセイ『ポケットが一杯だった頃』です。「こどもが亡くなっていく世の中が耐えられない」「大統領は12歳以下で、こどもたちの安全と平和が守られている国があったら、こんなにこどもたちが苦しむことはないのにな」という結構重い内容でした。それを読んで、自分に子どもが生まれた実感とともに、戦争と大人の抑圧による子どものあり方・生き方に対して、ドラマにできるんじゃないかなという実感も持ちました。

 

■音楽劇『どくりつ こどもの国』の物語
岩崎あちこちで戦争が起こっている世界が舞台です。小学校の担任のトネ先生が産休に入るのですが、彼女を慕っていたレイという少女を含めた数人の子どもたちが、ある日の深夜、トネ先生のお家の庭に集まって、そこで大きなトネリコの木[1]を見つけます。すると木の上にオーロラがやってきて、少年が空から落ちてきます。その子が“クウ”といいます。そこにもう1人、空を飛び交う戦闘機から、パイロット兵がパラシュートで落っこちてきます。 
 レイにはシオリという親友がいましたが、シオリが突然、遠くの国であるワルハラに引っ越すことになります。二人でピアノを弾くことを励みにしていたレイはシオリに会いに行こうと決意します。聞くと、クウもワルハラの向こうにある“どくりつ こどもの国”を目指していて、兵士もワルハラで“世界を統べる人”に新たな任務をもらおうとしているらしい。全員の目的地が一致したので一緒に旅をすることになります。
 一方、シオリには「弾き間違うと世界のどこかで人が一人死ぬ」という”世界を奏でるピアノ”を練習させる支配的な母がいます。この母と旅の一行との対決が物語の中心となります。

 

2009年 音楽劇『どくりつ こどもの国』より。撮影:石川隆三

■初演や翌年のツアーの思い出
岩崎:初演当時は、オーディションで集まった若いメンバー12名がそれぞれ物語の根幹となるところを共有しながら作っていきました。「こどもの演劇」を作ったことがなかった私たちは、どうやって演劇を提示すれば伝わるのかという問題にも直面しました。大人に見せる演技よりも強度がないと、子どもたちは飽きてしまって最後まで見てくれないんじゃないかという恐怖があったので。だから、ワークショップでも子どもたちと触れ合いましたし、実際に子どもの前で演じる経験もして上演に臨みました。その時に、子どもたちを飽きさせないコツが“コール・アンド・レスポンス”だと知ったんです。客席に向けてクイズを投げかけて、答えてもらってワイワイやってね。親は大抵の場合、「劇場では静かにしなさい」って教えるんですけど、本作では子どもが客席で騒いだり、歩き回ったりしてもいいという趣旨で作りました。 
 2009年に全国ツアーを行い、石川県の“ラポルトすず”という会場でも上演しました。今年1月の能登半島地震でいちばん被害が大きいと言われている半島の突端にある珠洲市のホールです。日本海の何か寂しい感じと、めちゃくちゃ綺麗な星空を覚えています。印象にのこっているのは、中学生のワークショップです。「珠洲市は人口が少ない分、閉じたコミュニティで育っているため、高校生になって他の場所に出ていく時のためにコミュニケーション能力をつけてやってください」というオーダーがありました。先生に聞いたら、「この子たちは幼稚園から中学生になるまで一切クラスが変わってないから、喋らなくても相手の考えることがわかるんです」と仰っていました。「目と目でコミュニケーション取れるんだったら新たに演劇で何か開拓しなくてもいいんじゃないか」みたいなことを思いましたね。そのように各地域の子どもたちに関わって、非常に実りの多い旅になりましたし、座組のメンバーも長い時間を過ごすことで良いチームワークが生まれました。そして俳優自身、演劇が社会や子どもたちに対して、どうやって波及するのかというのを考える機会になったようです。

 

■今回の公演の目玉
岩崎:今回の目玉は、「伊丹市少年少女合唱団」が出演することです。30名くらい参加します。合唱の人たちを舞台に上げるときに難しいのは、歩いて登場する時です。演じながら出てきて歌うことができるのか、指揮者なしで歌えるかが、創作上、楽しみな部分です。オープニングと大詰めで歌ってもらおうと思っています。大人が演じている子どもと本当の子どもが天国のような場所にいるという絵は、おそらく観客に衝撃的に映るシーンになるんじゃないかと思います。
 物語の大枠的なところは変わらないです。ストレートプレイにしてみて70分以内に収まったので、音楽の要素をもうちょっと足したとしても以前よりギュッと圧縮して作れるんじゃないかと思っています。昨今のミュージカルは、セリフがないじゃないですか。それに極めて近い形にしたいなと思っています。 
 去年のストレートプレイ版は橋本匡市さんに演出いただきましたが、非常に良い作品になってました。昨年と違うプレッシャーとしては、会場がアイホールではなく最大1200席の客席がある東リ  いたみホールの大ホールであることです。音楽で観客にドラマを伝えるのも大変な作業になります。デコレーションしすぎず大きい舞台でどのようにドラマの核心を伝えるかということに苦心しています。新作に近い形になると思うので、ご期待いただけたらと思います。

 

■旗手さんの初演の思い出と再演に向けての意気込み

岩崎:初演の時にシオリの役を演じたのが、旗手絵美子さんです。14年後の今回は、トネ先生の役を演じてくれます。

旗手絵美子(以下、旗手):今回、個人的には11年ぶりの演劇との再会になります。子どもが生まれてからは子育てをしていて、演劇とはすっかり縁遠い生活を送っていました。その間も『どくりつ こどもの国』に出演した経験や、作品の中のセリフや歌詞が、自分を支えてくれていたような気がしています。ラストの曲の「ゆっくり大人になっていく」という歌詞がすごく好きなんです。私もつい我が子に「早くしなさい」と言ってしまいますが、歌詞を思い出して「いやいや、ゆっくり大人になっていいんだ」って、自分自身に言い聞かせたりしています。
 初演では、物語の後半でいろんな死や別れ、支配的な母親との関係、不在の父親への思いとか、今この瞬間も世界のどこかでは子どもが戦争によって命を落としている事実から、演じながら涙が止まりませんでした。岩崎さんが「子どもたちに生(なま)を見せたいんだ」とおっしゃっているのを聞いて「私は心が弱いし、役者としてこれでいいのか分からないけど、舞台に立っていいんだな」と思えて、最後まで演じ切ることができました。


岩崎:旗手さんは当時、小劇場でかなり脚光を浴びていて、公演に出まくってましたよね。彼女はオーディションで目立つんです。生田萬さんの作品や、僕が演出した中島らもさん原作の公演にも出てもらったし。今回は演劇から離れていたから心配したんですけど、みんなが目を見張ることをやってくれました。

旗手:オーディション前は母親にもなったので、自分はお母さん役かなって思っていたんですが、蓋をあけてみるとトネ先生でびっくりしました。初演の頃からずっとやってみたいと思っていた憧れの役だったので、とても楽しみにしています。彼女はシングルマザーとして子どもを産もうとしていて、さまざまな逆境にも立ち向かっていける強い女性として演じられたらいいなとおもいます。

 

■親になってからの演劇へのまなざし
旗手:
去年のストレートプレイは子どもたちと見に行きました。娘たちは今回でいうと「サクラ」という優等生の女の子が好きだったようです。

岩崎:なんでなんだろう。ラストの方の台詞がいいのかな。

旗手:観客席に向かって「(現実の世界に)帰ろう」と言うんです。いちばんの願いは、「大好きなお父さん、お母さんと一緒にいたい」ということなんですよね。「お父さん、今日は残業しないで帰ってきて」と語りかける台詞もありますが、そういう子どもの思いを、私たち大人がしっかり重く受け止めないと駄目だなって、親になって感じるものがあります。また、親になってから、子どもと一緒に見に行けるお芝居ってすごく少ないんだなということを実感しています。初演のときに、高校時代の友達が小さいお子さんを連れて見に来てくれたんですが、「うちの子、まだ内容わかってなかったと思うんだけど、泣いててん!」と涙を浮かべながら、感想を言ってくれて。その涙が親になってからすごくよくわかるなって思います。どんな感想を持ってくれてもいいし、とにかく見に来てほしいなと思います。

 

質疑応答
Q1:昨年の会見で、ウクライナ戦争があって、戦争についてより今日性といいますか、心に迫るものがあると伺いました。それから1年たって、今度はさらにガザ侵攻も始まりましたが、そのあたりは意識されていますか。

 

岩崎:15年前も、もちろんいろんなところで紛争がありましたが、今はより戦争の足音が近づいてくる気配がありますよね。こどものための演劇は、基本、こどもと大人がセットで見に来るじゃないですか。だから大人には戦争の問題に対して意識的に本作を見ていただきたいですし、子どもたちにもそういう悲惨さが、この世界にあるんだということを、ちょっとだけ心に入れておいてほしいかなと思います。劇作家の北村想さんが「子どものための演劇には、ちょっとだけ毒を忍ばせておくことが重要だ。甘い菓子ばかり食べてると子供たちは心を失って成長しなくなるから、毒を入れておけ」という名言を残しました。毒は強烈ですが、せめて免疫になるようなものにしたいです。

 

Q2出演者はすべてオーディションで決定したのでしょうか。


岩崎:そうです。20代を中心に若い方たちが来てくれました。音楽劇なので、音程がしっかり取れて歌声がきちんと観客に届く人を基準に選びました。その中で、初演にも今回にも出演される方が2人います。旗手さんと、もう一人が森本研典さんです。彼は初演と同じ“ラタ”という役をやります。レイちゃんが飼っているハムスターです。北欧神話の世界ではワルハラに近づくとハムスターが人間化しちゃうんですね。森本さんは今50代半ばで、白髪も多くなってきたのですが、ラタは2歳で、人間でいうと88歳くらい。その年には届きませんが彼の年齢そのものが劇の説得力を増していると思います。

Q3新曲は作られるのでしょうか。


岩崎:新しい楽曲も入ります。初演時ですでに10曲はありますから、今回は5曲ほど加えて、15曲くらいを目指しています。すでに少年少女合唱団向けに『光の世界』という新曲があります。僕の書いた歌詞に翌日すぐに橋本剛さんが曲をつけてくれました。彼は天才なんです。東京芸術大学の作曲科を卒業されていて、和声とかの理論がきちんとあり、オーケストレーションもできるんですね。坂本龍一さんの後輩にあたります。今は、名古屋教育大学で作曲の教鞭をとられています。

(令和6年6月 大阪市内にて)


※[1] トネリコの木…北欧神話では、「世界樹」と呼ばれ、世界をつなぎ、支える木とされている。


【公演情報】
AI・HALL主催事業 「みんなの劇場」こどもプログラム
音楽劇『どくりつ こどもの国』
作・演出|岩崎正裕 
音楽|橋本剛
振付|原和代
2024年
8月24日(土)14:00
8月25日(日)13:00
公演詳細

 

 

「みんなの劇場」こどもプログラム 
えほんミタイナえんげき『どくりつ こどもの国』
関係者インタビュー

アイホールでは今夏、主催事業「みんなの劇場」こどもプログラムで、14年ぶりの再演となる“えほんミタイナえんげき『どくりつ こどもの国』”を上演します。本作は、(一財)地域創造の創造プログラムの対象事業となっており、2年連続での製作を予定しています。1年目の今年はもともと音楽劇だった本作をストレートプレイにリブート。来年は、本来の音楽劇として、東リ いたみホールで上演予定にしています。公演に先駆け、作者の岩崎正裕さん(劇団太陽族)、演出の橋本匡市さん(万博設計)、出演者を代表して千田訓子さん(万博設計)にお話を伺いました。


『どくりつ こどもの国』誕生のきっかけ
岩崎正裕(以下、岩崎)『どくりつ こどもの国』は、アイホールからこども向けのプログラムを作ろうという話を受け、作ることになったのですが、正直僕は「子どものためのプログラム」という枠組みにすごく戸惑ったんです。というのも、僕はわが子が産まれるまで、子どもが嫌いだったんですよね。できれば触れたくないと思っていました。ただ、それでこの先、演劇で家族や子どもとかを描くことができるのかと思い、結婚してみようと思ったんですね。その後、妻が出産をして子どもを抱いた時に、ちょっと不思議な感覚にとらわれたんです。「こういう小さい命を奪われるようなことがあってはならない」って、直感的に思ったんですね。その感覚をもとに書いたのが、この『どくりつ こどもの国』でした。
 初演は音楽劇でした。その当時、僕が作ってたお芝居は対話が延々続いてるだけで、子どもには楽しくもなんともないので、方法論を変えて、音楽劇を作ろうという発想になりました。今回は音楽をなしにして短く見やすい作品にするということになりました。

 

北欧神話をベースにしたファンタジー
岩崎平成20年当時から変えていないのは、世界のあちこちで戦争が起こってる時代の話という点です。冒頭、学校内で孤独を感じている図工クラブのメンバーの少女“ましろ”が“ワルハラ”という名前の町に引っ越しをします。この作品は、北欧神話を参考にしていて、ワルハラというのは “ワルキューレ[1] ”ですね。ある夜、子どもたちが先生の家の庭に集まったところ、空にオーロラが輝いて、その中から、どこの国の子とも知れない子ども(クウ)が落っこちてくるんですね。それと時を同じくして、どこかの軍隊のパイロットもパラシュートで落下してくる。子どもたちにクウと兵士を加えた集団が、海を越えてそのワルハラにたどり着くのが、このドラマのコアな部分です。

 

 

 

 

音楽劇からストレートプレイへ
岩崎:前回が音楽劇ということもあり、登場する子どもたちの名前にも「ドレミ」の音階が入っていたのですが、今回は、図工クラブのメンバーという設定にしています。登場人物の名前の中にも「ましろ」とか「すみれ」とか、それぞれ色が入っていて、最後、それが虹のように一つのイメージになります。
 色や絵というイメージの着想のきっかけは、2015年に長野県上田市のサントミューゼという劇場で行った、上田市の高校生と『どくりつ こどもの国』を題材としたワークショップと発表公演でした。上田市には戦没画学生の絵だけを展示している「戦没学生慰霊美術館 無言館」という施設があります。本番では、無言館の絵を実際に借りて、観客と出演者が共に美術館内を動く「移動演劇」として上演し、最終幕では、壁にずらっと戦没学生の絵が並ぶ中で演じました。

 

演出や舞台美術などについて
橋本匡市(以下、橋本) :岩崎さんとは、僕が20歳の頃に、学生と講師という関係で出会いました。こうして改めてアイホールのプロデュース公演という場で、演出と作家という形で関われることは、個人的にはすごく重みのあることだと思っています。振付として、身体表現をメインに活動されている槇なおこさん[2]に関わっていただき、役者の身体と岩崎さんの書いた言葉をどのように一致させていくか、また、アイホールという空間をどう使うか共に探っています。
俳優同士、あるいは舞台美術や空間と楽しくコミュニケーションをとっている姿を見せながら、戯曲にしたためられた言葉が浮き上がってくるような演出にしたいと思ってます。
 美術は今回、サカイヒロトさんに入っていただいてますが、古代ギリシャ時代に用いられたペリアクトイ[3]という舞台美術のスタイルを使う予定です。実際その時代は、音響や照明効果も今ほどはない中で、お客さんの想像力を信じて作ってたはずです。今回の公演も「観客の想像力」を頼りにして作りたいです。また、客席に入り込めるような空間を作って、俳優と観客の間に想像の世界が立ち上がる面白さを楽しめる仕掛けになっていると思います。

 

岩崎役者さんたちは完成した台本のこと、なにか言ってましたか。

橋本泣いてましたね。子ども向けというよりは、単純に大人である自分に刺さったとか、子どもだけでなく、ぜひ大人の人も見ていろいろと感じてほしいという感想が多かったです。

 

岩崎:でも一応、子どもに向けて作ってほしいな(笑)

 

橋本:もちろん(笑) でも、大人の中にも必ず子どもの部分が残っていると思うので、そこに向けて演出すると、おのずと子どもも大人も楽しんで見ていただける作品になるんじゃないか。そこは、稽古中も徹底していこうと考えています。

岩崎:大人がいいと思わないと子どもは劇場にこれないです。チケット料金を出すのは大人だから、大人と子ども両方に認められるような作品になるといいですよね。


橋本親御さんには親御さんにしか見えない世界でこの作品を見て楽しんで、お子さんはお子さんの視点で楽しかったっていうことを言えるような作品にしたいです。

岩崎:それぞれの感想を帰って夜の食卓で語り合う。子どものための演劇っていうのは、そういうものであるべきだと思いますね。

出演者について
橋本:今回、千田訓子さん、加藤智之さん、井上多真美さんの3名は当初から出演をお願いしていたのですが、他の方は、アイホールとしても3年ぶりとなる出演者オーディションで選びました。若手、中堅、ベテラン問わず、72名とお会いして、その中から9名の方にご出演いただくことになりました。コロナ禍ではオーディションの機会も少なかった中で、オーディションを行い、改めて3年間という時間の長さと、「舞台に立ちたい」という俳優の飢えみたいなものをすごく感じました。オーディションでは、模擬稽古みたいなことをさせていただきました。72人も見るとへとへとになりましたけれども、この作品に必要不可欠な精鋭が集まったと思っています。

千田訓子(以下、千田)去年お話をいただいて、アイホールの舞台にまた役者として立てるのがすごく嬉しくて、受けさせていただきました。でもその後、変形性股関節症という病気になり、手術をして、当面歩けない状態になってしまいました。それで、いったん出演を諦めかけたのですが、劇場の皆様や岩崎さん、橋本さんから温かいお言葉や気持ちやらいろいろ背中を押していただいて、今回の出演を改めて決意し、今ここにおります。
 私が演じるのは「ましろ」という少女のお母さんの役です。子どもに依存している教育ママという役どころなんですが、この教育ママは自分の強いていることが、正義だと思ってる部分があるんですね。「子どものためにこれだけ言ってるのよ私は!」という思いがあるけど、子どもにとっては劇中にものすごい巨大な悪者として出てくる。大人には、親としての一面を理解してもらって、観てる子どもは怖がってもらおうと思います。

岩崎:ましろの母親はワルハラのお城に住んでる女王という設定です。お城には「世界を描くキャンバス」というのがあり、娘の“ましろ”はそれに向かって正しい世界のデッサンをしなきゃいけない。母は娘に対して「デッサンを少し間違えると世界のどこかで人が死に、もう一つ間違えると、2人の子どもが飢えて、消そうとすると、大きい街が丸ごと消えるからお前はきちんとデッサンしなさい」ということを言い続けるんですね。

 

千田:そういうすごく大きな役どころを、車椅子に乗っていながら舞台にどのように存在できるのかというところを今から稽古で取り組んでいこうかなと思っております。

岩崎:今回は多様性のドラマなので、車椅子の出演者がいらっしゃるのってとっても素晴らしいと思っていますよ。

 

千田:演出の橋本さんが、この世界をどういう風に彩っていくのかなというのが楽しみです。役者として、たくさんの色の中の一色になれるように楽しんでやっていけたらなと思います。

 

現代社会が抱える問題に照らし合わせて
岩崎:
この作品を書くにあたって、当時、北村想さんに非常に大きい示唆をいただきました。「子ども向きの演劇というのは、甘いお菓子じゃ駄目だ、そういうものだけ食べていると、しっかりした背骨や筋力のある大人になれないので、子どもの演劇こそ、毒を入れてなきゃいけない」とおっしゃった。
 今作でいうと“戦争の中で子どもたちがどうするか”や先ほど話した“母子間の依存”そして、ベッドから物心ついてから降りたことがない少女もでてきますが、そこには“不登校”の問題もからんでいます。さらにどこの国の子ともわからない少年クウは、花売りをしている。つまり“貧困”の問題です。社会が孕んでいるたくさんの毒がこのドラマを支えています。


橋本:共依存の問題は、虐待の問題なども含まれていて、多くの人には現代の社会問題として、むしろ15年前より今見た方が、身近に感じてしまうかもしれません。
 それに“戦争”というテーマは、現在実際に行われているロシアとウクライナに照らし合わせて観る方は多いと思います。遠くて近い世界との距離について考える手立てになる作品なんじゃないでしょうか。

岩崎:後半で勝負をかけてるセリフがあります。それは権力にとりつかれた兵士がクウに向かって「お前は子どもだから、正義の反対は悪だと思ってるんだろう。正義の反対はもう一つの正義なんだよ」というものです。それがまさにウクライナとロシアの問題が二重写しになって見えてくるセリフだなと思っています。戦争の問題は、15年前より一層身近になってる感じがしますね。

タイトルに込めた思い

稽古場より。

岩崎:「どくりつ こどもの国」という言葉は、中島らもさんのエッセイ『ポケットが一杯だった頃』の中からイメージをもらいました。らもさんの定義では、「どくりつ こどもの国」は大統領が12歳で、子どもたちにとっては、大人に干渉されないとても幸せな国なんです。でも実は虹を超えた先にある死んだ子どもの行くところで、つまり、“どくりつ こどもの国”は死の国なんですね。クウはそこを目指すんですけど、彼が子どもたちに一緒に行くかどうかを問いかけるのがいちばんのクライマックスです。
 クウが乗っているオーロラにも意味があり、北欧神話では、オーロラは死んだ兵士を運ぶものなんです。子どもって死から遠いので、あんまり死について考えないでしょ。でも、子どもが死について考えるのは、実はとても大事なことじゃないかと思っています。
“えほんミタイナえんげき”という副題は初演にはなく、『どくりつ こどもの国』だけだと、子どもにとって演劇なのか何なのかよくわかんないと思ったんです。色や絵がテーマということで“絵本”という言葉は入れたかった。そして、演劇だということも伝えたい。それで2つをカタカナの“ミタイナ”でつなげました。「~みたいな」という意味の他に「みんなが見たくなる」という思いも込められています。

 

橋本:聞いた時のイメージとして、飛び出す絵本じゃないですけれども、絵本を見てたら、ワーッと何かが飛び出してきて、観ている人にも入りこんでくるイメージで作品を作れるといいなと思っています。

 

質疑応答
Q1:現実とワルハラと2つの世界があるんですね。

 

岩崎:そうです。例えば、図工クラブの先生は、トネ先生と言いますが、ワルハラのファンタジーの世界の中では、リコ先生という“ましろ”の家庭教師なんです。この二つの名前を繋げると、「トネリコ」というキーワードが浮かび上がってきます。北欧神話ではトネリコというのが、世界を支える樹の中心として描かれてるんですね。こういう設定は、昔より今の子たちの方が馴染むんじゃないかと思います。いわゆるアメリカン・コミックスものの映画とか見てても、もう「マルチバース」ばっかりですよね。この現実世界だけでなく、現実と似ている並行世界でも色んな出来事が起こっている。それを15年前に先取りしてたんです。

Q2今回、音楽劇じゃなくてストレートプレイにするにあたって、歌以外のところで、手を入れてるところがありますか?


岩崎:歌ってしまえば、全ての情報がファンタジーとして昇華できるんですけど、ストレートプレイでそれをやるのは結構難しいですね。例えば、「どくりつ こどもの国ってどんなとこ?」というのも、初演ではクウが歌ったらもう全てOKだった。そこを今回は、クウに子どもたちが輪になって触れるとイメージがテレパシーのようになって、それが言葉になると、「どくりつ こどもの国」のイメージが顕在化するみたいな方法をとっています。

Q32年目に関しては音楽劇として、初演に近いものを再演するということでしょうか。


岩崎:もう1回音楽劇にするってことは、昨今のミュージカルのような、セリフがものすごく少ない、全編音楽だけで構成されてる音楽劇ができたらいいなって妄想してます。今年のストレートプレイと音楽劇の両方で見るとさらに面白いというようにならないといけないので。


※[1] ワルキューレ…北欧神話において、戦場で生きる者と死ぬ者を定める女性、およびその軍団のこと。

※[2] ダンサー・振付家。7歳よりバレエを始め、2001年、法村友井バレエ団入団、同年モスクワバレエアカデミーに留学。2006年ロシア国立モスクワ児童音楽劇場に入団。帰国後はフリーダンサーとして活躍。近年は演劇とダンスの融合した表現を模索する一方、バレエスクールを設け、人材育成にも励んでいる。2023年より万博設計に入団。

※[3] 古代ギリシャ演劇の舞台装置の一種。ギリシャ語で回転の意。基本的には木製の大きな三角柱で、三面にそれぞれの場面が描かれおり、軸を回転することによって3つの異なる情景が現れる。

(2023年6月 大阪市内にて)

 


【公演情報】
AI・HALL主催事業 「みんなの劇場」こどもプログラム
えほんミタイナえんげき『どくりつ こどもの国』
作|岩崎正裕(劇団太陽族) 
演出|橋本匡市(万博設計)
2023年
8月5日(土)11:00/15:00
8月6日(日)11:00/15:00
公演詳細

 

 

「地域とつくる舞台」シリーズ 「伊丹の物語」プロジェクト リーディング公演『ビューティフル・サンデー』 作家・演出鼎談

アイホールでは、12月24日・25日に「地域とつくる舞台」シリーズ 「伊丹の物語」プロジェクト リーディング公演『ビューティフル・サンデー』を上演いたします。
構成・演出を務めるのは、小原延之さん。劇作には「伊丹想流劇塾」などアイホール主催講座OBなどが参加し、市民への取材や、自身の伊丹での思い出などをベースに創作された作品を、伊丹市出身・在住の出演者によりリーディング上演いたします。
そこで今回は、構成・演出の小原延之さんと、兵庫県立伊丹高校卒業生という共通点を持つ中村ケンシさんと石﨑麻実さんに、それぞれの作品についてや高校の思い出などを語っていただきました。


■『ビューティフル・サンデー』では、作家の選定は小原さんからの提案と「自分史の会」の中での立候補でしたが、今回、中村ケンシさん(空の驛舎)と石﨑麻実さん(かしこしばい)にオファーした理由をお聞かせください。
小原:今回の「伊丹の物語」は、ごまのはえさんが作られた前回の作風とはまた違い、もっと市民とフラットに対峙する作品として、アイホールにご縁のない方も観客として、また参加者として来ていただくということを目標としています。市民劇の色合いが濃いということで、スタンダードに「伊丹が生んだ劇作家」という枠で、最も成功されている中村さんに来ていただきました。
以前、吹田市で市民劇をやった時にも、吹田出身の横山拓也さん(iaku)と3年ほどタッグを組んで戯曲を書いてもらったんですが、3年目は横山さんが過ごした高校3年間を書いてもらうことにしました。彼は個人的なことを書いたのでとても恥ずかしがっていたんですが、すごく吹田市が見えてくる話になって非常に面白かったんです。そういう意味で伊丹出身の劇作家さんに自分史としての戯曲を書いていただくという流れで呼んだのが中村さんです。また、県高出身かつ劇塾卒業生で、アイホールのそばに住んでいる石﨑さんにも書いていただくべきだと思いお願いしました。
このプロジェクトへの思い入れとしては、「より市民と近い感覚で作る」ことと、「市民・出身者にこんな劇作家がいる」ということを示したいというのが強くあります。広く知っていただける機会になれば、という気持ちがとても強いですね。

■中村さんの作品は、子どもの頃に近くの神社(猪名野神社)で遊んだ記憶がベースとなり、現在の自分と過去の自分が対話したり、伊丹の歴史と自分の歴史を重ねて向き合うようなシーンも登場します。

