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現代演劇レトロスペクティヴAI・HALL+内藤裕敬『二十世紀の退屈男』
内藤裕敬インタビュー

現代演劇レトロスペクティヴは、時代を画した現代演劇作品を関西を中心に活躍する演劇人によって上演する企画です。今回、南河内万歳一座の内藤裕敬さんがアイホールとタッグを組み、自身の初期代表作を上演します。公演に先駆け、内藤さんにお話を伺いました。


■「ザ・昭和」な作品を若い人たちとつくる
『二十世紀の退屈男』は、六畳一間シリーズの第3作目で、初演が1987年、約30年前です。その後、南河内万歳一座では何度か再演をしています。劇団の作品を、全キャストオーディションで上演するのは今回が初めてです。「万歳の芝居は万歳じゃないとできないんじゃないか」と思われる人もいるかもしれませんが、「そんなことないよ」というようにしたいと思っています。また、「ザ・昭和」という感じの作品なので、上演するにあたっての賞味期限が切れていないか、すごく気になっています。かといって、現代風にアレンジするのはよくないだろうとも思い、「若い人たちが、今、この作品をやるとどうなるのだろう」ということを、稽古をしながら慎重に見守っています。
 舞台は青年が暮らす六畳一間。その部屋には、都市に出てきたが、夢叶わず都市から去っていった、かつての住人たちのさまざまな痕跡が傷やシミとして残っています。その痕跡たちが一気に騒ぎ出し、そこで暮らす男の孤独をそそのかすというのがオープニングです。そこに、青年宛ではない手紙が間違えて配達されます。配達した人を探すために彼が外出しようとすると、その六畳一間にかつて暮らしていた人たちが仕事や遊びから帰ってきて、みんな「ここは自分の部屋だ」と主張します。物語はその部屋の持ち主の決め手を見つけるべく展開していき、実はいわくつきの部屋だということも歴代の住人たちの証言でわかります。都市の六畳一間を舞台に、過去にそこで暮らしていた人たちを巻き込み、青年が孤独と青春の焦燥感に対してもがく一日の物語です。
 だから、主人公の持つ孤独を共感できたり、イメージをリアルに感じることができないと、この作品を立ち上げていくのが難しい。稽古が始まって最初の一週間は、台本を読んだり立ったりしながら、出演者にそのことを徹底的に言いました。みなさん違和感なく理解しています。
 今、大阪芸術大学で授業を担当しているんですが、学生と向き合うと、もしかしたら僕らの頃より貧乏かもしれないと感じます。さすがに今は六畳一間の木造ボロアパートはないですが、学生の生活そのものは貧乏でお金に困っています。僕自身、若者の現状は今も昔もあまり変わってない印象を持っていますので、主人公の青年が持つ、青春の焦燥感と孤独感をしっかりとフューチャーして立ち上げれば、現代風なアレンジではなくても、今にも通じるものができるのではないかと思っています。リライトは少ししますが、作品全体の昭和的なディティールは変えません。携帯電話も出てきません。“手紙”という頼りない伝達手段が、物語や登場する人物の関係をややこしくしていきます。そのアナログさを、一つの創造性として担保しておきたいと思っています。

 

■青春の焦燥感と苛立ちを描いた作品
 この作品は僕が27、8歳のときに書いたもので、二つの詩をモチーフにして作ったことを改めて思い出しました。それは、ルイ・アラゴンの「青春の砂のなんと早く/指の間から/こぼれ落ちることか」という詩と、石川啄木の『一握の砂』にある「いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ」という詩です。もう手の中に残っていないと感じた青春の焦燥感と、「二十代はこんなはずじゃなかった」という僕自身の思いが、『二十世紀の退屈男』のスタートになっています。
 二十代前半は「これから様々な出会いがあって、いろんな体験をして、何かが大きくなっていく」という未知なる期待があったのに、半ばになって「こんなはずじゃなかった」と首を傾けはじめる。そして二十代後半になると「このまま三十になっちゃうの? こんなことでいいんだろうか」と思い始め、どんどん自分の可能性が剥がれ、やせ細っていくのではないかという苛立ちと、輝かしい時間が何もないまま終わっていくのではないかという青春に対する焦燥感みたいなものが生まれる。都市に出てきて、自分は前に向かって踏み出そうと頑張ったのに、ハッと気がつくとポツンと孤独で、友人が多くできたわけでもなく、仕事が上手くいっているわけでもなく、何かを探し当てたわけでもなく、ものすごく退屈な二十代の中にいる自分に気づく。当時の僕は、自分が傷ついたり人を傷つけたりすることが二十代の証しになるような気がして、「どうせ孤独な退屈のままで何もないんだったら、悪いことでも起きたほうがまだマシだ」という感覚になっていました。主人公には、そういった僕自身が反映されています。
 また、自身への課題として「長台詞を書くぞ」という覚悟で書いた作品でもあります。当時、長台詞が書けないことで悩んでいた時期でした。唐十郎さんと知り合って三年目くらいだったんですが、唐さんの舞台は、まぁ見事な長台詞が並ぶんですよね。それで「唐さんのように三幕で三時間という構成はできないです。長台詞が書けなくて、会話を転がしていって、たまに書いても五行くらいなんです」と唐さんに話すと、「無理して書かなくてもいいんだ。ただ、長い台詞というのは文学的な要素が入るので、自分の劇文体の文学性と向き合わなくてはいけないね」とおっしゃってくれました。そんなこともあって、文学的に長台詞をやってみようと思って書いた作品なので、いま読むと「文学青年をやり過ぎているだろ」と鼻につくところがあります。そこを今回、少し手直ししようか悩んでいます。ちなみに三幕構成については、唐さんに「三幕にならなくてもいいから、“果てしない一幕”を書けばいいんだよ」と言われました(笑)。ここ十年ぐらいで「果てしない一幕」を書くということに向き合って芝居をやっているなという気がしています。

 

■出演者について
 出演者は、60人以上の中から全員オーディションで選抜しました。オーディションには力量的にもっと上手い役者もいました。でも、この作品ですし、下手でも野心的で威勢の良い役者がいい、暴力的に、なしくずし的に舞台を成立させるくらいの筋力を持っている役者がいいと思い、その基準で選びました。そういう意味では、みなさん稽古場でその能力を発揮してくれています。オーディションで採用した、活きのいい俳優がいるので、初演時に新人劇団員に「君たちは“老人たち”で」とぞんざいに割り振ったシーンをリライトし、出演者ひとりひとりが活躍できる台詞を書きたいと思っています。
 稽古をしていると、役者たちは、舞台上で何かを発散したいという思いを持っているけど、いつも不完全燃焼で、何か手で掴めそうなものがいつも届かずに終わってしまっているという感覚を繰り返してきたのではないかと感じます。だから今回、ダイナミックに暴れることで、何か新しい自分のハードルを一つ越えてやろうという気概を持っている。みんな非常に前向きですから、その良い面を演出で引き出せば、初演とはまた違う熱量を持った作品を発表できると思っています。もちろん、作品の匂いや温度は変えるつもりはありません。

 

■いま、この作品を上演すること
 今は、2.5次元演劇が流行ったり、プロジェクションマッピングといった映像的なものも芝居の中で多用されていますよね。でも、僕はそんなことはまったく考えてなくて、とにかく人間が、生き物としてどんな表現ができるかを必死にやってきました。そこが一番違うなとすごく痛感します。舞台を観る観客のニーズというか、観客が感性として舞台に求めているものが、ものすごく変わっちゃったのかなとも感じています。かつては、商業的なものとか、お客さんがいっぱい入っているものを観たとき、演劇的には食い足りないと感じても、「演劇っておもしろい。もっと他のものを見てみよう」というお客さんが一人でも増えるならいいんじゃないかと思っていました。けれど、2.5次元の舞台を観た観客の感想を読んでいると、それも期待できないんじゃないかと個人的に思っています。あそこに演劇の観客が育つ環境は無い気がしていて。逆に、今回のようなお芝居の中から新しいムーブメントを起こさないといけないという思いが強くなりました。演劇の新しいことや、舞台で成立しうる劇的な瞬間にしがみついて具現化しないと、観客は観てくれないんじゃないかと思っています。だから、暴れ回っていた当時を思い出しながら稽古を進めています。
 観客のみなさんは、ご覧いただいたときに、「へー、昔は、こんなことやっていたんだ」という驚きや面白さがあるかもしれません。あるいは、「これは古い」と思われるのかもしれませんし、「いやむしろ新しい」と思われるかもしれません。いま、この作品を上演することで、観客のみなさんがどう感じられるのかについても僕は興味を持っています。ぜひ、ご覧いただければと思います。

 

Q.「ザ・ 昭和」とは、具体的にはどういったところですか?
 「西日が差す」「六畳一間」「木造モルタルのアパート」という作品に出てくるワードが、すでに“昭和”ですよね。西日があたる壁際に服をかけると色がくすむとか、タンスを置くと湿気がひどくて壁にカビが生えているとか、狭い六畳一間を有効活用するために押し入れの中に布団を敷いてベッド代わりにしているといった生活をしていることもです。そもそも六畳一間が、自分の青春の生活空間のすべてだということ自体が、ものすごく“昭和”な匂いを発していると思います。何が「昭和的」かという感覚は人によって違います。ただ、僕は、昭和という時代は即興的だったのではないかと思っています。戦争があって、戦後に急激な復興を遂げ、オリンピックや万博があって、高度成長期のピークを迎えるという、ものすごく駆け足で発展した時代。ボンネットバスが走れば埃で道路沿いの家の窓が真っ白になっちゃうとか、雨が降れば道路がぐちゃぐちゃになって長靴を履いて会社に行っていた時期から、東京オリンピックと大阪万博の開催で、あっという間にインフラが整備され、舗装道路ができ、いろんなものがきれいになっていく時期まで、ほんの数十年ですよね。一方で、高度成長期の発展が「みんな右へ倣え」でなく、取り残されたような木造モルタルの文化住宅もいっぱいあった。近代と前近代がごちゃまぜに存在しているようで、それが面白いアンサンブルになっていた。その、デコボコした感じの面白さがあった時代なんじゃないかと思っています。

 

Q.この作品を選定したのは、アイホールと内藤さんのどちらですか?
 現代演劇レトロスペクティヴでは、唐十郎さんや寺山修司さんなど、既にいろいろな作家の作品をされているので、何を上演するかはアイホールと会ってだいぶ話したんです。僕としては、じっくり構えるなら、秋浜悟史さんか清水邦夫さんの作品だと思ったんだけど、既に演出されていますし、長谷川伸あたりをやろうかという話になりましたけど、それも「現代演劇」という企画の枠としてどうかという話になって・・・。結果的に、自分の作品をやるかとなりました。
 それで、どうせ自分の作品をするなら、いまの若い人と組みたいと伝えました。今回、南河内万歳一座からは一人も出ていません。これは僕自身や劇団にとってもひとつの課題なんですが、再演をやろうにも劇団員の平均年齢が上がっているので、若い人をオーディションで選んで劇団員が脇を固めないとできない作品がいっぱいあるんです。今回、若い人とちゃんとコミュニケーションを取って、一本、面白い作品を発表できたなら、今後の南河内万歳一座でもその試みをするきっかけになるとも思っています。

 

青年団『さよならだけが人生か』
平田オリザインタビュー

39AI・HALL共催公演として、青年団が2018年1月26日(金)~29日(月)に『さよならだけが人生か』の上演を行います。作・演出の平田オリザさんに、作品についてお話を伺いました。


 

平田オリザ

■『さよならだけが人生か』について
この作品は、私にとっては非常に思い出深い作品です。青年団というのは、今はそういうふうには認知されてないんですけど、私たちの同世代のなかでは…横内さんとか坂手さんとかに比べると、最も遅くメジャーになった劇団でした。1989年に『ソウル市民』を初演して、その頃から演劇界では話題にはなっていたんですけども、当時まだインターネットがない時代ですし、こまばアゴラ劇場という小さな自分の劇場でずっと上演をしていたものですから、なかなかお客さんは増えず…。『ソウル市民』の初演がたぶん600人くらいの動員で、そのあとも2~3年は600人か700人の動員でした。当時は東京でも劇場の数が少なくて、タイニイアリスにいって、スズナリにいって、紀伊國屋ホールにいく、みたいなハッキリとした小劇場の出世コースがあったんですけども、うちはそういうのに馴染まないだろうと思って、ずっとこまばアゴラ劇場で上演をしていたんです。で、当時、渋谷にシードホールという、阿部和重くんが小屋番をしていたという伝説の映画館であり劇場があったんですけど、そこで満を持して初めての外部公演としてこの作品を上演して、爆発的に動員が増えました。そのあとこの作品でタイニイアリスフェスティバルにも参加したので、両方合わせると2000人以上の動員になって、演劇雑誌にも劇評が出るようになって、今に至るとば口を開いた作品になりました。

『さよならだけが人生か』2017年東京公演 撮影:青木司

ただ、私のお芝居はいつもあらすじの説明が難しいんですけど、特にこの作品は最も筋らしい筋のない作品です。まあ、そういう意味では最も私らしい作品とも言えるんですけども(笑)。工事現場でずっと雨が降り続いていて、さらにそこで遺跡が発掘されてしまったために、その調査もせざるを得ず、だらだらと過ごさざるを得ない飯場の人々の生態が描かれています。私としては、平田オリザ版・明るい『ゴドーを待ちながら』みたいなイメージで書いた作品なんですけど、初期の作品のなかでも最も何も起こらない作品になっています。タイトルは、井伏鱒二さんの『厄除け詩集』という、中国の漢詩を訳したものがあって、そのなかに「さよならだけが人生だ」という訳詞があります。私はそれが大好きだったので、お借りして付けました。先ほど、「何も起こらない」作品と言いましたけど、ひとつだけあるとしたら、人間の様々な別離の形が描かれています。娘の結婚の話、転勤の話、留学、長距離恋愛…そういったものが描かれるのと、「遺跡」「考古学」という人間の長い歴史のなかで、そういう別れと出会いを人間は繰り返してきた、そういうものが重構造になっているつもりです。

今回は再々演になるんですが、当然、初演時と同じキャストはひとりもいませんし、演出も随分変えております。もう東京公演は終わっているんですけども、大変好評で、笑いの溢れる上演になりました。関西でもぜひたくさんのお客様にご覧いただければと思います。

 

■再演にあたって
再演の時に変えるパターンはふたつあって、ひとつは、初演のときに足りなかった部分を書き足したり、変えたい部分があったときです。もうひとつは、私は俳優に合わせて稽古場で台詞をすごく変えていくほうなので、今回はそれを随分やりました。ただしこの作品にはもうひとつ変えたところがあって、それは、毎日新聞さんのおかげで再演のときに大変な目にあったからなんです(笑)。別に毎日新聞が悪いわけじゃないんですが(笑)、2000年の「旧石器捏造事件」のスクープのことです。ちょうど私たちは2000年に初の『東京ノート』アメリカツアーがあって、その直後にこの作品の再演が決まっていたので、アメリカに行く前にほぼ通し稽古まで終わっていたんですね。それからアメリカツアーに出たら、その最中に毎日新聞のスクープがあったんです。今みたいにインターネットがサッと見られる時代ではなかったので、「日本では大変なことになってるらしい」ということになって…。で、もう、どう見ても世間では、「事件があったからこの作品をつくったんだろう」と見られてしまうような感じになってしまっていたうえに、こちらはアメリカにいるから事情がよくわからないしで、もう公演中止にするかとミーティングをしたぐらい悩みました。本当にモロな時期だったので、再演の際にはその話題に触れないのも不自然な感じだったので、ちょっと台詞を足したりしたんですが、今回はそれをまた全部なくしています。

 

■質疑応答

Q.今回、この作品を16年ぶりに再演しようと思ったのはどうしてですか?