小原: 中村さんは自身の劇団(空の驛舎)の本公演もよくアイホールで上演していますし、中村さんにとっての伊丹での演劇活動というのは、「アイホールで公演を上演すること」自体だと僕は思っていました。今回は直接的に伊丹のことを書くという前提の作品ということで、普段の創作活動との違いはあったと思いますが、いかがでしたか。
中村:私はもう50歳を過ぎたんですが、20歳ぐらいから大阪に出ていて、「ふるさとが伊丹」という感覚も薄く、実家にあまり帰ってもいなかったので、元々伊丹への思い入れはそれほどなかったです。伊丹出身の元劇団員で「伊丹LOVE」みたいな人もいたんですが、私自身は「伊丹のここが素晴らしい」というのをあまり言えなかったですね。そんなにお洒落でもないし、観光地でもないし、いかついのは尼崎で、お洒落なのは川西で、伊丹は中庸で、まあ中途半端な町だと思っていました。今のようにイオンモールもなかったので、アイホール周辺も地味でした。昔は伊丹空港は夜でも飛行機が飛んでて、アイホール周辺も私の住んでいたところも騒音公害指定地区で、でも、まあ、地味ながら、中途半端ながら、普通の思い出はありまして、思い出も地味なんですが、今回、「伊丹のことを書いてください」と依頼をいただいて、「それは是非とも書きたい」と思いました。
伊丹のことをもう一度見直したいと思い、伊丹についての文献を読んだりもしましたが、最終的に「記憶の中の伊丹」を描くことになりました。「自分が見た伊丹」を描こうと。それで伊丹を表現できるかどうかは心配なところもありますが、私しか知らない伊丹を書けた気はしています。自分の中でいちばん思い入れのある場所は、子どものころによく遊んだ神社でした。そこで舞台を「猪名野神社」にしました。
小原:猪名野神社のディテールがすごく細かく、また時代によって神社の景色が変わっていくところは、意外と残ってるものがないので、非常に重要なシーンを表すことができるんじゃないかと思っています。「荒木村重」というモチーフは、どれぐらいで出てきたんでしょうか。

「太平記英雄伝廿七 荒儀摂津守村重」所蔵:市立伊丹ミュージアム

中村:最初に「荒木村重のことを書きたい」と思いました。私が荒木村重のことを知ったのは小学校5、6年ぐらいだったと思うんですが、郷土研究部に入ってまして、そこで荒木村重の壁新聞を作ったりしていました。やっぱりこの浮世絵がね、有名な絵ですけど。この人は魅力的ですよ。
石﨑:私も小学校の時に「地域を調べよう」という社会科の授業で調べました。
中村:その後、司馬遼太郎の本も読んで、大河ドラマの『軍師官兵衛』も観たんですが、一般的には裏切者として有名ですし、非常に評価が難しい人ですよね。私が評価したいところはこの不敵な顔です。信長に屈してるんですが、顔は屈してない。この絵がとても印象に残ってて、この浮世絵を頼りに書こうと思いました。米澤穂信さんの小説『黒牢城』も読みましたが、肯定的に書かれているところもあるので、それも参考にさせてもらいました。
ただ、私の作品は荒木村重は出てきますが、結局は自分自身の話になってます。歴史上の人物とやりとりをして、自分の行く先を決めるという話で、荒木村重を私戯曲に入れるとどうなるかということを試そうと思って書きました。

■今回石﨑さんは2作品上演します。ひとつは書き下ろし、もうひとつは「伊丹想流劇塾第5期生 読み合わせ会」で上演した『来るべき日への祈り』という作品です。こちらは、JR伊丹駅前に建つ「フランドルの鐘(カリヨン)」をモチーフに描いていて、鳴らなくなったカリヨンと存廃問題で揺れる劇場の今後を重ねた作品です。

石﨑:私も伊丹に対する感触は中村さんと似ていて、本当によくも悪くも中庸な町だという印象でした。私が住んでいるのはJR伊丹駅前のマンションで、私が2歳ぐらいの時にイオンモール(当時はダイヤモンドシティ)ができて、ちょうどJR伊丹駅周辺が栄えてきた時に生まれ育ちました。大阪が近かったり、空港があったり、大きいショッピングモールがあって便利だとは思いますが、特にそれ以上の思い入れがあるというわけではなかったです。ただ、自分がこれまで書いてきた作品を振り返ると、具体的な場所を設定するより、どこかにある架空の場所として描くことが多いんですが、そのモデルになってるのが伊丹の風景だということに気付きました。県高の教室だったり、JR伊丹駅前のバス停だったり。気付いたら伊丹の風景を書いてるんですよね。新作の方は産業道路(兵庫県道13号尼崎池田線)を舞台にしています。
小原:高校時代に演劇部で、当時から戯曲を書くという環境にいると、全然景色が変わって見えるんでしょうね。
石﨑:カリヨンのことは高校生の時にも題材にしていて、幼い時からずっとカリヨンが近くにあったせいか、都合よく自分に重ね合わせてしまうんです。私は合唱をやっていたんですが自分の歌に自信がなくて、その時、カリヨンは騒音のクレームがあり鐘の音があまり鳴らせないという状態になっていたので、高校の時に書いた作品では歌いたいのにうまく歌えない自分と鳴らせないカリヨンを重ね合わせました。今回はアイホールがなくなってしまうかもしれないという不安や、演劇をやりたいけどうまくやれない自分への危機感をカリヨンと重ねています。カリヨンのことが好きなんだと思うんですが、潜在意識の中にいつもあるということに今回気付いたというのはありますね。
中村:カリヨンが石﨑さんにとっての原風景なんでしょうね。
小原:いろんな世代の原風景が重なると、どういう風になるんでしょうね。
中村:伊丹に限らずですが、場所を描くというのはそういうことかもしれないですね。原風景というのは、何の変哲もない空き地でも、ある人にとっては「ここに来たら時間が止まる」というか、人生を振り返ったり、ちょっと先のこと考えたり、という場所ですね。そういう場所がいっぱい伊丹の地図にあって、それを重ねてひとつの演劇的な街を描ければ、それは面白いと思います。私の原風景になるような場所ってどこだろうと思いますね。
石﨑:当たり前ですが「それぞれの伊丹像」というのがちょっとずつ違っていて、それが集まってるというのは面白いですね。
小原:お客さんが劇場の外に出た時に、また見える景色が変わるといいですね。

■中村さんは39回生、石﨑さんは70回生とそれぞれ時代は違いますが、同じ学舎に通っていた先輩後輩にあたります。県高ならではのエピソードや高校時代の思い出などはありますか。

小原:中村さんは高校時代、演劇部には入らなかったんですね。
中村:高校はバスケットボール部でした。でも県高は文化祭で「全クラス、演劇しろ」と言われるんです。模擬店か出し物か演劇かを選べるんですが、ほぼみんな演劇をするんです。もちろんみんな素人なので、本を書いたことない人が台本を書き、演出をしたことない人が演出をして、演技をしたことがない人が役者をする。今でも続いてますね。
小原:ヤングフェスティバルですね。10年ぐらいまでは希望する1・2年生も出られたんですが、今は学年で取り組むことが決まっていて、演劇をするのは3年生になってます。僕もかれこれ10年ぐらいクラス劇の指導に行っていますが、すごいイベントだと思います。体育館の中に全校生徒が入って、朝から晩までずっと3年生のお芝居を見るんですよね。
石﨑:体育の先生が1・2年生に向かって「お前らしっかり見とけよ。3年になった時にやるから」って毎年言うんです。
中村:私も一生懸命やってましたね。3年生では演出を担当したんですが、それで演劇部に入ったわけではなかったですね。でも、演劇部の上演を見たのは覚えてます。ものすごくセンスのいいことしてた記憶があります。私は面白いと思って見入ってました。
小原:バスケット部の思い出はありますか。
中村:現役のときの思い出ではないんですが、バスケット部は歴代OBが宿直のバイトをする伝統がありました。私も2、3年ぐらい宿直のバイトしてました。私は県高の宿直室で昭和の終わりを迎えたんです。18~20歳でしょう? 友達集めて毎夜どんちゃん騒ぎでした。その頃は免許取り立てだから運動場で車の練習をしたり、事務室に入って、校内放送で歌ったり。全然見回りもせずに、県高の夜を満喫してました。
石﨑:めっちゃ青春ですね、それは。
中村:ちょうど私らの代で機械警備のセコムが入り宿直はなくなったので、最後の世代になりましたがよく覚えてます。でも、そんなことをしてても、近所から文句は来ないわけですよ。だから県高はなにか”結界”があるんじゃないかといってました。
石﨑:私も高校時代に言われましたね、国語の先生が「ここは守られてるわよ」みたいなことを。隣が自衛隊ですしね。
小原:県立伊丹高校での思い出話と上演がリンクしてる部分が面白いですね。中村さんの作品の主人公は自身がモデルなので、伊丹市出身で県高卒業生の設定なんですね。
中村:高校時代のことは具体的な描写じゃなくて、その空気感みたいなところを思い浮かべながら書きました。

■最後に、公演への意気込みなどをお願いします。

小原: 今回、作家には既に活躍されてる方と、いま駆け出しで頑張ってる方、戯曲の勉強中というような方もいて、それぞれに違いがあります。全部の作品を並べた時、もしかしたらとっつきやすさは、新しく書き始めた人の方が入りやすいかもしれませんが、若干奥行きがなかったりする。また、中村さんのような奥行きのある「演劇的な作品の言葉」というのを、まだアイホールで演劇を見てない人たちに伝えることが使命だと思ってます。もちろんリーディングだから限界があると思うんですけれども、一見「難しそうだな」というところをどう演劇として理解してもらうか、ということですね。
また、伊丹市出身のお2人の戯曲の素晴らしさを伝えることにも僕は使命を感じています。どんな人にでもわかる作品にしたいです。
中村:どんな作品になるか楽しみです。あとはおがわてつやさんの音楽も入りますしね。一度、劇団で演奏してもらっているので、今回も楽しみにしています。
小原:おがわさんのオリジナルを当てはめていただいたり、作っていただいたり、既存曲のカバーなどもあるとは思うのですが、演奏も楽曲も素晴らしいので、音楽に持っていかれないようにしたいです。

(2022年11月 アイホールにて)


■公演情報
令和4年度AI・HALL主催公演
「地域とつくる舞台」シリーズ 「伊丹の物語」プロジェクト
リーディング公演『ビューティフル・サンデー』

構成・演出:小原延之

2022年
12月24日(土)15:00
12月25日(日)15:00

公演詳細はこちら

「地域とつくる舞台」シリーズ 「伊丹の物語」プロジェクト リーディング公演『ビューティフル・サンデー』 出演者座談会

アイホールでは、12月24日・25日に「地域とつくる舞台」シリーズ 「伊丹の物語」プロジェクト リーディング公演『ビューティフル・サンデー』を上演いたします。
構成・演出を務めるのは、小原延之さん。劇作・出演には、中村ケンシさん(空の驛舎)をはじめとした伊丹市出身/在住者やアイホール講座出身者が集結。市民への取材や、自身の伊丹での思い出などをベースに創作された作品を、リーディング上演いたします。
そこで今回は、市内中高演劇部出身の出演者たちと小原さんに、作品についてや創作の意気込み、演劇の祭典「アイフェス!!」の思い出などを語り合っていただきました。

→「アイフェス!!」についてはこちら


■企画スタートのきっかけ
小原:前回(平成27年度~29年度)の「伊丹の物語」プロジェクトは3年間かけて創作を行い、非常にクオリティの高い作品が上演されていて、「伊丹に貢献するアイホール」という位置づけだったかと思います。しかし、昨年アイホールの存続活動に参加した時に実感したのは、そういった作品やアイホールの取り組みが「市民や地域などいちばん近いところになかなか届いていない」ということでした。 前回のごまのはえさんの作品には、伊丹在住の俳優がひとり出演していたんですが、 やはり伊丹市民が表現者として劇場に参加して、伊丹市民がアーティストとともに、その芸術性を享受する機会をもう少し色濃くしなくては市民に声が届いていないという現状を非常に痛感しました。
そういったことから、クオリティは担保しつつ、アイホールで育った人たちを中心に市民の方々を出演者に据え市民を観客に迎える、というアプローチの作品にしてはどうかと考えました。企画の中心にあるのは、「伊丹市民が中心になって、伊丹市民のための作品を作ってみたらどうなるか」 ということを意識しています。

 

■今回の公演では、様々な演出で舞台を盛り上げるとともに、障がいを持つ方へのアクセシビリティの向上にも取り組んでいます。

小原:チラシデザインを伊丹市民の鹿嶋孝子さん(鹿鳴舎)にお願いしたこともそうですが、演出的には伊丹市民が目にしているものをそのまま採用するということを意識しています。音楽は、「伊丹オトラクな一日」というイベントなどで活躍されているギター・ウクレレ奏者のおがわてつやさんにお願いしました。写真は市内で撮影されたものを集めて投影します。これも市民が街中で聞いている音楽や景色、風景をそのまま舞台に上げるということですね。
舞台手話通訳に関しては、僕も何本か演出したり、上演を拝見する機会もあって、リーディングに手話というのは相性がいいのではと思っています。手話は直接的な形を表すコミュニケーション方法なので、表現がはっきりしていて、内面にそれを込めるとか、間接的に伝えるということがあまり確立していません。今回は普通の日常会話を手話のニュアンスで表すとどうなるか、ということも挑戦してみたいと思っています。抽象的なセリフをどのように抽象的ではない表現で表すのかなど僕の中でも新しい試みで、アイホール的にも有意義になればと思っています。

 

■今回のキャスティングは、「アイフェス!!」や「演劇ラボラトリー」の出身者などを中心に声をかけていくところから始まりました。
小原:「アイフェス!!」は生徒たちに舞台経験を積んでもらうことで、講評員や技術スタッフらプロの演劇人の考え方がどういうものかということを伝えて送り出しているんですが、実際は社会に出てみると高校時代のような芝居作りができないという理由で辞めてしまう子もいます。でも、今回の出演者たちのように継続されてる方もいて、「卒業生が戻ってくる企画はないのか」という思いもあって、この公演がそのような機会になればいいなと思っています。
また、これも存続活動が関わってくるんですが、「伊丹からは演劇人が育ってない」と言われます。実際には続けてらっしゃる方はきちんといて、「劇団五期会やエイチエムピー・シアターカンパニーに俳優が居て、かしこしばいという劇団もあって」と言うんですけれども、目に見えていないというところが大きいんでしょうね。そういったアピールの意味もありました。
今回作家で演出助手をしてくれる石崎さんは、「伊丹想流劇塾」に第5期生として通っていて、素晴らしい台本を書かれていたのでお誘いしました。

植村美咲さん 俳優。劇団五期会所属。伊丹市出身。市立伊丹高等学校卒業後、専門学校を経て劇団五期会へ。

出演者のみなさんは主に小劇場で活動している方が多いですが、植村さんは「劇団五期会」所属の俳優さんです。植村さんとは昨年「大阪演劇見本市」に出展していた時に偶然出会いました。新劇で得た技術を還元していただければと思っています。
植村:お会いした時、本当に久しぶりだったんですが、中学生の時の「アイフェス!!」の芝居を覚えてくださっていて嬉しかったですね。私は、高校卒業後は演劇系の専門学校に行って、そこで出会った先生に憧れて今の劇団に居ます。その時点でアイホールとは縁遠くなってしまっていたので、今回は高校以来のアイホール出演です。

藤原佳奈さん 俳優。伊丹市在住。県立伊丹西高等学校卒業。H30年度演劇ラボラトリー参加。

小原:藤原さんとも以前出会っていて。2018年にメイシアター『カレーと村民』(作:ごまのはえ)のリーディング公演を僕が演出したときに参加してくれていました。
藤原:あの時は小道具の旗に台詞を書いて演技をしたのをよく覚えています。その後、アイホールの「演劇ラボラトリー空晴プロジェクト」にも参加しました。あとは「アイフェス!!」の受付手伝いなどもしていて、大道さんや米沢さんとはそこで知り合いました。
小原:渡辺さんは、作家として「自分史の会」のメンバーだったのでお誘いしたんですが、元は演劇部の顧問をやられていました。僕は高校演劇の阪神支部大会の審査員を10年ほどやっていたので、そこでも大変お世話になりました。

渡辺美左子さん 朗読赤とんぼメンバー。自分史の会所属(作家名はわたなべみさこ)。伊丹市在住。元市立伊丹高等学校教諭で演劇部顧問。

渡辺:今は引退して、ラスタホールの朗読講座に通った縁から「朗読赤とんぼ」に所属しています。私は市立伊丹高校で20年演劇部の顧問を持っていて、米沢さんや植村さんは教え子になるんですが、私は自分では全然演劇できないから部員にぶら下がっていました。阪神支部でも県立伊丹高校の五ノ井先生*1とかにお世話になって、顧問とはいえ「部員あっての演劇部」という感じで続けてきました。 ただ、「演劇部が潰れないように」ということだけは、一生懸命力を尽くしたかなと思います。彼女たちのように演劇を好きな部員がいてくれたおかげで、私もなんとかついていけた感じだったので、部が今も続いてくれているのも、この2人のような部員のおかげだと思っています。
小原:渡辺先生から見てお二人はどんな高校生でしたか。
渡辺:二人とも部長だったし、脚本も担当していて、みんなを引っ張っていってくれる頼りになる生徒でした。この子たちに任せておけば大丈夫という感じで、コンクールやアイホールに来るときも、「じゃあ私は何時に見に来るから」とだけ言って、部員に頼り切って動いてました。
植村:言ってた言ってた(笑)。
渡辺:今回、顔合わせの時に「こんな奇跡的なことがあるんだ」と思って本当にウルウルきてしまって。まず私が演劇の舞台に上がるなんて考えもつかなかったし、脚本を書くこと自体思いもつかなかった。アイホールの小原さんの戯曲講座に参加したことがきっかけでいつの間にか戯曲を書いて、舞台にも立ってる。毎回、参加してること自体がとても感動的だと思いながら参加させてもらっています。
小原:僕も稽古を見ているとウルウルきています(笑)。高校の先輩後輩である井上さんが石﨑さんの台本で登場するとどうなるのかということもやりたいし、市立伊丹高の卒業生が共演するとか、美しいじゃないですか。中高生時代を見ていた子たちが活躍するのは感動しますね。

■今回の出演者は世代も所属も違いますが、みなさんとの共演についての思いや、高校時代の思い出などお聞かせください。

米沢千草さん 俳優。伊丹市在住。エイチエムピー・シアターカンパニー所属。市立伊丹高等学校卒業。

米沢:私は「アイフェス!!」のお手伝いや、市立伊丹高演劇部のコーチをしていたこともあり、これまでにみなさんと交流はあったんですが、少し世代が離れているので「まさか共演出来るとは」という感じですね。顧問だった渡辺先生の作品の上演や共演できることも「まさか」と思ってますし、後輩である植村さんとの共演ももちろん楽しみにしています。
藤原:私と井上さんとは学年的には被っていないので、現役の時には関わりがなかったんですが、顧問だった五ノ井先生が私の話を県高でもしていたみたいで、知ってくれていて仲良くなりました。今回共演できるのは本当に嬉しいですね。顔合わせの時に読み合わせをしたんですが、姉弟役を演じたのが本当に楽しかったです。また、米沢さんと共演できるのも嬉しいです。

井上多真美さん 俳優。にほひ所属。県立伊丹高等学校卒業。

井上:私も小原さん演出の作品に俳優で出させてもらえるなんて思っていなくて、お話をいただいた時は「これは出るしかない」という感じでした。今、稽古場でも前に小原さんがいて、横に藤原さんもいることに感動してしまって、すごい楽しいです。高校生の時にはまさかこんなことになるとは想像もつかなかったです。
小原:藤原さんと井上さんは、五ノ井先生が県立伊丹西高校から県立伊丹高校に異動された時のちょうど間(あいだ)くらいの世代ですよね。
藤原:私が2年生の時に五ノ井先生が異動されたのでOBOGからのプレッシャーがすごくて、現役とOBOGの間で戦いが起こるというか、現役の「好きなことをやらせて欲しい」という思いと、OBOGの「伝統を守りたい」思いとですごい揉めました。
井上:それ、県立伊丹高でも逆バージョンが起こってました。1、2年上の先輩は五ノ井先生が急に入ってきたことで、対抗心でワッーとなってて。文化が変わってそこで世代間で軋轢が生まれたんですよね。それまでの先輩は結構体育会系だったみたいなので、その感じも変わりました。
小原:その時期も僕は阪神大会の審査員でしたね。作品もよく覚えています。
藤原:県高がコンクールや「アイフェス!!」で褒められているのを見て、当時すごく悔しかったです。こっち(西高)はそれまで五ノ井先生のおかげで毎年一定の成績をとれていたので「今年からどうなるんだ」という視線もすごくて。
渡辺:OBOGに比べられるんや。
植村:「やっぱり五ノ井先生の力が」みたいな。
藤原:高校演劇は現役が好き勝手やってればいいと私は思うんですけど、毎回見に行っては厳しいこと言うOBOGも居るんですよね。それで現役のやる気が下がっちゃう時もあって。だから、私は卒業してからは大会の前ぐらいにお菓子持ってちょっと顔出して「みんなの好きなふうにやってください」ってだけ言う先輩になってました。
小原:いい先輩ですね。
藤原:でも、卒業してから本当にアイホールのありがたさを改めて感じましたね。アイホールは舞台や客席の使い方も自由で色々な使い方ができるので、そういうところも面白いです。
井上:確かに、「アイフェス!!」のことを小劇場の演劇人に話すと、「高校生でそんなことできるの?」と羨ましがられますね。

 

■『ビューティフル・サンデー』では、作家それぞれが思う「伊丹」の姿を描いていて、有岡城跡や三軒寺前広場、日本酒など市民にとって馴染み深い場所やものが次々と登場します。知っているものもあれば、知らなかったものもあり、作品を通して新たな「伊丹」に気付かされます。
小原:私たち演劇人は「伊丹といえば演劇」という印象が強いんですが、長い歴史もあるし日本酒も有名です。伊丹はけん玉が強いというのも一部にはすごく有名なんですが、あまり知らない人もいます。そういった伊丹の様々な魅力を伝えられる作品になればと思っています。

石﨑麻実さん 作家。演出助手。伊丹市在住。かしこしばい所属。県立伊丹高等学校卒業。伊丹想流劇塾第5期生。

石﨑:私は『来るべき日への祈り』という作品を上演します。これはJR伊丹駅前に建っている「カリヨン(フランドルの鐘)」*2をモチーフに、アイホール存続のことなどを重ね合わせた戯曲なのですが、カリヨンについては高校生の時のコンクールでも書きました。その時も意識してはいなかったんですが、私がJR伊丹駅にすごく近いところに住んでいるのもあって、どこか記憶の隅にカリヨンが居て、「いつもそこにあるもの」で「なくなったら嫌だ」と思う存在なんだと今回気付きました。
小原:石崎さんのコンクールの作品も覚えてます。
井上:私はその作品でカリヨンについて知りました。
藤原:昔、カリヨン演奏者の方のドキュメンタリー番組を見たことがあって、それがすごく印象に残っているので、カリヨンが作品に出てくるのは楽しみです。
小原:渡辺さんの作品も市立伊丹高校の思い出を辿る作品で、そこに卒業生たちが出るというのはより一層面白みを感じますね。
米沢:小原さんの演出がどうなるのか楽しみです。

 

■最後に企画への思いや公演への意気込みなどをお願いします。

小原:彼女たちの後輩や現役の高校生が見たりすると思うんですが、観客が「伊丹って演劇を続けていいんだ」と思って欲しいですね。続けている人も続けていない人も、こういう形で帰ってきて、他校の人たちと交流する舞台があるんだと思われたら楽しいと思います。みなさん、「こんな機会があるんだ」っておっしゃってましたが、今の子たちが「こういう機会があるんだな」 と思って成長できるのは全然違う。この機会が、そうやって継続しようとする子たちの支えになればいいなと思います。

(2022年11月 アイホールにて)


*1 五ノ井幹也先生…県立伊丹高校教諭・演劇部顧問。前任校の県立伊丹西高校では12年間演劇部の顧問を務め、2012年春季全国大会出場。2013年県立伊丹高校へ赴任。2022年第46回全国高等学校総合文化祭に出場し、優秀賞と創作脚本賞(作:古賀はなを)を受賞した。ごのいワールド

 

*2カリヨン(フランドルの鐘)…JR伊丹駅西側広場に建つ、複数の鐘を巨大なシリンダー式のドラムで自動演奏したり、奏者が鍵盤とペダルで演奏する楽器。1990年にベルギー王国ハッセルト市より伊丹市へ寄贈された。「フランドルの鐘」は記念塔の名前。詳細はこちら


■公演情報
令和4年度AI・HALL主催公演
「地域とつくる舞台」シリーズ 「伊丹の物語」プロジェクト
リーディング公演『ビューティフル・サンデー』

構成・演出:小原延之

2022年
12月24日(土)15:00
12月25日(日)15:00

公演詳細はこちら

2022年度次世代応援企画break a leg プロトテアトル稽古場レポート

次世代応援企画break a legの連動企画として、本企画の選考委員でもある三田村啓示さんが、今回選出された努力クラブとプロトテアトルそれぞれの稽古場を訪ねた様子をレポートとしてお届けいたします。第二弾は、6月11日・12日上演のプロトテアトル『レディカンヴァセイション(リライト)』です。

 

5月15日(日)15時頃、稽古場である大阪市北区・大淀コミュニティセンターに到着。初のキャスト全員揃っての通し稽古を控え、倒壊したビルに閉じ込められた警備員チーム・大学生チーム・自殺志願者チームが一堂に会する、ラストシーンの稽古が行われているところだった。ペレイラ氏からの指示や感想をもとに、台本上に書き込まれている情報が少ないある登場人物のバックボーンや、ラストシーンのある効果について、どのようなイメージ・リアクションになるのかなどキャストからも質問や意見が上がり、ディスカッションが自然と始まる。約1時間の稽古後、作・演出のペレイラ氏からは、

 

「皆さん今までずっと割り稽古だったので、他の人の芝居やシーンなど見れていないし、僕自身も全体の流れまで見えていないと思うんですが、まだ芝居を固める時期ではないと思いますし、この作品の核が出来てくるのはこれからだと思います。まずは楽しんでやってください」

 

そう、今日の時点で本番までまだ4週間ほどある。

通し稽古は17時からオンタイムで開始、通し準備を兼ねていったん休憩時間に。

 

「(他の作品も)今まで何度か再演はやってきたんですが、全て初演と比べて1ミリも同じ部分がなかったんです。その点、今回はちゃんと「再演」しようと考えてはいるんですが、僕の興味の対象も移っていて、初演の時にやっていたことのもっと向こう側に行きたいですね。あと、今のメンバーと初演時のメンバーが似てるけどどこか違うということもありますし、題材やテーマ、台本をそのまま使うのではなく、ちょこちょこ(台本を)変えているんですけど、まだ変えようとは思っています」

 

「声をどう響かせるか。アイホールの高い天井とどう戦うかが仕事」

 

と言うペレイラ氏。舞台美術の大枠はほぼ決まっている模様で、稽古場の床にはアクティングスペースが縮尺で再現されている。そして自然と舞台美術の話に。これまでにアイホールで観た演劇作品で印象に残っている舞台の使い方について。燐光群、ニットキャップシアター、dracomなどなど… 

ちなみに大阪市立芸術創造館での初演時(2019年)の舞台美術は、劇場にある平台を全て使ったとのことで、かなり建て込まれていた印象があった。転じて今回の再演は「色々悩んだ」が、「元々はツアーできるような作品にしたかった」ので必要最低限でいきたい、とのこと。むしろ、初演の方が「美術がああなるとは思わなかった」ようで、今回の再演・リライト版が本来の『レディカンヴァセイション』と言えるのだろう。

 

これまでの稽古について俳優の岡田氏いわく、「先週くらいにようやく全員が直接顔を合わせて、はじめましての挨拶が済んだ」とのこと。初演の稽古場では常に俳優全員がいたが、再演はコロナ禍を考慮して、シーンごとに必要な俳優だけを集める割り稽古の形で慎重に進められてきたようだ。

 

「ずっと割り稽古のみだったので、どういう流れでラストシーンにつながるのか自分でもよくわかってないんです。読み合わせ以外で、全員で動きもついて通すのは初めてですね」

「自分もだけど、今日まで俳優はストレスフルだったと思います、自分のシーンしか知らないから」

「(コロナ禍にまつわる演劇の様々な変化について)それは決して衰退ではないと思います」

 

と、演出席で語るペレイラ氏の前には、自身の物だという複数のパソコンやタブレットが並んでいる。それぞれword用、メモおよび台本PDF閲覧用、ストップウォッチ兼ネットに接続されている連絡事項などの確認用、と大きく分けられている模様。そして場面転換の音楽も自身でiPhoneから流している。これまでの演出助手の経験や、近年俳優としてレギュラーメンバーに定着している庭劇団ぺニノで必要とされるような、膨大な数の小道具の段取りをスムーズにこなしながら芝居をしたり、厨房のセットで実際に料理をしながら芝居をするなどのマルチタスク処理の経験が、自身の演出の際にプラスになっているのかもしれないし、そういうのが楽しい、とペレイラ氏。

また、稽古場の隅にもノートパソコンとビデオカメラが鎮座しており、これで常に稽古場の映像を撮影して記録しているとのこと。西中島南方の稽古場の際はそれをネットにつなげて生配信しており、そこを多忙なスタッフや海外在住の演出助手(!)が訪れることもあるらしい。そう、この座組、クレジットを見ていただければわかるのだが、演出部として総勢4名の演出助手がいる。その重要性を語るペレイラ氏。大まかな役割分担としては、稽古や通し稽古を観て感想や意見などのフィードバック・小道具・プロンプなどに分けられるそうだが、どうしてもトップダウンで閉鎖的になってしまいがちであり、それ故の問題が顕在化してきているようにも感じられる演劇作品の創作環境について、コロナ禍で一気に進んだリモート化も活用して外からの多角的な視点を導入し、風通しを良くしたいという意図があるようだ。

会話は尽きないがそうこうしているうちに17時となり、第1回通し稽古が始まった。

 

笑いが絶えない賑やかなムードの中、通し稽古終了。上演時間は約1時間50分。

上演時間は今回より長くなることはないと思う、と言うペレイラ氏。

 

「個人的には点と点がつながった感じがしました。個別のシーンで観たら(他と)つながるのだろうか、と思っていたところもありましたが、通しで観ると全体として同じ方向を向いていることを認識できて、楽しんで拝見させていただきました」

 

続いて、通し稽古のフィードバックが始まる。

 

「稽古場のサイズの問題かもしれませんが、演者同士のボリュームバランスが違うところがある、特に物理的に遠い距離でしゃべっている設定の役についてはボリュームバランスを調整・確認していきたい」

 

など、通し稽古での俳優個々の演技、動作や台詞のニュアンスや段取りへの細やかなオーダーが続く。ただいわゆる一方的な「ダメ出し」ではなく、俳優からもなぜそうなっているのかの説明や理由、ペレイラ氏への質問や提案などが積極的に出る、双方向の検証の場になっているのがとても良い。衣裳の確認後、初めて全員が揃ったこともあり、主に終盤の全員登場シーンをさらに返し稽古し、稽古は終了となった。

 

さて、「ちょっと笑いに走りすぎていたかも」というフィードバックもあったものの、笑いが頻繁に起こっていた今日の通し稽古を観て、(定点映像とはいえ初演も観たのだが)もしかしたら私は勝手にこの『レディカンヴァセイション』に偏った先入観を持っていたのかもしれない、と思った。確かにチラシ裏面には「大きな地震により、山の奥深くのとあるビルに生き埋めになった人たち」による「極限状態の人間を描く」会話劇とあるが、本作はそのような状況に置かれた人々をリアルに描く重苦しい劇、ではない。ペレイラ氏自身も語っていたが、「会話」という営みを描くことの方にフォーカスが絞られた、ある種抽象性が高い、どこか滑稽ですらある「不条理劇」なのだ(実際、初演時は客席で大きな笑いも起きていたようだ)。更なる改稿が重ねられ、これからどのように進化するのか期待が高まる。

 

それにしても最後のbreak a leg、コロナ禍という状況故なのか偶然にも、テイストは異なるが「会話」にフォーカスを絞った作劇を行う二団体が揃った。記者会見にて元アイホールディレクターの岩崎氏が、努力クラブの印象として“ゴツゴツしたイシツブテ”みたいな会話、プロトテアトルの印象として“精密な会話劇”と語られていたが、両団体の稽古を覗いてみて、上演される作品はもしかしたら逆の印象になるのかもしれない、とも感じた次第。その結果はぜひ劇場で確かめていただきたい。皆様のご来場、心からお待ちしております。

 

 

(2022年5月 大阪にて) 

 

文:三田村啓示(break a leg選考委員・舞台俳優)


☆公演情報

次世代応援企画break a leg

プロトテアトル 第11回公演『レディカンヴァセイション(リライト)』
作・演出|FOペレイラ宏一朗
2022年6月11日(土)・12日(日)
公演詳細

次世代応援企画break a leg共通ページ
※関連企画「試作と努力、舞台美術」についての詳細あり。
 

2022年度次世代応援企画break a leg 努力クラブ稽古場レポート

次世代応援企画break a legの連動企画として、本企画の選考委員でもある三田村啓示さんが、今回選出された努力クラブとプロトテアトルそれぞれの稽古場を訪ねた様子をレポートとしてお届けいたします。第一弾は、6月4日・5日上演の努力クラブ『誰かが想うよりも私は』です。

 

5月12日(木)19時より10分ほど前、稽古場の京都芸術センター・制作室12に足を踏み入れると、ぐるっと四角に組まれた長机に作・演出家、俳優陣が座り、すでに完成したという台本の恐らく一部の読み合わせが終わった直後の様子だった。惜しい、もう少しだったのに…と私は思った。努力クラブの稽古場はたわいもないであろう日常に関しての雑談から始まることが多い。しかし、たわいもない雑談と作家・合田団地氏の台本および努力クラブの稽古はシームレスであり、ゆえに雑談は努力クラブの劇のための体づくりの一環である。そして、雑談の尊さこそが努力クラブの劇世界の魅力に結果的になりえているのではないかと、この約2年を経て、私はより感じるようになったのは確かである。

 

稽古場の隅っこに位置取った私のそばでは、稽古の2回に1回は稽古場にいるらしいという美術家の松本氏と照明家の渡辺氏が、木で作られた舞台美術の模型をもとに軽く打ち合わせ中。19時からの初の立ち稽古の前に、私も松本氏と舞台美術の模型をネタに少し話す。ついつい、舞台模型を私の脳内アイホールに当てはめてみる、そして俳優たちを置いてみる…なるほど、今までの努力クラブ作品ではこんな画は存在しえなかったのではないか、これもアイホールという高さのある空間あってのプランに違いない、と楽しみになってくる。そうこうしているうちにこれから立ち稽古とのこと。どうやら台本が完成して以降も、細かなことばのニュアンスを調整するような座学での読み合わせ稽古がずっと続いていたらしい(まるで『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介のメソッドみたいじゃないか! と思ったのだが、制作の築地氏いわくそのことを本人は知らなかったらしい)。

 

机を移動させ、おもむろに始まる立ち稽古。舞台美術案はすでにほぼ決まりのようだが、

「まだ立ち位置とか全然決めていない」

「いったん二人で並んで向かい合ってもらって…平行でも大丈夫です」

と合田氏。

さて本作は、「恋を成就させるために手段を問わず行動する”すぐに好きな人ができる女の子”」を中心とした話である。キャストは全9名だが、基本的に二人芝居の連鎖で進行していく形式の模様。台本冒頭から、主人公の女の子と彼女に告白する男の子のシーン、主人公とその友人の女の子のシーン、主人公と今の彼氏のシーン…という風に二人芝居の断片が続いていく。シーンのたびに合田氏からは、なるべくじっとしてみてほしい・大きく動いてみてほしい・正対してみてほしい・半身になってみてほしいなど、主に俳優の体の状態に対するオーダーが飛び、俳優もそれに応える形で進行。

 

数シーン流したところで合田氏からは笑みとともに、

 

「やろうとしていることはもうできているんですよー、二人でしゃべっていてあまり動きもない、こういう感じのを、場所を変えて連続してやっていきたい」

「まだ固まっていなくて申し訳ないんですが…ここで向き直ってくださいとか、ここで力を入れてくださいとか、ここで距離をつめたり逃げたり…みたいな細かなことを本当は言いたいんですがまだ今日は言えないんです、考えてきてなくてごめんなさい、考えてこないと出来なかったです」

 

とは言うものの、

 

「普通の気持ちいい距離感よりは、ちょっと(距離を)つめる方がいいのかもしれない」

「意外と声量を上げてくれる方がいいかも」

「(観ていて)充実感としてはあるんですがどう伝えたらいいのかわからなくて」

 

などのコメントのあと、作品の方向性がなんとなく見えた! ということでいったん休憩に。遅れて来るキャストの合流後、初めて読みあわせで通しをするとのこと。

そして休憩時間に参考資料として皆に提示されたのは、美術の松本氏から提供されたという、写真家・植田正治の写真集である。

(写真は不勉強なもので)私はこの写真家の作品を恐らく初めて見たわけではなく、どこかで見たような気はする。ただ作品と名前を一致させた状態では初めて見たことになるのだが、なんとも不思議な…砂丘を舞台に人物が配置された、まるでシュルレアリスム絵画のような写真である。俳優陣からも「マグリットみたい」という声が上がる。この写真群のイメージをふまえて合田氏からはさらに、

「二人がずっと正対してやってくださいって言ってるんですけど、正対しないかもしれない」

「(最終的には)体を自然な感じにしないような気がしている」

 

この写真集及び写真家の作品に共通する質感が、本作品のビジュアル・イメージとなるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

休憩中、模型をもとに合田氏と(主に照明について)スタッフの話し合いがおもむろに始まる。照明について、今回はカラフルにしてほしいという希望に、「あら珍しい(笑)」と渡辺氏。合田氏からは、カラフルといってもビビッドなものではなくドロップのカラフルさが欲しい、あまり暗いイメージにしたくない、照明が劇の進行に必ずしも付き合う必要はない、などなど。

休憩が終わり、稽古再開。

 

「机を片付けてしまったんで、床に座っても立ってもいい、ふらっと歩きながらしゃべってもらっても、寝ていてもいいです」

「声を気持ち大きめに出してみてください」

 

というオーダーのあと、初のキャスト全員そろっての読み合わせ通しが始まった。

 

読み合わせ通し終了。ランタイムは大体105分ほどか。

 

「いや~、おもしろいけどな…(上演時間)130分くらいになりそう…」

 

と合田氏。途端にスタッフ・俳優陣からは驚きの声が漏れる。

 

「いや、聞いてないんですけど!! 130分てそんなの!!」

「途中休憩挟まなきゃ…」

 

続いて合田氏からは読み合わせ通しをふまえて、

 

「シーンごとの空気の変化が極端にある方がおもしろい、メリハリを作りたい」

「確信犯的に会話の中で間を長くとったり、空気を止めたりしたい。小さい声やゆっくりしゃべったりとか…会話が流暢に流れていくと良くなくて、淀みがおもしろい。それを作れるような態度で居たいです」

「『演技』っぽくならないようにしたいです。(俳優が)下手で良いので、って言ってしまうとあれですけど、そっちの方が難しいので…下手に見えてもいいので…いや違う(笑)、下手に見えかねないようなところでいたいですね。その方が、(会話が)スムーズに流れていかないので。スムーズに流れていかないようにしたいです」

 

上演時間が最終的に130分ほどになるのでは、という発言の裏には、今回の読み合わせ通しの特に前半部分、会話がスムーズに流れすぎているという懸念があったようだ。とはいえ、

 

「めっちゃおもしろいっすね。おもしろくなると思います」

 

と、力強い言葉も!

だが、制作担当の劇団員築地氏は上演時間を気にしている。なぜならチラシには上演時間が110分とすでに記載されているからだ。

 

「…130分はいく?」

「わからん、120分内には収めるけど……123……120分って言い切れるとこには収める」

「でも110分って」

「でも僕120分って言いました最初」

「いいえ110分」

「120」

「110」

「120」

「110」

 

上演時間をめぐる合田氏と築地氏の口論が始まった。

 

「まあまあまあまあ、落ちつきましょうや、お二人さん!!」

 

見かねた劇団員・佐々木氏の仲裁の大声が稽古場に響く。

 

「辞めましょうよ!! 大人がみっともない!!」

「飯でも食いに行きましょうや!!」

 

しかし佐々木氏の奮闘むなしく、上演時間を巡っての二人の楽しい口論は終わらない。おもしろい。まるで別作品の上演が始まったかのようだ。

騒然とした雰囲気のまま、稽古場退出時間に。退出し始める俳優陣。稽古はお開きとなった。

 

帰りに合田氏・築地氏と軽く話す。

読みあわせ通しにも関わらずこの作品、私は楽しんだ。(現段階であまり詳しいことは書きにくいのだが)この作品は、ほぼすべての登場人物が極めて平易な言葉で、ほぼある一つの感情(状態)にまつわるやり取りを延々とし続ける。そのことで観ている我々はいつしかじわじわと、常軌を逸した純化した世界に連れていかれるのである。それは合田氏言うところの「イリュージョン(立川談志)」―私にとってそれはミニマルミュージックにおける反復の果ての高揚に似たものだった―の到来を予感させる通し稽古であり、「現代社会を切り取ったようなリアリティ溢れる人間関係の機微」は確かにありつつも、それを超えて、このカンパニーの作品がこれまでにない新しい領域に踏み込もうとしていることをも感じさせる。これから本格的に始まる立ち稽古を経て、俳優の体を通してアイホールの舞台上で、果たしてどのようなイリュージョンが現出するのか…皆様、ご期待ください。

 

(2022年5月 京都にて) 

 

文:三田村啓示(break a leg選考委員・舞台俳優)


☆公演情報

次世代応援企画break a leg

努力クラブ 第15回公演『誰かが想うよりも私は』
作・演出|合田団地
2022年6月4日(土)・5日(日)
公演詳細

次世代応援企画break a leg共通ページ
※関連企画「試作と努力、舞台美術」についての詳細あり。
 

2022年度次世代応援企画break a leg
合田団地(努力クラブ)×FOペレイラ宏一朗(プロトテアトル)インタビュー

令和4年度次世代応援企画break a legとして、努力クラブ『誰かが想うよりも私は』(6月4日・5日)、プロトテアトル『レディカンヴァセイション(リライト)』(6月11日・12日)がまもなく開幕します。本企画は、今回が最終開催となります。

作・演出を担う、合田団地さん(努力クラブ)とFOペレイラ宏一朗さん(プロトテアトル)に、今回の公演についてお話いただきました。司会は、劇団太陽族代表で、次世代応援企画break a leg選考委員の岩崎正裕さんです。

 

★今年度の次世代応援企画break a legについて

岩崎:令和4年3月末日までディレクターだった岩崎正裕です。私がアイホール関連の会見で登壇するのは、実質最後となります。ディレクター職は13年間だったんですね。そしてbreak a legが今回10本目ということで、これが「10本目が区切りだからやめよう」ということではなく、たまたまということが、何か悔しい思いでいっぱいでございます。今回で最終開催となるこの「次世代応援企画break a leg」は、年度明けたばかりの4月~6月に上演する劇団が少なく、その期間を若い劇団の登竜門として使ってもらおうということで立ち上げました。また、アイホールは、他のホールに比べると若手の団体には敷居が高いんです。そこで、本企画を機にアイホールを使い続けられる若い劇団やユニットが育ったらいいなというような思いで、イベントホール施設利用料や設備費が免除になる条件にして続けてまいりました。前回まで審査を共にしてくれていた劇作家・演出家の泉寛介さんが東京転勤になったため、今年度開催の選考委員については、舞台俳優の三田村啓示さんに次のバトンが渡されておりました。三田村さんにはこれから頑張ってもらおうと思った矢先に、1回のみで終わってしまうことになりました。

 

 

 

三田村:まず、選考への参加が1回きりとなってしまい大変残念です。仕方のないことだと受け止めるしかない一方で、自信を持って送り出せる二団体を結果的に選ぶことができて、ほっとしています。二団体とも、このbreak a legの他にもこれまでいろいろな劇場の企画に参加をしており、あとこれから参加する予定もあり、共に旗揚げから約10年のまさに若手から中堅に移行する非常に脂ののったタイミングに、このアイホールで作品を上演していただけるということで、私自身もすごく楽しみにしております。ファイナルにはなりますが、ぜひたくさんのお客様に来ていただきたいので、稽古場レポートや劇評といったコンテンツに僕も関わり、ささやかではありますが、よりこの企画を充実させていきたいと思っておりますので、あわせてぜひチェックしていただけたらと思っております。

 

★努力クラブ


■“ネガティブ”を肯定する

岩崎:努力クラブは描かれてる世界はめちゃめちゃネガティブですが、決して絶望で終わってないなと思ったんですよね。人間って本質的にはこうだなって感じるホンであり、僕自身は温かみも感じました。そのあたりが魅力的だなあと思っています。また、団体の完成度というよりは、みんなが一つの問題にしっかり向き合って演劇が作られてるという感じがしました。

 

合田:努力クラブは2011年に京都で結成しました。今年で活動が12年目になるので、本当に若手と言っていいのかという葛藤があります。
僕らはネガティブで、心の内側にあるなるべく人目に触れさせないものを、舞台上に載せた上で、それを肯定したいと思いながら、毎回作っています。例えば「高校生の男女が家に居場所がないので、深夜の河原でただただ喋ってる」だけのお芝居や、「終電を逃した女の子2人が、家に帰るために車を持ってる彼氏を呼び出して、結局家に帰らずに海までドライブに行く」みたいな、そんなお芝居です。

 

■『誰かが想うよりも私は』について

合田:この作品だけでなく、僕が書く戯曲は恋愛のお芝居が多くて、もうほぼそれにしか興味がないんです。今回、主役は女の子で、今付き合ってる人がいるのに他に好きな人ができてしまって、色々な人を傷つけてしまうんです。僕自身もそうで、彼女ができたら寂しくなくなるのかなってずっと思ってたんですけど。そんなこともなくて、どうしたって寂しいし、孤独感がある。そんな僕の苦しみを、主人公の女の子の姿に託したいです。 「死にたい」だとか言って、周りの人の気を引くみたいな「かまってちゃん」という、一般的には迷惑な人とされている人がいますが、僕自身は構ってもらいたがっているんだったら全力で構ってあげたらいいじゃないかと思うんです。みんなからは嫌われて、あんな女やめておいた方がいいよみたいなことを言われるけど、でもある人には好かれるような、そんな人の内側を舞台に乗せたいと思います。

 

 

■自分を救うための表現

第14回公演『救うか殺すかしてくれ』より 撮影:小嶋謙介

合田:そんなだから、僕自身は苦しみを劇化しても全然解決されてないんです。僕の作品に対して、観客は本当の意味での共感はきっとできないと思いますが、近しい苦しみみたいなことは、皆さん経験しているんじゃないでしょうか。だから観劇した人にはこういう事態にならないで欲しいという願いを込めてます。それを観て、共感する人は共感してほしいし、全然わからないなと思う人は呆れて笑ってもらったらいいなと思ってます。そういう意味でコメディにできればと思っています。

 

★プロトテアトル


■精密な会話劇

岩崎:プロトテアトルさんと努力クラブさんはどちらも会話劇ではありますが、努力クラブさんが“ゴツゴツしたイシツブテ”みたいな会話だとすると、プロトテアトルさんは“精密な会話劇”という印象でした。ペレイラさんは近畿大学ご出身ですが、近大ならではの対話劇のエッセンスみたいなものが非常に巧みに練り上げられてるなと思いました。応募資料で見た『ノクターン』も装置や人物の配置など含めて「対話劇のお手本」のように作られていましたね。

 

第10回公演「ノクターン」より 撮影:河西沙織(劇団壱劇屋)

ペレイラ:プロトテアトルは、近畿大学に在学中の2013年に同級生たちと一緒に旗揚げしました。作風はそんなに決めてないのですが、僕は日本語の会話が好きなんです。日本語は一音一音だけでなく、無音にすら意味がある。発するのにすごく気を遣うし、諸刃の剣のように抜き身で相手の会話を受けて自分がどう変化してどう選択するのという選択の連続をずっと強いられてるような、ゾクゾクする日本語特有の会話の不出来なシステムが僕はすごく好きなんです。演劇の登場人物たちは限られた時間の中でしか台詞を発せないし、たぶん語られてない言葉があると思うんですが、舞台上になかった言葉を想像するのも好きで、そういうことを考えながら創作しています。

 

■『レディカンヴァセイション(リライト)』について

ペレイラ: 「レディカンヴァセイション」は2019年の6月に初演しました。言葉だけのやりとりに重きを置きたかったので、地震によって山奥にあるビルが崩れて、たまたまそこにいた人たちが、お互い一切相手の状況が見えない中で会話をするシチュエーションを作りました。見ず知らずの人たちが一つの大きな不利な状況の中でどのような言葉を交わしていくのか、あるいは交わさないのかということを追求した作品です。当時は、まだコロナもなく、マスクを外して稽古していて、その時は「どういうものが会話なんだろう」「会話劇ってそもそも何だろう」ということを思いながら創作していました。初演の時は、1時間40分ぐらいの作品だったのですが、今回はさらに台詞を加えています。コロナ禍になり、リモートで直接対面できないことや、マスクをしていて相手の顔を見て喋ることが難しい時代になったりしたのを踏まえて、もっと登場人物たちに会話を続けさせてあげたいと思うようになったからです。タイトルに加えた「(リライト)」には書き直すという意味だけでなく作品に再び光を灯すような意味も込めています。

 

■創作することへの思い

ペレイラ:僕は「FOペレイラ宏一朗」という名前で活動していますが、本名は「福島オリヴェイラペレイラ宏一朗」と言います。血筋にポルトガルの血が入っていることで、いじめられこそしないものの、居心地の悪さを感じることや偏見の目で見られることを小学生から高校生ぐらいのときに経験しました。だからかもしれませんが、自分はどういう人間なのかということを常に考えながら生きていました。それが演劇の創作や自己表現に繋がっている気がします。演劇の中に明確な答え自体があるわけではないですが、自分の考えてる価値観や考えを共有したり、反射して自分に返ってきたりということが楽しいので創作を続けているんだと思います。

 

 

★質疑応答

Q. お2人はアイホールで自作を上演するのは初めてかと思うんですけど、アイホールという存在をこれまでどういうふうに思い描いてましたか。

合田:役者としてアイホールに何回か立たせてもらったことがあって、オシャレしている部分がどんどんはぎとられていくような場所だと感じて、それが面白いなと思ってました。京都では演技でも演出でも装飾してる部分を面白がっていたんですが、アイホールではそれらがどんどんはがされていくんです。だから、アイホールは、裸…いや違うな…ボロボロな服でたどり着くような場所です。オシャレする必要がない、お寺の本堂とかにいるときに近い気持ちです。

 

岩崎それは痛々しいこと?それとも素敵なこと?

 

合田痛々しいから素敵なことですね。

 

岩崎まさに、合田さんの劇構造とバチッと繋がった! 

 

ペレイラ:僕は大学時代からアイホールにはちょくちょく観劇のために来ていて、「面白い演劇が見られるホール」というイメージを持っていました。この空間がそのイメージを作ってるんじゃないのかなと思うぐらい、この建物、劇場っていうものの存在が自分の中ですごく大きかったです。だからアイホールは、自分の世界の延長線上にないというか、もっと別の世界にあるものに見えていました。でも昨年、ここが演劇ホールじゃなくなるかもしれないと聞いた時に、それは嫌だという思いが湧いてきたのもこの企画に応募した理由の一つです。アイホールは、関西の中で僕のいちばんの聖地ですね。

 

Q.アイホールという自由でかつ、巨大な空間をどうのように使いますか。

合田僕はなるべく小さく使いたいなと思ってます。「大きな空間」対「小さな私たち」という感じで、空間に対しての自分たちの小ささみたいなことを思い知りたいなと思ってます。

 

ペレイラ僕もちょっと小さく使いたいです。ただ僕の中で、アイホールの空間は横より縦が長いという印象があります。この高さを活かしきれないと作品は負けるというか、お客さんにフィットしないんじゃないのかなと思うので。作品的にちょうどビルの中に埋まっているので、この縦の空間を生かして、お客さんの見る範囲を狭めようと思います。
それと今回、break a legの関連企画として、同じアイホールで2団体の公演期間中に展示企画「試作と努力、舞台美術」を開催します。努力クラブとプロトテアトルの舞台美術に関する展示はもちろんのこと、デザイナーの山口良太さんによる「2002/2022」などのインスタレーション作品も展示いたします。こちらもよろしくお願いします。

 

 

Q、岩崎さん、この企画はファイナルになりますが、改めて10回開催した成果や意味について総括していただけますでしょうか?