『さよならだけが人生か』2017年東京公演 撮影:青木司

うちはレパートリー劇団だと思っていて、ローテーションでずっと再演を続けているので、そういった再演に耐える作品を常につくりたいと思っています。そういう意味では、今回この作品を再演するのは、「順番だから」としか言いようはないです。しかし唯一、もっともらしい理由をつけるとすれば、最近とみに政治の季節が続いていて、演劇界もそれに影響を受けざるを得ず、若い作家たちの作品がすごく直接的な、政治的な表現が多くて…。その気持ちはわかるんだけれども、つまらないと思っています。なので出来るだけ何もない作品をぶつけようと思って、この作品を選んだところはあります。

 

Q.「静かな演劇」と呼ばれる作品を今までずっと書き続けてきたことについては、どういうお気持ちですか?

それはよく聞かれるんですが、小津安二郎さんの言葉に、「豆腐屋にカツ丼やハンバーグを作れって言ってもそれは無理で、せいぜい作れてがんもどきだ」という名言があります。そんな感じで私もつくっているので、目新しいことをやるってことにあんまり関心がないんですね。それよりは、何の起伏もないように見せて、一時間半なり二時間、お客さんをどうすれば退屈させないかっていう技術を磨いていきたいと思っています。その技術については、ある種の自負と、まだまだやれることがあるなという気持ちと両方がありますけどね。

先週まで私はパリとドイツのケルンでオペラをつくっていたんですけども、それは短い40分くらいのもので、難民を主題にしたオペラでした。去年はハンブルグの州立歌劇場で福島を題材にしたオペラをつくりました。いずれも、何かを断罪するとかそういうことではなくて、それを素材にして作品をつくっていて、でもそれは、例えばハンブルグの場合には、州立歌劇場からはっきりと、「福島をテーマにしたオペラをつくってくれ」という委嘱だったんです。今回もフェスティバル・ドートンヌで作品をやったんですけども、ヨーロッパの劇場や大きなフェスティバルのひとつのミッションというのは、今その国の市民にとって課題であるような社会的な議題について、議論になるような作品を提供するということなのです。そして私は常にそういう作品をつくりたいと思っています。

 

Q.初演から四半世紀経って、そのなかで観客の受け止め方が変わったところはありますか?

それはありますね。最初の頃は、「後ろ向いて喋るな」とか「同時に喋るとよくわかりません」とかアンケートによく書かれていました。そういうのは今はもうないですし、見慣れて当たり前になったというか…。私たちはレパートリー劇団のつもりでいるというふうに申し上げたんですけど、それから先ほど、劇場のミッションの話もしたんですけど、劇場というのは基本的に同じ演目を何度でも見られるという、ストックの機能が実は重要で、私たちとしては、劇団あるいはアゴラ劇場の単位でもそういうものだと考えていて、そういう意味では、お客さんとの関係が落ち着いてきたという感じはあります。そしてそれを私はいいことだと思っています。特に関西公演は最近、すごくお客さんが入ってくださっていて、伊丹公演でももうすでに一般前売完売の回があるんですけれども、本当に有難いことに年一回の青年団の公演を楽しみにしてくださっているお客様がいて、必ず来てくださるというのは、非常にいい関係だなと思っています。若い方は信じられないかもしれませんが、最初に私がアイホールで公演をさせていただくときに、岩松了さんからも「関西は大変だから行かないほうがいいよ」って言われて(笑)。伝説では聞いたことがあると思うんですけど、当時、東京乾電池が近鉄小劇場で公演したときに、カーテンコールで「わからへん」と野次が飛んだという(笑)。そういう時代からやってきているので、やっぱりお客さんとの関係が成熟してきたなと感じていて、それは演劇にとって、私にとって、いいことだと思っています。

 

Q.この作品を観て、どんな議論が起こるといいと思いますか?

観たあとに謎が残るので、必ず二人以上で観に来たら、「あれは何だったんだ」と話さざるを得ない作品になっています。それを話さなかったとしたら、その人は寝ていたってことです(笑)。

 

Q.青年団の豊岡移転についてお教えください。

兵庫県知事選の公約にもなっているのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、そもそも観光とアートを中心にした専門職大学を豊岡・但馬に作るということになっていて、早ければ来年1月に準備室が出来ると思います。その前後におそらく開学の年度が決まるので、そこに私も…これは人事のことなのでまだはっきりとは言えませんが、関わることはほぼ間違いないので、そのことが移転の理由としては一番大きいです。で、私が移る以上は劇団もそのまま移ろうということですね。劇団員たちで豊岡に移ろうという人は、思ったよりいます。当然、うちの劇団もマスコミなどで仕事をさせていただいている俳優たちもいるので、東京に残る人間もいます。そういう人たちは稽古の期間だけ来られるように、さらにレジデンス施設を作って、そこで2か月くらい滞在して稽古する形になります。鈴木忠志さんのところの利賀村のSCOTも全員が通年ずっといるわけではなくって、通年いる人もいれば、半年いる人、フェスティバル期間の三か月くらいだけいる人もいるんですね。それに似た形になるかと思います。


 

燐光群『くじらと見た夢』 坂手洋二インタビュー

アイホールでは、共催公演として、燐光群『くじらと見た夢』を12月15日(金)~17日(日)に上演します。創立35周年記念公演VOL.1として、約1年ぶりの新作となる今作。その見どころや創作の背景について、劇作家・演出家の坂手洋二さんにお話しいただきました。


■クジラと沖縄について描く
 約1年ぶりの新作です。1993年に『くじらの墓標』を発表して以降、四半世紀近く、僕はクジラを扱った劇を創ってきました。2000年に国際交流基金のアジア企画として、インドネシア・フィリピン・アメリカの俳優を招いて製作した『南洋くじら部隊』、渡辺美佐子さん主演で捕鯨村を舞台にした『戦争と市民』(2008年)、岡山県・犬島で石切り場を舞台にした野外劇『内海のクジラ』(2011年)などです。また、近年は、沖縄についての芝居も数多くやってきました。ハヤカワ文庫にも入っている『海の沸点』『沖縄ミルクプラントの最后』『ピカドン・キジムナー』、ほかにも『普天間』『星の息子』などです。今回の『くじらと見た夢』は、長く向き合ってきたクジラと沖縄のことが混ざった作品になりました。
 モデルにしたのは沖縄県名護市です。縦に長い沖縄県のちょうど真ん中あたりに位置していて、西の海と東の海、二つの海を持っています。西側が名護湾、東側が辺野古です。辺野古には、米軍基地キャンプ・シュワブがあって、普天間基地の返還にあたって代替基地の建設予定地にもなっています。ベトナム戦争の頃は米軍相手のお店もたくさんあって栄えたんですが、今はほとんど残っていなくて寂れています。そこの海人(ウミンチュ=漁師)たちは、今、防衛局の仕事をするようになっています。監視船とか調査船とかで1日5万円貰えるらしいです。漁師たちがなぜそんなことをしているかというと、辺野古は漁をするにはとても不利だからです。名護市には離れた二つの海があって二つの漁港がありますが、行政的に漁業協同組合は一つしかなく、「競り」も一カ所だけで、名護湾側にしかない。辺野古の漁師たちは車で30分以上かけて名護まで魚を運んで競りにかけている現実がある。船の燃料費や運搬費を考えると実質1日1万円ぐらいの売上にしかならないから、1日5万円の監視船の仕事も受けざるを得ない。そんないろんな矛盾が集積した複雑な地域を舞台にしました。
 
■名護の漁師たちが抱える矛盾をモデルに
 特に描いたのは、沖縄のヒートゥー(名護ではピトゥ。イルカのこと)漁についてです。イルカ漁やヒートゥー料理のことは知っていましたが、きちんと調べきれてなかった。僕の興味がイルカでなくてクジラだったから(笑)。名護の博物館にも初めて行ったのですが、2階がクジラ特集として大量の資料が常設展示されていて……、個人的には大喜びしました(笑)。そこには名護で捕鯨をしていたという事実が明瞭に示されていて。昭和26年に、ザトウクジラの親子が沿岸に来たので捕まえようとなったこと。小さい船(サバニ)ばかりで大きな漁船が1隻しかなく囲い込み漁が難しかったので、与論島に行こうとしている客船に今日だけ貸してくれと交渉して、船の人と荷物を全部降ろして借りて、親子のザトウクジラを獲ったこと。そういう資料が残っていました。ただひとつ、これは無残だと思ったのは、親クジラを解体するのに3日かかってしまい、後回しにした子クジラを腐らせてしまったということです。現在の機械的な方法では、沖で獲って、3~4時間で解体し、クーラーボックスに入れて港に戻ってきます。だけど、当時の名護の漁師たちはクジラの解体に慣れていないうえ、暑い地域だから、後回しにした子クジラが浜辺で腐ってしまった。もちろん漁師たちは子クジラを祀ります、でもその腐らせてしまったこと自体が無念の残る事件だし、それに対する漁師たちの痛みを「共同体の物語」として取り入れました。
東京公演の様子 撮影/姫田蘭

 また、昭和26年の漁に17才で参加された、名護に暮らす現在83才の男性に取材することもできました。彼は名護湾の沖合で「パチンコ」という方法でイルカ撃ち漁をしています。70㎝ぐらいのゴムを2m以上伸ばして撃って、40mぐらい先のイルカに命中させる。2~3人で一組、家族単位で漁をされています。それで、僕と同じ歳ぐらいの息子さんに命中率を聞くと、「打たせてもらえないのさ~、おやじが撃つから」と…。83才、まだまだ現役で撃っています(笑)。名護では今、20人ぐらいがイルカ漁をしていますが、1頭あたりの値段が高いわけでもなく、年間120頭と数も決められているので、普段は別の仕事をしながら月に数回しか船に乗らないという人も少なくないです。
 それでも、名護湾の漁師たちはまだ金銭面では恵まれています。辺野古湾側の漁師たちは仕事がなく、先月とうとう米軍基地建設を手伝うための会社をたちあげ、漁協組合の半分ぐらいの人がそこに入ってしまった。辺野古では、キャンプ・シュワブが建設されるにあたり、自分たちはもう魚を獲らないと漁業権を放棄した経緯があって、そのことが基地をつくる正当な理由になってしまった。翁長知事がどんなに反対しても防衛局や日本政府がそれを理由に通してしまった。だから、漁協組合が漁業権を放棄しなければ基地はつくられなかったかもしれないというジレンマを持ってます。そのうえ、米軍基地は辺野古側だけど、反対側の名護湾の漁師たちも同じ組合だから額面は少ないとはいえ保証金を貰っているんです。そのことを漁師たちに聞くと、「振り込まれてくるものだからしょうがないさ~」と気さくに話してくれる。でもそこに痛みは伴いますよね。こういう矛盾やジレンマについては、かつてルポルタージュでも書かれてないし、フィクションでも描かれたことがない。そうした名護の漁民たちをモデルに初めて、漁師たちの物語を群像劇としてつくりました。
 劇団民藝の佐々木梅治さん演じる84才の男が地元に帰ってくるところから物語は始まります。その男は、かつて名護のザトウクジラ漁に参加していて、町でクジラ漁が行われなくなって以降、「イルカでなくでっかいクジラを獲りたい」と町を出ます。そしてみんながその男の存在を忘れたころ、町に帰ってくるという設定です。『父帰る』ならぬ「クジラ捕り帰る」みたいな話です。
 
■町をあげての追い込み漁について
 名護湾では1972年に干拓し、堤防がつくられ、浅瀬が無くなりました。浅瀬は干潟にもなって、海の生命力が満ちているところで、沖縄の言葉で「イノー」と呼ばれすごく大事にされていたんです。でも、船を寄せるためとか、いろんな理由で堤防をつくっちゃった。今回の舞台美術はこの堤防を登場させました。
 イルカやクジラは、人間の力だけではなかなか獲れるものではないんです。ましてや沖のほうで捕まえて、港まで引っ張ってくるとなると、ちゃんとした動力船がないと難しい。じゃあ動力船のない頃はどうしていたかというと、寄ってきたんです。「ユイムン」=「寄ってくるもの」と呼ばれていて、海の神様がくださるものだと考えられていた。ちょっと前まで名護では、寄ってきたイルカを入り江に追い込んで町のみんなで獲っていたそうです。イルカは音を鳴らすだけで怖がって逃げるわけで、その習性を利用して名護の入り江に追い込む。一番多いときで約300頭を追い込んだそうです。追い込みのことをほら貝で町の人に知らせると学校も休みになって、お百姓さんたちも鎌や鋤をもって浜辺に集まる。年に何回か、そうやって町全体でお祭り騒ぎのように獲りまくっていたわけ。もちろん、海は真っ赤です。子どもの頃に名護に住んでいた知人が、夕日の色か血の色か区別がつかないぐらい真っ赤な海だったと語ってくれたほどです。そのさまは、見方によってはすごく残酷に映るかもしれません。でも、当時のイルカ漁を撮影した写真やフィルムをみると、とにかくみんなが笑顔、誰もが幸せそうなんです。一番貧困な時代に食べるものがある、タンパク源がある、そして町がひとつになっているということですよね。今回の作品には、そういったイルカ漁について書いた当時の小学生の作文を入手して、その言葉も引用しました。
 
■捕鯨現場の今
 今回、いつも以上に取材をしすぎました。たくさんの人に会い、話を聞きすぎました。まず今年の正月に、『くじらの墓標』のモデルになった宮城県・鮎川に25年ぶりに行きました。大震災の震源地に一番近い漁村だったので、未だに建物は正式には再建されてないんですが、捕鯨は震災前と全く同じ規模でやっています。以前訪れたときはクジラ捕りの平均年齢が45才を超えちゃったと愚痴られたけど、今回は平均年齢40才ぐらいに若返ったと聞いて……、それが嬉しかったです。
 5月には『南洋くじら部隊』の舞台になったインドネシア・レンバダ島のラマレラという捕鯨村に、約10年ぶりに行きました。そこでは500年ぐらい前から続く伝統捕鯨を維持していて、銛を打ってマッコウクジラを獲っています。10年前は、電気も電話も通ってなくて貨幣もない。山の民がトウモロコシをつくって、海の民がクジラを獲って干物にして、それを物々交換するという暮らしをしていたのに、今は、夜6時から朝6時まで電気は通っているし、なぜか中学校からWiFiが飛んでいてみんなスマートフォンを持っている……。正直、驚きました。そうした貨幣経済が介入したことで効率が求められるようになり、今、エンジンを搭載した捕鯨船が増えてきた。伝統捕鯨という理由でIWC(国際捕鯨委員会)もラマレラのクジラ漁に目をつぶっていたのに、エンジンを使うなら伝統ではないということでまた批判を受けるようになってきています。ちなみにこの劇のチラシの写真はラマレラで今年5月に捕られたシャチです。
 そして今年9月、初めて和歌山県の太地に行きました。太地は昔から「追い込み漁」という沖から入江にイルカを追い込む伝統的な漁をしていることになっています。が、実は一度途絶えたんです。その後1960年代に、太地に水族館をつくる計画が出て、展示用のイルカを捕まえるために追い込み漁を復活させたという経緯があります。ただ、水族館に売るために生け捕りしたイルカ以外は、その場で殺さざるをえなくて、血を抜かないと売り物にならないから血抜きをする。すると海は真っ赤になる。その様子が撮影され、『ザ・コーブ』という映画で配信され、血で海が真っ赤になる残酷な漁だと世界中から非難されることになります。
 『ザ・コーブ』はアカデミー賞を受賞し、太地では今、ブルーシートでその様子を隠すようになっています。やっぱり世情でいうと、血みどろで獲ることに対して厳しい目が向きますから。その映画のアンチともいえる、『ビハインド・ザ・コーブ』というドキュメンタリーを撮影した八木景子監督と知り合いになって、今年の漁の解禁にあわせて一緒に太地を訪れ、現地の漁師たちに取材しました。やっぱり漁師たちの現実はとても厳しい。油代は高いし、船具のメンテナンスもあるし、不漁のときもある。みんな生活が苦しくて必死に生き延びようとしています。最新情報としては、中国が今、全国各地にテーマパークを建設中で、その全ての水族館にイルカを入れたいということで、太地と5年契約を結ぶことになり、それでやっと漁師たちも一安心しているというのが現状です。
 僕が取材したこうした土地の話は劇中、円城寺あやさんが博士の役で登場して触れるようにしています。太地の事情はかなり描きましたが、鮎川やラマレラのことは、本当に数行だけでほとんど入れていません。
 