岩崎:10回続くってやっぱりすごいことですよね。参加団体の数もさることながら、10回にわたって紹介するべき若い団体が出てきたことは、関西の底力だと思うんです。アイホールは、ある時期から意外と若い人たちが足を踏み入れにくいと言われてたんです。だから合田さんやペレイラさんがおっしゃったように確かにちょっと「遠い」んですよね。でも若い人に未来へ繋いでいってもらわなければということで、「次世代応援企画break a leg」は誕生しました。だからこそ「この企画こそ続いていかなきゃいけない事業なんだ」と私は思っています。これだけ若い劇団を紹介し、文化を支えてきた伊丹市において「break a leg」は大きい誇りだと思っています。

 

 

 

 

 

Q:この企画では、他の都市から来てる劇団もいましたよね。そのあたりのこれからのアイホールの役割についてはどう思われますか。

岩崎:東京のみならず四国の劇団が来てたりもするので、交流の交差点として機能しています。ただ、これから共催や提携という枠組みそのものがなくなると、どの劇団も予算的な措置はかなり厳しくなるだろうなと思います。この規模で、いろんな都市にある小さい劇団、あるいは人気劇団を招聘するということをアイホールはずっと継続していました。それが関西のみならず、たくさんの演劇ファンに紹介できる劇場であったと思います。昨年、市民説明をしなきゃいけないということで、市の担当課が各中学・高校の演劇部を回って、「アイホールを維持するのに年間9000万かかる」という説明を部員と顧問を前に行いました。結果的に劇場は残ったけど、事業企画のための予算は一握りしか残りませんでした。その時、ある伊丹市内の高校の先生が昆陽池という市民の憩いの場を例に出してこう言いました。「昆陽池は残ったけど、水がなくなった」と。いやその通りだと思うんですよ。

要するに、劇場はそこを使う団体や企画者があってこそなんです。アイホールは底の見えてしまった池で、この「break a leg」に選出された二団体が最後に残った一滴の水なのかなと思っています。だから、この二団体には最後のきらめきになってほしいなと僕は思いますし、難しいかもしれないけど、やっぱり次またアイホールを使ってくださいと思っています。そのあたりも含めて今回、良い形で、良い作品を見せていただければと思っております。

(2022年4月 アイホールにて) 


☆公演情報

次世代応援企画break a leg

努力クラブ 第15回公演『誰かが想うよりも私は』
作・演出|合田団地
2022年6月4日(土)・5日(日)
公演詳細

プロトテアトル 第11回公演『レディカンヴァセイション(リライト)』
作・演出|FOペレイラ宏一朗
2022年6月11日(土)・12日(日)
公演詳細

次世代応援企画break a leg共通ページ
※関連企画「試作と努力、舞台美術」についての詳細あり。
 稽古場レポートも近日追加予定

市立伊丹ミュージアムオープン記念事業
ごまのはえ×いいむろなおき 対談

伊丹市で4月22日(金)にグランドオープンする「市立伊丹ミュージアム」の開館を記念して、東リ いたみホールとアイホールで親子で鑑賞できる2作品を上演します。
東リ いたみホールでは、5月15日(日)に人気の絵本を題材とした新作『がまくんとかえるくんとキミのおはなし』。アイホールでは、5月28日(土)・29日(日)に3度目の登場となる『かえるの? 王子さま』が登場。
今回は、それぞれの作品で作・演出を務めるごまのはえさんと、いいむろなおきさんにお話を伺いました。

 

■『かえるの? 王子さま』はアイホールで3度目の上演となります。改めてどのような作品か教えてください。

いいむろなおき(以下、いいむろ):『かえるの? 王子さま』は、「かえるの?」とクエスチョンマークが入っています。これは生き物のカエルと「帰るの?」と尋ねるダブルミーニングになっています。お話は、私が演じる王子様が、お家に帰るまでを描くすごく単純なストーリーですが、いろいろなアクシデントや冒険があります。大事なポイントとしては、小道具に日常生活で身近にあるような道具を使ったり、パントマイムも簡単で楽しい要素を詰め込んだりして、「お家でちょっとやってみたいな」って思ってもらえるようなアイディアを盛り込んでいるところです。あと、今はコロナ禍ということもあり、積極的にはできないですが、本来はコール・アンド・レスポンス(客席との掛け合い)がたくさんあって、観客と舞台が一体になるようなライブ感のある舞台です。

 

 

ごまのはえ(以下、ごま):昨年、家族で『かえるの?王子さま』を観た時に、子どもたちがすごく楽しんでるのを見て「あーいいな」と思いました。そういえば、客席から声援があがったりしてたと思うんですけど、そのあたり、今回何か対策ってありますか。

いいむろ:初演では、客席に入っていったんですけど、昨年はそれをやめました。代わりに「上演中に手指消毒をしてますよ、皆さんも、もし気になる方は消毒してください!」というお芝居を入れました。一つ笑いにするような形で、日常を忘れたいっていう意味でも楽しく織り込んでいけたらいいかなと思っています。

 

■劇場に初めて来るお子さんも多いと思うんですけれども反応はいかがでしたか。

いいむろ:公演後に、僕を見かけた男の子から、劇場をでたところで声をかけられたんですよ。「あ、王子さまだ。家に帰れたかな」って。物語が終わってからもずっと続いているような、そんな印象を持ってもらえたのが、すごく嬉しかったですし、やっぱり舞台の上から見てても、子どもたちが熱狂する感じとか、すごく印象に残ってます。

 

 

 

 

 

 

 

■ごまさんの『がまくんとかえるくんとキミのおはなし』はどんな作品になりそうですか。


ごま:本作は、アーノルド・ローベルという絵本作家の人気シリーズ「がまくんとかえるくん」を舞台化するものになります。これは、市立伊丹ミュージアムの開館記念として、『アーノルド・ローベル展』が行われるので、そのつながりです。前半は音楽の生演奏と共に楽しむ絵本の朗読。後半は絵本にインスパイアを受けたオリジナル劇になります。

いいむろ:演奏はどんな方が来られるんですか。

ごま:宮川彬良さんのアシスタントも務められていた若山祐美さんを音楽に起用し、アンサンブル・ベガのメンバーなど実力派の方に演奏いただきます。

いいむろ:すごく楽しそうですね!

ごま:原作に惹かれて来た方にも、音楽に惹かれて来た方にもどちらにも楽しんでもらって、「がまくんとかえるくん」の良さを引き出すような作品になればなと思っています。

 

■ごまさんは、今回の作品でこういうことやってみようかなというプランはありますか。

ごま:コロナ前は、客席をつかった舞台作品とか、子どもたちと巡るバックステージツアーのような演出をやっていたので、子どもの目線でどう見えるかというのを確認しながら芝居を創っていました。コロナに入ってからは、子ども向けの公演を演出も含めて担当するのは、はじめてじゃないかな。でも今回は、子どもだけでなく、親子向けというイメージでやってます。「がまくんとかえるくん」の『おてがみ』は教科書にも載っているお話なので、かつて教科書で原作を読んで大人になった人が一人で来てもらっても、子どものころの気持ちを思い出してもらえるような、懐かしんでもらえるような作品になるかなと思います。

 

 

 

 

 

■ごまさんにも最近新たにお子さんがお生まれになって、影響を受けそうですか。

ごま:まだここが変わったという実感はないですね。これから何か変わってくるのかなと思いますけど。でも、そういうのが作品に表れたらちょっと恥ずかしくなりますね。ただ、劇作家をやらせてもらってるので、親御さんの気持ちとか、子どもの気持ちとかを、獲得できたらいいなと思っています。

 

■ごまさんは今回、ご自身のカンパニーのメンバー以外の方も入った座組になっていますね。

ごま:いつも一緒に創っている人たちだけではやらずに、なるべく“初めまして”の方を入れることは、どの公演のキャスティングの時にも意識的にやっています。そうすることでいつも一緒にいる人たちの違う面も出てきますから。

 

■いいむろさんはパラリンピックの開会式に出演され、幅広い人に対するアプローチに繋がっていくのかなあ、と思ったんですけど。

いいむろ:パラリンピックの開会式に出たことで、やっぱり僕自身も変化はありました。例えば車いすの方なら、この段差越えられるかなとか、ここに入るときどうするのかなとか、この道はちょっと狭いなとか。障害のある方が困るんじゃないかなというのに対して、ちょっと違って見えてきました。あと、僕の公演の時は、ろう者の方がよく来られるんで、その人たちがどういうふうに見るかなあとか。特にマイムは言葉がない世界なんで、それを知ってもらって、楽しんでもらえるといいなっていうことは、強く考えるようになりました。

 

 

 

 


■今回の公演の稽古で大事にされたいことはありますか。

ごま:あまり頑張りすぎると”時間泥棒”に時間を取られていってしまうので、作る側もしっかり準備して楽しんで作っていきたいです。追い詰められないように、作る過程そのものを心の余裕をもってできるようにやっていかなきゃなーと。そういう風にできたら、作品のテーマともうまく合うような創作になるのかなと思います。どの現場もそうなのかもしれないけど、特にこの作品は、あまり必死に作るのはちょっと違うなと感じます。いいむろさんはもう、稽古に入ってるんですよね。

いいむろ:はい。僕もごまさんと一緒で、テーマ的にやっぱり「楽しい」っていうことがあるので、本当に遊びながらアイディアを膨らませたりとか、あとカエルのパペットが出てくるので、新しい動きをみんなでキャーキャー笑いながら作ってて。楽しい雰囲気がそのまんまお客様と共有できたらいいなあって思います。特に今はコロナ禍でしんどいことが多いじゃないですか。そういう意味で、パッと発散できるような、気持ち的にも広がるような方向で持っていきたいなと考えてます。

 

■伊丹ミュージアムのオープン記念ということで、伊丹で上演することに関してお聞かせください。

いいむろ:この作品は、伊丹のアイホールで生まれた作品ですし、ここで3度目の上演ができるっていうのは、とてもありがたいことだと思います。伊丹に住んでいるご家族の方や、お子さんたちにも、ちょっと遊びに来る感覚で来てもらえると嬉しいです。

ごま:新ミュージアムができたのは、本当に楽しみだなと思ってます。私は高槻市民ですけど、伊丹には家族でよく来てるんです。昆虫館や空港に飛行機を見に来たりとか。そういう意味ではまた一つ回れるところが増えたというか。そこのオープン記念に関わらせてもらえるのは非常にありがたいですね。
いいむろ:僕も昆虫館は行きますね。
ごま:美術館とかは、いつ行ってもいいし、見に行ったあと、そのまま街を歩いてみたりできるのはいいなと思いますよね。今回それぞれの作品の時にちょっと早く来て、ミュージアムで作品を見てから芝居を見たりというような繋がりもできるかなと思うので、伊丹を楽しんでもらえる人が増えるといいなと思ってます。
いいむろ:そうですね。伊丹って楽しい施設がすごく多いところなので、そんなに遠くに行けない世の中だからこそ身近な場所で楽しんでもらえたらいいんじゃないでしょうか。

(2022年4月 東リ いたみホールにて)


市立伊丹ミュージアム連携企画
『がまくんとかえるくんとキミのおはなし』
会場:東リ いたみホール 大ホール
2022年5月15日(日) 15:00 公演詳細

「みんなの劇場」こどもプログラム
市立伊丹ミュージアムオープン記念
『かえるの? 王子さま』
2022年5月28日(土)~29(日) 各日11:00/15:00 公演詳細

ニットキャップシアター第41回公演『チェーホフも鳥の名前』 ごまのはえインタビュー

 

 

AI・HALL自主企画として2022年1月14日(金)~17日(月)に、ニットキャップシアター第41回公演『チェーホフも鳥の名前』を上演します。アイホールでは2019年8月の初演以来、2度目の上演となります。
ニットキャップシアター代表であり、作・演出のごまのはえさんに、作品の概要や再演への意気込みなどいろいろとお話いただきました。

 

創作のきっかけ

作品を作ろうと思ったきっかけは、チェーホフの書いた『サハリン島』というルポルタージュを知ったことです。それまでサハリンについて全然知りませんでしたが、日本のすぐそばまでチェーホフが来ていたということが面白く、ルポを読んでいくうちに、島に住んでいた北方少数民族と言われる人たちの生活に惹かれ始めました。さらにはロシアと日本の間で、国籍や自身の民族的アイデンティティと直面せざるを得ない人たちに深く同情しました。
このように入り組んだ歴史の中で翻弄される人間にとても惹かれ、創作に結びつきました。
色々と資料を集めて、それを自分なりに構成し、1890年ぐらいから1980年ぐらいまでのサハリンの歴史を3時間の作品にまとめ上げました。
また作品全体の下敷きとして、『サハリン島』以外にもチェーホフの代表作である『三人姉妹』も編み入れました。

 

 

サハリンの歴史と作品の概要について

初演時の舞台写真 撮影:井上大志

近代以前は、どこの国がこの島を管理しているかは特に決まっておらず、アイヌやニヴフ、ウィルタなどの北方少数民族の方が住んでいました。1867年に江戸幕府と帝政ロシア政府の間で、樺太は従来通り両国の共同管理地とすることが正式に決められました。
明治維新後から数年後の1875年の樺太・千島交換条約で樺太をロシアに、千島列島を日本がもらうということになりました。これ以降、ロシアは囚人たちをどんどん樺太に送り込んで、炭鉱や製紙などの産業を起こし、開発を進めていたそうです。その囚人たちの扱いを取材するために、1890年にチェーホフがやって来ました。『チェーホフも鳥の名前』では、この1890年を第一幕にしています。

 

サハリンの歴史と作品の概要について

初演時の舞台写真 撮影:井上大志

第二幕は、樺太の南半分が日本領になった後の1923年を舞台にしました。この年の夏に宮沢賢治が農学校の生徒の就職先を探しに樺太へ来ました。前年に妹を亡くしており、傷心の癒えぬままの旅だったと思われます。この旅をモチーフに賢治は、『オホーツク挽歌』『樺太鉄道』などの作品を残しています。
私たちのお芝居の舞台は日本時代に野田町と言われた町です。賢治が野田町に来たかどうかは不明ですが、作品の中では野田町を訪れます。この時代に日本人がどんどん移住してきて、炭鉱、製紙、油田、漁業などの産業に従事したそうです。最盛期には40万人近くの日本人が住みました。また、法律的には日本の内地とされ、日本と同じ法律が適用されたそうです。

 

サハリンの歴史と作品の概要について

初演時の舞台写真 撮影:井上大志

日ソ中立条約もあり、樺太では第二次世界大戦中はずっと戦闘がなく、比較的平穏に暮らしてたそうです。ですが、1945年8月9日にソ連軍が条約を破って樺太に南下してきました。そして、15日の終戦後も樺太では戦争が続きます。樺太は沖縄と並び、日本国内で地上戦が行われた場所でした。
なぜ8月15日以降も戦闘が続いたのかはずっと謎だったんですが、本作初演(2019年8月)の数ヶ月後に、NHKで『樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇』という番組を元にした本が出版されました。この中で「全然戦う気がなく前線に近づいて来たソ連兵たちを自分たちの方から先制攻撃した」という日本人の元兵士の新証言がありました。なんでそんなことをしたのかという問いには、「樺太の北方を守備していた部隊は、終戦のことを上の者から知らされなかった」と答えています。つまり、戦争が終わったことを前線の部隊は知らされていなかったのです。
第三幕は、樺太の地上戦も止んだ、1945年の12月を舞台にしています。その頃、ソ連が臨時の行政局みたいなものを設立して、樺太(サハリン)を統治していました。ソ連行政局は、労働力の確保を重視します。鉄道や炭鉱などの技術を持っていた熟練工たちは、しっかり管理されていました。一方で、早く日本に帰りたい人たちが、どんどん北海道に向けて密航を企てていた、そんな時代だったそうです。
さらに第四幕は1980年代を舞台にし、一幕・二幕で登場したさまざまな家族や、その子孫、孫たちが憎しみあったり、再会したり、離れ離れになったりしていきます。当時、サハリン州はソ連の一州になっていて、いろんな事情で日本に帰った人、帰らなかった人、帰りたくても帰れなかった人たちがいました。登場する家族も様々な民族で構成されていて、ロシア人と日本人のカップルや、ロシア人とニヴフのカップル、日本統治時代に樺太にやってきた朝鮮人の家族などがいます。

 

作品から繋がってきたもの

先ほど話に出たNHKのドキュメンタリー本や、ロシアの作家ヴェルキンの『サハリン島』というSF小説は普通に本屋さんに並んでおります。普段の生活では全然目に入ってこない「サハリン」という単語なんですが、ちょっと気にしてみるといろんなことが繋がっていて、この島について調べてる人はとても多いんだなあと感じてます。
創作において大変だったのは、ニヴフの人の名前が日本統治下で何という苗字を名乗ったかというのが、一番苦労しましたね。もちろん宮沢賢治が出てくるので花巻の言葉ですとか、韓国の人の名前とかそういうものも苦労したんですけど、ニヴフに関してはどこでどう調べていいのか、全然わからない感じでした。
初演の2019年のときは、樺太に住んでおられたという方々が、アイホールにも何名か観劇に来て下さいました。樺太から引揚げてこられた方の組織みたいなものもあったんですけれども、それも2021年3月末で解散しています。ただ40万人も住んでたというだけあって、私たちの中にも、少し系譜をたどれば、「うちのおじいちゃんも樺太からの引揚者だ」とか、そういう人は結構いるんじゃないかなと思います。

 

再演で伝えたいこと

初演時の舞台写真 撮影:井上大志

タイトルを『チェーホフも鳥の名前』としたのは、サハリン島にたくさんの人が来て、たくさんの人が去っていく。そういう様子が渡り鳥のようで、そういう姿をイメージしてつけました。チェーホフ「も」としたのは、チェーホフも、樺太にやってきた鳥の一つだという思いで、このようなタイトルにしております。
この作品は、厳しい自然環境にあるサハリン島にやってきた人たちが、隣人同士として助け合いをしてゆく姿を一番の柱にしています。国家の時々の都合や、戦火に翻弄されながらも、互いを心配し合う気持ちを忘れない人たちの姿を、再演では特に丁寧に描きます。
樺太の歴史には、とても複雑な背景があります。「チェーホフも鳥の名前」は上演時間が3時間なのですが、この島の100年の紆余曲折と、それに振り回される人たちの様子を、よくも3時間に収めたものだと感じています。
これは劇団員にも言ったんですけど、書き上げたときの手ごたえとして、何か頭の上で鐘が鳴ったんですよ。カランコロンカランて! それをよく覚えています。岸田戯曲賞を取れなかったっていうことは、鐘が一つ足りなかったんだよという感じですかね(笑)

 

■質疑応答

Q:再演の経緯について。

A:初演の時から東京で上演したいという気持ちは、強くあったんですよね。やっぱり東京というのはいろんな都道府県から一番観に行きやすいので。ありがたいことに、アイホールさんからまたお声がけいただいて、伊丹と東京での再演が決定しました。光栄です。

2021年11月 大阪市内にて


ニットキャップシアター
第41回公演 
『チェーホフも鳥の名前』
作・演出/ごまのはえ
 
2022年1月
14日(金)18:30
15日(土)13:00/18:00
16日(日)14:00
17日(月)14:00
 
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燐光群『シアトルのフクシマ・サケ(仮)』 坂手洋二インタビュー

AI・HALL共催公演として2021年12月11日(土)~13日(月)に、燐光群『シアトルのフクシマ・サケ(仮)』を上演します。福島で被災し、シアトルでの酒造りに憧れを抱く、休業中の酒蔵一家の奮闘を描いた物語です。
燐光群主宰であり、作・演出の坂手洋二さんに、作品の見どころや創作の背景についてなどお話しいただきました。


■福島との繋がりと創作のきっかけ
 これまで福島について関わりがある劇は何本か書いてきましたが、僕自身、元々接点があったわけではなく、震災直後には、「福島にはいろんな人が支援に行ってるし、僕は沖縄へ支援に行くことを継続したいから、そんなに行かなくてもいいんじゃないの」という気持ちもあったんですけど、震災後3年くらい経ってからいろんな出会いがあって、福島に行くようになりました。2015年には原発から22キロくらいの場所にある「高野病院」を舞台に、『バートルビーズ』という劇を作りました。もっとも、震災の年には『たった一人の戦争』という劇を書いています。これは核の廃棄物をどこに捨てるかという話で、部分的に福島のことも出てきます。
 2012年3月11日にNYの演劇人たちが、被災地の演劇人や劇場に向けて寄付を募る目的で「震災SHINSAI:Theatres for Japan」という東日本大震災に絡んだ新作短編戯曲の公開ドラマリーディングの企画をやってくださいまして、当時、僕が会長を務めていた劇作家協会が日本側の窓口だったので、NYと繋いだものをやったりしました。僕が書いた短編も向こうで上演されて、8月には日本でも行いました。
 そんな中、知り合いから「福島で被災した酒蔵一家がシアトルに移住して日本酒を作ろうとしている」という話を聞きました。本来は僕自身がシアトルに取材に行こうと思ったのですけれど、コロナ禍で渡米が難しくなったことから、そのご家族に対して一種の憧れの念を持っている、異なる事情で蔵を閉じてしまった別な酒蔵の人たちを主人公にする話になっています。
 なので、元々描きたかったシアトルのことをいろんな事情で書けなかった、という意味でタイトルに(仮)がついています。

 

■作品の背景(原発と福島での酒造り)

撮影:姫田蘭

 ある酒蔵一家のシアトル移住のことを皆が知るようになった2013~14年は、ちょうど原発の廃炉作業の一つとして、原子炉の冷却時に出た汚染水を溜めておくための非常に大きなタンクが作られていたんですが、その方針が変わった時期です。このタンクは溶接しないで組み合わせる方法のもので耐久年数が5年しかない。当初、国や東電は3~4年で汚染水を海に捨てられると想定していたけれど、それは漁民の反発もあって不可能で、溜めておく期間が長期化するため、溶接したタンクに換える必要が出てきた。このタンク切り換え作業が2013年に始まりました。酒蔵にはいろんな樽とかタンクがありますが、この劇では、そのお酒のためのタンクと、原発にある汚染水のタンクを、あえて重ねてみました。
 セットには、大きなタンクが2つドンドンと置いてあります。アイホールの空間は通常の小劇場より大きいので、その空間をフルに使った芝居をちゃんと見せたいなといつも考えていて、今回も大きな2つの樽が出てくる、この広さがなければ出来ない公演になっています。
 また、2013年にはオリンピック招致の際に「アンダーコントロール」という言葉が出て、収束してないのに収束したという言葉が流布されて、現場の人たちは面食らったわけです。僕も福島で原発作業員だった人にインタビューさせてもらいましたが、原発労働者たちは今でもかなり危険で理不尽な状況の中で働いています。そういうインタビューから出てきた話も組み込んでいますが、ただ酒蔵も原発作業員の人も素性を明かせないので、フィクションだから出来る形で発言内容をいろいろ取り入れています。
 日本政府が原発の再起動のGOサインを出したのが2012年で、一度原発は全部止まっているんだけど、国としては再開の方針を決めてしまったという、そういう時です。勝手にどんどん決められていくわけですが、それは住んでる人たちは受け止めようがない現実です。「アンダーコントロール」のことも今更なのでそんなに深くは描いてないですが、その時感じていた人たちの空気を描いています。

 

■ストーリーについて

撮影:姫田蘭

 登場する一つの酒蔵一家は、海沿いのエリア「浜通り」(南相馬~いわき)にありました。その酒蔵は津波で流されてしまって、蔵元(長男)とその双子の娘のうちの一人が津波で亡くなっています。内陸エリアの「中通り」の酒蔵に嫁いだ長女一家を頼って、隠居した父と次男、亡くなった長男の妻と生き残ったもう一人の双子の娘が居候している。原発労働者には地元の人がいっぱい居るんですが、その次男も事故の前から働いていて、実際、自分の蔵はこれからどうなるんだと煩悶します。避難した中通りの酒蔵も、風評被害やいろんな事情で酒蔵を閉じていて、そこで空っぽになってるタンクの中でぼんやりしている時に、自分が原発で働いていた時のイメージが重なる。そういった「継続することを諦めてしまった家族たち」の話を描いていくことが物語の核になっています。
あとは、シアトルで日本酒を作ることへの憧れというのがあって、むしろ日本にいた方が酒を造るのに、いろいろとややこしい事情がある。中通りの蔵に移り、がらんとしたその休業中の蔵の中で、原発での労働のことと今これから酒を造ることの矛盾の中で苦しむんだけど、でも「シアトルに行けたらなあ」みたいな憧れはどこか残っていて、シアトルのことを想うわけです。
 福島は東北でも一番の蔵の数ですし、お酒に対してすごくプライドを持っています。そういう人たちのことを描きながら、「今、現在」というのがどういう時間なのかを描いていくというストーリーで、ラストはお酒を作ることを諦めていた人たちが、小さい規模ながらでもまた造り出すことを考え始めてる…というふうに終わります。休業している蔵の二つの家族。僕の作品では珍しくファミリードラマにもなっています。
 それに関わってくるのがもう一つ、『黒塚』などの能にもなっていますが鬼婆伝説です。隣の村が鬼婆伝説をアピールして町おこしをしているのを羨ましく思っている中通りの観光課の方々がいて、たまたま劇中登場するその酒蔵の名前が“鬼蔵”だったので「鬼婆伝説がこちらにもあるようにして町おこしをしよう」と鬼伝説も関わってきます。
 こうして、二つの休業中の酒蔵家族を中心に、福島の現実やシアトルへの憧れ、鬼婆伝説のことが絡んでくる、という物語になっています。

 

■取材と通して知った新たな福島・日本酒の魅力

 僕は正直に言うと日本酒党ではなかったんだけれど、今回、日本酒の魅力というものを再発見しました。あとは、福島の自然とかいろんなものとの出会いの話ですね。僕らはどうしても原発事故に関心があるので、海沿いの「浜通り」には注目がいくのだけれど、内陸の「中通り」っていう概念が、あんまりピンときてなかったんです。「中通り」はものすごく広い盆地で、両側が山なんです。『みちのくひとり旅』という唄や松尾芭蕉は、こういうところをずっとまっすぐ行ったのか。山と山の間に囲まれた平野の広大さ、海が繋がってない盆地をずっと歩いていくことは、岡山出身の僕には閉塞感があってちょっと怖い感じがするんですよね。そこに鬼婆伝説が出てくることも納得できるという。でも地元の人に話を聞くと、その平べったい盆地は、大昔、海だったと言うんです。そうした「中通り」という場所の面白さというのを今回初めて感じまして、その場所の魅力も書いています。

 

■福島の現実を描くということ
 浜通り、中通り、更に山の向こうに会津があって、福島というのはとても広い。中通りも部分的には放射線被害はあるんだけど、浜通りとは感覚が微妙にズレてる。津波の被害にあった太平洋側の東北地方の人たちは、やっぱり津波のことばかりになっちゃう。僕は、東北の演劇関係者たちが集まるイベントに何度か出てますが、県ごとに温度差が激しい。青森は核貯蔵庫がある影響で、若干放射能のことを背負ってきているので違うんだけど、ほとんどの東北の人たちは、福島の人たちに比べると原発の問題があまりピンときてないという感覚があります。そういうことで福島の人たちは「自分たちが孤立してる」っていう思いをすごく持っている感じもある。実際、他のところに移住してもいろんな差別を受ける、ということもよく言われます。だから今回、原発近くの立入禁止地域で、土地の遺産相続をする場合の税金の問題などいろんなことを調べたりしました。住んでいる人にとってはまだ解決されていないし、その被害がどのような被害なのかということが一口に言えない、多層に渡っている、そういう直面している現実を架空の酒蔵一家中心に描きます。
 ストレートプレイとして家族のリアルなやり取りもあるんだけれども、原発労働者であり酒蔵を継ぐかどうかを考えている男がいる「タンクの中」というイメージの世界になったり、一種のアンダーグラウンド的な演出も出てきて、そこに鬼の伝説が混ざるという形です。「僕たちが失ったものをもう一度取り戻せるんだろうか」と登場人物たちが煩悶する姿を、ネガティブではない形で描いています。雰囲気としてはふっと音もなく笑うような、ちょっとしたコメディーとして進んでいる部分もあるように思っています。

2021年11月 オンライン上にて


燐光群 
『シアトルのフクシマ・サケ(仮)』
作・演出/坂手洋二
 
2021年12月
11日(土)14:00/19:00
12日(日)14:00
13日(月)14:00
 
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AI・HALLリーディング『ジハード―Djihad―』関係者座談会

アイホールでは、9月26日に、AI・HALLリーディングを開催します。令和3年度はベルギーの作家、イスマエル・サイディさんの戯曲『ジハード-Djihad-』を紹介します。演出はミナモザの瀬戸山美咲さん。本邦初訳初演でも演出を務められました。出演するのは関西で活動する俳優たちです。先般、演出と俳優が初めて顔をあわせました。
そこで、今回、関西でこの戯曲を紹介するにあたり、作品を読んでみてのそれぞれの第一印象や、作品の背景など、創作に向けてざっくばらんに語り合っていただきました。

2018年上演 さいたまネクスト・シアターØ『ジハードーDjihadー』(撮影:宮川舞子)

■作品について

瀬戸山:この作品は、国際演劇協会 日本センターの企画で、2016年にドラマ・リーディングとして初めて日本に紹介され、2018年に彩の国さいたま芸術劇場でさいたま・ネクストシアターによって演劇公演として初演されています。今回のリーディング上演にあたり、演出プランとしては、2016年上演と同じスタイル、つまり、リーディングではありますが、本を読むだけでなく、動きのあるものに仕上げたいと考えています。
作者のイスマエル・サイディさんがこの戯曲を書いたのは2014年です。イスマエルさんは、いわゆる “ジハード”に参加するためにシリアに向かった同級生の存在を知って、色々な感情が沸き上がり、上演の採算などを考えずにとにかく戯曲を書いて上演したそうです。そしてその後、ベルギーやフランスなどで、大人だけでなく中高生が見ることもできるかたちで、今も上演され続けています。
 2016年に日本で初めて上演するとき、イスマエルさんから条件が出されました。それは、演出の私がベルギーでこの作品を観て、どう上演されているのか、ちゃんと知ってほしいというものでした。この作品が商業的に扱われないように、という思いもあるようです。ベルギーには移民の人がたくさん暮らしています。この作品に登場する「イスマエル」「ベン」「レダ」も、そこでムスリム(イスラム教徒)の二世として生まれ暮らしています。ちなみに、この三人の登場人物は演じた役者の名前をそのままつかっているそうで、それは自分たちとの境界線を曖昧にしたいという狙いがあるそうです。イスマエルさんも「イスマエル」を演じていました。台本には、作品冒頭に「イスマエル」の独白があります。これはベルギーやフランスでの上演では読まれない部分です。ただ、日本で上演するときは、この独白があったほうがイスマエルさんの思いが伝わると考え、許可をいただき読ませてもらっています。
 俳優のみなさんは、特にイスラム教にかかわることについて実感を持って演じるのが難しいと思います。この芝居には、絵を書くことや音楽を聴くことが禁じられているという描写が出てきます。そういう戒律や、彼らが家族や仲間を大切にする気持ちなどのバックグラウンドにはイスラム教があります。そのあたりをみんなで共有していけたらと思います。ただ、日本で暮らす人たちがイメージしやすい点もあります。たとえば、イスマエルさんは日本の漫画が好きで、劇中にも『ドラゴンボール』などの名前も登場します。イスマエルさんは日本に親近感を持ってくれていて、埼玉公演も観にきてくれました。また、この作品は笑える芝居としてつくられています。そこも共通点を見出せる箇所だと思います。

 

■それぞれの第一印象と作品が描かれている背景

村角:「ジハード」「聖戦」という言葉を知ったとき、これは何だと思いいろいろ調べました。“聖戦”の意味がわからない。僕ら日本人には無い感覚だと思いました。この戯曲はその言葉そのままのタイトルなので、最初は重たい話かも、と身構えました。僕が所属する劇団は普段は喜劇をしていて、僕自身は真面目な芝居をしたことがないんです。でも読んでみたら台詞もすごく面白くて、僕らの芝居と方法がすごく近いと感じました。ただ大きく違うのは人が死ぬということ。僕らは絶対に人が死なない芝居をすると決めているので、そこは違うと思いました。登場人物たちは宗教的な部分が縛りとなって僕らとまったく違う生活を送っている。そういうところがもっと重たい感じで描かれいるのかと思いきや、すごくコミカルに描かれているんですよね。僕としてはすんなりと台本が入ってきて、あっという間に読んでしまいました。タイトルから受ける印象とは異なり、すごくポップな感じだとも思いましたが、瀬戸山さんとイスマエルさんのインタビューを読んで、その理由が少しわかった気もします。

竹内:読み終わってすぐの第一印象は、正直なところ、イスラム教はいい宗教じゃないのかもしれないという思いでした。登場人物たちの居場所が無くなる原因のように感じたので。じゃあ、なぜ多くの人が信仰しているんだろうという疑問がわきました。僕にはイスラム教については知識がありませんが、この作品で語られていることは、きっと本質的な在り方とは違うんですよね。作品の後半で「コーランには、愛のことしか書いてない」という台詞があるので、きっと若い人たちがきちんとコーランを勉強せずに、周りの人にいわれるがままになっているのではないかとも思いました。台詞で「モスクで救われた」とありますが、自分が苦しくなる原因そのものが信じている宗教なのでは、と思ってしまいました。

瀬戸山:一読した素直な感想として、そういう意見がでてくるのはわかります。この作品にはイスラム教のいろいろな戒律がでてきますし、“ジハード”に参加するという極端な部分が描かれているとは思います。ただ、彼らはイスラム教徒だから苦しんでいるのではなく、ベルギー社会とイスラム教との狭間にいて、そのどちらにも馴染むことができず居場所を失っています。彼らは厳格なイスラム教徒でもいられないし、かといってベルギー社会からも弾きだされている。異なる宗教や文化を認めないことに問題があり、宗教そのものに問題があるわけではありません。以前に自分の劇団で『彼らの敵』という作品を創作したときに、パキスタン人のムスリムの方にお話を伺ったことがあります。そこで知ったのは「神」のイメージの違いです。日本人が一般的に考える神様は空の上にいるという感覚がしますが、彼らにとっての神様は土台のようなもの、生まれたときからそこにある、ベースになっているものだそうです。
 “ジハード”という言葉も、私たちはどうしてもテロと結び付けてしまうことが多いですが、本来の意味は「努力する」ということです。イスマエルさんはそのことを伝えたいから、わざとこのタイトルにしたとおっしゃっていました。このタイトルのために、ポスターを貼るのを断られたこともあったようです。でも戯曲を読むと、やはりこのタイトルである必要があったということがわかります。

竹内:彼らが暮らす町では、移民に対しての差別意識が強いのでしょうね。

瀬戸山:見た目が違うということで最初からレッテルを貼られてしまうという話を聞きました。また、二世の人たちは自分の意思でこの国に来たわけではない。一方で、親からモスクに通うよう言われる。二世の人たちのなかには、ムスリムだけどコーランを読んだことがないという人もいるのだと、この作品を読んで知りました。イスラムの戒律の厳しい部分を指摘して「彼らは不幸ではないか」と思うこともあるかもしれませんが、登場人物たちの悩みはもう少し複雑だと思います。

竹内:例えば、漫画を描くことが許されないと台詞にありますよね。

瀬戸山:人によって濃度の差があるかもしれません。ヨーロッパで暮らしていたら、ここまで厳格に守っている人ばかりではないと思います。「ベン」のようにひとつひとつ守ろうとしている人もいれば、「レダ」のように欲望に忠実な人もいる。個人差はあるのではないでしょうか。


加藤:僕も読むまでは、イスラム教にはイスラム過激派組織(ISIL)のイメージがあったので、しんどい話だと思っていたんです。“ジハード”という言葉に対してめちゃめちゃひどいという印象もあって。でも読んで感じたのは、抑圧されているなかで、どうにか私というものを探している人たちの話なんだということがわかり、少し身近になりました。演劇としても、スタンダップコメディふうにと書かれていたので、それならできるかなと。僕は仏像が好きなんですが、仏教とは全然違うと感じますし、イスラム教徒として生きている人たちに興味がわきました。

瀬戸山: 2018年の上演のとき、イスラムのお話を聞くためにムスリムの人が働くレストランに行きました。そのとき、トルコから日本に来て難民申請している方がいるというお話を聞きました。恥ずかしながら私はそこで初めて、日本にも難民の人がたくさん来ていることを知りました。現在も入管の劣悪な環境で暮らしている人や、仮放免という資格を得てアルバイトをして生き長らえている人たちが、日本にもたくさんいます。海外の戯曲に触れることで、近くにあるのに見えていなかった世界が見えてきました。また、この戯曲で書かれていることも、自分と無関係な遠くの世界の話ではないと感じることができました。そして、この戯曲は普遍的な「自分の居場所」や「アイデンティティの問題」を描いています。登場人物たちは居場所を探す延長線上でテロに参加してしまう。ただ、だからといってそれは個人の問題でなく、あくまでも彼らを排除する社会の問題であるということが示されている戯曲だと思います。

加藤:彼らは何歳の設定なんですか?

瀬戸山:実際に演じていたのはイスマエルさんたちなので、30~40代の男性ですが、戯曲上では、学校や恋人のことを触れていますので、もう少し若いイメージで書かれていると思います。

加藤:若いからこそ、「ISILに入ろうぜ」「敵を殺してやろうぜ」という気持ちだけが先走ってしまったのかなとも感じました。

瀬戸山:若さゆえに「ここではないどこか」に自分の居場所があるかも、と思ってしまう感じもしますよね。

戎屋:ヨーロッパの若者がISILの戦闘員に志願するというニュースを見ていましたので、私も最初は重い話なのかなと思いました。でも、実際は、筋も時間の経過もシンプルですし、最後は板挟みになってる「イスマエル」という図もはっきり提示してくれているので、割とわかりやすい芝居だと思います。「愛がほしい」「居場所がほしい」「自分って何」という芝居なので、私たちにでも取り組める芝居なのかもしれないと思いました。僕が演じる「ミシェル」は登場人物の中で唯一のキリスト教徒です。シリアのアレッポはイスラム教より前にキリスト教が広がった地域のようで、キリスト教徒も結構いるらしいと以前に何かで読んだことがあります。「昔からここに住んでいた自分たち」という趣旨の台詞があるのはそういうことなのかなと思っていますが、もっと勉強しないと、と思ってます。あと、翻訳劇なので普段やっている芝居では喋らないような台詞がたくさんあるのは、個人的には少し気恥ずかしいです(笑)。

瀬戸山:私はこの戯曲でこういうかたちでキリスト教徒が登場するまで、シリアの人はみんなイスラム教徒なのかなと勝手に思っていました。それこそ「知らない」ことによる偏見ですよね。この作品を上演することは、創作するプロセスで私たちが知ったことを上演によってお客様に届けるプロジェクトだと思っています。私も取り組むたびに新たな発見があるので、ひとつひとつ確認してやっていけたらと思います。

 

(2021年6月下旬 アイホール)

 

■公演情報
令和3年度AI・HALL自主企画
AI・HALLリーディング『ジハード-Djjihad-』
作:イスマエル・サイディ
翻訳:田ノ口誠悟
演出:瀬戸山美咲
出演:加藤智之(DanieLonely)、竹内宏樹(空間 悠々劇的)、村角ダイチ(THE ROB CARLTON)/戎屋海老
2021年9月26日(日)11:00/15:30
公演詳細

2021年度次世代応援企画break a leg 中川真一(遊劇舞台二月病)×西田悠哉(劇団不労社)インタビュー

令和3年度次世代応援企画break a legとして、遊劇舞台二月病『sandglass』(7月3日・4日)、劇団不労社『畜生たちの楽園』(7月17日・18日)がまもなく開幕します。

コロナ禍のなか、昨年からの延期開催となった今回、作・演出を担う、中川真一さん(遊劇舞台二月病)と西田悠哉さん(劇団不労社)に、今回の公演についてお話いただきました。

 

岩崎:この二劇団は、当初、令和2年6月に公演を予定していましたが、コロナの影響があり、令和3年度次世代応援企画break a legとして2021年7月に登場いただきます。一年越しの、満を持しての登場です。まず遊劇舞台二月病さんは、昭和の事件にこだわって取り上げていらっしゃる劇団です。その一貫した姿勢が素晴らしいと思いました。また劇団不労社さんは応募映像がべらぼうに面白かったんですよね。一場で全部やりきる芝居で、だんだん人間関係のグロテスクさが見えてくるのですが、見ている側がヒステリックに笑いたくなる部分もあり、西田さんの作劇術が確立していると思いました。

 

★遊劇舞台二月病


■”事件“描くきっかけ

『Delete』_撮影:小嶋謙介

中川:僕は毎作品、”事件“にこだわって書いているのですが、そのきっかけは、大学時代の友人がとある事件に巻き込まれたからです。朝のワイドショーで1週間ぐらい取り上げられるような大きなニュースで、その子は容疑者として報道されましたが、のちに不起訴となり今は普通に過ごしています。その事件のことで、僕も警察から電話で事情聴取をされたり、本人からも話を聞いたりしたんですが、どうも報道されている内容と実際の事件の間に隔たりがあるということをいたく感じました。しかし、インターネット上ではいろいろ書かれていて、第三者として事件のことを好き勝手に楽しんで、ただ娯楽として消費している人たちにとてつもない怒りを感じました。そうした経験がきっかけで、僕だけでも追い詰められて犯行に及んだ人の姿を描こうと考えてやっています。

 

■『sandglass』について

中川:今回の作品は、スタインベックの小説『二十日鼠と人間』をベースにした作品で、戦後の日本に置き換えて考えてみました。東京で実際にあった「とある役者の一家殺害事件」を取り扱っています。また、戦後の様子を知りたいと思い、兵庫県のある町で、90歳を過ぎた方々に「あの時代はどうだったんですか」と取材させていただきました。そうしたものをすべて一緒くたにして舞台に乗っけようとしているのが今回です。構造としては、事件が起こった屋敷のなかのパートと、屋敷の外のコミュニティである町の話を並行して描いています。犯行に及んでしまった男は、最初、その屋敷に作家見習いとして住み込んでいたんです。でも、書いても書いてもボツにされる。それは屋敷のある町のことを如実に語った物語で、そんな現実を語ったら悲しいことがたくさんありすぎて、そんな話は誰も求めていないという理由でボツにされていくんです。町の話は彼が書いている台本によって描かれる形で進んでいきます。

 

 

 

■取材からみえてきたこと

中川:取材する町を選んだ理由はいくつかあって、まず港町であること、進駐軍が在駐していたこと、今回の公演が伊丹なので兵庫県内であること、そして今回は芝居一座の事件がモデルだからです。その町には、かつて芝居小屋がたくさんあって、戦後も劇場と遊郭を中心にいち早く復興を果たしていて、”一座”というコミュニティと“町”のコミュニティの考え方の違いが垣間見えるのではないかと思ったからです。現代のコロナ禍において、演劇をやっている“内”からの見方と“外”からの見方との違いに通ずるんじゃないだろうかと思いました。取材した人たちに聞くと、「戦後のあの頃よりも今のほうが辛い」と口を揃えて言わはるんです。戦後のこともたくさん語ってくださったんですけど、阪神淡路大震災だったり、その町を襲った大水の話だったり、今の感染症もですけど。辛いことというのは、定期的に僕たちを襲ってくるものなんだと感じました。そして、今の僕たちが、戦後の大変さを思うように、戦後の人たちも今の僕たちのことを心配してくれたんじゃないかと思いました。過去から未来、未来から過去に、常に人は人を心配したり、応援したりしているんじゃないかと思い、そういうこともこの作品に詰め込みました。

 

★劇団不労社


■自らの手法を模索して

西田:僕は大阪大学の演劇サークル「劇団ちゃうかちゃわん」で演劇を始めたのですが、サークル活動の範囲外の公演を行う名義として2015年に「劇団不労社」を旗揚げして、年に1度のペースで公演を重ねてきました。当初は個人のプロデュースユニットとして運営していたのですが、大学卒業後に仕事と並行しながら公演を行うにあたり、個人で手の届く活動範囲に限界を感じ、2018年より大学時代の友人らを劇団員に加え、現在は計4名の団体として活動しています。

演劇にのめり込んだきっかけはつかこうへいさんで、当時の作風にも大きな影響を受けました。『熱海殺人事件』で卒業論文も書き、自ら演出を務めて上演もしました。ただ深く知るにつけ、ルーツや時代観や気質も異なる自分が現代でつかさんのような作品を上演することに違和感やギャップを感じ始めていた頃に、当時阪大の教授をされていた平田オリザさんのワークショップを受けたことで視野が広がりました。その後、大学卒業直前にウイングフィールドで行った公演で、つかこうへい的作劇法と平田オリザ的作劇法を自分なりに組み合わせて、熱量溢れるパワフルな芝居とリアリティのある脱力した芝居をひとつの舞台に上げてみようと試みました。やりたいことが混線し結果的にカオスな作品となりましたが、自分の作りたい作品像についての手がかりや手応えを得ることができ、現在の作風にも繋がっています。

 

■恐怖と笑いをコンセプトに

第五回公演『忘れちまった生きものが、』より 撮影:松田ミネタカ

西田:現在、作品コンセプトとして大切にしているのは「恐怖と笑い」です。もともとクエンティン・タランティーノ監督や深作欣二監督、北野武監督らの暴力映画が好きなのに加え、お笑いやホラーが好きなのですが、中でもこれらの作品群に共通する「怖いのに笑える」もしくは「笑えるのに怖い」領域に関心があります。人が怖がったり笑ったりする時、概してその情動は意識的ではなく反射的な形で発生するものだと思いますが、そこに人間の根源的な部分に触れる何かがあるのではないかと考え、恐怖と笑いが共存する領域を核にした作品づくりを行っています。

演劇作品として恐怖と笑いを表象する上で、観客が何をリアルと感じるか、リアリティの取扱いが重要になると思います。以前の公演では、「村八分」を題材にとある田舎町へ移住してきた家族と現地住民の軋轢を描いたのですが、最初はごくリアル、つまり我々が住んでいる現実世界と同じような因果律で劇世界が動いていると見せかけ、だんだん荒唐無稽でナンセンスな内容、つまり現実の世界では起こりえないことが起きる内容へとスライドさせ、観客の認識する世界の枠組みを操作する事を試みました。このリアルとアンリアル、現実と虚構の境界の取扱いが、自分の創作の中でいちばん意識していることです。

 

■『畜生たちの楽園』について

西田: “暴力”には広義の意味で、目に見える直接的・肉体的なものから、目に見えない間接的・精神的なものまで様々なレベルで日常に存在し、我々は常に何かしらの暴力に晒されながら生きていると言えますが、先ほど述べた恐怖と笑いと暴力は密接に結びついていると考え、最近は「集団暴力シリーズ」と銘打って作品を作ろうと思っており、本作もその一部となります。

今回の作品の大まかな物語は、とある特殊な理念を掲げる集団農場を率いていたカリスマ的な人物の亡き後、その娘が権威的なポジションにつくのですが、彼女は人より知能の発達が遅れており、世襲を発端に議論や闘争が巻き起こり内部が崩壊していくというものです。

この団体には参考にしたモデルがあって、幸福会ヤマギシ会という実在する農業団体です。その大きな特徴に「無所有一体」という理念があり、彼らは財産も含めた一切の個人の所有を放棄し、自然と調和・一体化することで平和で幸福な社会を作ることを目指しています。今回はそのヤマギシ会から着想を得た架空の集団農場における「信仰」を主題に据えた作品となります。宗教に限らず、人間は大なり小なり何かを信じないと生きていけない生き物だと思っているのですが、果たして私たちの信じているものとは何なのか、人間は本当の意味で何かを信じ切ることは可能なのかどうかを、動物的な本能や欲求に翻弄されて、理論と実践、思考と行動とが乖離していく人々の姿を通じて描きたいと思っています。

 

 

★質疑応答

Q.公演が一年間の延期になりましたが、台本の手直しはありましたか?

中川:一年前の時点で、プロットと台本の一部はあったんですが、延期になったことで総ざらいをしました。というのも、一年間、同じプロットを考え、悶々としながら取材も続けていたのですが、さあ書き出すぞ! となったら、筆が進まないんですよね(笑)。見直すと、描き切れてない部分や、説明することだけに頼っているシーンなどがあって、「俺は説明するために台本書いてんのか」ってどんどん不満がたまってしまい…。それで、書き直し始めると、主人公の男がものすごく嫌な奴になってしまったんです。でも、嫌なところをもっと書きたいって思うと、どんどん書き進めることができて、結果、エンディングが変わりました。最初は、観客のみなさんに、「この男、可哀そうやな」って思ってもらえればと思ってたんですけど、「こいつ、憎たらしいわ」って思ってもらえる本になった。予定していたエンディングとは違いますが、満足のいく仕上がりになっています。

西田:僕は普段、稽古をしながら台本を書いています。去年の時点では、大枠は決まっていたものの、実際の台詞に落とし込んで稽古することができていなかったので、台本は出来上がってませんでした。今まさに、稽古をしながら書き進めていて、明らかに去年とは違うものになると思います。というのも、僕がヤマギシ会に関して抱く印象が結構変わったからです。この題材を取り上げようと思った当初は、奇抜な発想を実践する集団としてやや好奇の目で見ていたのですが、この1年間を経て、この人たちが目指すコミュニティは、コロナ禍で露呈しつつある資本主義社会の限界を打破する有効なアイデアなのではないかと考えるようになりました。一方でコロナウイルスという目に見えない、コントロールしきれないものと対峙することで、そもそも人間が自然を含めたあらゆる事物を支配することの限界もあらわになり、ヤマギシ会のような試みは人間の無力さにどうアプローチできるのかという問いの要素も、今回の作品に反映したいと思うようになりました。これらの印象の変化は今回の作品に反映されてくると思います。

 

Q.どちらの作品も「同調圧力」に触れている気がしていますが、コロナ禍の前からそういったことは考えられていましたか?

中川:「私」の話をすればいいのに「私たち」の話をし始めるから、何かがいびつになっていくんじゃないかと。僕は地球に70億人の人がいるんだったら70億人全員がマイノリティやと思って生きるべきだと思うんです。主語を大きくすると、どれだけいいことを言ってもその考えを押し付けることになってしまって、どうしてもいびつになる。だから、個々の状況や置かれている環境が違うことを明示できるお芝居になればいいなと思っています。

西田:もともと僕は東京で生まれ、中学時代に富山へ引っ越したのですが、閉塞的な地方のコミュニティ特有の空気感は肌で感じた覚えがあります。自分とは異なる者を排斥するような差別意識や排他意識が生まれるメカニズムは、存続・繁栄を目指す動物である人間の生存本能として誰しも備わっているものだと思います。有事や非常事態になると、普段理性で抑えこまれているそのような本能的な部分がより露骨に表れるなあと、SNS上の発言や社会の動きを見て思い、人間もやはり動物なのだという考えが強くなりました。

 

Qアイホールという空間に対して、現時点の演出プランはありますか?

中川:アイホールの空間の広さと天井の高さがとてもいいなと思っています。お客さんが、役者のいない劇場の中空に視線を向ける、視線を上げられるようなお芝居にしたいです。そこは何もない空間だけど、その空間こそが大事に見えるような美術にしたいと思っています。

西田:このキャパシティの劇場で公演をするのは初めてなので、とてもワクワクしています。ある農場の一角を舞台に設定し、倉庫や家畜小屋を具象的に建て込み、箱庭的な舞台美術を作ろうと思っています。舞台を半面囲みするかたちで客席を設営して、舞台と客席の間に大きいフェンスを立てて、動物園の中を檻越しでのぞき込むような構造を考えています。アイホールは天井が高く、抜けた空間なので、その抜けの良さと閉塞感のギャップをつくりたいです。フェンスを通じて舞台上で起こる出来事と観客との間で生じる関係性について、演出的にも意識してアプローチしたいです。

岩崎:二作品ともいい感じでしんどい芝居になりそうですね(笑)。しんどい時期にしんどい芝居を見る機運が今あると思うんで、ぜひたくさんのお客様に見ていただきたいですし、ご期待いただけると嬉しいです。

(2021年6月 大阪市内にて) 


☆公演情報

次世代応援企画break a leg

遊劇舞台二月病 本公演『sandglass』
作・演出|中川真一
2021年7月3日(土)・4日(日)
公演詳細

劇団不労社 第八回公演『畜生たちの楽園』
作・演出|西田悠哉
2021年7月17日(土)・18日(日)
公演詳細

 

劇団チョコレートケーキ『帰還不能点』古川健×日澤雄介 インタビュー

アイホールでは、2021年3月13日・14日に、提携公演として、劇団チョコレートケーキ『帰還不能点』を上演します。約4年ぶりの当館登場に先駆け、新作について、劇作家の古川健さんと演出の日澤雄介さんにお話しを伺いました。


 

■戦争に至る経緯を文官の視点から捉える新作

古川:劇団では、近年、731部隊を描いた『遺産』(2018年)、南京事件を描いた『無畏』(2020年)と、日本の太平洋戦争を扱った作品を上演しています。先の二作品は、軍の悪行を主とした視点で描きましたが、戦争は軍部だけが悪いのではなく、文官たちも悪い影響を与えた結果、起こってしまったと考えられます。開戦から80年以上経った今、軍部悪玉論が独り歩きしていますが、そうじゃないぞということを新しい視点から描きたいと思いました。二度とこの国が戦争という道を選ばないために、戦争に至ってしまったメカニズムを丁寧に解析したい、そして、戦争についてみんなで考える機会になるような作品をつくりたいと思ったからです。そこで今回は、近衛文麿と松岡洋右という二人の文官を軸に描くことにしました。

 舞台は、終戦から5年後の昭和25年の小料理屋です。戦時中に「総力戦研究所」という軍事、外交、経済など官民の垣根を越え、若手エリートたちが集められた研究所が実在したんですが、そこのOBたちが久しぶりに集まってお酒を酌み交わすところから物語は始まります。思い出話からやがて「どうしてこの国は太平洋戦争に突っ走ってしまったのか」という話題になり、興が乗った彼らは、戦争に至るきっかけとなった要人たちを演じる“ごっこ遊び”を始めます。当時の首相・近衛文麿による日中戦争長期化の経緯、外相・松岡洋右が関わる三国同盟締結の経緯、そして南部仏印進駐といった大日本帝国が戦争に突き進んでしまったいきさつをそこで解き明かしていこうとします。今回、戦前の史実を、“ごっこ遊び”の劇中劇として描くので、近衛や松岡といった人物を場面ごとに違う俳優が演じるという演劇的な仕掛けもつくりました。この作品を通して、史実を知ることで「みなさんはどう感じましたか」という問題提起ができればと思いますし、何かを考えるきっかけになればと思っています。

 

 

■遊び心のある“人間くさい”作品に

日澤:作品内容や劇中劇の仕掛けは劇団会議で聞いていましたが、それでも初稿を読んだとき、今までの作劇とかなり違う印象を持ちました。うちの劇団は今まで、史実に真摯に向き合い、その当時の熱量や事柄をストレートに伝えるという創り方をしてきました。だから、台本でも演出でも遊びが少ないといいますか、無駄なものを削り取ることが多かったんです。それが今回は、居酒屋でのお遊びが劇中劇に発展していくという流れがベースにあるので、まず酒の席での楽しい会話や雰囲気、人間関係を作らなければ作品世界が持たない。今までは作品世界と史実が同じ軸だったのでシンプルに演出できたのですが、今回、その軸が別々なので、居酒屋からどのように劇中劇に発展させるかに苦心しました。劇中劇で語られる内容も、世間話でなく、「近衛が…」「松岡が…」という複雑な話をしていかなければいけないですし。でもそこが面白くもあり、チャレンジだと思っています。うちのクリエイティブスタッフ(舞台美術・音響・照明)にも「演出はだいぶ頑張らないと成立させられないよ」と言われました(笑)。ただ、ありがたいことに、出演者10人が稽古場で喧々諤々といろんな意見をぶつけ合ってくれて、その雰囲気がそのまま居酒屋のシーンや作品によい影響を与えています。稽古も佳境に入り、全体の画がみえてきて、これは良くなるぞという手ごたえもあります。うちの劇団としては珍しく、遊び心があって人間くさい作品です。今までは史実を背負った人間の人間らしさが強かったですが、今回は俳優さんからにじみ出るものや、関係性から浮き彫りになる市井の人たちの人間くささがでていて、それがすごくいい雰囲気になっています。実は劇中劇以外にもカラクリがありますので、楽しみになさっていただけると嬉しいです。