■子供が憧れるクジラ
 僕がなぜこんなにクジラが好きなのかというと、子供の頃、小学校の給食で出てきて馴染みがあるのと、南氷洋捕鯨の男たちにカッコいいと憧れたからです。南氷洋捕鯨には3000人近い日本人が船団をつくって参加しました。その1割5分が太地の人で2~3割が加工会社の人。「捕鯨オリンピック」と呼ばれる時期があって、どの国が捕ろうと年間の捕鯨数枠だけが決められていたので、各国が早い者勝ちのように競って捕っていた時期もあった。太地で出会った90才の男性が、うちの母船は捌くのが早くて、15分でシロナガスクジラ一体を捌いたと話してくれたのですが、もうガンガン獲りまくっていたんですよね。そうした南氷洋捕鯨の黄金期に、日本の食生活をタンパク源として支え、しかも戦争に負けて意気消沈しているなか、南氷洋に3000人で出かけていって、勇ましく働いている人たちがいることに、日本全体が励まされたわけです。僕が小学生の頃に、学習雑誌の付録に紙で組み立てる捕鯨船がついていて嬉しかったように、クジラという存在は子供が憧れるものでもあり、戦後日本を励ましたものであるからこそ、興味を持ちました。
 
■クジラの夢と今の日本
 クジラは魚と違って哺乳類だから、どんな潜水能力を持っていても何十分かに一回、浮上して息を吸わないと溺れてしまうんです。じゃあ、いつ寝ているのかというと、クジラは半分寝て半分起きている状態で泳ぐそうなんです。その状態で見るクジラの夢って何だろうと妄想したのが、『くじらと見た夢』というタイトルに繋がりました。僕は、演劇は「夢」のバリエーションだと思っています。世阿弥がまとめた能は亡霊の物語で、ある場所に思いを持った何者かが現れてその場所で立ち会う者たちに見せるイリュージョンだと考えています。つまり「誰かの夢」ではなく所有格を外した「場所の夢」という考え方です。僕が想像上の「くじらの見る夢」に惹かれるのは、その「所有格なき夢」と似ているから。半分眠っていて半分起きている状態が、夢と現実の境目が無くなるさまと似ているところに惹かれました。
 和歌山・太地で、入り江に追い込まれたイルカたちが逃げようとしない様子も見ました。クジラやイルカは知能が高いと言われていますし、網はすごくゆるくて隙間だらけで、簡単に飛び越えられるし、突き抜けることもできるのに……。集団心理が働いているのか、知能が高いからこそ「諦める」ことを知っているのかもしれませんが。ただ、このイルカたちの様子が、今の日本人の状況と重ね合わせることができ、怖いと感じました。つまり、戦争が起こってどこかの国の人を殺してしまうかもしれない状況になりかけている今、阻止することもできるのに、雰囲気として「もういいよ。しょうがないよ」ってなりかけている今の状況と。これから何十年か先の後世の人に、あのときの日本人は何していたの、半分寝てたんじゃないのと思われるぐらい、なんだかすごくボンヤリしていて、幻想と現実が混在しているのではないかと危惧します。幻想が良いときもあるし、イリュージョンの楽しさもあるけど、反面、現実を見ていない怖さでもある。それは名護湾で漁業をしている人たちが、辺野古湾側の米軍基地のことは自分たちの生活と直接関係ないし、漁業補償のお金は振り込んでくれるから貰っているだけだと、結果として心ならずも受け入れる立場に回ってしまうことともよく似ている。クジラの夢が日本の現状を鏡のように映しだすのではないか、そして二つの海をもった名護の姿が、僕らの矛盾を目が覚めるように「これが現実だ」と見せてくれるんじゃないか、そう思っています。
 
■フィクションだけでなくリアルを知るために
 今回、沖縄のイルカ漁や漁師たちを取材して、沖縄自体が持っている複雑さや奇妙な秩序のあり方、それらの特質と面白さが、やっと、にゅっと立体的に見えてきた気がしています。物語は事実と現実への向き合い方について、圧倒的な情報量でパズルをするかのごとくどんどん進みます。僕らは、演劇なら演劇、映画なら映画のなかだけのもの、つまりフィクションはフィクションで楽しみたいと思いますよね。現実の問題が関わると疲れるからで、あまり考えたくないって思いがちですよね。だけど、やっぱり関わらないといけないんです。そういうことを今回、すごく思いました。だから、自分でもここまでしていいのかと思うぐらい、フィクションとしての演劇じゃなく、よりリアルなものに向かった作品に仕上がりました。その一方で、夢見る者たちの、海やクジラへの憧れがいっぱい詰まった作品にもなっています。アングラ演劇的な大仕掛けも最後にあるので、楽しみにしていてください。
 
燐光群 創立35周年記念公演VOL.1
『くじらと見た夢』
作・演出/坂手洋二
 
2017年12月
15日(金)19:00
16日(土)14:00/19:00
17日(日)14:00
 
詳細はこちら
 
 

笠井友仁(エイチエムピー・シアターカンパニー)インタビューを掲載しました。

【提携公演】
エイチエムピー・シアターカンパニー
〈現代日本演劇のルーツ連続上演〉
『四谷怪談 雪ノ向コウニ見タ夢』
『盟三五大切』

11月30日(木)からの連続上演にむけて、演出・舞台美術 の笠井友仁さんへのインタビューを掲載しました。

■インタビューページはコチラ →  [コチラ]

「MUM&GYPSY 10th Anniversary Tour 」関連企画 レクチャー
日程変更での開催について

去る8月7日に、台風5号の影響により開催を見あわせました、
マームとジプシー関連企画/レクチャー「日本の現代演劇と、マームとジプシーの10年」につきまして、
以下のとおり、日程を変更して、開催することとなりました。
みなさまのご参加、お待ちしております。
アイホール
 
変更日時|平成29年9月14日(木)19:45~21:30
     ※受付開始・開場は19:30~
会場|アイホール カルチャールームB
金額|500円
   ※ワークショップ参加者(抽選)は無料。
    ワークショップ受講料は一律2,000円に変更します。
定員|30名(先着順)
受付開始|平成29年8月26日(土)10:00

平成29年度次世代応援企画break a leg 選考結果について

「平成29年度 次世代応援企画break a leg」
参加団体の選考結果について
 
 
参加団体を募集しておりました「平成29年度 次世代応援企画break a leg」につきまして、たくさんのご応募をいただきありがとうございました。
選考の結果、次の団体がアイホールに登場いただくことになりました。
 
 
■選考団体名【活動拠点】/日程
○アマヤドリ【東京】/平成29年5月25日(木)~28日(日)
○無名劇団【大阪】/平成29年6月8日(木)~11日(日)
○劇団あおきりみかん【愛知】/平成29年6月22日(木)~25日(日)
 
 
掲載の日程は公演日とは異なります。
公演の詳細が決まりましたら、改めてご案内いたします。
今後も、「break a leg」にご注目ください。

生田萬+サリngROCKインタビュー

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AI・HALL自主企画として2016年9月15日(木)~19日(月・祝)に、現代演劇レトロスペクティヴ<特別企画> AI・HALL+生田萬『夜の子供2 やさしいおじさん』の上演を行います。アイホールディレクターの岩崎正裕を司会に、作・演出の生田萬さんと出演のサリngROCKさん(突劇金魚)に、作品についてお話いただきました。


 
■「現代演劇レトロスペクティヴ」の趣旨

 

岩崎正裕(以下、岩崎)「現代演劇レトロスペクティヴ」は、今年で7回目になります。この企画は、1960年代以降の時代を画した現代演劇作品と、関西の演出家が出会うという企画です。なぜ、今年は<特別企画>なのかというところですけれど、正直に申しますと、作品はまだまだたくさんあるんですけど、関西の演出家で「レトロスペクティヴ」をやることによって、自分の作品づくりにこれから繋げていこうという人たちは、とりあえず大体やっていただいたかなあという感じがあったのは確かです。それで、いろいろとアイホールの中で議論をしたところ、「戯曲を書いた本家本元の作家に来ていただいて新しい俳優たちと出会うことで、また新しい演劇が生み出されるのではないか」と、そういう可能性で今年はやってみようじゃないかということになりました。そこでお名前が挙がったのが、ここにいらっしゃる生田萬さんです。生田さんは、扇町ミュージアムスクエア(OMS)があった頃、頻繁に来阪された劇団「ブリキの自発団」の代表でもいらっしゃいました。今は、東京杉並区の「座・高円寺」という劇場の劇場創造アカデミーのカリキュラム・ディレクターをやっていらっしゃいます。日々、若者と出会って新しい演劇をつくり続けていらっしゃる生田さんに、ここはぜひお願いして作品をつくってみようということになりました。生田さんにもご快諾いただきまして、この夏の暑いあいだ、アイホールで稽古に励んでいただいているというところです。

リオのオリンピックで世間は非常に盛り上がっておりますが、この作品は、前回1964年の東京オリンピック前夜を描いたお芝居です。なので、その60年代前半の時代と現代を重ね合わせることで、どのような現代社会が浮かび上がってくるか、それもひとつの仕掛けになるのかなと思っています。そして、オーディションで選ばれた若い人たち、まだ経験値の少ない俳優たちに対して、生田さんから毎日叱咤激励が飛んでおります。もう片方には、サリngROCKさんを含め、関西では熟練の俳優さんたちに出ていただきます。若手と中堅、ベテランが一緒にやるという企画は、プロデュース公演でないとなかなか実現しないものですから、今回そういう部分でも生田さんにまとめていただくことで、関西の演劇状況を刺激することに繋がるのではないかと思います。

 

■今の時代に『夜の子供2』をやること

 

生田萬
生田萬

生田萬(以下、生田)かつてOMS戯曲賞受賞作は、プロデュース公演をするというところまでがセットになっていたんですけど、諸般の事情で取りやめになって、その最後となる公演が樋口ミユさんの『深流波―シンリュウハ―』という作品でした。それの演出をやらないかと言っていただいて、一カ月以上滞在して大阪の演劇人たちと作品をつくった経験があります。岩崎さんが今回の企画で僕の名前を思い出してくださったのも、そのときのことが頭の片隅にあったのかなあと思っています。関西にたったひとりでやってきて完全にアウェーなんですけど、結構、好き放題やらせていただいています(笑)。

自分の昔のことを思い出したりするときに、懐かしさよりもどこか若気の至りにポッと頬を赤らめるような、そんなことが多々あるんじゃないかと思いますけど、今回『夜の子供2』を、と言われたときに頬がポッと赤らみました。ほんと若さの特権を振りかざして馬鹿なことやってたなあと…。正直、読み直してみて、演出してみたい気分はかけらも起きなかった。「好きじゃない」というのが素直な印象でした。でも、チョー苦手な女性に一方的に言い寄られて、「生理的にムリムリ」と拒絶すればするほど、次第に相手に情がうつるなんて経験、よくありますよね(笑)。いや、よくあるかどうかはさておき、今はそんな状態で、たぶん本番のときにはどっぷり捕まっちゃって、もう抜き差しならないところまでこの作品を愛してるんじゃないかなあと思います。

 

ただ初演が90年なのでずいぶん時間も経っていて、作品をとりまく環境もかなり変わっている。ひとつには芝居のつくられかたの変化。かつては芝居は劇団でつくるのが当たり前でしたが、今は、特に若い演劇人のあいだではユニットを核にしたプロデュース公演が主流です。実は今回、一週間でバタバタと全部のシーンを当たって通し稽古をやりました。僕の経験でもないぐらい無茶なことをやったんですけど、そのときに改めて「これは劇団力を前提とした作品だ」というのを感じました。劇団に蓄積された経験を共有する同志的な結合、とでもいいますか、その前提抜きに今回は作品をつくる。そこに「いま」が現れたらいいなと感じています。あと、座・生田萬高円寺で若者と接している中でも思うことですけど、俳優を志す人たちの身体感覚がずいぶん変わったなという感覚があります。“舞台の上で屹立する身体”みたいなイメージというのが、今の若い演劇人には持ちづらいんだなあ、舞台の上の身体の緊張・弛緩を含めたメリハリ、強弱、緩急みたいなものが、この戯曲を書いたときとずいぶん変わってるんだなあ、というのを日々感じているし、今回の稽古を始めても感じていることです。それはどっちがいいとか悪いというのじゃなくて、ある時代性の話だと思うので、今の身体感覚でこの作品がどう出来るかというのをこれから探していこうとしているところです。

 この作品は、1964年の東京オリンピックのときのことを、二十世紀最後の年の大晦日に振り返ってマンガに描いている作家のお話です。「さよなら、ニジッセイキ」――「二十世紀」じゃなくて「ニジッセイキ」なんですけど――がメッセージです。じゃあこの作品は「ニジッセイキ」、それは言い換えれば、一体「なに」にさよならを言っているのかということなんですが、これを書いたときと今ではまた全然変わってきているので、それを探せたら、この作品を今やることの意味があるのかなあと思ってます。僕は結構、根がアツ苦しいもので、昭和のアツ苦しさで平成の若者たちに今、ガンガン迫ってます。そのうち化学変化を起こして、「劇団っぽいね、今の感じ」みたいなところまでいけたらいいと思って実験しています。皆さんもご承知のとおり、今、劇団制なるものがどんどん衰退していて、新たに演劇を志す人々から、劇団は重苦しいとかウザいなあとかダサいなあという感じに思われているのが現状だと思うんです。でも劇団の功罪をどこかでちゃんと検討したほうがいいというのもあって、今、その劇団ノリにこだわってつくっているところです。

岩崎:生田さんの稽古って、人間を信じてるな、と僕は思ってます。やっぱり劇団にこだわってらっしゃった世代ですから、「簡単に答えを求めない」という趣旨に基づいて稽古が進んでいて、とてもとても膨大な時間のかかる稽古だなあ、演劇の時間ってすごいなあということを感じています。

 

■稽古場では…
サリngROCK(突劇金魚)
サリngROCK(突劇金魚)

サリngROCK(以下、サリng)わたしの役柄は、ニジッセイキ最後のマンガを描いているマンガ家の役です。この作品は、台本を読んだときから言葉がすごく詩的でいいな、と思ったのもあるんですけど、今、生田さんが喋っている言葉に対しても、「ああ、そういう語彙を使うんだ」と、一個一個の使われている単語がいいなと思います。劇中で歌ったり踊ったり、演奏したりするシーンがあるんですが、その選曲で生まれる世界観や、生田さんがのせる歌詞のひとつひとつが素敵で…。教室のシーンでも、小学生たちのわちゃわちゃした感じだったり、ふたりの少年がお互いのことを思い合っているけど、そこからそのふたりは次どうしていきたいか本人たちもよくわかっていないみたいな、そういう関係のイメージとか、舞台上に現れるものがすごくわたしの好みで面白いです。経験したはずないけど懐かしいような、思ったことのない感情なのにその甘酸っぱさを感じたことがあるような、そういう感情が呼び覚まされるところに楽しみを持って観られる舞台だと思います。