 

 

■俳優たちと稽古場でつくる

写真 池村隆司

日澤:関西出身の緒方晋さんが満を持して劇団チョコレートケーキに初参加いただいています。舞台上でも稽古場でも、緒方さんの人間くささはダントツです(笑)。すごく繊細な演技で呼吸をするようにお芝居をされていますので、そのやりとりにぜひ注目ください。

古川:紅一点の小料理屋のおかみ役は、黒沢あすかさんです。設定として、彼女の亡くなったご主人が総力研のOBで、彼の偲ぶ会という名目で男たちが集まってきます。

日澤:黒沢さんは、園子温監督の『冷たい熱帯夜』で脚光をあびている女優さんです。艶っぽくて素敵な方です。稽古中はマスクを着けていますが、それでも艶っぽさが漏れ出ていまして、少し艶消しをお願いしました(笑)。すばらしい女優さんです。今回、10人の俳優さんは舞台上に出っぱなしなんですよ。居酒屋という設定なので、焼魚や煮物を食べ、酒を酌み交わすというのをガチでやってもらってます。コロナ禍の今、我々が街中でできないことを舞台上でガッツリやっているのですが、こんなに消えモノを扱うのは劇団でも初めてのチャレンジで、いろいろな発見があります。もちろん稽古場はマスク着用で、さまざまな対策を講じていますが、俳優さんたちは飲む量をどうするかなど大変そうですね。

古川:僕は演出ができない作家なので、作劇のときに立ち上がった画を意識せずに書き進めるんです。今回は特にどういうかたちになるのか書いていてもわからなくて(笑)。でも、稽古のたびに座組のチームワークが良くなっていて、それが演技や作品に反映されているので、本当にいい俳優さんたちに集まっていただいたと思います。演劇はチームワークだと思うのですが、今作では特にその演劇の醍醐味がでていると感じます。もう、僕の作品というより、この座組全体の作品になっていると思います。

日澤:特にこの台本に限ってのことですが、俳優さんがヤジやアドリブを入れるポイントが結構多いんですよ。古川くんが台本に書いているわけじゃないけど、そのことで良くなっているので、稽古場でどんどん追加しています。最近はアドリブも「ここでこう入れる」「こう反応する」が決まりつつあって、やっと台詞のようになってきました。

 

■作家と演出の役割

写真 池村隆司

古川:僕は作劇にあたり、「演劇は現場のものだ」という信念を持っています。台本は自分の意見を表明するものではなく、僕の台本がツールとなって、舞台上で生きる俳優たちを見せたい。それが演劇だと思っています。だから台本を書きあげたら、後は現場でよい塩梅にしていただくのが一番良いと思っていて、なるべく口出ししないようにしています。あと、よっぽどの大天才でない限り、人間の脳みそが考えたことは、それに関わる人の数が増えるほど良くなっていくと思っています。だから、僕の考えはこれですという頑なさより、さらに良くするために現場のみんなが考え、生み出されたもののほうが良いものができるはずだと思っています。

日澤:初稿をもとに二人でカット稿を出しあってた時期もありましたが、そのうち稽古場にずっと立ち会っている僕が、現場でカットの作業を担うようになりました。台本として何をどのように書くかは古川くんにお任せしています。初稿を読んで感想を伝えることはあるけど、ここをこうしてほしいや書き換えてほしいというのは無いです。僕は基本的に文才がない人間なので、こう書き換えたら良くなるとか、ほぼわかんないんですよ。だからカット稿はカットするのみ(笑)。書ける人の場合は三行の台詞を一行に書き直されたりするのでしょうが、僕にはそれができないので、台本のここからここまでをカットするとか、三行の台詞のうちここだけカットするとかで、自分からは一文字も出してないですね。あとは台詞の順番を入れ替えるというパズルのような作業をしています。

古川:そのパズルが、最近、どんどん上手くなってきていて(笑)。職人のように繋いでいるので、通しを見て驚くことがあります。

 

 

■伊丹公演に向けて

写真 池村隆司

古川:劇団としての関西公演は『あの記憶の記録』以来2年ぶりです。難しい題材を扱っていますが、舞台上でイキイキと輝く俳優の姿をお届けしたくて、われわれは演劇をつくっています。是非とも劇場で、俳優さんの生き様を体感していただきたい。お待ちしております。

日澤:うちの作品の中では間違いなくかなりの異色作。もしかしたら、この作品がターニングポイントだったのではと後々思い返すような、そういう作品になっています。今回、こういう時期だからこそ関西に行こうと決意してまいります。とはいえ、まだ劇場での観劇に不安を感じる人や遠方という人もいらっしゃるかと思います。そういう方々には、ぜひ映像配信も活用いただければと思います。今回、東京芸術劇場の公演をカメラ5台で撮影し編集した映像を2月23日~3月21日(販売期間3月20日20時まで)で配信します(※)。また、俳優の頭にGoProのようなカメラを着けて撮影する「アクターカメラ版」もあります。これは舞台上の俳優がどういう視線で演じているのか、どういう画を見ているのかがわかる非常に面白い映像です。一回の購入で、二つの映像を見ていただけますので、ぜひお楽しみいただけると嬉しいです。

(※)映像配信の詳細は劇団WEBサイトでご確認ください。

(2021年2月)

★公演情報
劇団チョコレートケーキ『帰還不能点』
作:古川健    演出:日澤雄介
2021年3月
13日(土)13:30/18:00
14日(日)13:30

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青年団『眠れない夜なんてない』 平田オリザインタビュー

AI・HALL共催公演として2021年2月5日(金)~8日(月)に、青年団『眠れない夜なんてない』を上演します。
青年団主宰であり、作・演出の平田オリザさんに、作品のことや昨年の豊岡演劇祭、今春開学予定の「芸術文化観光専門職大学」、コロナ禍での演劇活動についてなどいろいろとお話いただきました。

 

■創作のきっかけ
 2003年に国際交流基金の仕事でマレーシアの大学に教えに行ったときに、とある保養地の一角に、日本の定年移住者だけが集まる村があると大使館の方から聞いたことがきっかけで書いたものです。そこは車も入れないようなところなので、居住者が亡くなると大使館員が棺を担いだりしなきゃいけなくて大変なんだ、という話を聞いて、「これは絶対、芝居の舞台になる」と思いました。
 今、定年移住というのが普通にあり、その理由も様々ですが、でも本当に日本で幸せだったら移住しないだろう、というところはありますよね。特にバンコクでは年金生活でカツカツだけど、日本で暮らすよりはマシ、という日本人のお年寄りがたくさんいらっしゃる。でもそれはただ単に経済のことだけではなく、おそらく一人一人がいろんな事情を抱えています。それから色々なことを調べ始めて、5年をかけて書き上げて、2008年に初演をしました。

■再演について

『眠れない夜なんてない』(2020年再演)©igaki photo studio

 初演も大変好評でしたが、その2年後にパク・クニョンさんという韓国を代表する演出家の方が、韓国で上演してくださり、これが大韓民国演劇大賞作品賞という韓国最高峰の演劇賞を受賞しました。その時の劇評に「韓国にはまだ平田オリザがいない」というのがあり、「現代社会の問題をリアルに描く作家がまだ韓国には足りないんじゃないか」という、非常にありがたい評価を得た作品です。初演から2年後には翻訳上演されて、海外で賞を取るというグローバルな時代の先駆けになった作品と思っています。
 初演時は、昨年亡くなった志賀廣太郎はじめ、いろんなメンバーが出ていて、実年齢でリアルなお芝居が作れましたが、今回それでは整合性がとれない部分がでてきました。本作は戦後史を描いた作品で、登場人物それぞれが戦後抱えてきたものがあって移住してきているという設定でしたが、今だと無理があるので、思い切って時代を少し前にして「昭和の最後の日々」という設定にしました。「日本では大変なことになっているんだけど、マレーシアでは人々がのんびり暮らしている。でも、それぞれ昭和に対する思い入れがある」という構造にして、戯曲を改稿しました。
 マレーシアは日本軍が開戦と同時に上陸して、シンガポールに進軍していく通り道になっていたわけですね。その部分と作品を重ねるというのはもともとありましたが、それを更に昭和の最後に重ねることで、天皇との距離の問題が明確になったと思っています。敗戦時、うちの父は16歳ですから、本当に軍国少年で絶対二十歳まで生きると思っていなかった。あと1、2年早く生まれていたら特攻隊に行っていた世代です。なので、登場人物も年齢によってそれぞれ少しずつ戦争への思いが違います。そういうところは新しい設定にしたことによって明確にできたと思っています。
 昭和の終わり、演劇界において「自粛」というのが戦後初めて起こりました。当時はまだ冷戦時代でしたから、どちらかといえばイデオロギーと表現の自由の問題として扱われていましたが、そのあとの阪神淡路と東日本の大震災、そしてコロナ、と「災害における芸術活動/自粛」という問題を常に私たち舞台芸術の人間は問われるようになりました。特に今回のコロナのことに関しては、非常に大きな打撃も受けましたし、自粛もせざるを得なかった状況もあったということで、本当に偶然ですがタイムリーな上演になりました。

■豊岡演劇祭について

『眠れない夜なんてない』(2020年再演)©igaki photo studio

 この作品は昨年の9月に豊岡演劇祭で上演して、そこでも非常に好評でした。昨年の豊岡演劇祭はコロナの厳しい状況の中で全て客席を半分にしましたが、関連企画まで合わせるとのべ5,000人近い観客の皆さんに訪れていただき、9月一か月で考えると豊岡市の宿泊を大体10%ぐらい押し上げております。観光業界も昨年は非常に大変だったので感謝されましたし、より期待が高まりました。彼らは瀬戸内国際芸術祭や別府の「混浴温泉世界」のことを勉強はしていても、演劇を見に来るためだけに本当に全国から人がやって来るということは想定外で、今回目の当たりにしたわけです。でも何より豊岡演劇祭をやってよかったのは、表現の場を守れたということですよね。そこが一番大きかったと考えています。
 豊岡演劇祭に来た若手の演劇人は「豊岡は天国だ」という感じでした。特に東京はプレッシャーがすごくて、みんな神経がまいってます。4、5月は公民館とかが全部閉まってしまい、稽古もできない状態になり、オンラインで稽古していました。9月の時点で「豊岡演劇祭が今年初めての舞台」とか、「こんなにのびのびできるのは本当にありがたい」とか、「警戒されると思っていたけど、豊岡の人たちが温かく迎えてくれたのが嬉しかった」という声も聞かれました。たまたまですがマレーシアと豊岡はちょっと似ているな、と思いました。そういう意味では幸先の良いスタートが切れたかなと思っております。

 豊岡自体は感染者がほぼゼロで、市中感染の可能性がないので、私たちは非常にのんびりとしています。今も豊岡市と文化庁の事業で、豊岡市内の小中学校・保育園を回って子供向けの新作の上演を続けています。僕は「文化のバックアップ機能」と呼んできましたが、東京がダメだからといって全国で自粛をするのではなくて、市中感染の可能性が極めて低いところでは、再開したり継続したりするということが大事だと思っています。
 欧米のように各県各州にオーケストラと劇団とバレエ団ぐらいがあれば、感染のあまり広まってない地域ではそこで回せます。実際に今、但馬ではうちの劇団がずっと上演を続けています。ちゃんと分散してればできるわけです。それは文化の東京一極集中のツケが回ってきたってことだと思いますね。
 江原・豊岡で上演していると地元のみなさんは「下駄履きで来られるのがありがたい」と言います。地域に劇場があることが価値を持つ時代になるんじゃないでしょうか。劇場というのは都心にわざわざ行って見るものではないです。フランスだと、人口15~20万人くらいの地方都市にも国立・県立の劇場があります。また、フランスでは比喩として「小学校の先生や図書館の職員ぐらいのインテリジェンスを持っている人たちは、月に1回はコンサートか演劇を見に行く」といわれます。そのぐらいになってくると、人口15万人の町でも十分に劇場の経営ができます。豊岡が8万人、但馬が16万人ですから、そうなっていくといいなと考えています。そして、そういう町が日本中で出来てくると、コロナのようなことが起こっても、一斉に何かが止まってしまうことがなくなるんじゃないかなと思います。

■芸術文化観光専門職大学について
 この大学はパフォーミングアーツと観光が学べるというところが新しいところです。この二つの業界は今回最も打撃を受けましたが、卒業生を出すのが4年後なので、その復興を担うような人材育成したい、というのが一つ新しくできたミッションだと思っています。
 今はコロナで止まっていますが、この7、8年でインバウンドがものすごく増えていて、これはもちろん観光業界の努力もありますが、大きな外的要因としては円安と東アジアの経済成長です。中国と東南アジアに10億人近い中間層が生まれ、この人たちが初めての海外旅行先に安心・安全でおいしい日本を選んでくれました。でも、次もう1回来てもらうためには、当然コンテンツが必要になってきます。それは「食」や「スポーツ」、あるいは「芸術文化」であったりする。これ全体を「文化観光」といいます。特にその中でも、私たちは「芸術文化」に特化していこうということで、「芸術文化観光専門職大学」という名前になりました。
 今の高校生は非常に現実的なので、演劇は続けたいけれど就職もちゃんとしたい、あるいは親を安心させたいという思いはありますので、観光も学べるところが魅力的だったようです。例えばイギリスなどはどの大学にも演劇学部がありますが、皆が俳優になれるわけじゃありません。イギリスの場合には演劇学部を出ると、豪華客船や観光関連の職場に就職します。ショーなどに出て、残りは給仕などをします。あとは日本と同じでオーディションを受けまくったりする。今までの日本はそういうことがなかったですが、諸外国では普通のことで、グローバルスタンダードなものだと僕は考えています。
 一方で、観光を学びたい子も結構いて、ただ観光だけだと生徒があまり集まりません。高校生たちには、「この大学ではホテルマン・フロントマンを育成するのではなく、コンシェルジュを育成するんだ」と説明してきました。コンシェルジュは、家族連れが来た時に、その地域の歴史や文化、自然科学などいろんな教養がないと案内できません。また、ニューヨークやロンドンの一流ホテルのコンシェルジュは、電話一本でブロードウェイやウェストエンドなどのチケットを取ってくれる。そのコネクションも必要だし、オススメするためには自分も人気演目は全部見てないといけませんし、それだけの知識や教養が必要なのです。また、「ホテル=宿泊するところ」と思っているかもしれないけど、一流ホテルの収益の半分はパーティーやレセプションでまかなわれています。なので、パーティーの空間デザインや演出が出来たりする方が就職するときに圧倒的に有利なんだ、ということを説明します。そういう人材を育成したいというのが狙いで、それが今のところはマッチしたと思っています。

■コロナ禍における芸術支援について
 ライブエンターテインメントは音楽も入れると1兆円産業に育っていて、この20年で急速に伸びましたから、国会議員たちも「これはまずいな」と今回は考えています。議員さんから「どうすればいいですか?」という電話がたくさん来ました。彼らもどうやって支援していいのかわからないんですよ。経済産業省もリーマンショックの時には製造業・輸出産業が中心だったから、それらの支援には慣れていたけれども、エンターテインメント産業は観光業で、しかもこれは中小零細が多くて、更に膨大な数のフリーランスがいる。これをどうやってモラルハザードなしにバックアップしていくのかというノウハウがまだありません。初めての事態に直面して、ライブエンターテインメント産業がすごく経済を回しているし、成長産業だということも勉強してわかってきたようなので、これが少しでもプラスになればと思っています。

■コロナ禍で苦境に立たされている若い劇団、若い演劇人に対して
 本当にメンタルをやられているような子がたくさんいますし、とにかく先が見えない状況です。青年団は比較的安定して観客が来てくれていますが、東京の演劇ファンでも月に何本もは見られないので、だったら安全なものを観よう、となりすごく観客が減っています。4、5月の時のことがトラウマになって活動できないところもあって、公演を控えちゃうという悪循環になっています。私たちはギリギリまでやってどうしてもやれないときにはやらないというスタンスですが、若手では辞め癖がついてるところもある。あと今の子たちは、私たちのように借金背負ってまでやる、みたいな感覚とかがないです。リスクがあるともうやらないんです。私の立場としてはアゴラやアトリエ春風舎、豊岡演劇祭など、とにかく場を開いておいてあげるということが大事だと考えています。

2021年1月6日 大阪市内にて


青年団第84回公演
『眠れない夜なんてない』
作・演出/平田オリザ

2021年2月
5日(金)19:00
6(土)14:00/18:00
7(日)14:00/18:00
8(月)14:00

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令和2年度「現代演劇レトロスペクティヴ」演出家対談 松本修×小原延之

アイホールでは今年も現代演劇レトロスペクティヴを開催します。令和2年度はMODEの松本修さんの演出で柳美里さんの『魚の祭』を、小原延之+T-works共同プロデュースとして小原延之さん作・演出で『丈夫な教室』を、それぞれ上演します。演出家のお二人に当館ディレクターの岩崎正裕がお話しを伺いました。


★『魚の祭』について

岩崎:例年、現代演劇レトロスペクティヴは、新しい演出家が過去の作品に取り組むことでその作品の魅力を発見するという趣旨でしたが、今年は初演を手がけた演出家による「リ・クリエイション」の色彩が強くなっています。まず、お二人に初演を立ち上げられたときのお話をお聞かせいただけますか。

松本:1992年が初演、翌年再演なので、今回が約27年ぶりの上演です。柳美里さんとの出会いは、知り合いの演劇評論家の方から「柳美里という面白い作家がいるから会ってみないか」と言われたのが最初です。その後、お互いの公演を観に行ったりして交流が始まり、青山円形劇場のフェスティバルでMODE×青春五月党として組んで公演をすることになりました。このとき、僕から「いま関心あるもの、好きなものを書いてください」とお伝えし、出来あがったのが『魚の祭』です。読んだときの第一印象は、「きつい内容をそこまで書くのか?」という戸惑いと、がっつり書き込まれた台詞量の多さでした。

それまでの僕は、チェーホフの戯曲を解体して再構成するという作業をやっていまして、チェーホフですら説明台詞が多いと感じて台詞をばっさばっさカットしたり、ゴダールやトリュフォーの映画に出てくる似たシチュエーションに置き換えたりしていました。俳優たちも一緒にその作業をやっていたから、「(『魚の祭』の)この台詞はこの状況で言わないんじゃない?」なんて意見が出たり。「よし、現場でつくるぞ」と戯曲の台詞やト書きをバサッと削ったり戯曲に手を入れたりしていました。ただ彼女には必ず稽古場に立ち会ってもらった。「君の書いたのと、手を入れてアレンジしたのと、どっちがいい?」と稽古を見せながら進めていたんです。俳優たちも2パターンの台詞を覚えて演じてくれて。だから、上演台本と出版されている『魚の祭』とは少しタッチの違うものになっています。

岩崎:当時、柳美里さんは23歳ですよね? そういうとき、稽古場は紛糾しそうですけど、その辺は円満に上演にこぎつけられたんですか?

松本:紛糾はしなかったけど、ムスっとはしていたね。「そこはやめてほしい」という意見も言ってくれたけど、通し稽古やゲネプロ観て、最終的には「いい」と言ってくれた。でも、やっぱり悔しい思いはあったと思いますよ。

岩崎:書いたものをざっくり切られるっていうのは、作家としては身を切られる思いですよね。

小原:現場にしっかり立ち会わせて、その場でちゃんとディスカッションして了承を得るのはすごく誠意のあるやり方だと思います。

松本:今回は、柳美里が書いたことを尊重したいと思い、初演再演で僕がカットした台詞を復活させ、書き直したところをカットするという作業をしています。初演の俳優は経験のある人ばかりで、作家が書いた台詞を一言一句喋らなくても戯曲に書いてあることを伝えることができる技術を持っていました。でも今回は20代前半の俳優たちが多く、柳美里の文体が持つ、ちょっと引っかかりのあるザラっとした、あるいはザワッとさせる言葉が、つるつると上滑りしてしまう。逆にカットした台詞を復活させて、それを言わせることで観客や相手役に引っかかるシーンになるんですよ。だから今回は、柳美里が約30年前に書いた戯曲に近いかたちで上演しようと思います。そのことで、彼女がなぜそう書きたかったのかがみえてくると思っています。

 

 

★『丈夫な教室』について

岩崎:初演当時、附属池田小事件を取り上げることに対する、劇団内の反応はどうだったんですか?

小原:若い俳優たちは特にポカンとしてましたね。もともと「そとばこまち」は、学生劇団のノリを継承しつつ関西のエンターテインメントを引っ張っていた劇団です。辰巳琢郎さんから上海太郎さん、生瀬勝久さんと受け継がれた座長を私が継承して以降も、それなりに観客を楽しませる作品を作ってました。やっぱりそういう作品はお客さんの反応が良いんですね。ただ僕自身は、思っているのと何か違うと内に秘めるものを持っていました。当時34歳でしたが、もう少し社会に働きかける作品に取り組んだ方がいいんじゃないかと提案し、それに理解を示してくれた劇団員たちとミーティングを重ねてこの作品を作りました。作・演出として劇団を引っ張ってきて、ようやく手ごたえを感じたことを覚えています。ただ、上演成果として周りから得た評価より、劇団内評価はすごく低かったのを覚えています。

岩崎:これがきっかけで小原さんは小原さんの道を歩み始めるわけですよね。

小原:結果、そうなりましたね。

岩崎:社会的な題材を扱っていく路線になったきっかけは何だったと思われますか? 

小原:実は社会的な主張があって「附属池田小事件」を取り扱ったわけではありません。最初は、酒鬼薔薇事件の加害者が保釈になったことでした。加害者が社会的に更生したと認められて出所したとき被害者はどういう夜を過ごすのだろうか、という被害者と加害者の関係性を考えてみるところから書き始め、書き進めていくうえでどんどん池田小事件の方向を向き始めたんです。だから、初演のときは「附属池田小事件をモチーフに」とは謳っていませんでした。あとは、出演者の人数が多く、暗転すると大変だから、ワンシチュエーションにしようという作り方をした覚えもあります。そういった演出プランに関しても、エンターテインメントではなく、よりストレート・プレイと呼べるものになっていった気がします。一つの教室の中で、出来事が積み重なっていき一つの事件を事象として出現されるプランです。これは事件現場を観客も経験していただくくらいシリアスにしようと思いました。今、改めて作っていて気づいたのですが、この事件の再現というのは裏を返せば被害者を見世物にするエンターテインメントじゃないかと。この点は良くも悪くも劇団そとばこまちの魅せる感覚だったのかと思います。今はこの感覚は持ち合わせてないのですが、出演者には被害者に寄り添う作品としてどのようにモラルを持って演じてもらうかをテーマにしてもらっています。

 

 

★演技論にたどり着くまで

岩崎:松本さんはもともと文学座に在籍されていましたよね。文学座らしい抑揚のきいた台詞術から、台詞を極限まで絞り込む手法へと移り変わったきっかけはあったんですか?

松本:文学座のチェーホフは寝てしまうけど鈴木忠志のチェーホフは面白い、この違いはなんだ、が最初です。鈴木忠志のチェーホフは台詞量は10分の1だし、ラネーフスカヤは握り飯食べて演歌を歌うし、「こういうやり方もありなんだ」と思ったんですよね。100年前に書かれた戯曲だけど、チェーホフがやろうとしていたことは今にも通じることだと思いますね。例えば『かもめ』の四幕、ポリーナがトレープレフにマーシャのことを優しくしてあげてくれというシーンで、トレープレフは一言も発さずにそのままスッと出て行く。そういう演出の手法をすでに書き込んでいるわけです。

岩崎:ああいう度胸のいること、作家はなかなかできないですよ。松本さんたちは革新性を演劇に求めてきたと思うんです。僕ら1980年代に演劇を始めた者から見ると、文学座はガチガチの保守的な新劇のように見えていたわけですけど、そこから松本さんたちが出てきて、また何か新しいことが始まるんだという感覚がありましたね。

松本:僕は学生劇団でアングラ劇みたいのをやってまして、そのあと25歳の頃に文学座に入ったんです。だから入団当初は新劇のシステムがとても新鮮でした。いわゆるナチュラルに見える演技の方法があって、「この距離でいるんだから、そんな大きい声出さなくていい」とか「わざわざ腰落として、大きい声で話す人はいないから」と指摘される。リアリズム、ナチュラリズムだけど、世の中にいる人の形を使ってやりましょうという発想はやっぱりとても面白かった。ただ、杉村春子や太地喜和子は、リアリズムがベースなのに、その域を越えた演技をしている。芝居の見せ方が、ある意味歌舞伎的とか状況劇場にも通じるところもあって、それはお芝居だからできることだと思いました。リアリズムから浮いちゃうところまでやっちゃうんです。それが本当に面白かったですね。

岩崎:小原さんはそとばこまちに入ったきっかけは何だったんですか?

小原:面白そうだったからですね(笑)。大阪に出てきて、それこそ養成所に入って新劇をやっていけば、いつかは面白くなるだろうと思ってたんですけど、全然そうじゃなくて。それで劇団そとばこまちのオーディションに応募したんです。そこで、今、面白いと思ったことをそのまま舞台にしてもいいという発見があり、エンターテインメントの路線に行ったんですよね。ただ、どうしたら生瀬勝久さんや山西惇さんのような芝居ができるかはわからずじまいでしたね。

岩崎:あのお二人は芝居が嘘をついてないんですよ。今、ドラマの世界で評価されているのはリアリズムの素地があったからでしょうし、二人ともエンターテイナーでしたね。そう考えると、方法論としては、そとばこまちはリアリズム寄りだったのかもしれません。だからこそ、小原座長の体制で、この『丈夫な教室』が生まれたとも言えるかもしれないですね。

 

 

★リ・クリエーションに向けて

岩崎:最後に、リ・クリエーションにあたり、新しい俳優たちの作業も含めてどんなものが見えてきてるかお聞かせください。

松本:今回、40~50代以上のベテラン俳優と近畿大学の学生たちとの演技に明らかに差があって。学生たちは、ナチュラリズムをベースにした演技をするんですけど、台詞がつるつる滑っていくのね。戯曲のシチュエーションをどう自分の中で実感して、どう表現するか、演技基礎実習みたいなのを毎日やってる感じですね。とにかく若い子は台詞のテンポが速くて、上演時間が半分になるんじゃないかというくらい。だけどそれじゃ全然伝わらないから、「音を上げて」とか「台詞喋る前に相手をじーっと睨んでから」とか、そういうことを毎日稽古場でやってます。若い世代に今とは違う演技のスタイルを経験させているのは面白い。柳美里は特殊な育ちをした劇作家ではあるけれども、それでもやっぱり『魚の祭』は時代を反映した戯曲だと思いますね。当時は、平田オリザ的な演劇も出始めたころだけど、青年団の演技では成立しない世界を書いてるから。だからこそ、若い世代と一緒にチャレンジできる今の現場はすごく楽しいですね。

岩崎:『魚の祭』を読み返しましたけど、いささかも古びてないですね。携帯ではなく留守電だったりと時代は変わってますが、人と人との間で起こってることは今と何も違わないと思いました。

小原さんは、本番直前の稽古まで台本を直されますよね。『丈夫な教室』のときも、その作業はされていたんですか?

小原:本番2週間前にホンが完成して、3日前くらいまで微調整してました。俳優のなかには 「この台詞はこう言ってくれ」と伝えたのみで舞台に出てくれた人もいました。この方法は「そとばこまち」という場があったからこそできたと今は思います。フリーになって同じことをやっても、それではダメだと思い知らされました。

今回のキャスティングは、共同プロデュースで組んでいるT-worksの松井さんと一緒にしました。だから初めて手を組む俳優が非常に多く、かつフィールドが違うエンターテインメント系の人たちが参加してくださったので、良い化学反応があればと思っています。台本は改めて読み返すと、台詞は本当にエンターテインメント系だと思いました。当時と今は、考え方や見せ方は大きくは変わっていないはずなんですけど、やはり当時は言葉のこだわりはあまり無かったんだと気付きました。やっぱり今とはかけ離れていて、そこをどうしていくかがひとつの課題です。言葉の選び方を一言一言精査して、オーバーホールみたいなことをしようと思ってます。その時にいろんないらない部品がでてくると思いますが、その点は、過去の自分に敬意を払って、ばらしていこうかと思っています。

岩崎:俳優陣はみんな芝居ができる人たちですよね。俳優同士の関係の作り方で面白いことができそうで、見え方が変わるんだろうなと思います。

(2020年11月大阪市内)


■令和2年度「現代演劇レトロスペクティヴ」

MODE『魚の祭』
2020年12月18日(金)~20日(日) 公演詳細

小原延之+T-works共同プロデュース
『丈夫な教室-彼女はいかにしてハサミ男からランドセルを奪い返すことができるか-
2021年1月14日(木)~17(日) 公演詳細

燐光群『拝啓天皇陛下様 前略総理大臣殿』 坂手洋二インタビュー

AI・HALL共催公演として2020年11月27日(金)~29日(日)に、燐光群『拝啓天皇陛下様 前略総理大臣殿』を上演します。岡山出身の作家・棟田博による小説から着想を得て描く新作です。

燐光群主宰であり、作・演出の坂手洋二さんに、作品の見どころや創作の背景についてなどお話しいただきました。

 

■『拝啓天皇陛下様』と作家・棟田博とのつながり

撮影:姫田蘭

 1962年に棟田博さんが書いた小説『拝啓天皇陛下様』は、彼が岡山の歩兵第10連隊に入隊した際の実話を元に描かれています。彼の化身である「棟本博」と粗野なところはあるが純朴な「山田正助」という男の出会いと、太平洋戦争中の兵隊たちや庶民の生活の様子が主軸になった物語です。1963年には野村芳太郎さんが監督を務め、渥美清さんが「山田正助」を演じ映画化されました。ものすごい情報量の小説を1時間40分くらいにうまくまとめています。藤山寛美さん、長門裕之さんや桂小金治さん、西村晃さんらも出演し、群像劇としても魅力的な作品です。

棟田氏と僕の家系は、同じく岡山県の県北・津山あたりの出身で、私の父方の曽祖父の弟が棟田家に養子に入った関係で、遠縁としてつながりがあります。そのような縁もあり、ずっと『拝啓天皇陛下様』の舞台化については構想を温めていました。

 

 

 

■今回の作品を創作するきっかけ

 この作品を創作するきっかけの一つが、森友学園の問題の際に公文書改ざんの責任を背負って自殺された近畿財務局の赤木俊夫さんです。彼も津山の出身です。彼が好きだった映画が黒澤明監督の『生きる』です。自分の生きがいを見失い失望していた官僚が、何かを成し遂げるために不衛生な暗渠だった場所を公園にするということで人生を全うするという内容です。映画と同様に、理想に燃えていた赤木さんという公務員が苦悩して亡くなっていったということが、いたたまれない思いとして、僕の中にずっとありました。赤木さんは手記の中で、公務員の仕事が軍隊と同じで、人間ひとりはつぶされていくんだという旨の言葉を書き残しています。それが僕の中でかみあって、兵隊と公務員の二つを絡めて考えていくようになりました。もしも彼が『拝啓天皇陛下様』を読んでいたら、この作品のような世界観で世界を見ていたら、彼はどうなっていたんだろうということを妄想し、彼を語り部にして作品を作りたいと構想しました。

 また、今回は殺風景な男ばかりの芝居です。軍隊や官僚社会は女性の存在感がないという部分でとても似ています。当時の時代の常識では当たり前だった女性蔑視的なやりとりを稽古場でやるだけで、苦しくなる部分があるし、ある意味では男性の僕でもザワザワっと感じる部分が多くあります。でも世の中が変わってきて、昔の価値観を今もう一度見直し、何が否定されるべきもので、何が大事だったのか、何が零れ落ちていったのか、そういうことを見つけていくような劇にしたいです。

 

■作品の構造について

撮影:姫田蘭

 本作は、『拝啓天皇陛下様』の世界と、今の日本の政治によって潰されていく官僚の物語がクロスオーバーしながら進んでいくような芝居になります。

手法としては、現実にあるインタビューや法廷での証言を元に構築する、バーベイタムシアター(報告・証言劇)の方法も取り入れたいと考えています。燐光群では、過去に同様の手法をとっているイングランド出身の劇作家・デヴィッド・ヘアーの『パーマネント・ウェイ』を含む三部作を取り上げました。『パーマネント・ウェイ』はアイホールのプロデュースでリーディング上演もしました。今回の作品はもっとドラマらしくなります。スケールの大きい『拝啓天皇陛下様』という小説と現代の官僚の物語もどちらも克明に描きたく、バーベイタムシアターの手法とドラマティックな物語、二つを合わせていくという形になっていきました。新聞記事やさまざまな報道などから引用している部分もありますが、強いストーリーもあります。僕らにしかできない劇の在り方を考えて、すごく苦しみながら取り組んでいますが、実録をやるわけではないし、実録のためのものではないです。僕たちの時代において演劇があるということがどんなふうに現実を相対化するのかということ、つまり二つの物語が合わさると今の現実のようにはならないはずだ、ということを創造したいのです。

 

■今の日本の状況に思うこと

撮影:姫田蘭

 昭和、平成、そして令和という名前の元号となって、天皇というものをどうとらえていくのでしょうか。政府の身勝手さを見ると前の総理も今の総理も自分のことを戦前の「天皇」のように万能だと思っているように感じます。また、学術会議の人たちを何でクビにしたんですかと聞くと、「そういうことになっているから」とか、「いろんな情勢を鑑み」とか言っているだけで、無責任体制になっていますよね。市民にしてもSNSで発信することで、ストレスや不満が解消される仕組みになっているだけで、本当に起こっている悪い出来事を止めることをできてはいない。そのような状況と比べて、『拝啓天皇陛下様』という作品が優れている理由の一つは、ひとりひとりの人間が生きている姿自体への感動です。人間がどのように一生懸命生きてきたのかということを、この劇の中できちんと踏まえられればと思います。

 

■コロナ禍でツアーを行うことについて

撮影:姫田蘭

 旅公演がしづらい時代に、このコロナですから、警戒しながらやっています。稽古後も本当に誰も飲みにいかないし、マスクをずっとしているので、今から劇場に行って場当たりからマスクをはずすことにドキドキしています。そんな状況だからこそいつも通りツアーでこの劇を上演できること自体にとても意味があると思っています。また、今のコロナの状況が持っている「非常事態」という感覚をいいように使われる、もてあそばれるという感覚へのアンサーでもありたいという気持ちもあります。万全とはいきませんが、できる限りの対策をもってなんとか最後まで乗り切っていきたいと思っています。   

2020年10月 オンライン上にて


燐光群 
『拝啓天皇陛下様 前略総理大臣殿』
作・演出/坂手洋二
 
2020年11月
27日(金)19:00
28日(土)14:00/19:00
29日(日)14:00
 
詳細はこちら
 

北九州芸術劇場クリエイション・シリーズ『まつわる紐、ほどけば風』関係者インタビュー

※本公演は新型コロナウイルス感染症対策に伴い、公演中止となりました。


アイホールでは3月7日・8日に共催公演としまして、北九州芸術劇場クリエイション・シリーズ『まつわる紐、ほどけば風』を開催します。公演に先駆け、作・演出の岩崎正裕さん(劇団太陽族)と、北九州芸術劇場プロデューサーの龍亜希さんと黒崎あかねさん、出演者を代表して寺田剛史さん(飛ぶ劇場)と町田名海子さん(創造集団ちいさなクルミーノ/劇団「劇団」)に、本企画と本公演ついてお話しを伺いました。


■北九州芸術劇場が手がけるオリジナル作品

龍:北九州芸術劇場で製作した作品を、アイホールで上演するのは実に15年ぶりです。当劇場は、2003年8月にオープンし、今年で17年目を迎えました。「創る」「観る」「育つ」「支える」という4つのコンセプトのもと、演劇やダンスの舞台芸術を中心とした様々な事業を展開しています。「創る」においては、開館当初より「地域」を意識し、大事にしながら作品を創作、発信してまいりました。今回、これまで培ってきた経験やノウハウを活かしながら、現場のスタッフがよりアーティストと密に関わり、その関係性を築きながら作品創作を行う枠組みとして、2018年から「クリエイション・シリーズ」をスタートすることにしました。このシリーズは、劇場とアーティストが2年間タッグを組み、まず1年目には、地域の方々や地元で活動する表現者の皆さんとの交流や、作品創作に向けた準備やリサーチなどを行っていただき、地域を知ってもらいます。続く2年目には、北九州に実際に滞在していただいて、オリジナルの作品を作っていただくというものです。その第一弾として、今回、当劇場の開館当初から様々な形で関わっていただいている岩崎正裕さんをパートナーとしてお迎えし、作・演出をしていただきます。また、本作品のプロデューサーは北九州芸術劇場の舞台事業課の黒崎あかねが務めます。
黒崎:2003年の劇場オープンから舞台事業課に所属し、市民参加の企画や劇場が企画制作する創造事業の制作業務を中心に携わっております。岩崎さんとは、開館翌年に上演した『冒険王04』で初めてご一緒させていただきました。この作品は、北九州を拠点に活動する劇団「飛ぶ劇場」の代表で、当劇場のローカルディレクターでもある泊篤志の戯曲を岩崎さんの演出で2004年に上演したものです。大変好評をいただき2007年には『冒険王07』として再演しました。その後も岩崎さんとは、劇団太陽族での公演や、講師としても北九州にお越しいただき、現在までご縁が続いています。今回、10年以上続くご縁のなかで初めて、新作を書き下ろしていただきます。
2018年4月に始動した「クリエイション・シリーズ」の1年目では、岩崎さんと、北九州の町や島を一緒に歩いたり、文化施設へ訪問したり、地域の演劇人や町に住む方たちにインタビューを行なってきました。また、当劇場が企画制作する公演の視察や事業にも講師としてご参加いただき、地元劇団の公演の視察に行くなど様々な角度から北九州に触れていただき、岩崎さんが今描きたいモチーフが何であるかを見つめてきました。そのなかで今回、キーワードとして“女性”が出てまいりました。

 

 
■大正時代の女性像からインスピレーションを得て

岩崎:北九州には月一回くらいお邪魔しまして、歴史的なことも教えていただきました。八幡製鉄所の工場見学で実際に赤く焼けた鉄が通るところを見せていただいたり、山登りや島にも行かせていただきました。また、北九州で生きていらっしゃる、たくさんの世代の女性から話を聞く機会もいただきました。そういう経験から題材を絞り込み、今回、「女性」というキーワードで描くことにしました。
僕、関西で生きている女性と九州で巡りあう女性とでは、佇まいが違うなと感じておりまして。関西の女性の特徴は割とズケズケと物を言う、土足で踏み込んできてボクシングで言うとところのスウェイバックでよけるみたいな、それに合わせて会話は弾むんですけど、関西の女性は本音じゃないことまで言っている感じがします。それと比べると、北九州の女性には嘘がない、程よい距離感をとる、特に男性に対してものすごく気遣いをしている印象がありまして、その違いはなんだろうと気になりました。おそらくすごい本音で関わるんだけど、男性をたてるみたいな空気が九州には残っていて、だから男性がつけ上がってるんじゃないかっていう気もしますが(笑)。九州男児という言葉もありますし、もしかしたら男性が力を持っていて、女性たちはすごく苦労してるんじゃないか、その本音は何だろうと考え始めたのが、今回のきっかけでした。
そのときに、小倉で数々の作品を生み出し、高浜虚子の『ホトトギス』の同人で、大正から昭和にかけて活躍をされた女性の俳人・杉田久女の存在を、北九州市立文学館などで知りました。“台所の俳句”と呼ばれている分野にある彼女の句で、「足袋つぐや ノラともならず 教師妻」というのがあります。彼女の夫は高校の美術教師ですが、元々絵描きだったんです。なのに、先生になったら一枚も絵を書かず、自分はその妻として家を出ることもできないで、旦那の足袋の破れを繕っている、という句です。「そうか、ノラか」と思いました。イプセンの『人形の家』のノラです。2018年に、松井須磨子をモチーフにした『Sumako~或新劇女優探索記~』を作ったこともあり、大正時代の女性がいかに男性社会から押さえつけられていたのかにすごく興味を持っていまして、そんなときに、北九州で、同じ題材で句を作る杉田久女と出会ったわけです。タイトルの『まつわる紐、ほどけば風』も、杉田久女の句「花衣 ぬぐやまつはる 紐いろいろ」に着想を得ています。この句は、花見から帰ってきて、綺麗な肌着を脱いだら、紐がまとわりついてくるわ、という句なんですが、当時、女性にしか作れない俳句だとすごく評価されました。この「まつわる紐」を、現代社会を生きる女性たちが、紐のようにまとわりついてくる社会的な様々な状況に対して苦心していると捉え、まつわる紐をなんとか解いたら、いい風が吹くんじゃないか、という思いをタイトルに込めました。現代における女性の労働環境や社会での扱われ方が、まだまだ先進的ではないこの国で、九州の女性たちはどんなことを考え生きているかをドラマ化したいと思っています。

 

 

■現代“女性”の生き様を描く

岩崎:物語は、九州で生きている30代から40代の女性三人を中心に展開します。北九州にあるボルダリングジムで出会った三人は仲良くなって、それぞれの家でお茶会などを開きます。一人は古い日本家屋に住んでいて間もなく五十歳になるんですが、「シングルで生きていく」と思っている。もう一人は、北九州で小劇場の女優をやっていて、夫は総合病院に勤める医者。あと一人は、不動産会社で職場結婚をして、子どもが欲しいので不妊治療に取り組んでいるのだけれども、金銭的にも肉体的にもかなり辛い状況。この三人の話を軸に物語が動いていきます。それともう一つ、現代を描くには男女の二元論だけで語ってはいけないと思い、今、社会的にもいろいろ問題提起がされているLGBTのことも描きます。ある大学の軽音楽部の女の子が後輩の女の子から告白されます。彼女は彼氏がいるのに異性と付き合うことがしっくりこないと感じている。女性同士の恋愛の行方がどうなるのか、医者の夫から自立したい女優はどうするのか、不妊治療の夫婦はどうなるのかが展開していきます。また、シングルで生きようとする女性の元には、大正時代の女性が現れて対話し、平成・令和時代の女性の悩みについて大正時代の女性が相談に乗るという、ちょっと幻想的ですけれど、時代を超えた視点もあります。
 また、ボルダリングジムで出会うという着想の中には、女性が自らの高みを目指して壁をよじ登っている様を描きたいと思ったからです。様々な問題を抱えている女性たちが壁に取り付いて上へ上へと登っていく、そういう象徴的なシーンが作れないかと考えています。今を生きている女性たちが抱える問題は、大正時代に平塚らいてうが提示した女性の権利について、この国は実はまだそこまで到達していないのではないかと警鐘を鳴らす物語としたい、それについて、実際に現在に生きている私たちの生身でもって語られる物語にしたいと思っています。
また、この作品は『冒険王』でご一緒させていただいた泊篤志さんに、台本を北九州弁に直していただいて上演します。その地元の言葉のニュアンスが、その人たちの生活感覚に馴染んでくるのではと思っております。

 

 
■出演者について

黒崎:今回、出演者オーディションを行い、北九州在住の俳優を含め全国各地で活躍される俳優が集結しました。代表して、寺田さんと町田さんにお話しを伺いたいと思います。岩崎さん、まずお二人の印象はいかがでしたか?
岩崎:寺田さんは、やっぱりすごくうまいです。そして実力だけでなく、お人柄がすごく真っ直ぐで優しい。今まで北九州劇術劇場で作られたプロデュース公演にもたくさん出演されていて、2006年にアイホールで上演した『ルカ追走』にも出演いただきました。最初、関西の俳優陣が「寺田剛史って誰?」という雰囲気だったのが、稽古に来た瞬間に「こいつ、すごい」という空気に変わったことを覚えています。今回のオーディションはシード枠がなく、みんな横並びのスタートで、そのなかで申込番号のナンバー1番が寺田さんだった。このやる気にとても感動しまして。もちろんオーディションでもその演技は的確でした。寺田さんはいつも善い人の役をやっていることが多い印象なので、一度、女性を罵倒する台詞を言わせてみたいと思い、今回、妻に「体裁が悪いから劇団やめて」と言い出す医者の夫を演じてもらいます。
黒崎:寺田さんの新しい姿が見られるかもしれないですね(笑)。
岩崎:町田さんは、僕が大阪芸術大学短期大学部で指導した教え子です。学生の頃からすごく印象が強くて、もう6年も経っているのに覚えていました。オーディションでは、いろんな地域から腕に覚えのある俳優がワッと押し寄せてきたのですが、その中で見事に自分のできることをやったんですね。関西の小劇場で経験を積んでいたということもあるんですけれど、エコヒイキではなく厳正な審査の結果、スタッフ立会いのもと、町田名海子さんがいいと決まりました。彼女には大学の軽音楽部で後輩の女性に告白される先輩の役をやってもらいます。
黒崎:では、お二人にオーディションを受けようと思ったきっかけや、事前稽古の感触などをお聞きしたいと思います。
町田:私がオーディションを受けようと思ったきっかけの一つは、演劇活動を続けるなかで行ったことのない土地で作品作りをすることは難しいと感じていたので、地域に滞在しながら作品をつくることができるのはすごく面白いと思ったからです。もう一つは、作・演出が岩崎正裕さんということです。大学から演劇を始めて、そこで出会った岩崎さんのおかげで、いろいろな角度から演劇を知ることができ、役者をやるうえでの大きな基礎を作っていただきました。その岩崎さんと、新しい作品を作れるなら北九州にでも行こうという気持ちがありました。北九州は人柄も温かくて、ちょうどいい距離感というか、すごく懐かしい雰囲気がある場所なのでとてもワクワクしております。事前稽古ではワークショップに近いかたちで進みましたので大学時代を思い出し懐かしくなって(笑)。役者の皆さまもとても素晴らしく、新鮮な気持ちで参加させていただきました。
寺田:北九州を拠点に活動する「飛ぶ劇場」に所属しています。岩崎さんとは、2004年の北九州芸術劇場プロデュース公演『冒険王04』、2006年のAI・HALL+岩崎正裕『ルカ追走』、そして2007年の『冒険王07』とご一緒させていただきましたが、それ以来10年以上、一緒に作品を作る機会がなく…。今回、この「クリエイション・シリーズ」の作・演出が岩崎さんだとチラシで知り、これはもう受けるしかない、一緒にやりたいと思い、すぐに応募しました。
岩崎:それがナンバー1番(笑)。
黒崎:東京からいらっしゃる演出家からも「北九州のカリスマ」と呼ばれるような寺田さんが、こんなに前のめりで応募してくださり、すごい熱意を感じました。
寺田:北九州だけでなく関西で公演できるのも楽しみです。アイホールのラインナップを見ると、選りすぐりの作品が並んでいるという印象があります。だから、この劇場でやる作品はまあ面白いだろう、という目の肥えたお客様も多いのではないかと思っています。そういう意味では、ホームの北九州芸術劇場でやるのと比べ、ちょっとだけ緊張感があります。もちろん、舞台上でやることは変わらないですが。

2020年1月 大阪市内にて


【公演情報】
北九州芸術劇場クリエイション・シリーズ
『まつわる紐、ほどけば風』
作・演出|岩崎正裕
2020年3月7日(土)・8日(日)
詳細

MONO『その鉄塔に男たちはいるという+』土田英生インタビュー

2020年2月13日(木)~17日(月)にアイホール自主企画としまして、MONO第47回公演『その鉄塔に男たちはいるという+』を上演します。結成30年企画の掉尾を飾る約20年ぶりとなる本作について、作・演出の土田英生さんにお話を伺いました。


 

■初演から22年ぶりの改訂上演

土田:『その鉄塔に男たちはいるという』は、最初は“鉄塔の上”という不安定な場所で芝居をするのが面白そうだという、単純な着想からスタートしたんです。僕の大学時代はバブル期でみんな浮かれてましたから、政治の話すら誰もしない状態でした。でも、テポドン(※)が落ちた頃、「戦争すればいいじゃん」と発言する人が実際に出てきて、それがすごく衝撃的だった。恐怖心を抱きました。で、万が一、戦争になったら、劇団をやっている僕らはどういう立ち位置でいられるんだろうという不安を “鉄塔の上”という設定を使って書いたのがこの作品です。
 元の話としては、戦争で外国に駐留している部隊があり、その駐屯地に慰問に行った芸人たちが、怖くなってそこから逃げ出し、近くの森の中にある鉄塔に隠れている。噂で戦争が間もなく終わると聞いた彼らは「終わるまで待とう」と過ごす。そこに、逃げた芸人たちの噂を聞いて、入ったばかりの新人隊員が鉄塔に逃げ込んできて仲良くなるんですが、戦争が終わった直後、鉄塔の下に戦闘帰りの兵士たちが集まってきて、面白半分に彼らを囲む…という話です。初演が98年、01年に第7回OMSプロデュースとして上演し、今回が約20年ぶりのオリジナルキャストでの上演です。
 ただ、再演するにあたって非常に困ったことがあります。脱走兵を金替康博が演じるんですが、初演当時は32,3歳だったので、「まだ戦闘に出たことがないんです」という台詞も大丈夫だったんですが今は52歳。52歳でその設定はおかしいだろうと(笑)。なので、日本は今以上に不景気になっていて、仕事のない人やリストラされた人たちが志願して入隊するという新しいフィクションを付け加えました。あと、会話も50代がそのまま喋るとあまりにも幼稚に感じられる箇所があるので、そこは “あえて”ふざけているという工夫をしています。

初演より 撮影:松本謙一郎


 芸人についても、いい年齢の人たちが「いつか売れたい!」と希望を持っているのもリアリティがないので、ライブを中心に活動していて、テレビにもちょっと出たことがある、そういうグループに変更しました。芸についても初演はなんの芸か曖昧でしたので、マイム俳優のいいむろなおきさんに相談し、パントマイムのネタを一緒に考えてもらっています。「俺たちのマイムだって、基礎がなってないですから」という台詞が増えているのですが、それぐらい割といい加減な、基礎をおざなりにしてギャグマイムをやっている集団だということにしています(笑)。そんなところが元々あった「その鉄塔に男たちはいるという」を改訂した部分ですね。

※テポドン・・・北朝鮮の開発した弾道ミサイル。1998年に日本列島上空を通過して発射された。

 

 

■プラスする新作短編-属性で分けることの怖さ –

土田:今回、タイトルに「+(プラス)」とつけました。これは、原作で描かれた物語の40年前を新たに短編として書き下ろし前編として上演して、後編に98年初演の作品を同時上演するからです。初演時はある程度のリアリティを持ちつつもファンタジーの物語として捉えることができたんですが、今の日本の現状でそのまま上演すると、想像力のない、そのままな話になってしまうことがひっかかりまして。そこで新たな短編を付けることで、現在ともっと地続きになるんじゃないかと思っています。
 新作短編は奥村泰彦が演じる「吉村陽乃介(はるのすけ)」の両親が、海外旅行でこの鉄塔に観光に来ている設定です。吉村夫妻と夫の妹、その友人で現地に住んでいる女性、その四人が出てくるんですが、それぞれの関係に亀裂が入る瞬間を見せる展開です。まずこの夫婦が離婚危機で、そのことがベースになるんですが、義姉が夫の実家についての文句を言えば、兄妹揃って “吉村家”としてまとまったり、観光で訪れた国の悪口で今度は仲良くなって友人を攻撃したり…短い時間の中でコロコロと関係が変化します。この短編は「属性で分ける怖さ」が軸になっています。実は原作も、人が何かにアイデンティファイしすぎると怖いという話で、その中にあった説明的な台詞を、この短編で見せるという形にしています。つまり今回は、この二作品を合わせることで一つの物語が成立するようにと思っています。

 

■愉快でありつつも切実な作品として

今回の稽古の様子 撮影:西山榮一

土田:二つの時代設定は、前編は「限りなく現代」、後編は「その四十年後」とト書きに書いていますが、前編も後編も「今」を感じられるようにしています。ただ、休憩中に、美術セットを変化させ、朽ち果てた箇所を増やすなどして、40年経ったことがわかるようにする予定です。
 前編では、すでに朽ち果てている古い人形劇のセットが鉄塔に組まれた板場にあります。この国では“ゴスピッチ紛争”という民族間の内戦があり、それに反対していた人形劇のパフォーマーが、戦地に近いこの鉄塔の上で人を集めて隠れてショーをやっていたが、結局、殺されてしまった。その反省からこの場所が残され観光地になっている。四人はそこを訪ねて来ていることにしています。
 三つの時代を俯瞰してもらい、人は愚かなことを繰り返すという視点を持ち込みたかったからです。人形劇のパフォーマーが殺された鉄塔で、およそ100年後、日本から訪れた芸人たちがまた殺されるという…。僕としては珍しく壮大な時間軸になりました(笑)。
 初演台本での「ヨードー駐屯地」とか「アデヤマ」などの地名が出て来ました。自分で作った地名でしたが、韓国語風の響きだったんですね。初演時はそれでよかったんですが、今回はもっと普遍性を持たせるために、クロアチアの言葉を参考に新しい地名をつけています。内戦という設定もありますし。
 ま、内容を説明しているとこういう話になりますが、2時間という時間、観客のみなさんにいかに楽しんでもらうかが、いちばん私の心を占めています。この作品をいま上演すると、どうしたってある種の危機感の表明だと受け取られるだろうと思うんです。もちろん嘘じゃない。けれど説教くさい芝居はしたくない。いま話しているようなことを、とにかく楽しんでもらっている中で切実に感じてもらえればいいんです。ですから、基本的には愚かで間抜けな登場人物たちがバカバカしい会話を交わす、愉快な話にしたいと思っています。

 

 

■質疑応答

Q、この作品では、日本は他国の戦闘に参戦していて、どこの誰と戦っているのか敵が分からないですよね。今の日本を予見しているように思えますが、当時からいつかこうなるであろうという不安があったのでしょうか?