岩崎:1964年の世界と、マンガ家が存在する時間が往還するという、80年代演劇のひとつの特徴的な形だとも言えると思いますけど、その一方の世界を担ってらっしゃるのがサリngROCKさんということになります。

生田:小劇場は主宰がホンを書いて、演出もやって、下手をすると主演もやっちゃう、みたいな一極集中なつくりかたで、ホンをつくるときも、劇団のメンバーにあて書きするということがままあります。この作品も、サリngさんにやっていただく役は、銀粉蝶という女優にあて書きしたものです。だからといって今回、別に銀粉蝶がやったようにサリngさんにやってほしいとは当然思わなかったし、まず彼女がどういうふうにホンを読んで、どういうふうに演じてくれるかを見て、いろんなことを考えていこうと思ったんです。これからする話は、うちの奥さん(銀粉蝶)には言わないでほしいでんすけど(笑)、サリngさんのやっているのを見て、「ああ、そういうことか!」という新しい発見がたくさんありました。銀粉蝶が絶対にやらない、つまり、僕が想像しなかった役のイメージをどんどんこっちに提出してくれるので、僕にとっては今すごくいい刺激になってます。

撮影:中才知弥(Studio Cheer)
撮影:中才知弥(Studio Cheer)

この作品は、マンガ家が描いた世界の中の主人公の「ぼく」の前に、ある日、「ぼく」と正反対の「もう一人のぼく」がやってくるというお話です。主人公の「ぼく」は存在感が薄くて、自分は透明人間だと思っているような子なのですが、いきなり現れた転校生が「ぼく」と正反対の、ピッカピカのオーラ出まくりで、何もしないのに人が注目してしまうような子なんです。それを片桐はいりにあて書きしました。今回やるにあたって、どんなに上手な役者さんでも、はいりにあて書きした役を
そのまま再現するのは不可能だろうと。技術ではどうにもならない。そこで、演劇の経験はないけど意欲のある子に、新しい発見、新しい役との出会いをしてもらおう、そっちのほうがこの作品に相応しいんじゃないかと思って、オーディションでほとんど舞台経験のない女の子を選んで、いま想像以上の大苦戦を強いられています(笑)。

これはまったくの余談ですが、今回、改めてホンを読んでみたら、全部僕の実人生にあったことを書いてるんですね(笑)。書いたときは自覚がなかったんですが、親父が“蒸発”したり、いろんな悲惨な事情が重なって、自分は逃亡者だと思いながら小学校時代の大半を過ごしてたんですけども、そういう僕の前にある日、僕と同姓の転校生がやってきて、僕と正反対でいきなりクラスの人気者になっちゃったんです。まあ、そんなもろもろのエピソードがびっしり入ってるので、びっくりしちゃいました(笑)。

岩崎:生田さんの稽古は、最初に台詞が全部入った状態から始めようよ、ということになっていて、サリngさんも膨大な台詞を、すでに全部覚えているんです。

サリng:もう、めっちゃ不安でした(笑)。

岩崎:台詞覚えのためのワークショップというのを受けてもらって稽古に臨んでいるので、実は今、誰も台本を持っていないという恐ろしい状況です。

retro28_1生田:それは、ぜひ大阪の若い演劇人に、「こういうふうにやるといいよね」と思ってほしくて。稽古初日に台詞が完璧に入っているというのは、一番理想じゃないですか。でもなかなかそういかないことの原因のひとつに、「作・演出」というのもあるのかなと思います。とりわけ僕なんか台本が遅いものですから、この作品を書いた時もめちゃくちゃ遅くて、まだホンが全部書き上がってないのに稽古始まっちゃったーなんていう状態で、俳優に「なんだお前、台詞入ってないのか!」なんて言えないんですよね(笑)。だから僕はやっぱり、作家と演出家と俳優が対等な三角形で向き合って現場を維持するのが、演劇にとって一番健康的だと思うんですけど、さっき言った歪な一極集中の温床に劇団がなってしまうところがあった。でも、それは劇団制に問題があったんじゃなくて、作家が演出家も兼ねる「作・演出」というシステムの弊害なんです。とにかく、台詞も入っていない状態では、演出家は何にも出来ないんだっていうことを、ぜひ若い演劇人に知ってほしいです。で、俳優が台詞入れてきたはいいけど、自分ひとりで勝手に色付けて感情乗っけて意味も見つけて覚えちゃうと、稽古場で邪魔になるんですよね。なのでニュートラルな状態で台詞を覚えるメソッドを、高円寺の「劇場創造アカデミー」では教えてまして、だから、この方法を知ってほしいというのもあって、宣伝になっちゃいましたけど(笑)、そういうワークショップを何回かやって、今回の稽古が始まったという感じです。

岩崎:ちなみに僕も今回は特別出演させていただきます。たぶん台詞は十個にも満たないと思いますが(笑)、医師の役です。で、同じく特別出演で、高橋恵さん(虚空旅団)が看護婦の役です。そして蟷螂襲さん(PM/飛ぶ教室)が、池で亡くなった少女の父親の役です。

生田:岩崎さんや高橋さん、蟷螂さんやサリngさんといった、関西の最前線で活躍されてる演劇人が参加してくださるので、その意味でもぜひ興味を持ってくださるお客さんがいっぱいいたらいいなあと思っております。

 

■質疑応答

Q.この戯曲をやろうと決めたのはアイホールですか? この作品を上演しようと思ったのはどういう意図からですか?

岩崎:ご提案をさせていただいたのはアイホールです。単純に言えば、東京オリンピックのことで日本がこれからどんどん沸き返っていくというのがあります。その時代性において、現在とこのホンが二重写しになるような世界観が築けるんじゃないかなと。そういうことをアイホール館長が東京まで乗り込んで、生田さんと長い長い時間話して、それでこのホンに決まったという経緯があります。

生田:僕はこの現代演劇レトロスペクティヴの企画はずっと知っていたので、演出の仕事をオファーいただいたのかなと思って「とても光栄です」と言ったんですけど、僕のホンをやりませんかと言われたので、「いや、やめましょうよ、それは」とかなり抵抗したんです。けれども、さっきの「東京オリンピック」という一言で「ああ、そうかもしれない」と、つい煙に巻かれて引き受けてしまいました(笑)。でも、何だったんでしょうね二十世紀って。日本人は西暦で区切るよりも元号で区切ったほうがいいと言う人もいるし、そうすると日本人にとっての二十世紀は、大正・昭和ということになるのかもしれない。「さよなら、ニジッセイキ」の「ニジッセイキ」には、「さよなら、昭和」というメッセージに近いものがあると思います。「追いつけ追い越せ」って日本人の一番得意なパターンだと思うんですけど、それのひとつのピーク、象徴が東京オリンピックだったような気がしています。追いついちゃったらどうしていいかわかんない、というのが今だとしたら、その「追いつけ追い越せ」の象徴としての東京オリンピックを取り上げた作品を今やることで、これから四年後の東京オリンピックとは何だろうということを当然考えることになるだろうし、何かが見えてくる気がします。

岩崎:俳優たちと一緒に考えようというふうに稽古を進められている印象がありますね。

retro28_2生田:大変ですよ、何言ってもポカーンとして。彼らが全然知らないことばかりですからね。だから、おじいちゃんが孫に話してるみたいになっちゃう(笑)。でも、「そうかそうか、昔はな…」というのは絶対しない。「おまえ、こんなことも知らないのか!」って態度で攻めてます。東京オリンピック自体、リアルタイムで経験してるのは僕くらいしかいないんですけど、でもリオ・オリンピックも、微妙にこの現場に反映してくるのを感じています。東京にいると、「オリンピックなんてどうしてやるの?」みたいな空気を感じることが多いんですけど、毎日メダルに沸き立っている今回のリオの様子だと、次の東京オリンピックに対する期待感も結構膨らんじゃうんじゃないかなと思います。

 

Q.サリngROCKさんがオーディションを受けた理由をお教えいただけますか。

サリng:「こんなオーディションがあるので受けませんか」とアイホール館長から教えてもらったのもあるんですけど、ひとつは、生田さんの演出に興味があったからです。関西にいながら東京の演出家の演出を受ける機会もあんまりないですし、わたしは普段あまり俳優をやってないものですから、他の方が演出してる現場を見ることもほとんどないので、いい機会だと思いました。生田さんの演出は、すごく腑に落ちます。さっき岩崎さんも仰ってましたけど、とても人間を信じてる。ついつい、「とりあえず一旦、これがわかればいいかな」みたいなことを、普通だったら言っちゃうような気がしてしまうんですけど、そこはもう「一旦」にせず、「何で出来ないんだ!」「来い!」みたいな(笑)。手をまず差し伸べないんです。差し伸べるほうが簡単そうなのに、そうしないのがすごいなって思います。

 

Q.作品の改訂はありますか?

生田:ほとんど変えないつもりなんですけど、ラストシーンだけ、どう考えてもこれじゃ終われないので直しました。この作品、本当に書けなかったんですよ。そのしわ寄せがラストに来てるなあ、と。当時、『しんげき』(白水社)という雑誌がありまして、そこにこの作品を掲載していただけるということになっていて、その締切があったというのもあるんですが(笑)、とにかく終わらせなきゃいけないという、その勢いだけで書いてしまった部分があります。いつも劇団では、最初の部分だけ書いて、稽古しながら次のシーンを考えてきて…というやり方になっていたので、前半ではこれ以上もう入らないというくらい大風呂敷を広げて、後半に入るとそれを全部拾い集めるということになってくるわけです。でもこの時はもう集めきれなくて、力技で終わらせようというふうになっていたので、そこは今、もう少し客観的にコンテクストや全体の流れを見られますから、「この作品にもっと相応しい終わり方があるよ」と90年代の僕に言おうと思っています。

僕がホンを書くときの理想は、自分の言葉をひとつも入れないで書くことです。たとえば、「え? あ、はい」という台詞があったとしても、この「え?」は誰々の本の「え?」で、この「あ、」は誰々の…というように、全部引用のセレクションとコンビネーションで一本の作品をつくれたらいいなあと思っているんです。だから今回の作品も読んでみると、他人の言葉のコラージュだし。欧米なんかだと、「二十世紀は演出家の時代だ」なんて言い方がありましたよね。日本の土壌ではあまりピンと来ないかもしれないけど、「演出家の時代」ということを僕なりに解釈すれば、「あらゆることはすでに表現されつくしている。今や表現者の為すべきことは、すでにあるものの中から何を選んでどう組み合わせるか、そのセレクションとコンビネーションこそ二十世紀の<創造>だ」という意味かなあと思っています。このホンはほんとにそうやって書いたので、「ニジッセイキ」に「さよなら」したら、どこに行ってしまうんだろうというのも、二十一世紀的なクリエイションとして、この公演の宿題ですね。

撮影:中才知弥(Studio Cheer)
撮影:中才知弥(Studio Cheer)

 


 

<アイホール・ショーケース関連企画>

&futureレクチャー・ワークショップ

令和8年3月16日(月)~3月21日(土)

令和8年
3月16日(月)19:00 「ことばをかさねるITAMIワークショップ」
3月20日(金・祝)14:00 「イワキからイタミへ~震災と演劇をかたろう~」
3月21日(土)13:00「誰でも未来のスターに⁉ 自分のワンシーンを作ってみよう!」


『アイホール・ショーケース~イタミつながるブタイのミライ~』の関連企画として、「&future」に参加している団体によるレクチャー・ワークショップを行います。「ブタイのミライ」だけでなく、さまざまな人と人をつなぐ「&」な内容になっています。伊丹市民は無料!ぜひこぞってご参加ください。


3月16日(月)19:00~
The Courtyard of the World
ことばをかさねるITAMIワークショップ」 

対象/中学生以上
定員/20名
服装/動きやすい恰好(スカート・ヒールのある靴は避けてください)


伊丹にすむ人の「ことば」や「気もち」を形にして、かんたんなエンゲキであそびませんか?このワークショップでは、
自分の経験を話し、ほかの人の声をきいてまねし、みんなで小さなシーンをつくります。
日本人も外国から来た人も、どのねんれいの人も、だれでも参加できます。
声をききあい、演じあうことで、ゆっくりと対話やつながりが生まれます。
新しい出会いを見つけてみませんか?

講師/タニカワ ショウゴ(写真真ん中)
多文化共生をテーマに活動する演出家・演劇ファシリテーター。
バンコク生まれ。弘前劇場での経験を経て、24歳からタイで創作を開始。
現在は日本で多文化演劇の実践を行う。
山口惠子(やまぐち・けいこ)(写真左端)
演劇をつくる人。京都を拠点に国際共同制作に多数関わる。2011年にBRDGを設立し、取材やワークショップから作品を創作。京都駅南にある「コミュニティカフェほっこり」のスタッフとしても活動。

 

3月20日(金・祝)14:00~
氷河企画
「イワキからイタミへ~震災と演劇を語ろう~」

対象/中学生以上
定員/30名
本レクチャーは東日本大震災をテーマにしております。もしも参加途中ご気分が悪くなるような心配・不安がある方は、お申込みの際にお知らせください。

講師:絵戸キリコ

福島県いわき市の「演劇集団黒ヒゲキャラバン」は2011年東日本大震災後の7月にも有志で演劇公演を実施したほか、本の読み聞かせ会やワークショップ(ちゃんこ鍋会)など演劇を通じて地元の人たちと伴走をしてきました。被災地にとって演劇とは?演劇が伝えるメッセージや力とは?福島からのオンライン講演を中心に、演劇の持つ力を共有するレクチャーとしたいと思います。

講師/絵戸キリコ(えと・きりこ 演劇集団黒ヒゲキャラバン)
原 晶子(はら・あきこ 氷河企画)
演劇集団黒ヒゲキャラバン:2004年にいわき明星大学演劇部のOB/OGが集まって結成。「様々な演目を通して演劇の本質的価値を模索する」をテーマにジャンルにとらわれない作品を次々に生み出している。
他劇団とのコラボ企画、チャリティー公演、全国の劇団・高校・大学に戯曲提供など、手広く多彩な活動をしている。

 

3月21日(土)13:00~
かまとと小町
「誰でも未来のスターに!?自分のワンシーンを作ってみよう!」

対象/中学生以上
定員/10名程度
服装/動きやすい恰好(スカート・ヒールのある靴は避けてください)

講師:髙道屋沙姫

数行の短いシーンを演じて発表とフィードバックを繰り返しおこないます!
みんなで互いをよく観察をして、ふり返りを重ねることで、自分が演じる意味や偶発的に起こったバックグラウンドのストーリー性、演技プランへのすり合わせや、演技のなかで生じた違和感やエラーをみんなで話し合って、作品にしてみましょう!

講師/髙道屋沙姫(たかんどうや・さき かまとと小町)
演劇部のコンクールで脚本/演出/出演のすべてを一人で行い60分の一人芝居を上演。

地区大会・大阪府大会で最優秀賞と個人演技賞を受賞し、近畿大会に選出された。
2015年かまとと小町を結成。以降かまとと小町の公演の殆どで作/演出を務める。
結成後、3か月で大阪短編学生演劇祭にて最優秀賞と観客賞を受賞し、全国学生演劇祭に選出された。

 


会場/
アイホール イベントホール・ホワイエ

受講料/
伊丹市内在住者:無料(当日要証明書)
市外在住者:500円


企画/伊丹市立演劇ホール
主催/公益財団法人いたみ文化・スポーツ財団、伊丹市

鴻上尚史(虚構の劇団)インタビュー

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アイホールでは8月26日(金)~28日(日)にかけて、共催公演としまして、虚構の劇団第12回公演『天使は瞳を閉じて』を上演します。劇団の主宰で、作・演出を務める鴻上尚史さんにお話しを伺いました。


■作品と今回の見どころ

 『天使は瞳を閉じて』は、僕が29歳のときに書いた作品です。放射能で人類が滅んでしまった地球に二人の天使が現れる。彼らは自分の受け持ち区域に人間がいないからつまらないと話しているんだけど、そのうち片方が透明な壁に守られた街を見つけ、人間が生き残っているのを知る。そして、その街の人間たちの存在に感動して、片方の天使が「天使から人間になる」と宣言するという物語です。チェルノブイリ原発事故と、ヴィム・ヴェンダース監督の映画『ベルリン・天使の詩』の二つに想を得て書きました。88年に「第三舞台」で初演をして、その後イギリス公演やミュージカル版と上演を重ね、今回で6回目の再演になります。関西での上演は、2003年のミュージカル版以来なので13年ぶり、ストレートプレイでは92年以来ですね。気が遠くなるような時間が経ってしまいました。

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鴻上尚史

 今回の特徴は、「虚構の劇団」が始まって以来の4名という客演の多さです。ユタカ役をする上遠野太洸(かとうの・たいこう)くんは、『仮面ライダードライブ』でチェイサー役をやっていた期待の若手イケメンくん。マリ役をする鉢嶺杏奈(はちみね・あんな)ちゃんは、『世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターもしていて、今後が楽しみな女優さんです。この、ユタカとマリの二役は、無意識に人を引き付け周りを振り回すという役どころで、俳優としてもかなりの魅力がないとできないので、オーディションで探しました。『ホーボーズ・ソング』にも出演してもらっていた佃井皆美(つくい・みなみ)は、ジャパンアクションエンタープライズ所属の、アクションも演技もできる女優さん。伊藤公一くんは、ウチの俳優を他の演出家に丸投げする「虚構の旅団」という番外公演があって、そこで千葉哲也さんに頼んだ『青春の門〜放浪篇〜』に出演していて、僕が一度やりたいと思った俳優さんです。この客演陣と劇団員のコラボレーションが今回の見どころです。

 

■若者たちの共同体を描いた作品

 『天使は瞳を閉じて』は若者たちの共同体と生き方を描いた作品です。透明な壁に守られた街の一軒のお店を舞台に、そこに集う人々が、愛したり、憎んだり、ぶつかったり、嘘ついたり、負けたり、くじけたりします。僕自身が、濃密な人間関係が生まれる劇団という場所ってすごい、と思っていた時期に書いたので、その実感を取り入れた作品です。だから、俳優たちが共同体を成していないと成立するのが難しい。「虚構の劇団」でも旗揚げ後すぐには取り組めず、劇団員のお互いの関係性がはっきりみえてきて、いまならやれると思って上演したのが2011年でした。5年が経って、劇団自体も変わってきているので、今回の再演で、今の我々自身を確認したいという興味があります。もちろん、「虚構の劇団」がひとつの共同体としてのまとまりがあると感じるから2回目ができるのですが。そしてなにより、前回公演がとても好評で、お客様から「また見たい」という声をたくさんいただいたことが、もう一度やろうと決めた大きな理由です。
kyoko-4 冒頭、天使が登場するまでのシーン(第1章)は、時代に合わせて上演のたび書き変えています。前回は東日本大震災後すぐで、地球上に放射能が溢れているという設定がすごく生々しい時期だったので、どうしてこの街だけが放射能のなかで残っているのかを新たに取り込むようにしました。強引に“放射線管理区域にいる人たち”という設定をつくって、そこからはるかな時代が流れ、地球は放射能に満ちてしまい、その区域の街だけが守られているというようにして、次のシーンにつなげました。
 今、東日本大震災や福島の原発事故から5年が経ち、自分自身も含めてみんな、その記憶が少しずつ薄まっているように感じます。だから今回の再演では、“震災から5年が経ってしまった”ということを前提に作り直し、そこから始まる話にしました。2011年を経たことでこの物語の力はますます強くなっていると思いますし、観客は生々しい設定だと感じてしまうかもしれません。でも、この芝居は反原発の話ではなく、あくまでSFでファンタジーなんです。

 

■若い俳優たちとの作業

 「虚構の劇団」の劇団員は今10人います。今作に出演する6人と、劇団内オーディションで落ちた3人、あと1人は他の芝居に客演中です。新作のときは劇団員の人数に合わせて書きますが、再演作のときは人数がずれるので劇団内オーディションをしています。「第三舞台」の頃から劇団員の数は10人ほどにしていて、それはキャラクターがバッティングしない、ぎりぎりの数だからなんです。それでも、若い人たちとするのは大変です。僕は「KOKAMI@network」もやっているんだけど、上手い俳優さんは、演出の方向性を伝えれば稽古の最中に勝手にどんどん掘り下げてくれる。だから演出家として稽古場にいると、そういう表現があるのか、そういう感情をみせてくれるのかと、楽しくて仕方がない。でも若い人とやるときは、僕が掘り下げなきゃいけないことが多くて…。まあ、それがここでの僕の仕事なんですけどね。
 ただ、今の若者は優しくて、すごくナイーブで傷つきやすい人たちが多い。「第三舞台」を旗揚げしたころは、筧利夫をはじめとした野獣のような眼をした奴が多かった。飲み会で盛り上がって酔っぱらって自動販売機と喧嘩して骨折した奴とか(笑)。自分のエネルギーを持て余していることと、俳優を続けることの折り合いをつけろとよく説教してました。そういう、噛みつくような眼をした男たちとあなた任せの女たちが昔は多かったけど、今から15年ぐらい前になると、噛みつくような眼をした女たちとあなた任せの男たちが増えてきた。そして最近は、あなた任せの受け身の男と女が増えている。死にもの狂いで自分は俳優になりたいんだという人は減ってきていて、そんな人間を、どう焚き付けて、どう火を付けて、時になだめすかし、勇気づけ、どう導いていくかに、いちばん苦労しています。

kyoko-2 劇団を立ち上げた際は2000人から10人を選んだので、さすがに野望に燃えた眼の奴が集まりました。でも今残っている旗揚げメンバーは半分。当時は平均年齢21.7歳と若かったので、鴻上の劇団に入ったというだけで翌年には売れっ子の俳優になっているという夢を見る奴もいた。でも本当はそこからがスタートで、毎日地道に芝居の稽古をして、ダンスレッスンして、その合間にバイトに行って生活費を稼ぐということをやらなくちゃいけない。それを繰り返しているうち、野望に満ちた眼が、自分は本当に俳優をやりたいのだろうかと不安になり、だんだん安定を求める眼に変わっていく。そういう人は、話し合いをして退団してもらいました。僕が「虚構の劇団」を始めたのは、日本の演劇界を支えるような俳優がひとりでもふたりでも生まれてほしい、俳優で食べていけるプロを育てたいと思ったからで、自分探しや自己実現のためにやっているわけではないですからね。あと、すぐに泣く(笑)。僕もさすがに最近はそんなに怒鳴っていないんですよ。それなのに稽古中にパッとみるとなぜか泣いている。理由を聞くと、「言われていることは分かるけど、できなくて悔しい」って。そんなの、家で泣けと思っちゃいますよ、ほんと(笑)。
 僕ね、俳優を育てる作業が好きなんですよ。「第三舞台」の頃はわざと俳優を泣かせていました。まあ、22歳の演出家が20歳の俳優に対して「役者なんかやめろ!!」と怒鳴るのはシャレになりますが、今、30歳近く離れている俳優に僕がそんなこと言ったらシャレになんない(笑)。僕も変わってきました。俳優との歳の差が離れて、べらんめぇが通じなくなった頃から、教育的な立場でいるほうがよいかもしれないと思いはじめ、今はもう育てるしかない、育ってくれないとやっている意味がないと思っています。だから、劇団員はもちろん、客演の人たちも今回の公演がいい記憶として残ってくれて、いい俳優になってくれれば、僕も演出家として苦労した甲斐があると思っています。

 

■演劇が持つ力

 俳優が育ついちばんのコツは、やっぱり本番をたくさんやること、そしていろんな場所でいろんな観客に出会うことです。散々稽古したのに2ステージで終わりっていうのが、いちばんもったいないし、育たない。今回も東京・兵庫・愛媛とツアーをしますが、東京で芝居を見慣れた観客を相手にするとき、関西のお客様にみせるとき、愛媛という演劇をほとんど観たことがない、それも割と年齢層の高い観客にみせるときと、いろいろ体験してほしいと思っています。去年の愛媛での出来事なんですが、終演後に俳優がロビーでお客様を送り出していると、中高生が感極まって俳優の前で泣きじゃくりながら感動を語っていたんです。生身の人間の感情と存在を目の当たりにしたことで衝撃を受けたんでしょうね。それこそ演劇という表現が持っている力だと僕は思うわけです。でも、俳優たちにとってはそういう観客の反応自体が初めての経験で、ただただボーゼンとして見守るしかなくて(笑)。

虚構の劇団第12回公演『天使は瞳を閉じて』@座・高円寺
虚構の劇団第12回公演『天使は瞳を閉じて』@座・高円寺

 僕は演劇がどれだけマイナーになっても表現として生き延びているのは、やっぱり生身であることのインパクトだと思っていす。例えば、生まれて初めてみた映画がつまらなかったからといって一生映画を観ないという人はいないんですが、初めてみた演劇がつまらなかったら一生演劇を観ないという人は結構いるんですよね。それは、そのつまんなかった演劇がどれほどインパクトが強かったかということで、裏を返せば、本当に面白い演劇をみたら、魂が震えるような経験になるということですよね。
 昔と比べて演劇人口はすごく減ってますし、大学生で演劇を見たことがない人も増えました。娯楽がたくさんあるからしょうがないのですが、それでも、30~50代のテレビ業界のディレクターやプロデューサー、映画監督と喋ると、僕の作品を若いころに観てくれている人が多い。クリエイティヴなことをしたい人は僕の作品を観ておかねばと思ってくれていた。でも今は、クリエイターになりたいから、これはマストで観ておかないといけないという芝居が何本あるだろうと思いますね。僕自身は、クリエイター志望の人にとってマストである、劇場に観に行きたいと思える、そんな作品をつくるポジションであり続けたいと思っています。

 

■2016年版上演に向けて

 この作品は登場人物の心がものすごく動くんです。だから僕が要求する心の動かし方を毎日の稽古でやってる俳優たちは、本当に大変そうです。佃井のブログにも、「毎日ヘトヘトになって帰ってくる。ダンスをいっぱいやるより疲れる」って書いてました。やっぱり身体を動かすより心を動かすほうが疲れるんですよ。俳優たちにとってはかなりの特訓になっているようですし、なんとか食らいつかないと自分が役に放り投げられると必死ですね。
虚構の劇団『天使は瞳を閉じて』チラシ表面 僕自身、この作品がとても細かな感情が求められる緻密な戯曲であると、書いた当時は気づきませんでした。でも、ドラマとしてピックアップできる要素がものすごく散りばめられていて、再演のたびに演出家としても発見があるので、まだ何度でも上演できると思っています。可能性を全部しゃぶり尽くしたから再演希望があっても当分興味がないという作品もあるなか、この作品は自分にとっても、まだまだ掘り下げられるところがある。今回の稽古でも気づくことが多くて、古びていないんですよね。よくこんな作品を29歳のときに書いたなあと自分でも感心するぐらいです(笑)。
 だからこそ今も、現代の若い観客に届くであろうと思っています。俳優たちには、「このセリフの気持ちがわかりますか?」と一行一行確認をし、わからなければ演じられないというぐらい濃密につくっています。若い俳優たちも役の気持ちがよくわかると言ってくれている。だから、この作品を初めて観る若い人たちにも自分たちの物語として受け取ってもらえるんじゃないかと思っています。また、「第三舞台」からのお客様には、今の若い俳優で甦る『天使は瞳を閉じて』を通じて、新たなユタカやマリたちに会いにきてくれると嬉しいです。

(2016年7月 大阪市内にて)

 


 

本日開催を予定しておりました「MUM&GYPSY 10th Anniversary Tour 」関連企画の
レクチャーは台風5号の接近に伴い中止いたします。

平成29年8月7日(月)19:00から予定しておりました「MUM&GYPSY 10th Anniversary Tour 」関連企画のレクチャーですが、台風5号の接近に伴い、お客様の安全を考慮し、やむなく開催を見送ることとなりました。
 
楽しみにされていたお客様にはご迷惑をおかけしますとともに、直前のご案内となりましたことをお詫びいたします。
 
なお、日を改めての開催を現在、検討しております。
開催の有無や、その他詳細が決まりましたら、当館WEBサイト等でお知らせいたします。
アイホール
 

詳細はこちらをご覧ください↓
MUM&GYPSY 10th Anniversary Tour 関連企画(地域交流プログラム)
レクチャー&ワークショップ
「日本の現代演劇と、マームとジプシーの10年」。
(https://www.aihall.com/mumgypsy_lecws/)

 
 

KUDAN Project『くだんの件』今秋、待望の再演!

極彩色の光の中をジェットコースターで駆け抜ける驚愕の二人芝居。 国内のみならず、台北・香港・北京・広州・釜山でも上演され、大きな衝撃を与えた伝説の名作。天野天街の演劇手法がぎゅっとつまった<アジア演劇界の至宝>、約17年ぶりに関西に登場!

平成28年度AI・HALL自主企画
KUDAN Project 『くだんの件』

作・演出/天野天街(少年王者舘)
出演/小熊ヒデジ(てんぷくプロ)、寺十吾(tsumazuki no ishi)
日程/2016年11月11日(金)~13日(日) 〈全4ステージ〉
チケット発売日/8月20日(土)
お問合せ/アイホール TEL:072-782-2000 info@aihall.com

公演詳細は追ってお知らせします。

■KUDAN Project
1995年、天野天街(少年王者舘)、小熊ヒデジ(てんぷくプロ)らが、演劇ユニット「キコリの会」を立ち上げ、同年6月に『くだんの件』を東京・名古屋で初演。1998年、同作品を台北・香港・名古屋・東京で上演し、これを機に≪KUDAN Project≫が発足。以降、名古屋を拠点に国内・海外での公演活動を重ね、“全く新しい演劇体験”として大きな反響と高い評価を得る。これまでの作品に、『くだんの件』(作・演出/天野天街、1995年初演)、『真夜中の弥次さん喜多さん』(原作/しりあがり寿、脚本・演出/天野天街、2002年初演)、『百人芝居◎真夜中の弥次さん喜多さん』(2005年初演)、『美藝公』(原作/筒井康隆、脚本・演出/天野天街、2007年初演)がある。

ごまのはえ(ニットキャップシアター)×田辺剛(下鴨車窓)インタビュー

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アイホールでは提携公演として、7月8日(金)~11日(月)にニットキャップシアター第37回公演『ねむり姫』を、8月6日(土)~7日(日)に下鴨車窓#14『旅行者』を上演します。今回はアイホールディレクター・岩崎正裕がごまのはえさん(ニットキャップシアター)と田辺剛さん(下鴨車窓)にお話を伺いました。

 

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ごまのはえ(ニットキャップシアター)

■ニットキャップシアター『ねむり姫』について

岩崎:澁澤龍彦を原作に、脚本はごまのはえさんが書かれているということですが、どんなタッチの作品になりそうですか。

ごまのはえ(以下、ごま):僕の中では澁澤さんのエッセイを読んで以来「男らしいオタク」というイメージがあります。宮崎勤が起こした東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件などが小学生の頃にあったことから、オタクに対して「モテない」「かっこ悪い」という印象がありましたが、澁澤さんは『少女コレクション序説』(1985年)を発表するなど、危ないこと、気持ち悪いことをマニアックに探求されていて、自分の世界に閉じこもっているけどすごくミステリアスで素敵な男性だなと思いました。今回は僕が感じる「澁澤さん的なかっこよさ」が出る、エンターテインメントな舞台にできたらいいなと思っています。

岩崎:『ねむり姫』はエッセイですか?