土田:不安はありました。冬季オリンピックで「日の丸飛行隊」という言葉が出て来た時、ビクリとしたのを覚えています。それまでの価値観では使うことにためらいがあったはずなんですが、それが応援の言葉として当たり前のようにマスメディアが使い、そのことに対して誰も騒がなかった。社会が変わる時には、言葉の持つ意味や許される範囲が変化しますよね。だからすごく怖かったことを覚えています。保守化していると肌で感じた体験でした。

 

 

Q、新しいメンバーが入って1年経ちますが、今の劇団の状況はいかがでしょうか。

撮影:西山榮一

土田:いいですね。やっと“劇団”になってきた感じがする。彼・彼女たちのなかで、僕らが体験してきたような小さな揉め事も程よく出てきてますし(笑)。劇団を30年やってきましたが、私たちは愚痴は言っても悪口は言わないんです。だからこそメンバーが変わらずにここまで続けてこられたんだと思う。新しいメンバーを見てても同じで悪口は言わない。ま、そういう人たちが集まってくるんでしょうけど、今まさに「僕らもああいう会話したな」みたいな些細な揉め事をやっているのを見ると、ほんと似てるなと思います(笑)。

 

 

 

Q:約20年ぶりの再演ですが、この作品に対する思いはいかがでしょうか。

土田:この作品はOMS戯曲賞をいただきましたが自己評価としてそんなに上手く書けた作品ではないんです。でも、いつかはもう一度やろうと思っていました。水沼君は「70歳ぐらいになってからやったらいいんじゃないか」と言ってましたけど、正直それは無理だと思います(笑)。今でさえ、みんな「出番が多い」と言ってますし。そう考えると、今が上演できるギリギリ。今やるしかないって感じですね。ま、70歳になってもう一度やれそうなら、またアイホールにお願いに行こうと思います(笑)。

(2019年12月 大阪市内)


■公演情報
令和元年度AI・HALL自主企画
MONO 第47回公演『その鉄塔に男たちはいるというプラス
作・演出|土田英生
日程|2020年2月13日(木)~17日(月)
公演詳細はこちら

烏丸ストロークロック『まほろばの景 2020』 柳沼昭徳インタビュー

 

柳沼さん写真①
AI
・HALL共催公演として2020年1月25日(土)~27日(月)に、烏丸ストロークロック『まほろばの景 2020』を上演します。
2018年に長編作品として東京・京都で上演し、反響を呼んだ作品を、各地での取材とフィールドワークを重ねて新たに生まれ変わらせた話題作です。
烏丸ストロークロック主宰であり、作・演出の柳沼昭徳さんに、作品の見どころや創作の背景についてなどお話しいただきました。


■創作のきっかけ

2017年、初演の半年前ぐらいに、仙台で滞在製作をしているんですが、『まほろばの景』の創作を試みたのはそこがスタートでした。震災後、テレビやインターネット、映像や手記などで、震災のことを目にする機会は多いですが、そうやって情報はどんどん目の前にやってくるんだけど、その情報と自分の心との距離があり、自分の中で「あのとき何もしなかった」という、自身への呵責みたいな気持ちがずっとありました。
そこで、いつか現地に行きたいと思っていて、とある作品を作るときにお願いして東北に取材に行ったことが創作の始まりでした。

烏丸チラシ表直接関係ない人間が震災を扱っていいのかという逡巡はもちろん今もあるし、その当時もありましたが、いちばん最初の核になったのは、2017年の7月に、『まほろばの景』の短編作を作ったときの取材で出会った方から聞いたお話です。
仙台市の沿岸部に津波で流された集落がいくつかあるんですが、その集落に住んでいた方に、震災によって失われた生活や風習について聞いたお話の中で、「井戸の話」がすごく印象的でした。『まほろばの景』の中でもそのエピソードを始まりにしています。
津波で流されたあるおじいさんの家があった場所に向かったら、もうそこにはコンクリートの井戸しか残っていなかった。その井戸を前にして、おじいさんが「夢みたいだな」っておっしゃったんですって。「夢みたい」っていうのは、普通ポジティブなときに出てくる言葉ですよね。「信じられない」っていう意味で使われていたというのは、すごく理解できるんですが、それがこういう悲痛な状態で「夢みたい」って呟かれたという話が、すごく印象に残っていて、自分の中に響きました。その「夢みたい」という言葉から、この作品は始まっていきます。

柳沼さん写真②初演の東京公演の時に聞いた感想の中で、「都会に突如現れた祭壇」ということを仰っていたお客さんがいて。それを聞いて、そう受け取ってもらえるものを僕たちは創っていたんだなということに気付いたんですね。じゃあこれを、今度はもっとそれぞれの観客の人たちの想いと舞台が、もうちょっと深く関係を持てるような作品にしたいねと話しました。表層的なことではなくて、日本人の根っこに流れるものを汲み取りたいと思うところから再創作が始まっています。

■『まほろばの景』について

今回の作品は東日本大震災で仙台の実家が津波で流された男性が主人公です。
舞台は主に山の中です。震災で自分自身も家族も無事だった男が、その後、震災後を生きている中で抱える屈託を、山を登ってる中でいろんな人たちと出会いながら、自分の過去を反芻していくというお話です。
震災そのものがテーマということではなくて、「震災」というものを起点にして、それ以降、人々の中にどのような心の変化があったのか、どう価値観が変化していったのか、また、震災以降、社会は変わったけれど、社会と個人の乖離みたいなものを解消していくにはどうしたらいいのか、ということを描いた作品になります。

『まほろばの景』舞台写真2
2018年『まほろばの景』(撮影:東直子)

この物語は“福村洋輔”という主人公のことを描くんですが、山を登っていく中で主人公と様々な人たちが交流し、彼以外の様々な人たちの記憶やイメージが挿入されていくことで、ひとりの男の経験、記憶も共有していくという見せ方になるのが、再創作にあたっての大きな変化じゃないかなと思っています。
初演の時は、劇中で登場する神楽もちょっと振りをお芝居に取り入れるぐらいのレベルだったのですが、今回、神楽というものを勉強し直して、集団で共通している身体を持つことの強度ってすごいなと気付きました。そこで、男が語る等身大的な個の話を全員が語るという方向に持っていこうと思っているんです。
個人の経験とか記憶を、複数人が共有するということは、まず現実では絶対に起こりえないことです。でも、そもそも俳優には他人の書いた言葉を自身と混ぜて喋るということが、ひとつ役割としてあると思います。仲介者、媒介者として俳優がいて、誰かの思いをそれぞれが演じるとかではなくて、混ざっているという状態です。それが、集団の力だったり、コミュニティの力だったりすると思います。

■神楽と震災

今回の再創作では日本人の身体や、神楽というものが持っている文脈も汲み取ったうえで、それを舞台全体に組み込むことは出来ないかなという試みをしています。神楽を古典芸能として舞台に載せるというだけではなくて、古の身体だったり、その精神性、宗教性というものが今と繋がってるようにお見せできるようにしています。
神楽っていうものは、遡ってみると、農産物の収穫だったり海産物を獲ることだったり人間ではコントロールできないことを神様に頼んでお願いしようというところが根本にあると思うんです。そういう意味で、震災と神楽を結びつけるのにあたり、「信仰」というファクターは大きいと思います。
「都会に現れた祭壇」という言葉にもある通り、震災のあと、日本人がもう少し何かしらの信仰心を持っていれば、救われた人はもっと多かったんじゃないかという仮説を立てました。人間の力や個々の精神ではコントロールできないレベルのことが起こってるわけですから、それを解消はできなくても、まず出来事を受け入れるというプロセスの中には、祈ることはすごく重要になってくると思います。お釈迦さんでもキリストさんでも何でもいいんですけど、何か自分じゃない存在に心をあずけるということができれば、少しは屈託を軽減することができるんじゃないでしょうか。
神楽は、踊ることで「これから田植えをするので神様降りてきてください」と五穀豊穣を祈って、神様をおろしてくるわけです。そして収穫が終わったらありがとうございました、山にお帰りくださいって返すという祈りなんですよね。

2018年『祝・祝日』(撮影:相沢由介)
2018年『祝・祝日』(撮影:相沢由介)

初演の時は、神楽を舞としてやってたんですけど、いろいろ見聞きしていくうちに、これは祈りなんだなと思いました。舞手が観客も含めてトランス状態になっていく力強さがあり、やはり信仰というものがないとそこには至らないんです。“ショー”ではなくて“プレイ”なんだなと思った瞬間でした。だから我々が再創作するときには、“ショー”ではなく“祈り”としての要素、その側面をもっと強くしていきたいという思いに至りました。
震災があって、人の弱さ、脆さみたいなものをすごくたくさん色んなところで目にします。神楽を見ていると、やはりかつて同じように、突如日照りが続くとか、いなごの大群が襲ってくるとか、ご飯が食べられなくなる危険が何の規則性もなくやってくる。それこそ当時も地震もあっただろうし、津波もあっただろうし人は死ぬ。(そうやって前触れもなくやってくる)全然意味が分からないものと、どうやって人が向き合うのかという時に、絶対に抗えないということが分かっているうえで、「じゃあもう祈るしかない」という状態で繰り広げられる行為を見ると、すごく人間って美しいなと思います。

神楽は多岐に渡りすぎて、種目ごとに同じように見えて全然違ったりする、研究者泣かせの芸能だと思うんです。だからこそ流行り廃り関係なく続いてこれたんだろうなと思うし、強度がすごいです。我々も見習うところがあるなと思いますね。

                                     (2019年12月大阪市内)


烏丸ストロークロック 
『まほろばの景 2020』
作・演出/柳沼昭徳
 
2020年1月
25日(土)18:00(終演後、演出の柳沼昭徳とゲストによるアフタートークあり)
26日(日)13:00
27日(月)13:00
 
詳細はこちら
 

令和元年度「現代演劇レトロスペクティヴ」演出家対談 山口茜×はしぐちしん

「現代演劇レトロスペクティヴ」は、今回で11年目、10回目の開催を迎えます。令和元年度は、トリコ・A『ここからは遠い国』(12月20日~22日)、コンブリ団『紙屋悦子の青春』(1月17日~19日)を上演。演出される山口茜さん、はしぐちしんさんにディレクターの岩崎正裕がお話しを伺いました。


■『ここからは遠い国』 -作家としての発露の違い-

岩崎正裕(以下「岩崎」)「現代演劇レトロスペクティヴ」では、アングラ世代から始まり、80年代のポップなお芝居も取り上げてきましたが、今年は90年代の関西に焦点をあてました。一つ目は私、岩崎正裕の『ここからは遠い国』。「199Q太陽族(現・劇団太陽族)」で1996年初演の作品を、「トリコ・A」の山口茜さんが演出してくださいます。もうひとつは松田正隆さんの『紙屋悦子の青春』で、「時空劇場」で1992年に発表されました。演出は、初演時に「時空劇場」に在籍されていて、作品が立ち上がる段階もみていらした「コンブリ団」のはしぐちしんさんです。
まず山口さんにお尋ねしたいのですが、今回、どのような取り組みになりそうですか。
山口茜(以下「山口」)奇をてらったことをしようとは思っていません。今はまだ、本読みをひたすら繰り返していて、私はそれを聞いているだけです。でも戯曲から小さな発見が毎日たくさん出てくるんです。私と岩崎さんは、台本を書く動機があまりに違いすぎていて、発露が全く違うことが本当に面白いと感じています。清水邦夫さんの『楽屋』に併録されている『ぼくらは生れ変わった木の葉のように』でもチェーホフを引用されているんですけど、岩崎さんはこの戯曲を書かれた当時、清水作品を読んでいらっしゃいましたよね?
岩崎:もちろん。僕が大学で教わった先生は秋浜悟史さんで『楽屋』初演の演出家です。この戯曲は、清水邦夫さんの影響を受けて書いたといっても過言じゃないですよ。
山口:そうですよね! 間違いないと思って。でも、私は誰かの戯曲から影響を受けて書くことはない(注釈*真似したくてもできない)ので、岩崎さんとのその違いが面白いです。今は、時間をかければ、特に力を加えなくても、こういう発見が出てくるのが楽しいです。
岩崎:完成したとき、僕自身は「へたくそな清水邦夫だな」と思いましたし、1997年に東京グローブ座で上演したときも、「清水邦夫っぽいね」という感想がありました。茜さんもそのにおいを嗅ぎ取っていらっしゃるということは、やはりそう読めるのだなと思います。
山口:岩崎さんと清水さんは全然違いますけどね。

 

■『紙屋悦子の青春』 -テキストの強さ-

岩崎:僕が最初に読んだ松田戯曲は『坂の上の家』なんですが、老成した作家が書いたホンみたいでびっくりしました。松田さんは20代からこの文体で書かれているんですよね。
はしぐちしん(以下「はしぐち」)『紙屋悦子の青春』のひとつ前の作品までは、アングラのようなホンが多かったんですが、「扇町アクト・トライアル」という企画に呼ばれて、初めて扇町ミュージアムスクエアでやるときに、この台本がポンって渡されて。今までと全然毛色が違って驚きました。
岩崎:当時、劇団内でもザワザワしたんじゃないですか?
はしぐち:あまり覚えていないです(笑)。ただ、とにかく長崎弁に悩みました。劇団員で九州出身の金替康博(現在「MONO」に所属)に教えてもらいながらやりました。まあ、長崎弁は当時も「なんちゃってでいいから」という感じでしたので、今回も「なんちゃって長崎弁」でいいと思っています。九州の地名もたくさん出てきますが、日本のどこかという、ぼんやりした設定でいいと思っています。
岩崎:松田さんは、あるときから、現代美術のインスタレーション的な世界観を持った作品をおつくりになっていきますよね。でも、急にそういう方向性になったのではなく、徐々に徐々に、何かしら不可思議な世界観を持つ戯曲をお書きになるようになって、そういった変貌を遂げていく。そのいちばん最初が『紙屋悦子の青春』だったのではないかと思うのですが。
はしぐち:最初の大きな転換点だった気はします。
岩崎:『夏の砂の上』(1999年)までこの作風の発展形が続いていきますよね。
はしぐち:少しずつ不条理なシーンが増えていきましたね。平田オリザさんが演出した『天の煙』(2004年)あたりで、物語なのか不条理なのか分からない状態になっていましたねぇ。僕はその現場にはいなかったので分かりませんが、初稿の段階で振り切った状態のものを平田さんが修正したのでは、と思える舞台だったと記憶しています。
岩崎:数ある松田作品の中で、『紙屋悦子の青春』を選ばれた理由はありますか。
はしぐち:この作品に書かれているテキストがいちばん心に残っているからです。初演に私自身も出演していますが、自分の台詞以外も身体に染みついています。だから、テキストの強さ、台詞の強さを大切に演出したいと思っています。実は選定のときに最後まで悩んだのが『月の岬』だったんですが、メンバーの意見も取り入れ、この作品にしました。
岩崎:この作品は日本の戦時下の話ですよね。来年、東京オリンピックが開催されるこの日本で、あえて、関西で、今の人たちと一緒につくる、そのビジョンはありますか。
はしぐち:俳優たちがどう思っているかは稽古が始まらないと分かりませんが、偶然にもオリンピックイヤーの時期というのは面白いです。オリンピックは大きな国家事業で、世の中は舞い上がりますよね。でもそれを尻目に辛い思いをしている人たちもいると思いますし、そういう人たちに思いを馳せることができるのではないかと思います。国が決めた大きなことだけに目を向けるのではなく、日々の生活を営んでいる人たち-毎日ご飯を食べて、これは美味しいとか美味しくないとか言いながら暮らしている人たち―にフォーカスを当てたい。それが戦時中であろうがオリンピックイヤーであろうが一緒だと思います。陰か陽かの違いだけで、同じ状況のような気がしています。
岩崎:演劇が描けることって、ある小さなコミュニティから見えてくる、そのときの世界なり時代なりであって、今回は戦時中を描いた戯曲から、今の時代を捉えてみようということですね。
はしぐち:そうですね。

 

■「世界を変える」、その“手触り”
山口茜

岩崎:『ここからは遠い国』は初演から20年以上経っています。現代と時代背景が異なると若い人に伝えにくいこともあると思うのですが、その点に関して演出的に、どう活路を考えていらっしゃいますか。
山口:戯曲のなかで、その時代ならではの言葉遣いがたくさん出てきます。例えば「周富徳」。私たちの世代はみんな知っているのに、一緒に稽古している20代は誰も知らないというギャップがあります。あと「保育士」を「保母」と呼んでいることも、当時は普通だったのに今聞くと違和感が生じます。そのあたりをどう添削していくか、今、慎重に考えているところです。ただ、根本的な人間のノリはそんなに大きく変わるわけではないので、演出としては、普遍的な家族のあり方を提示したい。「オウム真理教」という現象を通じて、人間の生活にフォーカスできればと思います。宗教で世界を変えようとした青年と、その周りの人たちを地道に立ち上げていければ、どの時代に生きている人の鑑賞にも耐えうるものになると思っています。
岩崎:僕自身改めて読み返すと、この作品はオウム真理教について何も書いていないと思います。主人公のヨシマサを通じて描かれているのは、自分が感じているこの時代における疎外感…。なので、家族から見えてくる生活のあり方というのはとても納得できる読み方です。
山口:戯曲上でのオウム真理教は、「世界を変えるのは私たち選ばれし者しかいないと思っている人たち」と表現されています。ヨシマサは最後、今度は政治家になって世界を変えようとしますが、これが私のなかで納得いかない。だから、世界を変えるとは何かについて、演出家としてどう表現するかを考えています。90年代半ばは、男性は働き女性は家を守るものという風潮がまだ根強くあって、この戯曲の中でも、母が死んだあと三姉妹は父と兄の身の回りの世話をしますよね。岩崎さんはそれを作為的に戯曲に反映されていると思うのですが、私、ヨシマサに対して、「政治家になる前に家事をしろ」と思ってしまう。自分の近くの人を幸せにできない者がなぜ世界の人を幸せにできると思えるのか、その“手触り”がないんです。「自分のことは自分でする」から彼がスタートできないものかと思い、それをどう表現できるかを考えています。

劇団太陽族『ここからは遠い国』(2002年上演)提供/劇団太陽族

岩崎:儒教原理を使い、封建的な視点から描くことで何がみえるかを試した戯曲でもあるので、それが男性と女性の描き方に影響しているのだと思います。(舞台美術として)軽トラックは出さないと聞きましたが。
山口:はい、出しません。この作品でとても重要だからです。戯曲の中の軽トラックは主人公のヨシマサが家を出てから動いていないという設定です。そして、ヨシマサ自身も家の中に入るわけでも社会に出るわけでもない。つまり動いていない。主人公と軽トラックが、ともに、生と死の狭間に存在している。だからその役割をヨシマサに一本化するという選択で、自分が演出する意味を見いだそうとしています。
岩崎:いい選択だと思います。第4回OMSプロデュース(1999年)で内藤裕敬さんが演出されたときは、盆に載った軽トラックが回ったんですよ。ぐるぐるとスゴイ速度で。それもトラックが劇の中心になりすぎることに違和感を持ったからだと思いますし、トラックありきのアプローチだと似通ったものにしかならないような気がしますので、それを外してみるのは面白い試みだと思います。
山口:ただ、なかなかに大変です。「エンジンがかからない」とか「荷台に横たわる」とか、ないと困る台詞が本当にたくさんあるので。
岩崎:この作品の場合、役者が全部台詞で説明しているから、観客の想像力によって、そこに軽トラックが見えると思いますよ。
山口:実は「台所」を出したいと思っていまして。逆にカットしたい欲求に駆られている台詞もあります。例えば、台所でお父さんが倒れたことを割と説明的に話すでしょう。でも台所が舞台なら役者に舞台上で倒れてもらえればわかるわけです。
岩崎:あのあたりはチェーホフの方法論ですね。重要な事件はすべてガレージの外で起こさなくてはいけないという縛りに僕がかかっているにすぎません。「現代演劇レトロスペクティヴ」じゃなかったら、テキストをズッタズタにして、って言えるんだけどね(笑)。
山口:不用意に台詞を切るつもりはなくて、自然とその台詞の必然性が出てくればと思っています。

 

■日常から見えてくる普遍性
はしぐちしん

岩崎:『紙屋悦子の青春』は、松田さんのお母様がモデルと聞いたのですが、改めてどんなお話なのでしょうか。
はしぐち:舞台は戦時中、九州の片田舎で暮らしている、主人公の紙屋悦子と、その家族の物語です。悦子は家を訪ねてくる海軍少尉・明石に恋心を抱いているのですが、その海軍少尉が特攻に征くので、整備兵である友人・永与を悦子のお見合い相手として連れてきます。結果的に悦子が想いを寄せていた少尉はいなくなってしまい、紹介された友人・永与と生きていくことを選びます。一見すると、戦時中に特攻に征って死んでしまった人に思いを寄せるという淡い恋のお話とも取れるのですが、作品の中で悦子も、兄嫁・ふさも懸命に生きているんですよね。例えば、東京大空襲で死んだ両親が買ってくれたお茶を引っ張り出して「静岡のお茶は美味しい」という場面があったり、配給の漬物や芋が食べられるかどうかだとか…そういう日常的な生活と重なるようなお芝居だと思います。
岩崎:かつてのイデオロギー的に書かれた、敗戦色の濃い日本のドラマは、反戦であったり、愛国的だったりするかもしれませんが、松田さんの戯曲はそのどちらにもずり落ちませんよね。ベーシックにその時代の生活のことを書いているからこそ、時代そのものが浮かび上がってくるのでしょうね。
はしぐち:戯曲では昭和20年を描いていますが、これは現代に置き換えられるという感覚があります。
岩崎:映画『この世界の片隅に』を観たとき、松田正隆を思い出しました。事件が起きるわけでなく、淡々と日常生活を描いているけれど、その後に悲劇が用意されているというドラマが、松田さんの初期戯曲の空気感と重なりました。こんな端正な文体でなぜこの時代を取りあげたのだろうと思うときがあります。
はしぐち:松田さんは、自身のお父様から聞いた話も演劇化していらっしゃいます(『声紋都市-父への手紙』/2009年)。僕は、家族と暮らしてきた何かが松田正隆という人をつくり、その人が言葉として発露したテキストがこれである、ただそれだけではないかと、今は思います。
岩崎:直接的に戦時下の日本を描いたのはこの作品だけですよね。以前、ご本人に『坂の上の家』(1993年)の時代背景を尋ねたら「今だ」とおっしゃった。「えっ、黒電話が出てくるけど…」と思った覚えがあります。松田さんの中では過去と現代がすごく地続きなのかもしれませんね。茜さんは松田さんの作品はご覧になったことはありますか。
山口:『紙屋悦子の青春』は初演見ています。一番好きな作品です。

時空劇場『紙屋悦子の青春』再演チラシ(1994年)

はしぐち:へえ。
岩崎:茜さんの中では松田作品はいい記憶の中にあるわけですね。
山口:めちゃめちゃあります。以前、松田さんに「影響を受けています」と伝えたら、「そんなわけないよ」とすごくつれないリアクションを貰いましたが(笑)。確かに、影響を受けたというより、ただ作品が好きだったんですよね。言葉の選び方は間違えたとは思いますが、それでもそんなに冷たく突き放さなくてもいいのにと(笑)。
岩崎:彼の独特の照れだと思いますよ。素直に「ありがとう」と言ったら気持ち悪いよ(笑)。
山口:うーん。でもそれは時代かもしれないです。例えば、昔の人は自分の子供を褒めないでしょう。褒められても「いやいや…」と言って中和しようとしますが、松田さんには私の言葉を「そうなんだ」と受けとめて欲しかったと思います。

 
■岩崎戯曲から見えてくるもの

岩崎:茜さんは、子供がいることで、演劇の見方や世界の見方が変わってきたのでしょうか。
山口:変わってないと思います。ただ、私の場合、妊娠・出産を通して、なぜ自分は“手触り”のあるものにこんなに固執するのかがよくわかりました。だから、私は台本を書くときに、チェーホフやシェイクスピアの台詞を入れない。そこに手触りがないので。ただ、実感できないから想像力に富んでいるのだということを岩崎さんの戯曲から感じました。
岩崎:僕は、作品の背景でオウム真理教を扱わなくてはいけないと思っていたけど、僕ひとりが考える言葉では無理があると感じたので、チェーホフとシェイクスピアを引用したんですよ。
山口:どうして自分の言葉では無理だと思われたのですか。
岩崎:自分の台詞なんて取るに足りないものというコンプレックスをずっと背負っていたからね。20代で初めて戯曲を書いて、『ここからは遠い国』のときは30代だったのに、それでも「もう辞めなきゃ」と思いながら書いていた時期で。だから、自分が作家であるというプライドも一切無かった。そのなかで、シェイクスピアとチェーホフの台詞を使えばなんとかなるかもと思ったのがこの作品。それだけ(笑)。
山口:でも、岩崎さんは引き受ける度量がある方だと思うので、引き受けなきゃいけなかったと思います。私が最近感じているのは、例えば演出家として、「手触りがないとできない」と言い訳して逃げるのは簡単だけれども、自分がそのポジションを引き受けないといけないということです。最初、岩崎さんの『ここからは遠い国』を読んだとき、「なんて男尊女卑なんだ」と思いました。けれども、台本を読みこんでいくうちに、岩崎さんは、人に対しての愛が溢れていて、なんて懐の深い人なんだということが構造的に見えてくる。岩崎さんは俯瞰的に物事を見ていますよね。台本の書き方も人の動かし方もすごく上手ですし、なにより登場人物の会話が面白い。歳を経て自分の状況が変わっていく中でも、岩崎さんのなかで面白いと感じるものはいい意味で固定していて、それは人と人が惹かれ合うことだと感じます。
岩崎:うん、あるね。
山口:でも、私は面白いと思うものにものすごい振れ幅があって、人と人が惹かれ合うことに興味がない時期もある。そういう意味では岩崎さんは作家として興味のあることに対して安定しているなと。
岩崎:僕は毎回、戯曲を書きながら「またこれか」と思いますけどね。
山口:『ここからは遠い国』は、読めば読むほど端々に面白い部分が本当にたくさんあって。だからこそ、チェーホフとシェイクスピアの引用部分が気になって。ここを岩崎さんの言葉で読みたかった。もし今、書き直してもらえるなら、それを演出したいぐらいの気持ちなんです。
岩崎:おお! 

 

■松田戯曲の言葉の美しさ

岩崎:はしぐちさんは、劇作家・松田正隆をどのように見てらっしゃいますか。
はしぐち:大先輩ということを横に置いても、やはり僕には書けない言葉を持っていらっしゃいます、当たり前かもしれませんが。松田さんの言葉は僕の琴線に触れるんです。松田さんと一緒に過ごした時間も長い分、この人の書くものがとても好きですし、僕より6歳上ですが常に同じ視線で話ができる人です。友人のような関係性だからこそ、紡ぎ出す言葉の美しさに対し「これは僕には書けない」という実感に繋がったのだと思います。
岩崎:はしぐちさんがいちばんはじめに出会った演出家は松田さんになるわけですか。
はしぐち:いえ、僕の初舞台はキタモトマサヤさん率いる「遊劇体」でしたから。大学のサークルのときは、松田さんは既にOBでした。でも、当時から松田さんとはいろんな話をしました。そうした会話が創作の手がかりになるような気もします。とにかくシンプルにテキストに向き合いたいです。
岩崎:山口さんが『ここからは遠い国』を演出するのと、はしぐちさんが『紙屋悦子の青春』を演出するのは、やはり出発点が違いますね。
はしぐち:むしろの僕の場合は、“手触り”があるところから、30年近く経った現在においてどのように立ち上がらせるかという点を頑張らなきゃいけないと思っています。
岩崎:2本とも90年代の作品ではありますが、それぞれのアプローチの仕方はかなり異なりますからね。楽しみにしています。

(2019年10月大阪市内)


■令和元年度「現代演劇レトロスペクティヴ」

トリコ・A『ここからは遠い国』 
2019年12月20日(金)~22日(日) 公演詳細

コンブリ団『紙屋悦子の青春』
2020年1月17日(金)~19日(日) 公演詳細