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ニットキャップシアター『ねむり姫』稽古場にて/京都芸術センター

ごま:エッセイの延長線上で小説を執筆されているので、ジャンル分けが難しいところなんですが、小説という体裁を取っています。平安末期から鎌倉時代が舞台で、突然眠りに落ち、ひたすら目覚めない女の子を中心に、騒ぎが繰り広げられるというお話です。

この小説は、藤原定家の日記などにも出てくる“天竺冠者”の話を題材に描かれています。壇ノ浦の戦いで安徳天皇が関門海峡で入水自殺をし、三種の神器である草薙剣も海の中に落ちてしまったと言われているですが、その頃に瀬戸内周辺で「私が安徳天皇と繋がりのある者だ」とか「これが草薙剣だ」と言い立てる怪しい輩が大量に現れたらしく、その代表格が天竺冠者なんです。そういういかがわしいペテン師が物語の主役として、ねむり姫と対応する形で登場します。

岩崎:舞台は平安絵巻的に進行するんでしょうか。                                      

ごま:時代劇なのに平気で「プラスチック」という言葉が使われたり、融通無碍な世界観なので、平安時代にいそうな十二単のお姫さまとか、そういうものはまったく出てこないです。

岩崎:原作に忠実な世界観に、ごまさんのテイストが加わるというわけですね。

ごま:今まで原作ものを舞台化するときは、作品のプロットを解体することもあったんですが、今回はそんなに崩していないので、より忠実なものになっていると思います。

 

■下鴨車窓『旅行者』について

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田辺剛(下鴨車窓)

岩崎:第14回OMS戯曲賞佳作受賞作の再演になるんですね。

田辺剛(以下、田辺):ちょうど十年前、2006年に京都芸術センターのフリースペースで初演し、2008年に精華小劇場で再演、そして今年アイホールで再々演を行うことになりました。

岩崎: 2009年に上演された『人魚』にしてもそうですけど、非常に無国籍・多国籍の匂いがするという印象があります。

田辺:『旅行者』は、テキストの書き出しも「現代の日本からは時も場所も遠く離れた世界」というト書きから始まっていますし、まさに「無国籍」な世界ですね。登場人物にも名前がなく、どこの国の人たちかわからない設定にしています。最近書いている新作は、日本人名の登場人物が出てくるなど、少し日常の世界観に戻ってきているんですが、本作は、寓意的な作品を書いていた時代のど真ん中に執筆しました。

 住んでいた町を追放された異邦人の三姉妹たちが、故郷を目指して旅をする話なのですが、彼女たちは叔父の援助を受けなければ帰り着くことができないため、父親の遺言を頼り、叔父が住むというある村に辿り着きます。ところが、教えられた住所に行くとまったく違う人が住んでいた。そこから物語が始まります。

岩崎:初演では、権力者が出てきたような記憶があります。

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下鴨車窓#2『旅行者』(2006年  京都芸術センター/撮影=平野愛)

田辺:三姉妹が叔父を探し直そうとしているところに、「私も姉妹の一人だ」と名乗る女性が一人、また一人と現れ、「後から来た二人の女性は姉妹なのか?」という話になります。そこに岩崎さんのおっしゃった“権力者”、つまり叔父の代理人である弁護士が現れ「援助をするのは三人だと聞いている。だから、五人のうち誰が本物なのか決めろ」と言うんですね。後から来た二人は写真や手紙など物証があるのですが、最初に来た三人にはそれがなく、お互いが家族であったという記憶しかない。しかし、記憶は長い旅の中で曖昧になっており、食い違いもある。最初に来た三人こそが姉妹だったはずなのに、最終的には物証を持った二人が姉妹であることが確実になっていく…そういうお話です。

岩崎:不条理なところもあり、ミステリーの構造も含まれていますね。物語はどこから着想されたのでしょう?

田辺さん2田辺:韓国の南方にあるキョンジュという町に、戦前・戦中に朝鮮人男性と結婚した日本人の女性たち、いわゆる“日本人妻”と呼ばれる人たちが住む「ナザレ園」という特殊な老人ホームがあり、そこに住むおばあさんたちと話したことが、創作のひとつのきっかけになりました。

 昔は、日本人の女性が朝鮮人男性と結婚するのはすごくハードルが高くて、日本の家族から縁を切られたり、駆け落ち同然で家を出たこともあったそうです。また、朝鮮では「侵略国の嫁」と扱われて苦労されたり、朝鮮戦争で旦那を亡くした人もいました。彼女たちの中にはいつか日本に帰りたいという人もいるんですが、国籍が変わっていたり、親族がいなかったり、経済的な問題などもあって帰るに帰れない。施設自体も入居者が徐々に減り、いずれは無くなってしまう場所なのだと思います。韓国にも日本にも故郷を失い、それでも生き抜いてきた彼女たちのことを記憶に留めたいという思いがあり「故郷を目指して旅をする物語」に置き換えて執筆しました。“旅”は、僕の作品のモチーフのひとつで、そこと結びついたという感じですね。

岩崎:物語の設定を聞いた時、敗戦とともに引き揚げてきた日本人の歴史、あるいはヨーロッパの難民受け入れ問題など、いろんなことが重なって見えてくるように感じました。

田辺:あらためて読み直すと十年前に書いたのにそんなに古びてないなという感覚があります。ヘイトスピーチなどもそうですが、異邦人を排除する感覚や彼らがどこに行けばいいのかという問題は、初演当時よりも今の時代のほうがはっきりと目に見える形で周りにあると思います。そういった意味で、また違う切り口から作品を見てもらえますし、創る側としても新鮮な気持ちで取り組めそうだと思い、再演を決めました。

岩崎:メタファーで書かれている部分があるから古びてしまうことがないね。僕は最近二年前に書いた作品を再演したんですが、戯曲を大幅改訂しました。日本社会を題材にしていると、上演する時代によってたくさん齟齬が起こるけれども、そういうことがない作品というのは、演劇として普遍性があっていいのかもしれませんね。

 

■現代日本を描かない理由

岩崎:おふたりは現代DSC_8003の日本を写実的に描くスタイルを取られていませんが、そこに何か演劇的な鉱脈があるんでしょうか?

田辺:僕は、90年代、現代口語演劇が広がって主流となり始めた頃に「その手法だけが演劇じゃないだろう」という天邪鬼な発想から、違うアプローチを模索するようになり、時代と場所を現代日本から外すという設定で作品を書き始めました。寓意的なものを強く、台詞も説明過剰な感じに取られかねない文体にして、どこまでやれるか試そうというのはありましたね。

ごま:僕は単純に、今の時代を描くこと自体にここ数年興味がなくなっています。現代美術展に行くぐらいだったら、博物館へ行って昔の土偶を見ているほうが楽しいっていうのはありますね。

岩崎:古い物のほうが、想像が喚起されるということなのかな。僕はある地域で縄文博物館を案内されたことがあるんだけど、稲作が始まった弥生時代以降「富が集約され、権力者がそれを分配する」という構造は現代と同じなんだよね。一方、縄文時代は集落ごとに固まっている「母系社会」だと言われている。ゴッドマザーがいて、みんなが捕った獲物は別の集落や弱者にも分けられる。そういう社会って理想的だなぁと思って。現代人が失ったロマンみたいなものが縄文時代にはあると思うんだよね。

ごま:それはわかります。古代にはきっと、現代社会にあるようなストレスはなかったんじゃないですかね。

それと僕自身が今の日本社会とどう付き合っていくか悩んでいます。それは自分にとって、演劇の「社会性」とはどういうことか、「同時代性」とは何か、という問題にも繋がっていて、今の僕はそこが大きく揺らいでいるんだと思います。

 

■京都で培われた演劇

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田辺:京都には鈴江俊郎さんや土田英生さんがいて、それぞれの方法論が確立されたのを僕たちは見てきたから、「別の方向で芝居を極めなければいけないな」というのがありましたね。そういえば、以前ごま君が出演していたマレビトの会『PARK CITY』に、僕も演出助手として関わっていたんですが、当時、松田正隆さんがすごく尖った、実験的なことをされていて、当時「こういう現場を見て、次に僕たちが何をやるかだよね」と二人で話した覚えがあります。

ごま:松田さんと関わったことで、これまでの「演劇」そのものを疑うということを僕たちはやってきたわけじゃないですか。それによって僕も田辺さんも刺激を受けたけど、回り道もしたし…。マレビトの会でやっていたことは強烈だったけど、追いつけないという感じはありましたね。

田辺:「追随を許さない」とは、まさにああいうことを言うんだなって思った(笑)。けど、振り返ってみると、鈴江さん、土田さん、松田さんのいる時代を見られたことで、自分たちが中途半端な物真似をせずに済んだというところはあります。僕たちのやっていることは、先輩たちや周りの表現と無関係に成り立っているわけではないんでしょうね。

岩崎:鈴江さんや土田さんも、80年代のポップな演劇に反する形で、会話劇を選択したわけでしょ。それに対して田辺君やごま君、それぞれのスタイルがある。そう考えると演劇ってつくづくカウンターだと思うなぁ。「同じことをやっても新しいものはできない」というところで方向を探して、この二つの作品は行き着いたんだね。

 

■京都の劇団が見たアイホール

岩崎:京都の演劇人からアイホールってどう見えているんだろう? 伊丹って遠いから、京都の学生や仲間が足を運ばなくて、若手の劇団はなかなか動員を伸ばせない傾向があるらしいんだけど。

ごま:演出家だったら、一回はあの空間で公演を経験しておかないといけないと思います。あごうさとしさんがアトリエ劇研のディレクターに就任した時「<オルタナティブ・スペース>での上演が盛んな昨今、<ブラックボックス>という劇場形式をあらためて考えていかなくてはならない」といったことを挨拶で書かれていて、「そうか、最近はカフェ公演が増えて、劇場空間で演出をしたことがない人もいるんだな」と思いました。同じブラックボックスでも、アイホールはアトリエ劇研やウイングフィールドとはまた違う空間ですよね。

田辺:高さがあって客DSC_7988席が近い「あの空間で作品を創りたい」という欲は周期的にやってきますね。あの劇場じゃないとできない作品がやっぱりあるんです。

岩崎:ニットキャップシアターは、今回、アイホールだけでの公演だよね。劇団史上最多人数の出演者33人というのは、空間的な野心で挑んでいるのかな?

ごま:それはありますね。劇場の空間を活かして、スペクタクルなことができないか、稽古で模索中です。

田辺:ちなみに出演者は9人ですけど、劇団史上最多です!

岩崎:そうなの(笑)。でも、出演者が33人と9人だと空間に対する感覚がまったく違ってきますよね。演出ではどんなことを考えているんですか。

田辺:これまでの上演はフラットな舞台だったのですが、今回は空間の高さを活かしたものにできないか、美術家と相談しています。あと本作では音響効果が一切ありません。アトリエ劇研やウイングフィールドとは違う“広い空間の中にある無音”が上手く創り出せたらいいなと思っています。

ごま:僕は、間口を広く使いたいと思っています。

岩崎:若い劇団には「アイホールで上演するからといって、間口と奥行きを大きく取る必要はないよ」と言うんだよね。よくそれで失敗するから。けど、今回は大人数だから敢えて間口を広く取るということなんだね。そういった空間だと、どこに焦点を持っていくか、意識的に演出せざるを得なくなるものだけど…。

ごま:焦点はあまり絞っていないですね。構図を決めているわけでもない。僕はそういうのが苦手なんだと思います。

  公演を観に来てくださった維新派の松本雄吉さんからも、毎回「(焦点を)もっと絞れ、もっと絞れ」と言われていました。けどある時、松本さんが「五十年かけて削いで削いで、削いでやってきたけど、その“削いできたもの”の中に宝物があったんちゃうんかなぁ」とおっしゃってたこともあって・・・。敢えて削がないよう、削がないようにしています。

 

■最後に

岩崎:京都で創ったおふたりの挑戦的な作品をアイホールへ持ってくることで、大阪や兵庫の人にも広く観ていただくことができますし、関西演劇全体への刺激にもなりそうですね。

田辺:以前、下鴨車窓とニットキャップシアターが名古屋のフェスティバルに出演した時に、演劇評論家の安住恭子さんが、僕たちを比較しながら批評を書いてくださったんです。「ニットキャップシアターは色彩豊かな絵ならば、下鴨車窓は水墨画だ」と。その例えが、僕はすごく好きで心に残っています。奇しくも、同時期に京都からこの二つの劇団が行くということで、大阪や兵庫とはまた色合いの違う舞台を合わせてご覧いただければと思います。

ごま:見どころがいっぱいの楽しいお芝居になっています! ぜひお越しください。

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年末年始の休館について

当館は12月29日(木)から1月3日(火)まで年末年始のため休館いたします。

なお、月初めの施設使用受付(カルチャールーム:2017年4月分、イベントホール:2018年1月分)は1月4日(水)9時~となります。

今年も一年ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

※オンラインチケットサービス(カンフェティ)の年末年始の対応についてはコチラをご確認ください。

『蜷の綿-Nina’s Cotton-』<藤田貴大演出版>公演延期について

平成28年1月21日

 

各 位

 

公益財団法人伊丹市文化振興財団
伊丹市立演劇ホール

 

 

『蜷の綿-Nina’s Cotton-』<藤田貴大演出版>公演延期のお知らせ

 

演出家・蜷川幸雄氏におかれましては、昨年12月中旬、軽度の肺炎と診断され、入院いたしました。その後、1月上旬から稽古に入る予定だった新作『蜷の綿-Nina’s Cotton-』に向けて療養を続けておりましたが、体力の回復が十分でなく、本人、ご家族、主治医、関係者と話し合いを重ねた結果、公演を延期すべきとの結論に至りました。
本作『蜷の綿-Nina’s Cotton-』は、蜷川幸雄演出版と合わせて、藤田貴大氏の演出による「マームとジプシー」版とのカップリング作品として企画されました。このたびは、蜷川幸雄演出版の方針に沿いたいという藤田氏の意向を尊重し、藤田貴大演出版も公演延期という仕儀になりました。
公演の準備を進めていた蜷川幸雄氏と藤田貴大氏、出演者およびスタッフ一同にとっては苦渋の決断でしたが、今は蜷川幸雄氏の体力回復が最優先であると考えております。
公演を楽しみにされていたお客様、並びに関係者の皆様にはご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。あらためて公演を実施できるよう探っていきたいと考えております。どうかご理解のうえ、引き続きご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 

 

 

(公演延期)『蜷の綿-Nina’s Cotton-』藤田貴大演出版
(添付資料) 蜷川幸雄氏コメント、藤田貴大氏コメント

 

 

以上

 

お問合せ 

アイホール TEL072-782-2000(9時~22時・火曜休館) 


 

 

(蜷川幸雄氏コメント)

 

『蜷の綿-Nina’s Cotton-』は、50歳離れた藤田貴大さんが時間をかけてぼくのことを戯曲に書き上げてくれました。恥ずかしい気持ちはあるのですがとても面白いので、演出しようと決意していただけに、悔しい気持ちでいっぱいです。早く回復して劇場に戻ります!

 

 

(藤田貴大氏コメント)

 

蜷川さんが「やはり現場に来て、自分が演出をしたい」とおっしゃったのは、とてもポジティブなことだと、ぼくはおもいました。稽古初日に彼の姿はなかったのです。彼が不在のまま、作品が進んでいこうとしていました。

 

作品がいちばん良い状態でつくられていくこと、すなわち彼自身が演出を施していくことを、やはり彼は選んだわけです。

 

『蜷の綿』は彼自身の物語です。

 

長い時間をかけて、ぼくが彼にインタビューをしながら書き進めてきた作品です。ここ最近の彼の姿を見つめながら、ぼくが感じたことも正直に書いています。

 

「自分自身の身体が、だんだん自分の作品が存在する場所に行かせてくれなくなった」

 

彼は、そんな現実のなかで葛藤しています。身体はもうとっくに、ぼくらが想像できないくらい苦しいはずなのに、演出家としての彼はまだまだつくりたいともがいている。

 

だから、「やはり現場に来て、自分が演出をしたい」とおっしゃったのを聞いて、とてもうれしかった。彼が用意してくれたこんなにも大切な時間のなかで、ぼくは彼を待っていたいとおもいました。

 

『蜷の綿』という作品においては、ぼくもマームとジプシーも蜷川チームに付随するものだという自覚があります。チームの方針に合わせながら、ぼくらも動いていきたい。

 

彼がまた稽古場に戻ってくることができて、作品づくりの環境が整ったら、ぼくらも再始動します。その日まで、きちんと準備を進めていきながら、待っています。

 


藤田貴大さんから、
伊丹公演延期にあたり、コメントが届きました。

 

++++++
みなさまへ

マームとジプシーの藤田貴大です。
三月に、伊丹にて「蜷の綿」という作品を公演するはずでしたが、それが叶わないということになってしまいました。
たいへん、申し訳ございません。

ひさしぶりの関西での公演ということで、たのしみにしていました。
しかし「蜷の綿」は蜷川幸雄さん自身のことを描いた作品なので、ぼくらだけが公演していくということはできないとおもいました。
彼の回復を、作品といっしょに待ちます。

マームとジプシーの作品が、近いうちに伊丹のみなさんと出会えますように。これから実現に向けて、準備していきたいとおもっています。

1.21  藤田貴大
++++++

竹内銃一郎×土橋淳志(A級MissingLink)インタビュー

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アイホールでは7月15日(金)~18日(月・祝)に提携公演として、A級MissingLink第23回公演『或いは魂の止まり木』を上演いたします。第21回OMS戯曲賞大賞を受賞し、3年ぶりの再演となる本作について、作者の土橋淳志さんと、演出の竹内銃一郎さんにお話を伺いました。


■竹内演出での再演について

土橋淳志(以下、土橋):『或いは魂の止まり木』は、第21回OMS戯曲賞で大賞をいただいた作品です。OMS戯曲賞は、受賞の翌年度に再演する場合、上演支援金をいただけるので、ぜひ再演したいということになったんですが、3年前に僕の演出で初演したので、今回は違う演出家の方をお招きしたいなと思っていました。
 A級MissingLinkは、2012年度にアイホールの自主企画「現代演劇レトロスペクティヴ」で竹内銃一郎・作『悲惨な戦争』を、また2014年度には「リスペクト・フォー・マスターズ」という企画で竹内さんに新作『Moon guitar』を書き下ろしていただいたりと、竹内銃一郎戯曲を二度も上演させていただきました。公演のたびに足を運んでくださって、いろんなアドバイスもいただき、腑に落ちることがとても多かったので、竹内さんがA級MissingLinkの演出をされたらどんなことになるのかと興味が湧き、劇団内でも「ダメもとでお願いしてみないか」という話になりました。それでお願いしたところ、引き受けてくださったので、とてもうれしかったです。

竹内銃一郎(以下、竹内):土橋君の演出はかなりハイレベルなものだと思っています。彼自身、あるいは俳優たちから聞いているのですが、台本の上がりが遅くて、なおかつ劇団員はみんな昼間働いているので、一日2~3時間しか稽古ができない。それにも関わらず、こういうすばらしい芝居ができるというのは、「相当、すごいぞ」と思っていたんですね。僕が彼らを演出するのは初めてだし、今回は2ヵ月ほど期間をとって、160時間くらいの稽古時間を目処にやっているんですけれども、実際はそんなに必要なかったかなとも思いました。いま現在、すでに舞台に上げて恥ずかしくない作品になっているし、演出をやってよかったなと思ってますね。

 

■“考えがいのある”戯曲

竹内銃一郎

土橋:これはホントによくないことなんですけど、初演は執筆が難航し、同時並行で演出を考えないといけない状態で作品を立ち上げていったんですが、こうして一旦時間を置いて、竹内さんに演出を預けたことで、今回あらためて自分の戯曲を見直すことができました。劇作家としては、竹内さんに思う存分にやっていただきたいと思っているので、演出に関して「こうしてほしい」「ああしてほしい」といった希望はないですね。まあ、そんなことを考える余地がないくらい現在進行形で面白い作品になっていっているんですけど。

竹内:土橋君が演出した初演については「おもしろかった」以外の記憶がないです。これは彼にも話したんですが、率直に言うと、戯曲よりも実際の上演のほうがずっといい。でき上がった芝居と比べたら、台本のレベルが低く見えてしまう。劇作と演出を兼ねている人の舞台は「台本はいいのに、演出が足を引っ張っているんだよな」ということがほとんどなんですよね。そういった中で、土橋君のようなタイプは珍しいと思います。とはいえ、 稽古に入るにあたって、僕が「こうしたほうがいいんじゃないの」と思ったところは少し書き直してもらったりしました。
けれど、実際に稽古をやってみると、この戯曲は劇団の俳優への当て書きがされていて、台詞で全てを語らなくても俳優の身体が「書かれていない部分」を表現してくれる、そういう前提で書かれているな、と思ったんです。文学的読み物としては、少し物足りない部分があるんだけれども、演出をしてみると、やりがいというか“考えがい”がある。言葉で足りない部分をどうしたらいいのかをいろいろ考えれば、かなりいい形で答えが出てくるように書かれている気がするんです。説明的な言葉で書かれていないからこそ、いい戯曲なのだと思いましたね。

土橋:「読み物として弱い」ということは僕自身も感じていました。これがOMS戯曲賞の大賞に選ばれた時、正直「何故この作品なのかな」とも思ったんですけど、竹内さんがおっしゃったようなことを、選考委員の方々がいい意味で汲み取ってくださったのかな、と解釈しています。

 

■戯曲の可能性を広げる演出

土橋淳志(A級MissingLink)

土橋:テキストの可能性を広げてくださるところが、竹内さんのすごいところですね。劇作家としての喜びというのは、こういうことなんだなと、稽古場にいながら感じています。例えば、僕たちは、ついつい小市民的な振る舞いを台詞のやりとりとして書いてしまったり、それを無自覚に演じてしまうことがあると思うんです。けれど、竹内さんは、そういう安心や納得をともなう振る舞いを良しとせず、「そんなところに留まっていたらおもしろくないよ。もっと危ない方向へ。もっとあらゆる方向に行け!」と俳優の背中を押すんです。そうするとちょっとした行為でも、どのやり方を選択するかでいろいろ変わってくる。戯曲の可能性がどんどん広がっていく気がしますね。

竹内:さっきの稽古でも「どっちか選べと言われたら、勇気が要るほうを選べ」と言ったんですが、いつも俳優には、昨日と違う芝居をしてほしいと話していますね。
僕の演出は、初演と比べて違いがいっぱいあると思いますが、いちばん大きいのは、みんなが“立って”芝居をしているシーンが多いところですね。室内で椅子があれば座ってしゃべるほうが自然だろうけど、僕は日常生活の写し絵を舞台に上げようとしているわけではないから、敢えて座っている人間を立たせる、あるいは立った状態で少し距離を取ってやりとりさせることで、芝居全体をダイナミックに見せるんですね。俳優にとっては座っているよりも立っているほうが、重心が上にあるので芝居が難しい。芝居によりアクションをつけたいと考えた時には、こういう演出をすることが多いです。 

 

■出演者について

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竹内: 16年も活動を続けてきた劇団のよさというのは、劇団員みんなが共通項を持っていること。誰かに対して言ったことが、他の人にも理解されているから、演出も言葉の数が少なくて済んでいるし、予定よりも早く稽古が進行している。僕の感覚で言えば、「いい感じで言葉が通っている」という充実感はありますね。

土橋:稽古を見ていて、自分が面白いと感じることと、竹内さんが面白いと思っていることは、そんなにかけ離れていない気がするんです。例えば俳優の立ち位置や距離感、小道具の受け渡しを大切にするとか。これまで自分たちとしても、そういうことを大切にして芝居を作ってきたつもりなんですけど、竹内さんの演出は、方向性は近いはずなのに、自分の演出と比べて、俳優への伝わり方がまったく違う感じがします。悔しいですけど(笑)。

竹内:まぁ、俺も30年以上やっているからね(笑)。最初の頃は演出をやりたいなんて思ってなかったんだけどなぁ・・・。芝居の良し悪しの8~9割はだいたい演出家次第でしょう。だから、なんか責任が重いなぁと思って。劇作家は書いて渡して、つまんなかったら「つまんねぇなぁ」って思えばいいし、おもしろければ「やっぱりホンがいいからだよな」って思えばいいから、楽なんですよ、やっぱり(笑)。

土橋:日々の稽古の中で、少しでも竹内さんの手法や方法論を盗むことができればと思っています。ただ、そういった単なる理屈ではないところ、竹内さんのパーソナリティーみたいなものは、とても真似できないですね。稽古場では俳優のみなさんが竹内さんを楽しませよう、笑わそうと一生懸命ですよ。

Still0610_00004竹内:稽古場で笑わせるという点で言えば、今回、客演で参加してもらっている武田操美さんと保さんが双璧をなしているけれどね(笑)。武田さんは、自分の好きなリズムを刻みながらしゃべり動くというスタイルの芝居を高いレベルでやってきたことで評価を得ているけれど、今回演じるのはシリアスな役なのでそういうわけにはいかない。彼女とは96年にアイホールプロデュースで上演した『みず色のそら、そら色の水』(作:竹内銃一郎)はじめ何度か一緒に芝居をしていますが、僕と関わってきた芝居で、こういった役を演じることがなかったので、今回は相当厳しく言っていますね。彼女はこれからも俳優を続けていくんだろうけど、そういう意味では、今回の作品はよかったんじゃないかと思いますね。

  保さんは、95年のOMSプロデュース『坂の上の家』(作・松田正隆)、その翌年の『みず色の・・・』など、今まで自分が演出した舞台に何度も出演している俳優です。僕は関西の演劇界を語れるほど多くの俳優を知っているわけではないですけど、50~60代の男優を一人だけ挙げるなら、保さんをいちばんに挙げますね。

土橋:保さんは劇団の俳優にもいい影響を与えているように思いますね。

竹内:彼は自分の芝居に満足することがないんです。

土橋:最初、家族劇を書きたいと思ってこれを執筆したんですが、プロット上では「父親探しは挫折する」、「母親を母性という神話から解放する」という二つを主に重視していました。だから、父親と母親以外の残された登場人物たちに、兄弟的な繋がりの可能性を託す作品なのだと、書き上がった当初は思っていました。

 ところが、劇中で、細見聡秀が演じる失踪した倉田家の父親と、保さん演じる自称ライターの霧島が対峙するシーンがあるんですが、そこで僕が執筆していた時には全く想定しないようなお芝居を保さんがされてるんです。一瞬、霧島が子どものように見えてとても驚きました。二人が父親と子どもの関係に見えたんですね。あぁそうか、この作品は“捨て子”たちの物語でもあるんだなと気づかされたんです。

竹内:本人が意識しているかはともかく、霧島が竹内さん×土橋さんそういった関係に敷かれているんだったら、あのシーンも非常に腑に落ちる。こういう発見が土橋君の戯曲には多いんだよね。ものすごく底のほうに何かが漂っている感じ。

土橋:今までお話ししてきたとおり、竹内さんの演出は劇団にとって衝撃と新たな可能性をもたらしたんじゃないかと思います。個人としても劇団としても、この経験を今後どう生かしていくかが考えどころですね。稽古を見ている限り、今回の作品はA級MissingLinkにとっての最高傑作になる予感しかしないので、是非多くのお客様に見ていただきたいです。本当にお見逃しなくと言いたいですね。

 

 

平成28年度 次世代応援企画break a leg 参加劇団インタビュー

 

 

 

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AI・HALL共催事業として、今年度も「次世代応援企画break a leg」を開催いたします。
参加する2劇団よりそれぞれ代表のみなさんと、アイホールディレクター岩崎正裕より、本企画および各公演についてお話いただきました。

 


◇アイホールディレクターより企画趣旨について

岩 崎:「次世代応援企画break a leg」は、2012年度から開催しております。
昨今の関西では、若手の新しい劇団が出てきても、経済的になかなか厳しい状況にあります。カフェ公演や、100人以下のキャパシティの劇場…いわゆる小劇場で上演をしてみよう、というところから、野心を持って中劇場、大劇場へ打って出よう、といった集団が、なかなか生まれにくいというような環境にあります。そのなかでアイホールは、中劇場の拵えも出来るホールですから、若手に挑戦してもらう機会を出来るだけ設けないと、登場するのが中堅以上のカンパニーばかりになってしまうような現状です。ですので、質の高い作品をつくっている若い表現者に門戸を開くために、この「break a leg」という企画は立ち上がりました。そこから平成27年度までにたくさんの集団に登場していただきました。昨今では、例えばオイスターズ2013年度参加)にしても、FUKAIPRODUCE羽衣2014年度参加)にしても、アイホールをツアーに組み込んでくださるようになってきており、どんどん定着してきているという感があります。最近は、東京、中部、九州などからの応募も増えておりまして、逆に言うと、関西からの応募が若干少ないという…。また若手カンパニーの意欲を刺激するためにつくった企画であるにも関わらず、若手からの応募が少なくなってきているという現状もありますが、今回は9団体の応募がありました。中に強力な団体がふたつありまして、それが今回参加していただく「夕暮れ社 弱男ユニット」「ミナモザ」です。
まず5月に登場していただきます、「夕暮れ社 弱男ユニット」の村上慎太郎さんから作品についてお話しいただきたいと思います。

 

■夕暮れ社 弱男ユニット『モノ』について

村上慎太郎
村上慎太郎(夕暮れ社 弱男ユニット)

村 上:「夕暮れ社 弱男ユニット」は、2005年に京都造形芸術大学舞台芸術学科の学生でつくった劇団です。最近は、京都芸術センターや、元・立誠小学校などを中心に活動していますが、今年は三重県文化会館やこまばアゴラ劇場などでも公演して、幅を広げて勢い付けていきたいな、と思っています。
どういう作品をつくっているかといいますと、例えば『プール』(2014年)という作品では、土嚢袋を400袋くらい用意して、それを投げながら俳優が物語を演じることが出来るかということにチャレンジしました。ほかには、観客席のパイプ椅子を俳優が投げて、その負荷が身体にかかった状態で演じたり、80分間のお芝居中、俳優が転がり続けながら演じたり…、そのなかで、新しい物語の見せ方を追求するような作品をつくっています。そもそも、なぜそういう作風になったかというと、実は劇団発足当初から、海外で上演したいという野望がありまして、身体や物語の見せ方を何か新しい角度で出来ないかと、やり口ばかりを追求してきました。それで、「海外でやりたいんです」という話をしていたら、昨年、大阪ドイツ文化センターのリーディング企画をやる機会を得ました。僕と同世代でまだ日本に紹介されていない作家さんの戯曲を上演するという企画です。昨年の5月にアイホールのカルチャールームでリーディング上演をしたのですが、それがフィリップ・レーレさんの『モノ』という作品でした。
この台本を選ぶにあたって、いろんなドイツ戯曲を読みました。僕が今、興味があるのが「喜劇」で、「喜劇を書かれている作家さんの作品を紹介してほしい」とお願いしたところ、この『モノ』という戯曲をご紹介いただきました。リーディング公演のときに作者のフィリップ・レーレさんが来日されたんですけど、「子どもに見せられるような、でも子どもだましではない児童劇として書きました」と仰っていて、それがすごく印象的でした。非常にわかりやすく、見やすく書かれていて、ドイツの同世代の作家はこういうことを考えているんだと取っつきやすい作品でして、今回の上演がすごく楽しみです。
夕暮れ社 弱男ユニット『モノ』最初はアフリカの綿花畑から物語は始まります。畑で栽培された“綿”が引き伸ばされたり繋げられたりして、中国で大量生産のTシャツになります。そのあとドイツに渡って、販売されて、ドイツ人が着ます。でも穴が開いてしまう。ドイツではTシャツに穴が開くと、専用のポストに入れるというシステムがあるらしいんですけど、その穴開きTシャツが結局アフリカに渡っている、と。モノは生まれた場所にまた戻ってくるのかもしれない、またそこから旅が始まるのかもしれない…。そんな物語を通じて、アフリカでは農薬をまいて大規模に農業をしないと食べていけない状況であったり、ヨーロッパがアフリカに武器を売って、国連がそれを折り曲げて使えないようにしている現状だったり、そういう大きな貧困問題から紛争の問題までが描かれます。それと同時に、この作品の面白いところは、男女の痴情のもつれや、商売のやり方―スピーディにやるのがいいのか、ゆっくりがいいのか―といった、小さなもめごとも描いているところです。小さな問題から大きな問題まで取り扱いながら、世界を旅する作品になっています。アメリカ人、ドイツ人、中国人などたくさんの人種が出てくるのですが、稽古していると、「日本というのはやっぱり島国だなあ」と漠然と感じていて、なぜそう感じるのかを上演を通して見つけたいと思います。日本人が国を越えるときの距離感と、ドイツ人が国を越える距離感はやっぱり違うなあとか、そういう、世界に対して自分たちがどう立っているか、という“立ち位置”がわかるような作品だと感じていて、日本の作家には書けないような感覚があるような気がします。今、世界で、ドイツで考えられていることを、ぜひ劇場へ観に来てほしいです。
岩 崎:日本では翻訳劇って、それこそ明治・大正を通じていろいろあるわけですけど、翻訳劇の新しいあり方を模索されるという演劇的野心に期待を持って、今回、「夕暮れ社 弱男ユニット」を推薦させていただきました。上演が楽しみです。

 

■ミナモザ『彼らの敵』について

 

瀬戸山美咲(ミナモザ)
瀬戸山美咲(ミナモザ)

瀬戸山:「ミナモザ」というのは、わたしが主宰で2001年に旗揚げをしました。今も基本的にはひとりです。ただ、継続的に一緒につくるメンバーというのがいて、ほかの劇団に所属している人もいるんですが、座組のうち半分くらいは毎回出ていただいている人です。特徴として、集団創作にとても重きを置いていて、演出の最終決定はわたしがするんですが、とにかく稽古場で試行錯誤をして、ああでもないこうでもないとみんなで言いながらたどりつく…みたいな形で作品をつくっています。
今回の『彼らの敵』という作品は、実際の事件をもとにしています。
ミナモザの舞台写真をずっと撮ってくださっている、服部貴康さんという写真家がいらっしゃいます。彼がかつてとある週刊誌の専属カメラマンだったということは知っていたのですが、それ以外のことはよく知りませんでした。10年くらいの付き合いののち、たまたま「人生のターニングポイントは何か」という話をしていたら、服部さんが「誘拐かな」と突然仰ったんです。「実は大学生の頃に、パキスタンで強盗団に誘拐されたことがあるんだ」と仰って…。「どうして今までその話をしなかったんですか」と聞くと、「タイミングが合ったら話すけど、基本的にはまだ整理がついてないからあまり話さない」と仰っていて、ただ、「何かしらの方法で、自分の体験したことをいずれ世に出したい。何だったら、瀬戸山がノンフィクションとして書いてよ」みたいなことを言われたので、「本にはできないかもしれないですけど、演劇にはしたいです」と言いました。そこから2年間ぐらいかけて、服部さんの話を伺いました。彼は、この事件のことを許せないと思っていました。でもそれは、誘拐されたこと自体ではなくて、帰国してからマスコミに追いかけられて日本中からバッシングされた、そのことをずっと許せないと思っている。話を伺った時点でもう20年以上経っていたんですけど、実際にその時に届いた手紙のコピーを服部さんは取っていて、その手紙というのが、この作品の本当の出発点になっています。ある60代の女性からのもので、「あなたたちがやったことは日本の恥だ」ということが、きれいな字で延々と書かれている。会ったこともない20代の若者に対して、こういう手紙を書くエネルギーはどこから湧いてくるんだろうと思って…。「この手紙を書いた人にわたしも怒りを感じるから、それを芝居にしたい」と思いました。バッシングの手紙が来るきっかけになったのは、元々週刊誌の記事が原因でした。普通の大学生を追い詰めるような記事です。最初はそれに対する怒りの気持ちからも戯曲を書いていました。…ですが、戯曲を書くうちに、ひとつ理解できないことが出てきました。服部さんが大学卒業後に選んだ職業が、まさにその「週刊誌カメラマン」であったということです。「そんなに嫌な目にあったのに、なぜ同じ仕事をしているんですか」と取材のたびに何度も伺ったんですが、そうすると服部さんは毎回「パパラッチに追われた経験のある人間しか撮れないものがある」と仰る。最初そういうものなのかもしれないと思ってたんですけれども、だんだん「なんか変じゃないかな」と思い始めました。

 

■“彼ら”とは? “敵”とは、誰?

 

karera2015瀬戸山:『彼らの敵』というタイトルは初期から決めていました。服部さんから見て例えば手紙を送ってきた人々は“敵”、もしくはそういった人たちから見て自由に冒険旅行をして捕まった服部さんは“敵”、お互いがお互いを敵だと考えているということを描こうと思いました。でも結局本当の“敵”は彼自身の中にあることがわかってきました。だから「このお芝居は最終的にはあなたを救うものにしたいけれど、途中に少しつらい描写もあります」と服部さんにお話ししました。そして、もうひとつフィクションの存在としてわたしにとても近い「ライターの女」という役を出すことにしました。彼女は、倫理的にいいのかなと思いつつ、自分にすごく言い訳をしながら男性週刊誌で働いているという女性で、その彼女と服部さんを対峙させました。ふたりはすごく傷つけあうんですけれども、そこから「本当の問題って何だろう」ということが見えてくるような芝居にしました。
再演のときは、その前年にIS(イスラム国)に日本人ふたりが拉致されて殺されてしまう事件が起きて、そのときにやっぱり、「自己責任」という言葉が間違った意味でマスコミに出てきました。服部さんの時代はインターネットがなかったけれども、今はネットでそういうものがどんどん暴走してしまうというのを目の当たりにして、なぜ死んでしまった人や、その人を助けたかった人たちを傷つけなきゃいけないのかとすごく感じて、この作品はやり続けようと思いました。再演では、「パキスタン」という国について、もう少し掘り下げました。パキスタン人の通訳の方に入っていただいて、台本を書き直し、イスラム教や慣習について、改めて全体を監修してもらいました。今もやはり社会の状況はまったく変わっていないと思うので、この作品はとにかくやり続けようと決めています。
岩 崎:映像で見せていただいたのですが、最後、服部さん役の方と、ライターの女性の対話のリアリティがすごいなと思いました。あんなに手に汗握ったのは久しぶりというくらい、面白かったですね。いま瀬戸山さんが仰っていたようなことが舞台からありありと伝わってきました。やっぱり作者の生の言葉でこうやってお聞きすると、上演が本当に楽しみですね。

 

■リーディング劇『ファミリアー』について

 

breakaleg_h28_3瀬戸山:あともうひとつ、今回は『ファミリアー』というリーディング作品を、6月26日11時に1回だけですが上演します。『彼らの敵』のモデルの服部貴康さんは、動物愛護センターや保健所にたどりついた犬たちの写真をずっと撮り続けていて、写真集を出しています。私は、東日本大震災が起きたときに、「生きていく人と死んでしまう人の違いは何なのだろう」と考えてわからなくなっていた時期があって、そのときにふとその写真集の存在を思い出して、あれをもとに台本を書かせてもらおうと思って書きました。三人の男性が、犬と、愛護センターで働く職員の人たちの両方を交互に演じるという40分間の作品です。初演以来、主に小中学校で上演を重ねていて、小学校高学年くらいから大人まで、観ていろいろ考えていただける作品です。この機会に関西の皆さんに知っていただけたらと思います。

 

Q.アイホールのような大きい空間で上演するのは初めてですか? また、どういうふうに空間を使う予定でしょうか。
瀬戸山:ミナモザは、別の作品では東京のシアタートラムと座・高円寺でやらせていただいていて、アイホールサイズの空間でやったことがないわけではないのですが、この『彼らの敵』は6人しか出てこなくて、すごく小空間でつくっているので、その密度をどうやってアイホールでやろうかと考えています。ひとつの円を描いた舞台美術の中からほとんど主人公が出なくて、そこにたくさんの人が出たり入ったりする芝居なのですが、この中でずっとぐるぐる迷い続ける主人公をきちんと見せるようにやりたいです。これからやり続けるにあたって、アイホールのようなワンサイズ大きい劇場で改めてつくることで、今後もいろんなところで上演できる形をつくっていけたらと思っています。
breakaleg_h28_5村 上:僕らは、アイホールのサイズは初めてです。まずアイホールの床全体に、ドイツを中心とした世界地図をドンと置きます。あとは今回、いろいろ吊ることが出来るので、吊りもので勝負しようかなと思っています。で、実はアイホールには、ホリゾントの前にスクリーンが隠れてて、自動で降りてきて自動で開くんです。夕暮れ社がアイホールでやるんだったら、そういう新しいギミックを使ってみたいなという野心があります。それから、小道具も全部吊っちゃおうかなと。椅子なんかも全部吊っちゃって、そのシーンが始まったら降りてくるとか、上の空間で見せたりとか、そういうようなことを考えています。
岩 崎:アイホールで立ち上げる作品は、アイホール専用に間口を広げたりすると大変面白いことが出来るし、逆に、再演で持ってくるときの成功の秘訣は“変えない”ことだと僕は思ってます(笑)。
瀬戸山:はい、わたしもそう思ってます(笑)。
岩 崎:客席の列の数はアゴラ劇場とそんなに変わらないので、俳優の演技なんかもあまり変えないで成立するのがアイホールの特徴だと思っていますので、ぜひそのままで(笑)。

 

Q.『彼らの敵』が書き上がったときの服部さんの感想は?
瀬戸山:服部さんにとって一番しんどいシーンというのがあって、稽古にいらっしゃって観たときは、「瀬戸山は意地悪だあ」と言われました。ただ、服部さん自身はこの作品があって、ちょっとひとつ荷が下ろせた感じもあるみたいで、彼はそのあとすごく人生が変わり始めたんです。一度迷いすぎて、家財道具を捨てて、家も捨てて、飼っていた猫をわたしに預けたりされてたんですけど、この数年のあいだに結婚されて、岐阜に引っ越して、落ち着いていらっしゃいます。服部さんとわたしにとって、そういうタイミングだったんだなって思います。

 

Q.ドイツの喜劇というのは、日本の喜劇とは違う感じですか? どういったところで笑いを取ってるんでしょうか。
村 上:日本でいう「笑いの構造」みたいなものはドイツにも確実にあって、ただ即物的な、いわゆる出オチとかそういった笑いよりは、人物の悲哀とか、人物の考えがずれていく面白さ、みたいなことを「喜劇」と呼んでいます。世界のいろんな人の考えがずれていくことで、それが「喜劇」に見えるという、日本とは少し違った感覚でありつつも、日本にもある笑いの構造が発掘できたりして、そういうのはすごく新鮮です。

 

Q.瀬戸山さんはいつも、今の社会や現実の中からテーマを抽出しようとされているんでしょうか。
瀬戸山:“今”のことをやりたい、というのはあります。今の空気だったり、同調圧力みたいなものだったり、そういうものを書きたいと思っています。「演劇でしか出来ないドキュメンタリーって何だろう」といつも考えていて…単純なドキュメンタリーだったら、映画や小説のほうがそのままを描けるけれども、でも演劇でしか出来ない、本質を描く方法があるんじゃないか、というのは考えながらやっています。

 

Q.「夕暮れ社 弱男ユニット」で、村上さんの書いた作品以外をするのは初めてですか? また既成の戯曲を演出する難しさはありますか?
村 上:劇団で、自分の書いた作品以外をやるのは、今回が初めてのチャレンジです。翻訳ものというのも実は初めてです。演出するときに、他人が書いた戯曲だと思って演出するよりも、自分が書いた戯曲だと思って演出したほうがやりやすくて、そのほうが作品に血が通うような気がしています。「自分とは違う考えだから面白い」というよりも、自分の考えにしていくというか…。もちろん、戯曲を書き換えたりという意味ではなくて、自分が書いたように演出すると、力の抜けたいつも通りの作品になるかな、と。翻訳の堅苦しさみたいなものもあるんですが、そこで柔らかくなっていって、「喜劇」になればいいなと思っています。

 

Q.「break a leg」に関西からの応募が減っているとのことですが、その背景は?
岩 崎:背景は読めているんです(笑)。最初はものすごく応募が多かったんですが、毎回選ぶでしょ? そうすると選出された2団体は喜ぶんですけど、あとの団体は傷つくわけなんですよね。そこで、「じゃあ、もう出さない」という気持ちが働くのは、人間として無理からぬことだと思うんですよね。
瀬戸山:もったいない!
岩 崎:そうなんですよ。だから、「次出してくれたら、もうちょっと観たいな」と思ってた団体が、今年は出してこなくて残念…というのがあります。夕暮れ社さんは、初めての応募じゃないですよね?
村 上:…ばれましたね(笑)。実は3回目です。
岩 崎:そうすると、着々と成果を上げられていて、「いま面白いところに来てるな」と時系列で見られるわけなんですね。それを「もういいや」と諦めて、応募が減ってしまっているというのを、アイホールとしては次、どうしていけばいいかと考えているところです。
村 上:でも確かに、落ちたら傷つきますよねえ。
岩 崎:そうでしょ? 僕もつくる人間なのでわかるんですけど、落ちたらやっぱり傷つくんだよね。でもそこは、夕暮れ社さんのように、しつこく2回でも3回でも応募してくれたら、こういうふうに道が開かれるんだ、というイメージを…どうしたら持ってもらえるんでしょうかね(笑)。
村 上:僕らが頑張るしかないです(笑)。
岩 崎:「3回目の応募でいけたー!」みたいなことを言ってもらえると、とてもうれしいです。

年末年始につきまして

アイホールは明日29日(火)から1月3日(日)まで年末年始のため休館いたします。
なお、月初めの施設使用受付(カルチャールーム:2016年4月分、イベントホール:2017年1月分)は1月4日(月)9時~となります。
今年も一年ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。